本吉町下川内地区は、気仙沼市役所の南南西約15km、気仙沼市役所本吉総合支所の西北西約1.5kmのところです
気仙沼市役所本吉総合支所前の信号を南西へ、国道349号線です
約200mの信号を右(西)へ、県道18号線です
約250mで左(南西)へ、約500mで津谷川を学園橋で渡ります
学園橋西詰直ぐ右手に「宮城県本吉響高等学校」入口があって、直ぐ先に「気仙沼市立津谷中学校」入口がありますのでここを右(北西)入ります
坂道を上って中学校校門前を過ぎてグラウンドを廻る様に坂道を上り切った約700mで、右(北)への急坂の砂利道に入ります
この砂利道が「御嶽神社奥宮」への参道に成っています
約300m登って車を止めさせて頂きました
さらに砂利道を上って行くと赤い鳥居が見えて来ます
御嶽神社奥宮の鳥居です
鳥居前から、本吉の街を見下ろしました
鳥居を潜って参道を進みましょう
草苅がされて歩きやすくなった参道です
参道は杉林の中へはいって行きます
参道中程に鐘楼です
右手のスギ林の中に大きな幹が見えて来ます
目的の「永寿の神木」です
西側から「永寿の神木」に近付けます
西側から
「永寿の神木」の札です
黄金が生んだ 永寿の神木
推定樹齢 約400年
周囲 約6m
*環境庁の巨樹・巨木林データベースでは、2000年の追加計測で幹周5.8m。樹高24m(目測)となっています
北側から
東側から
南西側から見上げました
さらに参道を上って「御嶽神社奥宮」にお参りして行きましょう
社殿です
由緒書きです
御嶽神社の由緒
建久元年(西暦1201年)今から758年前、奥州信夫荘司の説に依ると・・・
佐藤元治の妻乙羽姫(尼公ともいった)、この乙羽姫は、平泉の藤原秀衡の妹であり、乙羽姫の子佐藤次信・忠信の祈警する為、吉野の蔵王権現を勧請して、御岳蔵王権現と稱した、同時に吉野の水分神社も勧請した。
即ち吉野より二体の神魂を祀って、産金の御岳と改め、蔵王権現・水分神社を合祀し金峰山御岳神社と稱せられ、現在に至る。(本吉町誌より)
昭和61年(1986)1月 山田第二老人クラブ
境内にはモミの大木がありました
では、次へ行きましょう
2024・10・16・07・00
気仙沼市役所本吉総合支所前の信号を南西へ、国道349号線です
約200mの信号を右(西)へ、県道18号線です
約250mで左(南西)へ、約500mで津谷川を学園橋で渡ります
学園橋西詰直ぐ右手に「宮城県本吉響高等学校」入口があって、直ぐ先に「気仙沼市立津谷中学校」入口がありますのでここを右(北西)入ります
坂道を上って中学校校門前を過ぎてグラウンドを廻る様に坂道を上り切った約700mで、右(北)への急坂の砂利道に入ります
この砂利道が「御嶽神社奥宮」への参道に成っています
約300m登って車を止めさせて頂きました
さらに砂利道を上って行くと赤い鳥居が見えて来ます
御嶽神社奥宮の鳥居です
鳥居前から、本吉の街を見下ろしました
鳥居を潜って参道を進みましょう
草苅がされて歩きやすくなった参道です
参道は杉林の中へはいって行きます
参道中程に鐘楼です
右手のスギ林の中に大きな幹が見えて来ます
目的の「永寿の神木」です
西側から「永寿の神木」に近付けます
西側から
「永寿の神木」の札です
黄金が生んだ 永寿の神木
推定樹齢 約400年
周囲 約6m
*環境庁の巨樹・巨木林データベースでは、2000年の追加計測で幹周5.8m。樹高24m(目測)となっています
北側から
東側から
南西側から見上げました
さらに参道を上って「御嶽神社奥宮」にお参りして行きましょう
社殿です
由緒書きです
御嶽神社の由緒
建久元年(西暦1201年)今から758年前、奥州信夫荘司の説に依ると・・・
佐藤元治の妻乙羽姫(尼公ともいった)、この乙羽姫は、平泉の藤原秀衡の妹であり、乙羽姫の子佐藤次信・忠信の祈警する為、吉野の蔵王権現を勧請して、御岳蔵王権現と稱した、同時に吉野の水分神社も勧請した。
即ち吉野より二体の神魂を祀って、産金の御岳と改め、蔵王権現・水分神社を合祀し金峰山御岳神社と稱せられ、現在に至る。(本吉町誌より)
昭和61年(1986)1月 山田第二老人クラブ
境内にはモミの大木がありました
では、次へ行きましょう
2024・10・16・07・00
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます