田京地区は、伊豆の国市役所の南東約3kmのところ
国道136号線から国道414号線へ変わる深沢川北詰を東へ県道19号伊東大仁線です
次の信号の北側に広瀬神社の一ノ鳥居が在ります
信号手前に大仁体育館です、向かい側に参道入口が有ります、脇の駐車場に車を止めさせて頂きました
参道入り口鳥居です
縣社 広瀬神社です
狛犬です
参道が鈎の手に曲がっています、大きな石が並んでいます
説明版です
伊豆の国市が実施した市道の改良工事により、旧下田街道(明治期以降)に敷設されていた切石(縦横約1尺、長さ5尺)が採取されました。
上図の中央に見える神社境内への水路を渡る橋として設置されていたものです。
明治25年の時点では、敷並べただけのものだと思われますが、広瀬神社周辺は大正9年の水害で、大きな被害を受けたとされておりますので、それ以後設置されたものはモルタルで固められておりました。
明治期の神社前の道路は、神社境内とほぼ同じ高さでありましたが、その後、約2m程盛土された折、水路と切石はそのまま地中に埋められておりました。
今回の工事で水路の改修が行なわれ、箱型水路を敷設する際に、発見されました。
広瀬神社の同工事に伴う改修(鳥居・参道)時に、一ノ鳥居の法面下、参道の脇、裏鳥居の階段等に再設置致しました。
平成19年11月 記
伊豆の国市三福 土屋建設(株)
参道を進みます
参道右手のクスノキです、二ノ鳥居が見えて来ました
ニノ鳥居です
御神馬像です
手水舎です
拝殿です
*本殿の写真が保存されていませんでした
拝殿の西側にソテツの大木です
更に北西側には立派な土俵です
目的のクスノキの御神木です
説明版です
御神木
大楠と御田植神事
推定樹齢 2500年
神事 7月15日
広瀬神社では、古くから御田植の神事(御田植祭り)が行なわれている。
かつては、氏子一同が太鼓を打ち鳴らしながら、神田尻にある神饌田から早苗を採って来たが現在では当番町の人々により用意される。
この早苗を一の枝に打ち上げて、より多く枝に掛かった年は豊穣であるといわれる。
*玉垣に保護されて生き続けています、実際に計測することはむりですが、目通り幹囲5.8mの巨木だそうです
説明版です
伊豆の国市指定文化財
広瀬神社の杜(森)
延喜式内社であり、神階帳従一位広瀬の明神という。祭神は、溝樴姫命(みぞくいひめのみこと)外二神。見目神社、龍爪神社、など八社を合祀、祖霊社を祀っている。田方一の大社である。
社伝によれば、三島大社はその昔下田の白浜からこの地に移り、後に三島に遷祀したという。
天正18年(1591)豊臣秀吉による韮山城(北条氏)攻めの際兵火に遭い社殿ことごとく焼失している。慶長元年(1596)に再建、江戸時代には深沢明神として崇敬された。明治28年(1895)より広瀬と称える。
例大祭は、毎年11月3日に行われ、大仁町指定無形文化財の式三番が奉納される。
境内には、クスノキ・ムクノキ・ケヤキ・カヤノキ・マキノキ・スギなど多くの樹木がある。また、海浜性のヒメユズリハ・モクレイシ・トベラなど注目すべきものである。
伊豆の国市教育委員会
*2005年(平成17年)伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併し伊豆の国市となりました。
南西側から見ました、幹は大部分が無くなってしまって東西に分離して皮だけの様になっています
本殿北側の祖霊社です
裏参道脇のクスノキです
南側から見ました
では、次へ行きましょう
国道136号線から国道414号線へ変わる深沢川北詰を東へ県道19号伊東大仁線です
次の信号の北側に広瀬神社の一ノ鳥居が在ります
信号手前に大仁体育館です、向かい側に参道入口が有ります、脇の駐車場に車を止めさせて頂きました
参道入り口鳥居です
縣社 広瀬神社です
狛犬です
参道が鈎の手に曲がっています、大きな石が並んでいます
説明版です
伊豆の国市が実施した市道の改良工事により、旧下田街道(明治期以降)に敷設されていた切石(縦横約1尺、長さ5尺)が採取されました。
上図の中央に見える神社境内への水路を渡る橋として設置されていたものです。
明治25年の時点では、敷並べただけのものだと思われますが、広瀬神社周辺は大正9年の水害で、大きな被害を受けたとされておりますので、それ以後設置されたものはモルタルで固められておりました。
明治期の神社前の道路は、神社境内とほぼ同じ高さでありましたが、その後、約2m程盛土された折、水路と切石はそのまま地中に埋められておりました。
今回の工事で水路の改修が行なわれ、箱型水路を敷設する際に、発見されました。
広瀬神社の同工事に伴う改修(鳥居・参道)時に、一ノ鳥居の法面下、参道の脇、裏鳥居の階段等に再設置致しました。
平成19年11月 記
伊豆の国市三福 土屋建設(株)
参道を進みます
参道右手のクスノキです、二ノ鳥居が見えて来ました
ニノ鳥居です
御神馬像です
手水舎です
拝殿です
*本殿の写真が保存されていませんでした
拝殿の西側にソテツの大木です
更に北西側には立派な土俵です
目的のクスノキの御神木です
説明版です
御神木
大楠と御田植神事
推定樹齢 2500年
神事 7月15日
広瀬神社では、古くから御田植の神事(御田植祭り)が行なわれている。
かつては、氏子一同が太鼓を打ち鳴らしながら、神田尻にある神饌田から早苗を採って来たが現在では当番町の人々により用意される。
この早苗を一の枝に打ち上げて、より多く枝に掛かった年は豊穣であるといわれる。
*玉垣に保護されて生き続けています、実際に計測することはむりですが、目通り幹囲5.8mの巨木だそうです
説明版です
伊豆の国市指定文化財
広瀬神社の杜(森)
延喜式内社であり、神階帳従一位広瀬の明神という。祭神は、溝樴姫命(みぞくいひめのみこと)外二神。見目神社、龍爪神社、など八社を合祀、祖霊社を祀っている。田方一の大社である。
社伝によれば、三島大社はその昔下田の白浜からこの地に移り、後に三島に遷祀したという。
天正18年(1591)豊臣秀吉による韮山城(北条氏)攻めの際兵火に遭い社殿ことごとく焼失している。慶長元年(1596)に再建、江戸時代には深沢明神として崇敬された。明治28年(1895)より広瀬と称える。
例大祭は、毎年11月3日に行われ、大仁町指定無形文化財の式三番が奉納される。
境内には、クスノキ・ムクノキ・ケヤキ・カヤノキ・マキノキ・スギなど多くの樹木がある。また、海浜性のヒメユズリハ・モクレイシ・トベラなど注目すべきものである。
伊豆の国市教育委員会
*2005年(平成17年)伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併し伊豆の国市となりました。
南西側から見ました、幹は大部分が無くなってしまって東西に分離して皮だけの様になっています
本殿北側の祖霊社です
裏参道脇のクスノキです
南側から見ました
では、次へ行きましょう