清助町は。能代市役所の西約1kmのところ
能代公園南側の野球場の駐車スペースに車を止めさせて頂きました
公園の南斜面は遊歩道の工事中でした
市立第一中学校側(公園南西)から公園の坂道を上ると
景林神社の鳥居が有ります
すぐ東に目的のサイカチの古木が有ります(南側から)
西側から
北側から
説明版です
能代の古木・名木
能代公園のサイカチ
胸高周囲1.9mと1.5m、樹高はともに8m、樹齢100年前後であろう。
サイカチはエノキと共に一里塚によく植えられた木であるが、暖地性のため青森県では車力村など数か所に植えられたものが見かけられる程度であるという。
能代では、栗田定之丞が松のほかにサイカチを植えたという記録がある。その種子の散布によるものか、能代公園付近には所々に見ることができる。
平成11年5月
能代市教育委員会
公園を東へ行ってみます
間も無く公園北斜面側に目的のケヤキです
南西側から、目通り8.7mの巨木です
南側から
「俳星碑」です、多くの俳句が石碑になっている句碑です
南東側から
時計塔ですが時計自体が壊れていました
公園南側斜面を下りて来ました
能代公園南側を走る道路の南側に松の木が並んでいます
大きな松の木です
北西側から
説明版です能代の古木・名木
渡辺(越後屋)太郎衛門の植えた松
胸高周囲3.08m、樹高20m、樹齢200年(推定)。
渡辺太郎衛門は、正徳元年(1711)11月~元文3年(1738)まで、28ヶ年の間、盤若山裾野、沖口番所、後谷地一帯に、砂山林立を自費を投ず実行。以後三代に亘り松を植えつづけ成功させた。
現在残っている古松群20本は当時の面影を残している。
「風の松原」の最古の貴重な松である。
平成13年10月(更新)
能代市富町史蹟保存会
では、次へ行きましょう
能代公園南側の野球場の駐車スペースに車を止めさせて頂きました
公園の南斜面は遊歩道の工事中でした
市立第一中学校側(公園南西)から公園の坂道を上ると
景林神社の鳥居が有ります
すぐ東に目的のサイカチの古木が有ります(南側から)
西側から
北側から
説明版です
能代の古木・名木
能代公園のサイカチ
胸高周囲1.9mと1.5m、樹高はともに8m、樹齢100年前後であろう。
サイカチはエノキと共に一里塚によく植えられた木であるが、暖地性のため青森県では車力村など数か所に植えられたものが見かけられる程度であるという。
能代では、栗田定之丞が松のほかにサイカチを植えたという記録がある。その種子の散布によるものか、能代公園付近には所々に見ることができる。
平成11年5月
能代市教育委員会
公園を東へ行ってみます
間も無く公園北斜面側に目的のケヤキです
南西側から、目通り8.7mの巨木です
南側から
「俳星碑」です、多くの俳句が石碑になっている句碑です
南東側から
時計塔ですが時計自体が壊れていました
公園南側斜面を下りて来ました
能代公園南側を走る道路の南側に松の木が並んでいます
大きな松の木です
北西側から
説明版です能代の古木・名木
渡辺(越後屋)太郎衛門の植えた松
胸高周囲3.08m、樹高20m、樹齢200年(推定)。
渡辺太郎衛門は、正徳元年(1711)11月~元文3年(1738)まで、28ヶ年の間、盤若山裾野、沖口番所、後谷地一帯に、砂山林立を自費を投ず実行。以後三代に亘り松を植えつづけ成功させた。
現在残っている古松群20本は当時の面影を残している。
「風の松原」の最古の貴重な松である。
平成13年10月(更新)
能代市富町史蹟保存会
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