ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県仙北市、田沢湖卒田黒倉「抱返神社のイチョウと絵馬」です!!

2022-10-08 18:32:00 | 巨樹・大木
 田沢湖卒田黒倉地区は、仙北市田沢湖庁舎の南西約13km

 仙北市角館庁舎の東北東約8kmのところです 

 角館庁舎側からは、国道105号線の上菅沢信号から県道257号広久内角館停車場線を東へ

 道成りに進んで、広久内橋北詰で県道50号線に変わると間も無く、「わらび劇場」と温泉施設の「秋田芸術村温泉ゆぽぽ」入口です

 *わらび劇場は、日本の劇団、劇団四季・宝塚歌劇団に次ぐ規模の劇団「わらび座」の本拠地(常設劇場:定員710名)です

 すぐ先の変形十字路を右へ、突き当りを右へ進んで神代発電所の放水路を超えると広い抱返り渓谷駐車場です

 抱返り渓谷の石碑越しに渓谷を眺めました

 抱返り渓谷案内図ですが、解かりずらいですね~、数字も変ですよね~、でも目的の抱返神社はすぐそこの様です

 観光案内図です、ミシュラン・グリーンガイドで星一つだそうです

 抱返り渓谷への遊歩道に入って直ぐに鳥居です、先の右手に南西向きに抱返神社が鎮座します

 杉林の間から境内に目的のイチョウが見えました

 参道入口鳥居です

 説明版です
   抱返神社の由来
 康平5年(1062年9月7日)前九年の役で源義家が、盛岡厨川の(くりやがわ)の柵の安部貞任を攻める為、此の地より玉川の川筋を進もうとし、川の流れの静かなる事を願って、持仏を祀って祈願した。
 祈願を済した義家は、再び持仏を懐にして厨川の柵を攻めた、この戦いで義家は勝利を治め、ここまで無事に帰ることが出来た、これを喜んで義家は「これも仏の御蔭」と改めて堂宇を建て懐の持仏を祀ったのが懐返神社の始まりとされ、つまり、祈願した持仏を懐に入れお守りとして持って行き再び帰って来たから「懐き神社」「懐還神社」と言い伝えられています。
 尚、明治維新後に抱返神社と改書された。
 元録七郡絵図では、村の鎮守は水尺(みずしゃく)明神として図示されているが、現祀神は、水波能賣神を祀っています。また、往古より竜神・水分神・養蚕の守護神として、遠近各地より崇敬を仰いでいます。
 康平5年(1062)に建てられたと言う堂宇も、その後幾度か建て替えられた様で、延宝3年9月16日(1676)社殿および長床を建てて若松村鎮守とした。     敬白



 絵馬堂入口の説明書きです、参道入口の説明とかなり異なります
   抱返神社
 【御祭神】 水波能賣神
 【由緒】 神社明細帳によると寛文13年、抱返村(現在の若松地区)の開墾の際に水源至難の為、大和の国(現奈良県)丹生川上神社御分霊を勧請し水波能賣神を奉祀しました。
 延宝3年9月16日社殿および長床を建てて抱返村の鎮守社としました。これより毎年9月16日を例祭日としています。(現在は旧暦9月16日)
 また古老の伝えには、抱返村の開墾の際、あまりにもお天気が続いて水源が枯れて植えつけた苗が枯れ死ぬという騒ぎとなりました。この知らせを聞いた秋田藩主佐竹公は使者に斉藤仁兵衛等を主張させ検分するに、聞きしにもまさる悲惨な様子に、抱返りの水源に雨乞をしたところ、不思議の奇端あり。たちまち掻き曇りて大雨となり枯れかかった苗も生色をみせ、百姓達は大喜びをしました。こうしたことから、渓谷に鎮まる水尺明神(水尺神社)を奉祀したといいます。
 抱返村というのは若松新田村の元の名前です。当時この抱返より6kmほど先にある未開発地に、この地から堰を通し水を引いて開墾した地であり抱返神社の氏子地にあたります。
 当時「抱返」「懐還」と表記されていました。水尺神社を抱返神社と改名したのは明治維新後です。
 雨乞い、龍神・水分神・養蚕の守護神として、遠近各地の崇敬者より篤い信仰をいただいてます。
 【絵馬】 神社に参拝した際に、祈願の内容を絵馬に記して奉納しますが、これはもともと、神に本物の馬を供えていたことに由来します。その起源は古く、平安時代に遡ります。祈雨の時は黒馬を、止雨の時には赤馬・白馬を献上していましたが、その後、この代用として馬像や、さらに紙や板に馬の絵を描いた絵馬が奉納されるようになりました。
 当神社は、古来より渓谷に鎮まる水を司る神を祀り、雨乞い、龍神・水分神・養蚕の守護神としての信仰篤く、奉納された絵馬はには馬や龍が描かれたものが多数あります。
 生きとし生けるものは、すべて水無くしては生命を保持することはできません。稲作をし米を主食とする私たちにおいては、雨を降らせ、また止めるなど雨を司る龍神に対する人々の尊崇の念はきわめて篤く、古来より今日にいたるまで変わることなく続いています。
 




 境内に入ると左の建物に龍の絵馬が飾って有ります


 手水舎です

 手水舎の後ろにイチョウの大木です

 社殿です

 では、次へ行きましょう

 
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秋田県横手市、上内町「羽黒の柳」(市指定)です!!

2022-10-08 13:02:32 | 巨樹・大木
 上内町は、横手市役所の南東約500mのところ

 市立南小学校の南側、県道272号線と横手川の間の歩道に柳の大木「羽黒の柳」が在ります

 県道は駐車禁止なので、東側住宅地(武家屋敷)の小さな公園脇道路に車を止めさせて頂きました

 新奥の細道案内板です、中央下に「羽黒の柳」のイラストが描かれています、すぐ北側に県指定有形文化財の旧日新館、さらに北側には横手城址、スキー場は無くなっていますが、羽黒町武家屋敷通りの西側ですね

 南南東側から

 道路東側へ、南東側から

 東側から


 道路を渡り直して、南側から

 説明版です
  市指定天然記念物
    羽黒の柳
 幹回り4.9m、樹高12mのシダレヤナギで、屋敷の境界と護岸を兼ねて植えられたものといわれる。
 推定樹齢100~200年とされるが、400年との口伝もある。度重なる水害にも耐え、かつては、樹高30m、枝張り東西11m、南北17m程もあった。
 羽黒町のシンボルとして市民に親しまれてきた。
 昭和50年代から樹木の老化と道路舗装工事などにより樹勢の衰えが現れ、平成10年(1989)には腐朽から幹の空洞化が進み大枝が折れるなどした。そのため根回りの土壌改良などの根本的な蘇生措置を行い、養生作業を継続している。
   平成25年3月
    横手市教育委員会

 東側から見上げました

 北側から

 道路を渡り直して東北側から見ました

 では、次へ行きましょう
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秋田県横手市、大沢上庭当田「旭岡山神社の御蔭斉の杉」(市指定)です!!

2022-10-08 06:31:40 | 巨樹・大木
 大沢上庭当田地区は、横手市役所の南東約1,5kmのところ

 県道272号線を東へ横手川を渡ってT字路を右(南)へ進みます

 地域振興局入口信号を左(東)へ国道107号線です

 横手川を渡りなおして間も無く国道沿い南側に旭岡山神社の社號標が建ちます

 ここを南に入って横手川を再度渡って道成りに進むと

 参道入口の鳥居です、西側に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

 鳥居脇には「門杉」状態に杉の大木です

 *境内の7本の杉が市指定天然記念物になっているようですが、大木の多い参道で目立った3本と名前の有る1本(御蔭斉の杉)を紹介させていただきます

 北西側から

 右の杉を北東側から、目通り幹囲約4m(目測)の大木です


 西側から、左側の杉は少し細くて約3.5m(目測)ほどです

 参道左に説明版です
  旭岡山神社
   鎮座地 横手市大沢字上庭当田123
   祭神  天忍穂耳命 宇賀之御魂命大神 伊邪那岐大神 伊邪那美大神 水波能売大神 大山祇大神 白山比売大神
   祭日  2月16日・17日 梵天奉納祭
       5月17日     例祭
       8月 9日     丑刻詣祭(かけ唄奉納)
      11月 3日     講中大祭
   境内地 17514坪
由緒
 当社は出羽国平鹿郡山川荘(現横手市山内村・平鹿町の一部)の、総鎮護の神として人皇51代平城天皇の大同2年(807)、征夷大将軍坂上田村麻呂東征の砌、御祭神を勧請創祀せる神社である。
 のち、鎮守府将軍清原武則が、市指定史跡天狗館跡地付近に御堂を建立、以来源義家公をはじめ藤原秀郷公、源義経公、武蔵坊弁慶他等々の武将・武人をはじめ、近隣郷中の人々の崇敬夙に篤く、産業開発開運授福心願成就の神として崇められ、その後当地を支配せる領主小野寺氏が殊の他崇敬篤く、横手城主横手佐渡守、ご社殿を造営(現社殿)、又、小野寺遠江守をはじめ、代々の城主奉行を遣わし、社殿の修復に当られ、神田神宝類を数々寄進されておる。
 佐竹公秋田へ国替えの後は、藩主義隆公正保4年御社参、同義敦公明和6年御社参、社領(当高5石金百疋)斎料等を御社納下されておる。
 嘉永7年雄・平・仙三郡に及ぶ崇敬社の寄付によって拝殿改築、明治57年新社格制度により郷社に列せられたが、一区中二社の必要なき趣きになり、同6年村社となる。
 同42年3月19日神饌弊帛料共進社に指定された。
 明治43年7月27日、同9月21日、同10月7日付秋田県知事の許可を受け、山内村小松川、同李原、同南郷、同三又、同黒沢、同土渕、横手市大沢地区の村社及び無格社併せて14社を同年11月24日付合併、盛大に合祀祭斎行。
 現在に至る。
 

 参道を進みましょう

 仁王門です

 「秋田六郡 第12番 朝日岡観音」の石碑です

 石段を進みましょう

 緩く登りが続きます

 一段の踏み代が広いので楽に歩けます

 200段以上登って来ました、一度勾配が落ちます

 また登りになりました

 参道左手に杉の大木です

 参道奥側から、目通り幹囲約4m(目測)の大木です

 更に参道は続きます

 ようやく石段が途切れました

 石段が所々で現れると

 ようやく建物が見えて来ました

 鳥居が見えて来ました

 左手高い所に先ほど下側から見えた社です

 屋根に壁のある手水舎です

 鳥居です

 参道左側奥の建物です

 参道左手山の斜面の赤い祠は稲荷社の様です


 右手に目的の大杉です

 北西側から、目通り幹囲約5.0m(目側です)の巨木です

 北側から「御蔭斉の杉」です

 石段上から見ました

 拝殿です

 本殿です

 境内社です

 では、次へ行きましょう
 
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