西木町桧木内中島地区は、仙北市西木庁舎の北約15kmのところ
国道105号線を北へ進みます、秋田内陸線と共に桧内川を幾度か渡り直しながら進むと
秋田内陸線の羽後中里駅の北西側の国道沿い
道路右手に賽の神の社があり、そばにカツラの木が立っています
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
道路西側から見ました、高い枝先に何やらぶら下がっていますね~
賽神堂です
文化財標柱です、国選択無形民俗文化財・県指定無形民俗文化財「「中里カンデッコあげ」行事、天然記念物「賽神の桂」が並んでいます
説明版です
国記録選択無形民俗文化財
秋田県指定無形民俗文化財
「中里のカンデッあげ」行事
国選択 昭和61年12月17日
県指定 平成3年3月19日
行事場所 秋田県仙北市西木町檜木内字中島101の1
行事主体 中里カンデッコあげ保存会
「中里のカンデッコあげ」は、中里賽の神の小正月行事として伝えられてきており、毎年、旧暦1月15日の夜行なわれているがその発祥は定かではない。カンデッコとは、朴(ほお)の木で作った小型の鍬のことで、このカンデッコと胡桃(くるみ)の木で作った男根をしめ縄の両端に結んで一対にし、これを神木である桂(村天然記念物指定)に豊作や縁結び、災いの防禦さど、その年への願いを込めて投げ掛けるのがこの行事である。狙い通りに掛かると願いがかなえられるといわれ、また、その掛かったものをはずしして家に持ち帰り、栗や柿、李などの木に掛けると多くの実を結ぶといわれているなど、豊穣多産、災疫退散を願う珍しい小正月行事である。
この行事の行われる中里の賽の神は、桧内川が現在よりも西側を流れていた昔、大洪水で桂の大木が沢より流れ出てここに根をおろして鎮座したといわれ、応永年間(1394年~1427年)、戸沢家盛公が霞の鞭の威力をもって一揆を鎮圧し、その帰陣のおり賽の神を奉斎したとも伝えられている。現在この賽の神堂には、八衝比古(やちまたひこ)大神、八衝比売(やちまたひめ)大神、久那斗(くなど)大神の三神がまつられている。
仙北市教育委員会
中里カンデッコあげ保存会
*この様な男根信仰的なものは各地に残っています、縄文時代の石棒にはじまる金精信仰や地母神信仰(地神信仰)といわれるものの一つと考えられます。
金精信仰に関する伝説の一つです(ネット上のBesttimusからの抜粋です)
江戸の深川仲町の芸人・富本繁太夫が、文政十一年(1828)から現在の東北地方各地を放浪したときの日記『筆満可勢』に、岩手県玉川村巻堀の金精大明神の縁起が書き留められている。それによると――
村の庄屋夫婦のひとり娘は美人で、近郷の男であこがれない者はなかった。夫婦には男子がなかったので、娘が十六歳になったとき婿を取った。ところが婚礼の夜、初夜の床で婿は急死した。それ以来、次々と婿を取ったが、みな夜中に出奔するか、怪我をするか、死亡するかである。こうしたことが続いたため、みな娘を怖がり、もはや婿になろうという男はいなくなった。夫婦が娘に初夜の様子をたずねたが、答えは要領を得ない。そこで人に頼み、出奔した婿に理由をたずねてもらった。男はこう語った。「陰門のなかに鬼の牙のようなものがあって、入れた魔羅(まら)を喰いちぎるのです。うすうす床入りに不都合なことがあるという噂は聞いていたので、おらはあらかじめ指で陰門の外も中もあらため、やはりおかしいと思ったので、房事をせずに逃げ出したのです」このことを聞いて、両親が嘆き悲しんだのはいうまでもない。ところが、隣村の若者が娘の噂は承知の上で、婿になりたいと申し出てきた。両親と娘はともに喜び、すぐさま婚礼がおこなわれた。その夜、男は娘と布団に横たわるや、かねて用意しておいた銅製の男根をそっと取り出した。自分の魔羅を挿入するように見せかけておいて、その銅製男根をぐいと娘の陰門に突っ込んだ。すると、ガリガリとかじるような音がする。すかさず銅製男根をぐいとねじるや、ばらばらと牙のようなものが砕け、流れ出てきた。そうしておいて、男があらためて娘と交わると、なんの支障もなく性行為ができた。以来、庄屋は神社を造営し、婿がくふうした銅製男根を金精大明神として祀り、あがめたという。
低い枝に紐に吊るされたようになった朴の木の鍬と胡桃の木の男根が掛かっています
地面に胡桃の木でできた大き目の男根だけが落ちています
南西側から
北側から見上げました
では、次へ行きましょう
国道105号線を北へ進みます、秋田内陸線と共に桧内川を幾度か渡り直しながら進むと
秋田内陸線の羽後中里駅の北西側の国道沿い
道路右手に賽の神の社があり、そばにカツラの木が立っています
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
道路西側から見ました、高い枝先に何やらぶら下がっていますね~
賽神堂です
文化財標柱です、国選択無形民俗文化財・県指定無形民俗文化財「「中里カンデッコあげ」行事、天然記念物「賽神の桂」が並んでいます
説明版です
国記録選択無形民俗文化財
秋田県指定無形民俗文化財
「中里のカンデッあげ」行事
国選択 昭和61年12月17日
県指定 平成3年3月19日
行事場所 秋田県仙北市西木町檜木内字中島101の1
行事主体 中里カンデッコあげ保存会
「中里のカンデッコあげ」は、中里賽の神の小正月行事として伝えられてきており、毎年、旧暦1月15日の夜行なわれているがその発祥は定かではない。カンデッコとは、朴(ほお)の木で作った小型の鍬のことで、このカンデッコと胡桃(くるみ)の木で作った男根をしめ縄の両端に結んで一対にし、これを神木である桂(村天然記念物指定)に豊作や縁結び、災いの防禦さど、その年への願いを込めて投げ掛けるのがこの行事である。狙い通りに掛かると願いがかなえられるといわれ、また、その掛かったものをはずしして家に持ち帰り、栗や柿、李などの木に掛けると多くの実を結ぶといわれているなど、豊穣多産、災疫退散を願う珍しい小正月行事である。
この行事の行われる中里の賽の神は、桧内川が現在よりも西側を流れていた昔、大洪水で桂の大木が沢より流れ出てここに根をおろして鎮座したといわれ、応永年間(1394年~1427年)、戸沢家盛公が霞の鞭の威力をもって一揆を鎮圧し、その帰陣のおり賽の神を奉斎したとも伝えられている。現在この賽の神堂には、八衝比古(やちまたひこ)大神、八衝比売(やちまたひめ)大神、久那斗(くなど)大神の三神がまつられている。
仙北市教育委員会
中里カンデッコあげ保存会
*この様な男根信仰的なものは各地に残っています、縄文時代の石棒にはじまる金精信仰や地母神信仰(地神信仰)といわれるものの一つと考えられます。
金精信仰に関する伝説の一つです(ネット上のBesttimusからの抜粋です)
江戸の深川仲町の芸人・富本繁太夫が、文政十一年(1828)から現在の東北地方各地を放浪したときの日記『筆満可勢』に、岩手県玉川村巻堀の金精大明神の縁起が書き留められている。それによると――
村の庄屋夫婦のひとり娘は美人で、近郷の男であこがれない者はなかった。夫婦には男子がなかったので、娘が十六歳になったとき婿を取った。ところが婚礼の夜、初夜の床で婿は急死した。それ以来、次々と婿を取ったが、みな夜中に出奔するか、怪我をするか、死亡するかである。こうしたことが続いたため、みな娘を怖がり、もはや婿になろうという男はいなくなった。夫婦が娘に初夜の様子をたずねたが、答えは要領を得ない。そこで人に頼み、出奔した婿に理由をたずねてもらった。男はこう語った。「陰門のなかに鬼の牙のようなものがあって、入れた魔羅(まら)を喰いちぎるのです。うすうす床入りに不都合なことがあるという噂は聞いていたので、おらはあらかじめ指で陰門の外も中もあらため、やはりおかしいと思ったので、房事をせずに逃げ出したのです」このことを聞いて、両親が嘆き悲しんだのはいうまでもない。ところが、隣村の若者が娘の噂は承知の上で、婿になりたいと申し出てきた。両親と娘はともに喜び、すぐさま婚礼がおこなわれた。その夜、男は娘と布団に横たわるや、かねて用意しておいた銅製の男根をそっと取り出した。自分の魔羅を挿入するように見せかけておいて、その銅製男根をぐいと娘の陰門に突っ込んだ。すると、ガリガリとかじるような音がする。すかさず銅製男根をぐいとねじるや、ばらばらと牙のようなものが砕け、流れ出てきた。そうしておいて、男があらためて娘と交わると、なんの支障もなく性行為ができた。以来、庄屋は神社を造営し、婿がくふうした銅製男根を金精大明神として祀り、あがめたという。
低い枝に紐に吊るされたようになった朴の木の鍬と胡桃の木の男根が掛かっています
地面に胡桃の木でできた大き目の男根だけが落ちています
南西側から
北側から見上げました
では、次へ行きましょう