ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県北秋田市、木戸林岱「木戸石八幡神社のケヤキ」です!!

2022-10-20 18:28:29 | 巨樹・大木
 木戸林岱地区は、北秋田市役所の南西約10kmのところ

 国道7号線を西へ一度能代市に入ります、国道7号線沿いに「道の駅ふたつい」が有ります

 手前の小繋信号を西へ入ります、県道3号二ツ井森吉線です

 県道3号線はすぐに向きを南に変えて米代川を七座橋で渡ります、たたらトンネルを貫けると北秋田市へ戻ります

 増沢地区を過ぎて阿仁川を高長橋で渡ると下大野郵便局前の信号を右(西)へ

 突き当りを左(南)へ進むと、集落を抜けた山際に木戸八幡神社が西向きの参道で鎮座します

 鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道入口です、南西側から入ります

 鳥居には「八幡神社」の文字があります

 木戸石八幡神社です

 参道を進みます

 角の石はお地蔵様のような顔になっています

 ニノ鳥居です

 境内左手中央に目的のケヤキです

 南側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 東側から


北東側から

 北側から

 西側から見上げました

 神馬舎です


 狛犬です

 拝殿です 

 本殿です

 拝殿前から見ました

 では、次へ行きましょう

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秋田県北秋田市、綴子宮本「相善杉」(市指定)です!!

2022-10-20 12:31:52 | 巨樹・大木
 綴子宮本地区は、北秋田市役所の北北東約7kmのところ

 国道105号線を北へ、大堤信号を右へ国道7号線です、東(大舘方面)へ進みます

 約1.5kmの案内板に従って左(北)岩谷県道200号矢板糠沢線へ進みます

 約2.5km道成りに進むと宮本(大畑)の集落です

 集落を抜けた右カーブの先に目的の「相善杉」が見えて来ます

 右に入って道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側から

 根元に祠が在ります

 ほとんど消えてしまっていますが「町の記念物 相善杉」の標柱です

 南東側から

 祠の中に説明版があります
  町指定天然記念物 相善杉
 この杉は樹齢400年余と推定するように、目通り直径2m、樹高約30m、樹盛も旺盛で枝葉の発達は四囲を圧し、文字通り巨木である。

 *直径2mでは幹囲6.3mにもなってしまいます、環境庁:日本の巨木・巨木林調査では・・・
 
 東側から、目通り幹囲5.3mの巨木です

 北東側から

 北北東側から見ました

 では、次へ行きましょう
 
 
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秋田県北秋田市、綴子西館「親方樅と根曲り桜」(市指定)です!!

2022-10-20 06:31:35 | 巨樹・大木
 綴子西館地区は、北秋田市役所の北約3.5kmのところ

 県道24号線を北へ、国道7号線の綴子信号を越えて

 変形十字路を真っ直ぐ進む様に坂道を登り切ると間も無く綴子神社のすぐ先(約100m)

 綴子神社に車を置いて歩いていきましょう


 県道沿いに目的のモミとサクラが在ります

 秋田県指定史跡「綴子肝煎屋敷本陣跡」昭和53年2月1日指定の標柱です

 説明版です
  秋田県指定 史跡
   綴子肝煎屋敷本陣跡
 綴子の本郷上町地区は、かつて八幡平と称された綴子古館のあったところであるが、永禄2年(1559)、綴子川右岸の小丘陵地「刑部岱」から集落を移して村づくりをしたのがその始まりである。
 村の旧家高橋八郎兵衛家は、慶長8年(1603)より明治4年まで代々肝煎を努め、慶安2年(1649)親郷肝煎制度の発足に伴い近郷六ヶ村を寄郷とする親郷肝煎に就任した。また羽州街道の要衝の地に当たる綴子駅の伝馬事務所を処理し、津軽侯の参勤交代、幕府巡見使の下向、佐竹藩主の下筋巡覧等の際の本陣(宿泊)を努めた。
 本陣の所在地は上町中央に位置する字西館で、間口18間、奥行き20間、3600坪で広大な敷地であった。
 明治19年、建物を改築して綴子小学校の校舎にあてられ、同40年12月まで使用された。
    北秋田市教育委員会
 *何かの工場だったようですが、2015年に閉鎖されてしまって、現在の敷地には雑草が伸びています

 南側から、目通り幹囲3.8mの大木です


 文化財標柱です

 説明版です
  北秋田市指定 天然記念物
    親方樅と根曲がり桜
     昭和62年2月1日 指定
 綴子村の肝煎を代々努めた高橋八郎兵衛家の旧庭園に門柱代わりに植えられた樅と桜で、樹齢約400年と言われています。樅の隣には高野槇が植えられていましたが、昭和45年(1970)の火災により焼失しました。
 この樅は、親方(肝煎)の家の樅ということで「親方樅」と呼ばれています。
 「根曲がり桜」はその樅の根元にあり、幹が地面と平行して5mほど伸びている非常に珍しい形をしたベニヤマザクラです。
 高橋家は藩政時代(江戸時代)に代々肝煎役に任ぜられ、明治の初年まで村政の中心となっていました。
  平成31年度文化庁文化芸術振興費補助金(地域文化財総合活用推進事業)
  北秋田市教育委員会生涯学習課
 


 東側から

 北東側から

 モミの脇に横たわる様に「根曲がり桜」の幹です、幹には多くのキノコが見られます

 生きているのは、立ち上がった枝一本のみになってしまっています

 では、次へ行きましょう
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