村山地区は、富士山の南西面中腹に当たる広い地域です
富士宮市役所の北東約5km程の山の中に村山浅間神社が鎮座します
県道158号から県道397号線そして国道469号線をたどって来ました
MJスポーツパークの所で案内板に従って北へ入ると
駐車場が有ります、南東側の駐車場を利用しました
参道石段です
「富士 根本宮 村山浅間神社」です
古い石柱です「縣社 浅間神社」となっています
世界遺産の説明版です
世界遺産 富士山
信仰の対象と芸術の源泉
”信仰の対象と芸術の源泉”は、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」の世界遺産一覧表に登録されています。
2013年6月26日登録
人々は噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として恐れ敬うとともに、美しく雄大な富士山を詩歌や絵画に描いてきました。
このような「信仰の対象」と「芸術の源泉」としての文化的価値をもつ富士山は、全人類共通の保護すべき宝として、2013年6月26日、世界遺産に登録されました。
世界遺産として登録された範囲は、山そのものだけではなく、信仰や芸術に関する山麓の神社や湖・湧水地・滝・松原など25ヶ所です。
4/25 村山浅間神社
富士山における修験道の中心地として19世紀後半までは興法寺(こうほうじ)と呼ばれていました。富士山本宮浅間大社とともに大宮・村山口登山道の起点となりました。古代から近代(現代)に至る山岳信仰のあり方を考える上で重要なことから、八合目以上の山頂部、登山道等とともに史跡に指定されています。
元村山地区の案内板です、南側に国道469号富士南麓道路、神社のすぐ西側が富士登山道村山道です
参道石段を上がります、下の段に手水舎です
境内東側の水垢離場です
説明版です
水垢離場
道者(富士登拝者)は、富士登拝の際興法寺(村山)で水垢離をとり、身を清めた。この様子は、室町時代の登山の様子を描いたとされる「絹本著色富士曼荼羅図」に見ることができる。
この水垢離場へは、社叢裏手の沢に湧く竜頭池から水を引いていたと考えられている。
石垣の上段中央には、山伏修行のときの主尊とされる不動明王が祀られている。
護摩壇です
説明版です
護摩は山伏(修験者)の重要な修行の一つであり、ここでは、村山の法印(山伏)が富士山中での修業に入る時や終わった時などに護摩を焚いた。
現在の護摩壇は、安政4年(1857)に「大棟梁権現社」拝殿跡の上に、法印や村山周辺の信者によって造られたと考えられる。正面には不動明王像が祀られている。
明治初年に興法寺は廃寺となったが、村山では昭和18年ころまで法印が活動していた。現在では、毎年7月の富士山開山祭と9月の閉山祭の際に護摩壇で護摩がたかれている。
境内東端の宝篋印塔と石仏です
上の境内東側のお堂です
このお堂が興法寺ですね
参道正面に戻って石段を上がりましょう
狛犬です
拝殿です
本殿です
本殿東側には氏神社の参道です
石段を上ると氏神社です
説明版です
氏神社
村山修験の開祖「富士上人末代」は、「役ノ行者」修法を継ぎ幾百回の登頂を成し、頂上に大日寺を建て、山岳仏教の基礎を固め、自ら「大棟梁権現」と号し、村山の地にて即身仏となって当山の守護神となった。
当社はその霊を祭り、氏神社として氏子の信仰厚く、高峰総鎮守と称する。
西側の道路に富士山表口真面之図が有りました、国道1号線吉原から村山浅間神社の道と富士山本宮浅間神社からの道は6合目で一緒になって頂上へ至ります。
では、次は境内の保存樹林と県指定天然記念物の大スギとイチョウ等を見て行きましょう
富士宮市役所の北東約5km程の山の中に村山浅間神社が鎮座します
県道158号から県道397号線そして国道469号線をたどって来ました
MJスポーツパークの所で案内板に従って北へ入ると
駐車場が有ります、南東側の駐車場を利用しました
参道石段です
「富士 根本宮 村山浅間神社」です
古い石柱です「縣社 浅間神社」となっています
世界遺産の説明版です
世界遺産 富士山
信仰の対象と芸術の源泉
”信仰の対象と芸術の源泉”は、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」の世界遺産一覧表に登録されています。
2013年6月26日登録
人々は噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として恐れ敬うとともに、美しく雄大な富士山を詩歌や絵画に描いてきました。
このような「信仰の対象」と「芸術の源泉」としての文化的価値をもつ富士山は、全人類共通の保護すべき宝として、2013年6月26日、世界遺産に登録されました。
世界遺産として登録された範囲は、山そのものだけではなく、信仰や芸術に関する山麓の神社や湖・湧水地・滝・松原など25ヶ所です。
4/25 村山浅間神社
富士山における修験道の中心地として19世紀後半までは興法寺(こうほうじ)と呼ばれていました。富士山本宮浅間大社とともに大宮・村山口登山道の起点となりました。古代から近代(現代)に至る山岳信仰のあり方を考える上で重要なことから、八合目以上の山頂部、登山道等とともに史跡に指定されています。
元村山地区の案内板です、南側に国道469号富士南麓道路、神社のすぐ西側が富士登山道村山道です
参道石段を上がります、下の段に手水舎です
境内東側の水垢離場です
説明版です
水垢離場
道者(富士登拝者)は、富士登拝の際興法寺(村山)で水垢離をとり、身を清めた。この様子は、室町時代の登山の様子を描いたとされる「絹本著色富士曼荼羅図」に見ることができる。
この水垢離場へは、社叢裏手の沢に湧く竜頭池から水を引いていたと考えられている。
石垣の上段中央には、山伏修行のときの主尊とされる不動明王が祀られている。
護摩壇です
説明版です
護摩は山伏(修験者)の重要な修行の一つであり、ここでは、村山の法印(山伏)が富士山中での修業に入る時や終わった時などに護摩を焚いた。
現在の護摩壇は、安政4年(1857)に「大棟梁権現社」拝殿跡の上に、法印や村山周辺の信者によって造られたと考えられる。正面には不動明王像が祀られている。
明治初年に興法寺は廃寺となったが、村山では昭和18年ころまで法印が活動していた。現在では、毎年7月の富士山開山祭と9月の閉山祭の際に護摩壇で護摩がたかれている。
境内東端の宝篋印塔と石仏です
上の境内東側のお堂です
このお堂が興法寺ですね
参道正面に戻って石段を上がりましょう
狛犬です
拝殿です
本殿です
本殿東側には氏神社の参道です
石段を上ると氏神社です
説明版です
氏神社
村山修験の開祖「富士上人末代」は、「役ノ行者」修法を継ぎ幾百回の登頂を成し、頂上に大日寺を建て、山岳仏教の基礎を固め、自ら「大棟梁権現」と号し、村山の地にて即身仏となって当山の守護神となった。
当社はその霊を祭り、氏神社として氏子の信仰厚く、高峰総鎮守と称する。
西側の道路に富士山表口真面之図が有りました、国道1号線吉原から村山浅間神社の道と富士山本宮浅間神社からの道は6合目で一緒になって頂上へ至ります。
では、次は境内の保存樹林と県指定天然記念物の大スギとイチョウ等を見て行きましょう