早川地区は、小田原市役所の南西約4kmのところ
早川のビランジュの在る一夜城の尾根の海側(南側)紀伊神社が鎮座します
国道135号線を南へ、JR東海道本線はやかわ駅前を過ぎて、国道の二車線が上下線に分かれる手前を戻るように北側の道へ入ると神社参道前に出ます
手前の道路脇に
車を止めさせて頂きました

参道入口です

鳥居です

参道脇の住宅前に水盤です

東海道線が通っています


線路の下を潜って石段を上がります

参道右手に鐘楼が有ります
側の正蔵寺の物なのでしょうか・・・

境内社です

岩を模ったこれも水盤(手水)だったようです

拝殿です

本殿覆い屋です

神楽殿の様です

説明版です
紀伊神社
早川の氏神さまで往古は木宮大権現、のちに紀伊宮大権現と称され、土地の人から「木の宮さん」と呼ばれた。箱根物産木工業の人たちに昔から崇拝されてきた神社である。
神社縁起によれば、貞観年中(859~876)の創建で、祭神は五十猛命と惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)とか奉祀されている。
木地挽(轆轤師:ろくろし)の開発者といわれる惟喬親王は定安2年(858)京の都を追われて伊豆(河津)に流罪となったが、途中風にあい国府津海岸につき早川の庄に至りこの地で歿したといわれ、当時親王の付人が木地を挽いて、朝夕の料に当てたといあれている。
また、この地には「木地挽」と言う字名が現存するが、この字名はその名残りであろう言う。
なお、紀伊神社の社宝である「木地椀」は、小田原市の重要文化財に、社叢は天然記念物にそれぞれ指定されており、中でも社殿前のクスノキは市内で最大の老木である。




境内西側に目的のクスノキです




北東側から




西側から

境内社です

境内から海を見る事が出来ました

鳥居のそばに水準点が有りました
では、次へ行きましょう
早川のビランジュの在る一夜城の尾根の海側(南側)紀伊神社が鎮座します
国道135号線を南へ、JR東海道本線はやかわ駅前を過ぎて、国道の二車線が上下線に分かれる手前を戻るように北側の道へ入ると神社参道前に出ます
手前の道路脇に


参道入口です


鳥居です


参道脇の住宅前に水盤です


東海道線が通っています



線路の下を潜って石段を上がります


参道右手に鐘楼が有ります


境内社です


岩を模ったこれも水盤(手水)だったようです


拝殿です


本殿覆い屋です


神楽殿の様です


説明版です
紀伊神社
早川の氏神さまで往古は木宮大権現、のちに紀伊宮大権現と称され、土地の人から「木の宮さん」と呼ばれた。箱根物産木工業の人たちに昔から崇拝されてきた神社である。
神社縁起によれば、貞観年中(859~876)の創建で、祭神は五十猛命と惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)とか奉祀されている。
木地挽(轆轤師:ろくろし)の開発者といわれる惟喬親王は定安2年(858)京の都を追われて伊豆(河津)に流罪となったが、途中風にあい国府津海岸につき早川の庄に至りこの地で歿したといわれ、当時親王の付人が木地を挽いて、朝夕の料に当てたといあれている。
また、この地には「木地挽」と言う字名が現存するが、この字名はその名残りであろう言う。
なお、紀伊神社の社宝である「木地椀」は、小田原市の重要文化財に、社叢は天然記念物にそれぞれ指定されており、中でも社殿前のクスノキは市内で最大の老木である。




境内西側に目的のクスノキです





北東側から





西側から


境内社です


境内から海を見る事が出来ました


鳥居のそばに水準点が有りました

では、次へ行きましょう

