中野地区は、蛯名市役所の南南西約4kmのところ
県道46号線を南へ社家小学校の先の社家小学校南側信号を西へ、
JR相模線の踏切りを越えて相模川左岸の堤防が見えて其の上を圏央道が通ります、道路を南に入った所に中野八幡宮が南向きに鎮座します、境内南側道路脇に車を止めさせて頂きました
参道入口です
村社 八幡宮です
鳥居です
手水舎です
拝殿です
本殿は覆屋の中です
拝殿前参道左に目的のイチョウが在ります
東側から
俳句の標柱の様です
説明版です
御神木(大銀杏)
この大銀杏は、古文書や伝承が多く伝えられている。
樹木医によると、樹齢は800年を超えていると診断され古文書の記述が証明している。
万治2年(1659年)に編纂された「鷹倉社寺孝」には次のように記載されている。
【八幡宮の鎮座時期は、古文書や棟札がないので本当の事はわからない。但し、社殿や神木をよく調べてみると古い時代の鎮座と思われる。】
享保10年(1725年)現在の御本殿造営古文書「鎮守八幡宮献物之札」には、【正徳6年(1716年)この中野村の鎮守様の八幡宮は、長い間の歳月がたたって痛みがひどく寂れてしまた。】中村で再建の話しがでていた矢先、次の年の8月16日に大風が吹き御神木の銀杏が本殿の方に倒れ本殿が大破してしまった。
これにより、村人の本殿再建の意思は強く固まり、七カ月の計画をたてその努力により金59両余りの寄付金が集まった。
天保12年(1841年)に編纂された「新編相模風土記稿」によると「神木銀杏樹周囲1条5尺(6m)」と記されている。当寺には、すでにかなりの巨木であったことを知ることができる。
大正8年(1919年)11月に撮影された境内の写真に大銀杏の健全な姿が写されてている。
雄木で実は付けないが、幹から乳(にゅう)が下がり特異な姿であった。
昭和40年(1965年)台風により、根が浮き上がり倒れ拝殿の屋根を破損し、主幹が枯れてしまった。現在の技術があれば、枯れることはなかったと考えられ惜しまれる。折れた枝でまな板を作り氏子に配られた。その後、南側の幹から芽が出て復活し、御神木の生命力の強さが証明された。以前は、境内を蓋うほど枝葉が繁り遠くからも見えたと伝えられている。
平成6年(1994年)樹勢が衰え樹木医に診断を受け治療が施され、枯れてしまった部分には保存の手当てが行なわれ。その結果、幹の一部が樹勢を回復した。現在では、枯れた部分を含め8.50m程である。
大銀杏は樹齢1100年を超えると診断され、近代では希な大銀杏として手当てが施された。また、この大銀杏は平岩弓枝の小説「華やかな魔獣」に登場し「岩とも木ともつかぬ奇怪な塊」という表現が用いられている。
この度、平成の御造営を機会に800年以上に亘り時を刻み、八幡宮や地域の変遷・発展を見守り中野の象徴・誇りとして尊重され親しまれてきたことが改めて見直された。
平成17年6月 八幡宮総代
拝殿前から見ました
社殿右手のケヤキです
.
保存樹木です
神楽殿の様です
境内社です
では、次へ行きましょう
県道46号線を南へ社家小学校の先の社家小学校南側信号を西へ、
JR相模線の踏切りを越えて相模川左岸の堤防が見えて其の上を圏央道が通ります、道路を南に入った所に中野八幡宮が南向きに鎮座します、境内南側道路脇に車を止めさせて頂きました
参道入口です
村社 八幡宮です
鳥居です
手水舎です
拝殿です
本殿は覆屋の中です
拝殿前参道左に目的のイチョウが在ります
東側から
俳句の標柱の様です
説明版です
御神木(大銀杏)
この大銀杏は、古文書や伝承が多く伝えられている。
樹木医によると、樹齢は800年を超えていると診断され古文書の記述が証明している。
万治2年(1659年)に編纂された「鷹倉社寺孝」には次のように記載されている。
【八幡宮の鎮座時期は、古文書や棟札がないので本当の事はわからない。但し、社殿や神木をよく調べてみると古い時代の鎮座と思われる。】
享保10年(1725年)現在の御本殿造営古文書「鎮守八幡宮献物之札」には、【正徳6年(1716年)この中野村の鎮守様の八幡宮は、長い間の歳月がたたって痛みがひどく寂れてしまた。】中村で再建の話しがでていた矢先、次の年の8月16日に大風が吹き御神木の銀杏が本殿の方に倒れ本殿が大破してしまった。
これにより、村人の本殿再建の意思は強く固まり、七カ月の計画をたてその努力により金59両余りの寄付金が集まった。
天保12年(1841年)に編纂された「新編相模風土記稿」によると「神木銀杏樹周囲1条5尺(6m)」と記されている。当寺には、すでにかなりの巨木であったことを知ることができる。
大正8年(1919年)11月に撮影された境内の写真に大銀杏の健全な姿が写されてている。
雄木で実は付けないが、幹から乳(にゅう)が下がり特異な姿であった。
昭和40年(1965年)台風により、根が浮き上がり倒れ拝殿の屋根を破損し、主幹が枯れてしまった。現在の技術があれば、枯れることはなかったと考えられ惜しまれる。折れた枝でまな板を作り氏子に配られた。その後、南側の幹から芽が出て復活し、御神木の生命力の強さが証明された。以前は、境内を蓋うほど枝葉が繁り遠くからも見えたと伝えられている。
平成6年(1994年)樹勢が衰え樹木医に診断を受け治療が施され、枯れてしまった部分には保存の手当てが行なわれ。その結果、幹の一部が樹勢を回復した。現在では、枯れた部分を含め8.50m程である。
大銀杏は樹齢1100年を超えると診断され、近代では希な大銀杏として手当てが施された。また、この大銀杏は平岩弓枝の小説「華やかな魔獣」に登場し「岩とも木ともつかぬ奇怪な塊」という表現が用いられている。
この度、平成の御造営を機会に800年以上に亘り時を刻み、八幡宮や地域の変遷・発展を見守り中野の象徴・誇りとして尊重され親しまれてきたことが改めて見直された。
平成17年6月 八幡宮総代
拝殿前から見ました
社殿右手のケヤキです
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保存樹木です
神楽殿の様です
境内社です
では、次へ行きましょう