KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

沖縄慰霊の日

2023年06月23日 | 俳句
天気 曇

10時ごろ、1階の看護師の居る部屋の前を通ったら、開けっ放しのドアから若い看護師の電話の声が聞こえた。看護師の居る部屋は誰でも入れるので、ドアは看護師の留守の時以外は開いているのだが・・声の大きな彼女の話の内容は廊下によ~く聞こえてくる。
「・・私の顔はまだ解ったようです。・・はい、今のところは・・とにかく、早めにいらっしゃればまだお話が出来ますよ、いらっしゃったご家族の顔も解ると思います」
立ち聞きした訳ではないのでそれ以上は聞いていない。そういう話は日常茶飯かもしれないけれど、そんな電話をする時はドアを閉めた方が・・と言いたかった、でも、クレームはあまり口にしないことにしている。結局、疲れる。
昨日は梅雨寒、不安定な気温の上下で、そうでなくてもイライラしている。おまけに、昨日は私に「被害」のふりかかることがあった。週に一度の部屋の掃除の日、せいぜい一室15分くらいの作業、午前中の筈が一向に来ない。非常勤の介護士が急に辞めたらしくて補充が出来ず、昨日は臨時の派遣らしき人が掃除に来ていた。その人に文句言ったって仕方がない、言われたように部屋を巡っているだけなのだから。そのうち来るだろう、と思ったが、午後になっても来ない。
詳細は省略、結局、作業日程の中の私の部屋のデータが昨日は「掃除不要」になっていたのだそうだ。作業管理はタブレットで記入し、パソコンで集約する。つまり、データ上、私は不在なので掃除不要、ということになっていたようだ。何だか、マイナカードのトラブルを思う。現場の人間のデータ入力が何よりも大事なのだ。手書きだって同じこと。どんなに立派な制度でも、動かすのは第一線の人間。犠牲になるのは制度を受ける人たち。
「私が間違えました」と謝罪に来た介護士を怒鳴ることも出来たが、結局は自分が疲れるだけ。外出予定もなかったし「被害」は、待ちぼうけのイライラだけだし。最近は、あまり感情的になると、血圧の変動も大きくなるし、ペースメーカーで正常値にしている筈の脈拍がひどい遅脈になってしまう。何ごとも我慢我慢。

今日は沖縄慰霊の日。地元ですらもう、沖縄戦のことをあまり知らない若者が増えたとか。太平洋戦争は歴史のひとつとして記録すらだんだんうすれていくのだろう。
同じ階の車椅子だが元気な100歳超の女性は、大声で、戦中戦後の自分の苦労話を繰り返し周りの人へ話したがる。耳が異常に遠いので私は「心臓に悪いので大声出せません、ごめんなさい」と、会話は断っている。
話したいのなら、若い人に話して・・と言いたい。私はもうイヤ。戦争に纏わる記憶は私の原点だから、思い出したくもない。以前、食事しながら「今日は東京大空襲のあった日だわ、あの日私、神田に居たのよ・・」と、経験を語り始めた90歳超の人が居た。私は、はっきりと断った。
「私は、食事しながら戦争の話をしたくありません、やめていただけます?」
入所当時はあまり言われなかったが、その後「黙食」が常となり、ほっとした。今、食事中は静かで、認知症の人とそれをを介護する職員の声くらいしかない。

午後、仏花が切れたままだったので雨の降らないらしい今日こそは・・と買いに出た。
地元産の野菜を売る店に出ているトルコキキョウ。今が全盛期? 大小様々な色の花があった。


かつと照りはや翳りたる沖縄忌  KUMI(2016
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もう夏至ですって?!

2023年06月21日 | 俳句
天気 曇

言われれば、夏至でございましょう、と思う。太陽のない梅雨空どっぷりでは、昼間が長いか短いか、なんていう感覚も解らない。夏至だから何さ・・でも、一年の半分がもうすぐ過ぎていくのは確かなこと。
千日紅の花。公園にたくさん咲く。ありふれた花ではあるけれど、横文字の花の増えた昨今、何となくほっとする花だ。

朝9時にシャワーを浴びて(浴室はすぐ近いけれど、一応、9時からの約束なので守っている。鍵は開いていても、職員の勤務体制の出来た時刻が入浴解禁)3日前に使ったバスタオル、どーしようかな、今日で二日目、でも部屋で乾かしてもう1回使おうかな、と思ったがやめて洗濯機へ。
実は先日、テレビで厭な番組を見てしまった。確か、梅雨どきのカビを増やさないため、という番組だったと思うけれど。最初のところは見そびれた。
日常使う身の廻りのモノは、どんな頻度で洗えばいいのか・・という内容。
そんなの、汚れた、と思った時でいいんじゃないの? ずぼらな私はそう思って80年以上も生きてきた。バスタオル?使ったら毎回洗う、って・・
入浴後は、浴室では絞った浴用タオルでざっと体の水分を拭ってから、脱衣場に出てバスタオルで拭く。びしょ濡れのままでバスタオルを使う人が多いらしいけれど、私の年代は多分、それがジョウシキだ。だから、バスタオルがびしょびしょになることはまずない。
それでも、使ったら毎回、洗濯をするのがおススメ、と専門家?はおっしゃった。
そんなこと、していませんでしたよ、夏は毎日シャワー浴びていたけど(ここでは原則週2回)、毎日バスタオルを洗うなんて・・あの、嵩張るタオルを3枚も干しただけでベランダの物干し棹の1本が占拠されてしまうようなマンション暮らしだった。その上に洗面所のタオルも毎日洗うのが理想?
家族5人も居たら、どうなるのよ。
もしかしたら、それを実行している家が当たり前で、私みたいなずぼらは論外?でも、パジャマは汗かいたら一晩で替えますよ、上着だけは。

とはいえ、湯上りに使ったタオルを放置しておくと黴菌がこれだけ増えます、などという実験画面を見せられると・・ああ、こんな番組、見なきゃ良かった、と、ずぼらに生きてきた私は顔を顰めてしまう。


ここでは、8割の人たちは介護付きで入浴する。タオルその他、洗濯物は入浴の日に全部、業者依頼のための袋へ入れるようだ。だから、タオルは一回限りで洗うことになるのだろう。洗濯物は業者から1週間で戻ってくるらしい。
ま、仕方ない、自分で洗う私はせいぜい2回に1回としよう。夏の間は。部屋干ししている間に、バスタオルで黴菌が繁殖していくのは困る。免疫力がないのだから、頑張ろう・・外干しは出来ないので乾燥機が乾かしてくれるのだし。
でも・・メンドクサイ。改めて、見なきゃ良かった生活情報番組。

明け易し寝返るたびに夢の消え   KUMI
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お米を食べない人

2023年06月20日 | 俳句
天気 曇がち

全然関係ない塗り絵。もっと綺麗な熱帯魚の絵を探してみよう。

梅雨晴間には違いないが、すっきりと晴れることはなく。出かける用もないので、昼間は眠さと闘うばかり。

長く生きていれば色々な人に出会うもの。で、今回は、人生で初めて「ご飯が好きではないのであまり食べません」という人と、毎日食事をすることになった。ほんと、80年以上も生きて日本人なのにご飯を嫌う人は初めての遭遇だ。

新しい入所者があったりで、食事のときの席が少し替わった。内心はちょっとほっとした。我々の席は、4人掛けのテーブルを3人で使っていた。1ヶ月ほど前から、斜め前に座った人が思いのほか耳が遠くて、私が怒鳴るように声を張り上げないと会話にならない。とても疲れるので気まずい思いをしていた。
で、一昨日からの人は、1年くらい前にご夫婦で入居された奥さまの方で、とくに何の問題もないように見える方だ。ご主人の部屋は私の斜め前なので、顔を合わせることも多い。男性で奥様連れとあればそう親しくはしていないが、夫婦共 高校教師だったという噂で、とても紳士、奥さまも静かな感じの良さそうな方。別の階に居る。時々二人で公園まで散歩に行っており、元気な様子。年齢は私と同じくらいか・・見た限りでは、気力体力とも、こんな介護付きの施設へ入る必要もない、二人で支え合えば十分に居宅生活が出来るのに・・という感じだ。

でも、ここへ来たからには何かそれの出来ない事情があるのだろう。別にそれを探るつもりもないが、昨日の夕食が終ったときに隣の席の彼女のご飯茶碗が全く箸を付けないままなのが目に入った。副菜の方はきれいに食べてきっている。体調でも悪いのかと思わず、
「あら、ご飯を召し上がらなかったのですか」と言ってしまった。
「ええ、好きではないので。パンか麺類なら食べますけど、ご飯は殆ど食べません」
「もったいないような・・150gも」と仰天したので余計なことまで言ってしまった。
ご飯の量や内容は、その人の好みや病状などでそれぞれ違う。トレーの札にそれらが書いてある・・厨房の作業のために。私は少なめの100g、普通食。やせ型の女性はこの量が多い。80・150・200と、それぞれ好む量になっていて、普通食・柔らかめ・お粥・三分粥などなど。
でも、150gは普通の量だ。朝は週3日パン食になるが、希望すれば毎朝パンにも出来る。彼女は朝食を無論、パン食にしているそうだ。でも、昼夕は、麺類が時々出るものの米飯、と決まっている。日本の介護施設なのだ。その米飯を食べないなんて・・びっくりした。そういえば、食事に箸は使わず、大きなスプーンでおかずも食べている。煮魚をカレー用スプーンで食べる、って結構大変な作業に見えるけれど。海外のお育ち?

気にするのはやめよう。余計なストレスが溜まる。
何しろ、米のない時代を生き抜いて、母親から一粒でも食べ残したら手を叩かれるくらいの育ち方をしてきた。今も、どうしてもご飯の食べきれない時は母親の顔が浮かぶ。「ごめんなさい、お母さん」と心で謝っている。

どうしても、の買い物があってスーパーへ行ったら、入り口にもう七夕竹が。


明日は夏至。おろおろしている間に7月になってしまう。

歩かねば細りゆく足梅雨茸  KUMI  (2001年)
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桜桃忌

2023年06月19日 | 俳句
天気 晴のち曇

昨日の紫陽花の続きみたいな写真。体調良ければゆっくり歩いて何とかここまで行けるかな、と思っていたが、一昨日の右足のトラブルで、ちょっと自信がなくなった。カルガモのヒナも生まれたかもしれない頃。

桜桃忌は、太宰治の忌日の13日(玉川上水入水の日)とする人も居るが、発見された今日にする方を私は支持してきた。三鷹の禅林寺で法要が営まれるのも確か今日。
桜桃忌について私がとやかく書いても、又聞きのお披露目でしかないので省略。ただ、玉川上水は私にとって馴染み深い場所だった。以前は、太宰の入水場所よりはるか上流のむしろ取水堰のある上流近くに住んでいた。大雨で増水して、交差するバス道路が水浸しになったこともあるので、太宰の事件の頃の下流は、かなり水量があったはず。今、現場(三鷹市内)の流れを見下ろしても「こんな所で入水なんて無理・・」と思うような水量だが、当時は水害時の対策のない水路。梅雨のさ中にはかなりの水量だったのだろう。

発見の日が39歳の誕生日だった、という偶然も有名な話。今になって知ると、なんというもったいない・・と思う。39歳なんて、まだ人生の入り口みたいな年齢だ。
それでも、彼の遺した作品を私は結構「青春の証し」みたいに読んだものだ。年をとってから読み返して、なんだ、あまり面白くない、わがままなお坊ちゃまのたわごと?・・などと思ったものもある。今は、本はすべて廃棄してきてしまったので、読むとすれば電子辞書の「日本文学作品集」に載っている。
ここへ来る前には漱石などは、読み返したもの。最近はそういう余裕がなくなった。向き合うのが自分の病気のことばかりのような・・人生に余裕、というものを持たなくては。


その余裕は、今のところテレビドラマに盗られてしまった。やっぱ、キムタクと福山正治サンは見逃せないでしょ。毎日、病気のことばっかし考えてたら、やってらんね。

桜桃忌武蔵野を月わたりゆき  KUMI (2007年)
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眠る人

2023年06月18日 | 俳句
天気 晴一時曇

猛暑が近付くような予報で、外出は控えた方が・・という感じの朝の予報だった。まだ暑さに慣れてない首都圏、熱中症予防のためか、天気予報も大袈裟な。
紫陽花の写真ばかり続き、飽きられそうな・・これは昨日のものではなく、2年前の公園の写真。池の後の、あまり人の通らない場所にみごとな紫陽花が咲く。懐かしい、としか今は言えない。

猛暑に近付くような予報だったので、シャワーを浴びて洗濯をして、出かけずにそのまま籠っていた。そうすると、眠い。パソコンの前でうつらうつら。スマホを膝の上に置いたままこっくりこっくり。もう、ここまで来たら年寄三昧になってしまった感じだ。認知症の人たちには、よく眠る人が多い。わかる、わかる・・眠いものねえ・・と、食堂で配膳を待っている間にも眠ってる人を見て思う。
「〇〇さん、眼を覚ましてください、お昼ご飯ですよ」と声を掛けられても、開いた眼がまた閉じてしまう人も。「今日は牛丼ですよ、美味しいから眼を覚まして」
何だか、私も近々、そういう人たちと同じになりそうだ。
今のところ、私は珈琲で眠気を遠ざけたり、軽いストレッチで眼を覚まさせたり工夫はしているけれど・・そのうちに、食堂へ行く時間になっても私の姿が見えず、職員に叩き起こされるかも。そういう人は、認知症でなくても居る。運よく、私は寝坊したり昼寝で覚めなかったり、で職員を煩わせたことは一度もない。自分を褒めます。

眠けりゃお昼寝すればいいのよ、と言う人が居る。私はしない。なぜなら、昼間でも熟睡出来るので、一度起こされるとその眠さを夜まで持っていってしまう。で、夜中の1時2時に目が冴えて、悶々として、夜明けにまた眠りたくなり・・ということになる。同じ階のFさんが、最近、昼夜逆転している。時間の感覚がないようで、目覚めていれば「食堂へ行く時間?」と聞いてくる。
「さっき昼食を食べたばっかりよ」と言っても信じないで、また介護士に同じ質問・・
朝の4時ごろから廊下を歩いていて、すり足で歩くので変な靴音がして、こちらは眠れなくなるのですよ・・
ということで、最近は介護士さんに、昼間起きていられるように、早朝の徘徊はせずに済むように・・と、お願いした。他の、睡眠の正常な人たちが睡眠障害を起こしそうだった。最近は朝4時でも明るいので、彼女にとっては、もう朝なのかもしれない。食堂へ行かねば・・という思いから徘徊しているのだろうか。この数日は、足音を聞かなくなった。でもまだ、昼間の居眠りは続いている。睡眠剤を強くしたのだろうか。

介護士さんが「哀しいくらい時間が解らなくなっていくんですよ」と言ったことがあった。認知症がこれほど時間の認知を遠ざけるとは、私もここへ来るまで知らなかった。
明日は我が身。

寂しくはなけれど二人冷奴  KUMI (2014年)
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