星山地区は、富士宮市役所の南南西約3kmのところ
県道76号富士富士宮由比線を南へ田子の浦港へそそぐ潤井川を渡った先の信号を左へ
潤井川から富士川への分水路である星川放水路沿いを南へ進みます
約2kmで右手の山の斜面に倭文神社が鎮座します
大悟庵墓地の駐車場を利用させて頂きました
大悟庵への参道です
大悟庵境内にはクスノキの大木です
すぐ左側に倭文神社の参道石段です
境内に上がりました、左手に目的のスギが見えています
手水舎です
社殿です
社殿の裏側(西側)一段高くに玉垣です、サカキが植えられています、本殿が在るべき位置ですので、本殿の無い古い形式なのでしょうか
説明版です
倭文(しどり)神社の由緒
当神社は延喜式神名帳にある式内社で、又富士郡三座の一つでもあり、日本最古唯一の織物、製紙の神である健羽雷神を奉斎する神社である。
旧社格は村社であったが、昭和35年10月1日山神社、熊王山神社、第六天神社の三社を合併し宗教法人十三級神社として認証された。
古代高天原時代、当地に星神として君臨していた香々背男が、貫戸、岩本附近の神々を糾合して、中央政府に反乱を企てたので経津主神と武甕槌命は健羽雷神を遺して之を討滅せしめた。
以後、健羽雷神は、星山に永住し、織物製紙の業を興したので諸神の崇敬を集め当神社に祀られた。
元来当地方には、藤、三椏(ミツマタ)、楮(コウゾ)等が山野に自生して居り加えて、清冽なる湧水も豊富であったので、かかる産業が必然的に発達する素地があったと解される。今日富士地方は世界的に有名な紙の産地として知られているが、その起源は茲に在るとされている。
御神木のスギです
案内板が有ります
保存樹 樹種 スギ(すぎ科)
保存指定の概要
目通りの幹周が5.9mと市内有数の巨木で、倭文神社の御神木として古来から大切に守られてきた。
保存指定番号 第32号
保存指定年月日 平成12年3月27日
所在地 富士宮市星山1番地
*説明版の通り、住所も星山の始まりの地なのですね
北東側から
北側から
西側から
境内に戻って、大悟庵本堂です
境内のクスノキの大木を西側から見ました、サザンカが綺麗に咲いていました
駐車場からすっきりとした富士山が見えました
では、次へ行きましょう
県道76号富士富士宮由比線を南へ田子の浦港へそそぐ潤井川を渡った先の信号を左へ
潤井川から富士川への分水路である星川放水路沿いを南へ進みます
約2kmで右手の山の斜面に倭文神社が鎮座します
大悟庵墓地の駐車場を利用させて頂きました
大悟庵への参道です
大悟庵境内にはクスノキの大木です
すぐ左側に倭文神社の参道石段です
境内に上がりました、左手に目的のスギが見えています
手水舎です
社殿です
社殿の裏側(西側)一段高くに玉垣です、サカキが植えられています、本殿が在るべき位置ですので、本殿の無い古い形式なのでしょうか
説明版です
倭文(しどり)神社の由緒
当神社は延喜式神名帳にある式内社で、又富士郡三座の一つでもあり、日本最古唯一の織物、製紙の神である健羽雷神を奉斎する神社である。
旧社格は村社であったが、昭和35年10月1日山神社、熊王山神社、第六天神社の三社を合併し宗教法人十三級神社として認証された。
古代高天原時代、当地に星神として君臨していた香々背男が、貫戸、岩本附近の神々を糾合して、中央政府に反乱を企てたので経津主神と武甕槌命は健羽雷神を遺して之を討滅せしめた。
以後、健羽雷神は、星山に永住し、織物製紙の業を興したので諸神の崇敬を集め当神社に祀られた。
元来当地方には、藤、三椏(ミツマタ)、楮(コウゾ)等が山野に自生して居り加えて、清冽なる湧水も豊富であったので、かかる産業が必然的に発達する素地があったと解される。今日富士地方は世界的に有名な紙の産地として知られているが、その起源は茲に在るとされている。
御神木のスギです
案内板が有ります
保存樹 樹種 スギ(すぎ科)
保存指定の概要
目通りの幹周が5.9mと市内有数の巨木で、倭文神社の御神木として古来から大切に守られてきた。
保存指定番号 第32号
保存指定年月日 平成12年3月27日
所在地 富士宮市星山1番地
*説明版の通り、住所も星山の始まりの地なのですね
北東側から
北側から
西側から
境内に戻って、大悟庵本堂です
境内のクスノキの大木を西側から見ました、サザンカが綺麗に咲いていました
駐車場からすっきりとした富士山が見えました
では、次へ行きましょう