榎地区は、武蔵村山市役所のすぐ南東側のところ
都道5号新青梅街道の三本榎信号を都道55号えお南に入ったすぐ右手に公園が有ります
左にも三本榎公園が有ります公園脇に車を止めさせて頂きました
7本のヒコバエが保護されています
三本榎(乙幡榎)の標柱です
むさしむらやま歴史散策東コースです
説明版です
市指定史跡
三本榎
昭和51年4月5日指定
三本榎は、東から奥住榎(水道局用地内)加藤榎(都道東)と、この乙幡榎をあわせて呼んだものです。
大正時代末期(約60年前)に植え替えられた奥住榎を除いて、樹齢は二百余年と推定されており、その見事な枝ぶりは広く市民に親しまれています。
昔、腕自慢の若者三人が遠矢(弓)の競争をし、北に見える赤堀の山から放った矢が落ちた場所に榎が植えられ、それぞれの名を付けたという伝説が有ります。
三本榎の南を東西に走る道路は、引又街道(市街道)と呼ばれていました。この道路は、江戸時代から明治時代にかけて重要な生活道路であったため、三本榎はここを往来する人々の休憩所となっています。
この乙幡榎の塚にある庚申塔は、寛政11年(1799)に造立されたものです。
昭和56年7月
武蔵村山市教育委員会
伐り倒されてしまった経緯がわかります
大きく育ってもらいたいものです
都道の東側のエノキ(?)です、加藤榎でしょうか、樹齢二百年には見えません
根元には三本榎公園の標柱が立っています
では、次へ行きましょう
都道5号新青梅街道の三本榎信号を都道55号えお南に入ったすぐ右手に公園が有ります
左にも三本榎公園が有ります公園脇に車を止めさせて頂きました
7本のヒコバエが保護されています
三本榎(乙幡榎)の標柱です
むさしむらやま歴史散策東コースです
説明版です
市指定史跡
三本榎
昭和51年4月5日指定
三本榎は、東から奥住榎(水道局用地内)加藤榎(都道東)と、この乙幡榎をあわせて呼んだものです。
大正時代末期(約60年前)に植え替えられた奥住榎を除いて、樹齢は二百余年と推定されており、その見事な枝ぶりは広く市民に親しまれています。
昔、腕自慢の若者三人が遠矢(弓)の競争をし、北に見える赤堀の山から放った矢が落ちた場所に榎が植えられ、それぞれの名を付けたという伝説が有ります。
三本榎の南を東西に走る道路は、引又街道(市街道)と呼ばれていました。この道路は、江戸時代から明治時代にかけて重要な生活道路であったため、三本榎はここを往来する人々の休憩所となっています。
この乙幡榎の塚にある庚申塔は、寛政11年(1799)に造立されたものです。
昭和56年7月
武蔵村山市教育委員会
伐り倒されてしまった経緯がわかります
大きく育ってもらいたいものです
都道の東側のエノキ(?)です、加藤榎でしょうか、樹齢二百年には見えません
根元には三本榎公園の標柱が立っています
では、次へ行きましょう