ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県平田村、中倉筒地「筒地のイチョウ」(村指定)です!!

2022-11-23 06:32:00 | 巨樹・大木
 中倉筒地地区は、平田村役場の南西約8kmのところ

 役場南側道路を西へ、県道285号線に出て南へ道成りに進んで西を向いたところで左(南)へ

 しばらく道成りに進鞭県道140号線に出ます、右(西)に進みます

 道成りに南西へ進み、中倉集落を過ぎて、筒地のイチョウの案内板が有りますので左(東)へ

 道成に進み、次の案内板をまた左(北)へ入ると

 峠状の道路左にイチョウが見えました

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側から、路面に鉄板が敷かれています

 東側から

 天然記念物標柱です

 説明版です
  村指定文化財
    筒地の大銀杏
 幹回り5m、高さ30m。
 村唯一の大銀杏。
 樹齢数百年・500年とも。樹下に数基の五輪塔あり。
 その昔、安部貞任の愛妻「千早」がこの地で没し、この地に葬り枝垂桜を植樹。桜の枯失後追植したのがこの銀杏だと。

 *安倍 貞任 (あべ の さだとう)は、平安時代中期の武将。安倍氏の棟梁で、奥六郡を支配した・安倍頼時の次男。厨川柵主(岩手県盛岡市天昌寺町付近にあった安倍氏の重要拠点)として、安倍厨川次郎貞任とも。妹聟に藤原経清(奥州藤原氏初代藤原清衡の父)がおり、貞任と清衡は伯父と甥の関係にあたる。
 *以上は、ウィキペディア一部抜粋ですが、妻の名前は、金為行の娘「千里」と表記されています。又、「貞任」の弟「宗任」の子孫には、平家に味方した松浦水軍や、安倍晋三元首相の名前もあると言う。


 南側から


 根元に五輪塔と石仏です

 南西側から


 北西側から


 北東側から

 北側離れて見ました

 

 北東側から、杉林の伐り出しが行われています,重機移動のため道路に鉄板が敷かれているようです

 では、次へ行きましょう

 北側の道路から見ました
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福島県平田村、西山「煙石の桂」(村指定)です!!

2022-11-22 18:29:55 | 巨樹・大木
 西山地区は、平田村役場の西南西約4kmのところ

 村役場南側の道路を南西へ、永田郵便局前交差点を左(南)へ県道285号線ですがすぐに県道は左へそれます

 道成りに進むと西へ向き、やがて南西方向へ進むと、県道42号矢吹小野線に突き当ります

 ここを左へ、間も無く「あぶくま高原道路」の高架を潜ると


 道路右の住宅内に「煙石様」が有ります

 煙石様の岩下にはスズメバチの巣が出来ています

 *この岩が地域の地名の由来になったようです、男根のように見えなくもないのですが・・・

 西へ進んでの道路左側住宅の先の田圃越しに目的のカツラが見えました

 すぐ先の県道右側の空き地に車を止めさせて頂きました

 ここを入りました

 対岸に渡る橋の手前から

 北東側から、幹は見えませんね~


 北側から、樹冠は解かります

 天然記念物「煙石の桂」の標柱です


 北側から見上げました、目通り幹6.5mの巨木です

 北東側から、杉の木が手前にあるので良く解かりませんね~

 では、陽が沈んでしまったので、国道49号線へ移動して「もちの駅ひらた」で車中泊しました


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福島県平田村、九生滝平堂内「九生滝不動の不動杉」(村指定)です!!

2022-11-22 06:28:45 | 巨樹・大木
 九生滝平堂内地区は、平田村役場の北北東約3kmのところ
 
 役場の南側の道路を東へ、国道49号線の信号を左(北)へ約1kmで

 金属廃棄物集積所の先を右(北東)へ、道成りに約1.5kmの十字路を左(北)へ

 約500mで平堂内集落入口の変形五差路を左(西)へ間も無く右手住宅の先右手に

 お不動様の社が有ります

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 目的のスギです

 南側から、目通り幹囲5.4mの巨木です

 天然記念物標柱です
 
 東側から

 北東側から見ました


 山林払い下げ記念碑です



 不動堂へ行きましょう

 不動堂です

 では、次へ行きましょう
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福島県小野町、上羽出庭辻の内「諏訪神社のケヤキ」(町指定)です!!

2022-11-21 18:40:00 | 巨樹・大木
 上羽出庭辻の内地区は、小野町役場の南南西約8kmのところ

 国道349号線を南へ、磐越道の高架を潜って道成りに進みます

 塩庭永志田集落の地蔵堂前を右(北西)へ県道286号鴇子夏井(停)線です

 道成りに進んで上羽出庭集落の入り口で道路右側に

 諏訪神社が南南東向き参道で鎮座します

 参道入口に車を止めさせて頂きました

 赤い欄干の太鼓橋から参道の鳥居先に目的のケヤキを見ました

 正一位諏訪神社です

 鳥居です

 説明版です
  上羽出庭諏訪神社本殿
      町重要文化財
      指定昭和50年2月26日
〇本殿
 一間社流造、身舎側面一間、土台建組物、組物出三斗、中備蟇股、庇繁海老虹梁、元禄14年(西暦1701年)宮大工伊藤久賀之助の作、随所に彫刻をほどこし、時代を反映した華麗なつくりである。
〇祭神 建御名方命・八坂刀売命
 当社の縁起によれば、延暦13年(西暦794年)坂上田村麻呂が征夷大将軍に任ぜられ夷賊の討伐に向かった。しかし、賊魁高丸悪路王等は陸奥霧島岳の麗達谷窟に潜伏し抵抗した。
 将軍しばらく軍をこの地にとどめ、信濃国諏訪郡に座す武神諏訪大神を遥拝祈誓し、進軍するに討伐不日にして賊徒を平定した。
 これ即ち神祇の加護によると大同2年(西暦807年)7月辻の内に社殿を建立し、遷宮式を執行する当たり、将軍自ら部下を率い社の北方平坦地に於いて模擬合戦を行い以て神徳報したという。
 後年田村安芸守隆顕の祈願により社殿を再築し祭事を盛んにし更に郷中渡行の例を定めた。
 安政2年(西暦1855年)8月には勅裁を仰ぎ正一位の神位を奉った。
       小野町教育委員会
       小野町観光協会

 鳥居下からケヤキを見ました

 東側から

 説明版です 
   諏訪神社のケヤキ
    目通り5.1m
    樹高  20m
      町天然記念物
      指定 平成7年4月1日
 小野町内の名木は、国指定天然記念物の諏訪神社翁媼杉、町指定東堂山杉並木、観音桜などのシダレ桜などがあるが、このケヤキは、地域を代表する「ケヤキの巨木」と思われる珍しいものである。
 ケヤキは二レ科の落葉高木で樹皮は灰褐色で葉は互生、長楕円、春に淡黄緑色の小花をつけ、神社・仏閣などによく植栽されており、このケヤキは斜面に生育したため、傾いて伸びているが、根元はよく保全されており、樹幹部は光に適応して東側の枝が伸びているが、おおむねケヤキの自然な樹形を保持しており、推定樹齢は250年から300年と思われ、肥沃な土壌に根を張っているため、今後も成長する様相を呈している。
 うっそうとしげるこのケヤキは、当社のおもむきを一層おちつかせるとともに、古くから当社を訪れる人々をあたたかく迎え入れており、長い年月を経た保存に先人の愛情と知恵がしのばれる。
     小野町教育委員会
  
 南東側から

 参道石段前(南西側)から

 石段を登り西側から見ました

 石段を登りましょう

 境内のスギの大木は東側のスギとの間を注連縄で結んでいますです

 南東側から太い幹を見上げました

 東側の細い方も見上げました

 拝殿前から

 もう一段上に拝殿です

 軒下の額にも「勅許 正弌位諏訪神社」と有ります


 立派な本殿を見る事が出来ました

 では、次へ行きましょう

 

 

 
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福島県小野町、小戸神日向「東堂山万福寺のスギ」(市指定)です!!

2022-11-21 06:51:00 | 巨樹・大木
 小戸神日向地区は、小野町役場の西北西約5kmのところ

 県道65号小野郡山線を北へ、国道349号線の交差点で県道は国道と合同して北へ行ってしまいます

 交差点を直進し磐越道の高架を過ぎて、道成りに進み大名内集落を過ぎてつづら折りに坂道を登っていくと

 道路右手に「東堂山」への案内板が有ります

 道成りに進むと駐車場に入りました

 境内案内図です

 見上げる位置に目的のスギです

 根元から見上げました

 南側

 西側から、目通り幹囲5.5mの巨木です


 北側から

 六地蔵様です

 仁王門への通路ですがここまでにしましょう





 駐車場脇には羅漢像がたくさん並んでいます

 では、次へ行きましょう
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福島県郡山市、中田町柳橋「菅布祢神社のケヤキ」(市指定)です!!

2022-11-20 18:31:00 | 巨樹・大木
 中田町柳橋地区は、郡山市役所の東南東約17km

 郡山市役所中田行政センターの東約3kmのところです
 
 県道65号小野郡山線を東へ道成りに進みます

 柳橋に入って柳橋郵便局を過ぎると、駒板・木目沢左の案内板が有ります

 左(北)に入ると直ぐ左手に菅布祢神社が南南東向きの参道で鎮座します

 戻って県道脇に車を止めさせて頂きました


 菅布祢神社です

 道路脇に標柱が並びます

 水準点も有りました(標高433.8m)
*水準点とは、全国の主な国道又は主要地方道に沿った約2kmごとに設置してあり、この水準点を使用することにより、土地の高さを精密に(mm単位)に求めることができます。また、地殻変動、地盤沈下対策等に必要な土地の上下変動は、水準点の測量を繰り返すことにより求められます。水準点には、基準、一、二等の種類があり、全国に約16,400点設置されています。

 一ノ鳥居です

 説明版です
  郡山市指定天然記念物
    菅布禰神社のケヤキ
      平成8年5月21日指定
本樹の現在
 本樹は郡山市中田町柳橋、菅布禰神社の社叢内にあるケヤキである。
 この菅布禰神社は、ごく小さな丘陵の上面に造営されており、南東隅の平頂部が崖に落ち込む場所に本樹が生育している。
 根回り5.2m、目通り幹囲4.85m、樹高24m。崖上部にあるので東側が開け、この方向に多くの枝を広げている。
 西側は、本樹と接するばかりに神社の神楽殿が建っており、北に接しては、やや大きいスギの木が生育している。
 枝張りは樹幹を中心に、南、北でそれぞれ約10m~15mほどである。太い枯れ枝も二、三見られるが、全体として樹勢も盛んである。
本樹の来歴・樹令
 寛文5年(1665年)8月、村上伊豆掾直之が京都の神祇管領卜部兼連より奥州田村郡柳橋村菅船大明神、羽黒大権現の祠管の免許状を受けたときには、すでに菅布禰神社境内にケヤキがあったと言い伝えられているが、本樹がそれにあたるという証拠はない。
 本樹が生育している場所から考えると、なにかの記念木として植栽されたというよりも、社叢内に自生していた古木が神域ゆえに手をつけることなく現在に至ったものと見た方が自然である。
 今、阿武隈山地を中心に同じ程度のケヤキの樹令を調べると、
①霊山町、経王塚のケヤキ     胸高幹囲 5.2m      樹令350年*(2018年7月20日にこのブログで紹介)
②川俣町、春日神社のケヤキ(双幹)胸高幹囲 4.7mと5.5m 樹令400年*(2018年7月22日にこのブログで紹介)
③大玉村、南町の大ケヤキ     胸高幹囲5.9m       樹令400年*(2016年11月30日にこのブログで紹介)
④三春町、愛宕神社のケヤキ    胸高幹囲4.8m       樹令400年*(昨日このブログで紹介させて頂いております)
   〈以上データは緑の文化財〉
 以上の事例を参考に、本樹の樹令を350年~400年と推定する。
     郡山市教育委員会

 鳥居を潜ると境内右端に目的のケヤキが見えました

 ニノ鳥居です

 境内に上がると手水舎です

 狛犬です

 拝殿です


 本殿です
 
 神楽殿です、背後にスギとケヤキの樹冠が見えます

 南西側から目的のケヤキです

 南側から

 西側から

 北側から


 北側からスギです
 
 社殿西側には稲荷神社のようです

 では、次へ行きましょう
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福島県三春町、中町「愛宕神社のケヤキとイヌシデ」(町指定)です!!

2022-11-20 06:30:00 | 巨樹・大木
 中町は、三春町役場の西約500mのところ、三春町の中心部です

 国道288号線沿いに案内板です

 南南東向に参道が開いています、参道を進むと

 一ノ鳥居です

 説明版です
   愛宕神社
 勧請の時期は明らかではないが、江戸時代初期の三春城下絵図に記載されているので、それ以前の勧請である。
 本社は京都市嵯峨の愛宕神社とされ、祭神は火之迦具土神である。火之迦具土神は、防火や鎮火の神とされ、三春城下の火伏の神として尊ばれた。
 拝殿は江戸時代後期に造営され、本殿は旧三春尋常小学校奉安殿を移築したものである。
 拝殿向かって右側のケヤキと本殿裏のイヌシデが、町指定天然記念物である。


 ニノ鳥居です

 ニノ鳥居南側から三春の街並みを見下ろしました

 更に急な石段を登ります

 拝殿です

 拝殿軒下に由来記です
  愛宕神社 由来記
   鎮座地 三春町字中町97番地
 慶長18年(1613年)時の三春城主蒲生郷治は、三春鎮護と火伏せ等を祈念して、総社の阿多古神社から「迦具槌命」(火の神様)と「将軍地蔵尊」等を分霊して、京都に習って三春城から西方の現在地に愛宕堂を建てて祀った。
 それ以降愛宕堂には代々法印が居住して御祭神を守護していた。
 正保2年(1645年)秋田氏が三春城主となって、町内は6町に区割され、それぞれに鎮守の社が定められて、愛宕堂は中町の鎮守と成り、町民は特に竃神として、火伏の神として、発展繁栄・開運勝利・家庭安穏等を祈念し、町内自治活動の中核となっていました。
 愛宕堂は明治の神仏分離令によって愛宕神社となり、祭日は9月24日を4月24日(総社の鎮火祭日)に改められ現在に至っています。
 なお、当社の「将軍地蔵尊」は秘仏とされて、二重の木箱に納められ外箱には「愛宕山本地秘仏 天下泰平 国家安穏」とあり、古来から「将軍地蔵尊」を念づれば競争にうち勝ち、また貧虚から免れると云われて来ました。
 柱1,「迦具槌命」の親は「伊牙ナミノ尊」と云われております。
  2,「総社」とは京都市右京区嵯峨愛宕町の「愛宕神社」とされています。
    平成3年2月1日
  奉納者 橋本忠雄・岩崎清治・大沢博・栗原一二


 本殿です

 境内西端から目的のケヤキです

 南東側から見上げました

 天然記念物標柱です

 南側から、目通り幹囲4.8mの大木です

 西側から



 本殿北側に境内社の祠が並びます

 本殿後ろ側の一段高い丘の上に、イヌシデが見えました


 北側から、しめ縄が巻かれています

 西側から、目通り幹囲3.0mの大木です

 南側から

 南東側から

*イヌシデは、カバノキ科クマシデ属の落葉高木で、本州、四国、九州の山野に自生する。基本的に陽樹だが、稚樹や幼樹には一定の耐陰性がある。
 高さ15-20m。樹皮は灰白色でなめらかであり、縦に網目模様ができる。花期は4-5月頃、雌雄異花で花序は穂状で下垂する。 風によって花粉を飛ばす風媒花であり、種子も風を利用した種子散布に適応した羽根形の構造となっている。葉の側脈の間に白い毛が多くあり、秋には葉が黄色く紅葉する。
 和名の由来は、花穂の垂れ下がる様子が注連縄(しめなわ)などに使われる紙垂(しで)に似ているから。
 (ウィキペディアの抜粋です)

 モミの大木です

 西側から見ました

 では、次へ行きましょう
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福島県田村市、船引町文珠上「安部文殊堂のスギ」です!!

2022-11-19 18:33:00 | 巨樹・大木
 船引町文珠上地区は、田村市役所の西北西約3kmのところ

 JR磐越東線ふねひき駅前を西へ、県道19号線の高架下を潜って磐越東線沿いを進みます

 約800mの三叉路を左へ、坂道を登り右手に万福寺のシダレザクラを見て道なりに上って行くと
 

 左手に安部文殊堂案内板が有ります

 背の高いスギが文殊堂の入口のようです

 北向きに参道杉並木の安部文殊堂入口です

 安部文殊堂です

 向かい側の駐車場に車を置いて約400mの参道杉並木を行きましょう

 参道入口の大杉です

 西側から、しめ縄が巻かれています

 石段を上がって参道を進みます

 杉の大木の杉並木です

 石灯籠が有ります、参道の約半分でしょうか

 参道が急になると石段が見られるようになります

 モミの大木です

 建物の屋根が見えました

 間も無く文殊堂下で目的のスギです

 西側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

 南側から


 文殊堂へ行きましょう

 左に手水舎です

 右に鐘楼です

 狛犬です

 東向きに文殊堂です


 見事な彫刻を見る事が出来ます

 境内の石塔です

 文化財標柱です、算額と絵馬が民俗文化財に、参道杉並木が史跡指定されています

 説明版です
   田村市指定有形民俗文化財
 絵馬「半肉彫獅子の図」
  所在地 福島県田村市船引町文殊字上
  指定年月日 平成17年4月18日
由来等
 文殊菩薩は、学問・知恵の仏で、獅子に乗った姿で表されます。天保3(1832)年に奉納された絵馬は、その獅子の巧みに彫った木彫工芸の絵馬です。
 奉納者は、学問の成就(または彫刻技術の向上)を祈願したものと推測され、安部文殊菩薩堂が文殊信仰の地として、篤く信仰されていたことがわかります。
   田村市指定有形民俗文化財
 安部文殊菩薩堂の算額
  指定年月日 平成17年4月18日
由来等
 算額とは、数学の問題が解けたことを神仏に感謝し、更なる勉学の向上を祈願して奉納された数学の絵馬です。
 明治10(1877)年に、最上流和算家佐久間庸軒門下22名により奉納された算額は、縦91cm、横540cmの日本で一番大きなものです。
 幕末から明治にかけ、石森村の庸軒塾には、和算を学ぶため2000有余名が集い、当地方を中心に和算文化が広がりをみせたことがうかがえます。
   田村市指定史跡
 安部文殊菩薩堂参道の杉並木
  指定年月日 平成17年4月18日
由来等
 参道の両側約300mの長さにわたり、126本の杉並木が御堂まで続いています。
 高さは平均で35m、樹齢は一番古いもので約450年です。
 その昔、熱心な信者により植樹されたものと伝っています。
     田村市教育委員会
 
 *文化財は御堂の中なのでしょう、見る事はできませんでした

 御堂の西側には水神様の祠です

 南側から見ました

 境内のモミノキです

 外にもありました


 参道杉並木を戻ります

 駐車場から南東に見える片曽根山(田村富士)です

 北東側に移ケ岳です

 では、次へ行きましょう
 
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福島県田村市、船引町芦沢小館「熊野大権現堂のスギとフジ」(市指定)です!!

2022-11-19 06:30:00 | 巨樹・大木
 船引町芦沢小館地区は、田村市役所の南西約4kmのところ

 国道288号線を西へ大滝根川を渡って道成りに進みます

 春山地区の右カーブの時差式信号機を左(南)へ入ります

 大滝根川を渡り直して、拾貫内橋の手前を左斜め(南南東)へ(手前に橋本工業入口看板有り)

 山裾を縫う様に道成りに進んで、磐越道の高架を潜り、田村広域農道の高架も潜ります

 間も無く、小さな本郷橋を右(南西)へ渡ると、右手に熊野大権現堂の後ろ側です

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側から熊野大権現堂入口です

 境内西側に目的のスギの枝が見えています

 鳥居です


 天然記念物標柱です

 熊野大権現堂の社殿です、三つの本殿が並びます

 目的のスギです

 北東側から、目通り幹囲6.0mの巨木です(環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」での数値)

 説明版です
  田村市指定天然記念物
    熊野大権現堂の杉と藤
  所在地 田村市船引町芦沢字舘
  指定年月日 平成17年4月18日
 俗に、大権現堂とよばれる当熊野神社の境内にそびえています。
 杉は関西系の樹種で、樹令約600年以上と推定され、根回り8.8m、目通り5.5m、高さ約24m、あります。
 この杉に、根回り2.9m、樹令推定約300年の藤がからみつき荘厳な雰囲気を作り出しています。
    田村市教育委員会

  太いフジの蔓です
 
 北側から、這い上がるようにフジの蔓が高く迄登っています

 境内を出て西側から見ました

 北西側から

 北側から、特徴的の大枝が西側に伸びています

 では、次へ行きましょう

 
 帰り際に南西側から熊野大権現堂の社叢を見ました、右端には大昌寺入口の石碑が見えます、後方には地元で田村富士と呼ばれる片曽根山(標高718m)です





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福島県郡山市、西田町丹伊田「鹿島大神宮のスギとペグマタイト岩脈(国指定)です!!

2022-11-18 18:29:18 | 巨樹・大木
 西田町丹伊田地区は、郡山市役所の北東17kmのところ

 郡山内環状線を北へ、やがて東へ向いてJR東北本線と東北新幹線を潜ると

 国道288号線富久山バイパスです、二つ目信号を案内表示の「市内西田」左(北)へ

 阿武隈川左岸沿いの道路を北東へ進み磐越道の高架を潜り次の信号を右(東)へ県道115号線です

 小和滝橋で右岸に渡ると直ぐの信号を左(北)へ県道73・115号合同線です

 間も無く三叉路を右へ県道115号線を道成りに進みます

 西田ふれあいセンター前の信号を左(北西)へ郡山東部広域農道です、次の信号を右(東)へ

 県道28号線との交差点を過ぎて約700mの一時停止の交差点を左(北)へ間も無く左手に

 鹿島大神宮が南東向きの参道で鎮座します

 鹿島大神宮参道入口です

 郷社 鹿島大神宮です

 国指定天然記念物ペグマタイト岩脈と市指定文化財の標柱です

 道路脇に説明版が並びます、まずは「ペグマタイト岩脈」です
  国指定天然記念物
   ペグマタイト岩脈
     昭和41年6月11日指定
 ペグマタイトは「巨晶花コウ岩」ともよばれているように、花コウ岩質で、石英・長石を主成分とした非常に大きな結晶の集合した岩石のことです。
 かつて、西田町から隣の白沢村にかけて阿武隈山地は、ペグマタイトの大産出地でしたが、今では工業用原料として採掘されつくされてしまい、約14000トンと推定される量のペグマタイトが、現在でも保存されていることはたいへんめずらしいことです。
 露出している面の延長は約40m、幅14mにおよび、地下10mまではこの岩石があると推定されます。
    郡山市教育委員会

 絵馬神馬図説明版です
  郡山市指定重要有形民俗文化財
   絵馬 神馬図
     昭和52年5月11日指定
 鹿島大神宮に保存されている神馬図の絵馬は、縦51cm、横90cmの家形で、画面中央には、二人の神官が曳く神馬を配し、右上に神馬を奉納した神社の鳥居と拝殿の一部が描かれたいます。
 剥落が進み一部不明な点はありますが、画面上部には雲がたなびく松林を、右下には松の木が描いてあります。画面の左端に、「弘治2丙辰年9月吉辰」と奉納年月が明記されています、9月吉辰とありますから、あるいは秋祭りを祝して奉納したのかも知れません。
 1556(弘治2)年に奉納されたこの絵馬は、福島県内で現存する最古の絵馬です。絵の構図や描写から見て絵馬絵師の描いた絵馬であると見られますが、年号は後から奉納者によって書かれたものと推測され、その書体から一般庶民の奉納になるものと思われます。
 この絵馬は、県内最古の絵馬であるばかりでなく、中世における絵馬奉納という庶民信仰を知る上で極めて貴重な絵馬です。
   郡山市教育委員会

 参道を進みます

 手水舎です

 案内書きです
  鹿島大神宮
 御祭神 武甕槌大神
 御鎮座 天慶元年9月15日
     茨城県鹿島神宮より勧請
 文化財
  国指定天然記念物 ペグマタイト岩脈
  郡山市指定文化財 曳馬図 弘治2年(1556年)
           祭礼図 文久2年(1862年)
           障子絵馬 養蚕安全祈願
 境内社
  八坂神社 御祭神 素戔嗚命 櫛稲田姫命 八神御子
  養蚕神社 御祭神 天照皇大神 保食神 稚産霊神
  多賀神社 御祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命
 
 桜が咲いています

 太鼓橋を渡ると鳥居です
 
 鳥居下から、目的のスギを見ました

 鹿島大神宮のスギの標柱です
 
 右側のスギです

 奥側から

 左側のスギです

 奥側から、共に合体木ですが、目通り幹囲5.3mの巨木です

 参道石段を上って

 拝殿前にもスギの大木です

 拝殿です


 ペグマタイト岩脈の露岩の上に本殿です

 拝殿西に大きな岩が見られます

 説明版です
   ペグマタイト岩脈
 この岩脈は花崗岩の一種で、巨晶花崗ともいう。この種の岩石は地球上に於いて地向斜といわれる凹地を形成し、そこに厚い堆積岩を堆積したような地殻の比較的不安定な地域、すなわち造山帯の弱線に沿って迸入した。
 阿武隈山地は日本で最も有名なペグマタイトの産地であるが、このような弱線は高原の西縁部に梢南北に、北は宮城県伊具部大張村より、福島県伊達郡白根村・霊山町・川俣町・東和村を経て、郡山市西田町高瀬を過ぎ、宇津峯山を通り、須釜村達し、更に南下して野木沢・石川町を通って山橋・鮫川村を貫き、塙町に到るときはその勢が弱まり、二つに分岐しその一つは茨城県多賀郡高岡村に、他は久慈郡加美村に達する。その全長は140kmに達する。
 多くのペグマタイトは、この弱線に沿うて迸入し、その大さ、形状は種々様々である。構成鉱物は石英・長石・雲母等を主とするが、その上部又は縁辺部は長石・雲母等の外に電気石・紅柱石・ザクロ石・キンセイ石・モナズ石・ザマルスキー石・ヘルグリン石等、ウラニウム・トリラム・イットリウム等の希元素を含む鉱物を含有するものが特徴である。
 現在見られるこのペグマタイトは岩体の下部に相当し、主として石英の結晶の集合体であるが、一部に長石も残存する。
 この岩脈が生まれてから約一億年の時が経過し、その間に、地殻の変動、風化、浸蝕のために地表に突出したものであるが、その間の歴史は岩肌に強く刻み込まれている。
 これらの岩石を構成する石英及び長石は、光学レンズ・陶磁器等の重要な原料であるために、殆ど採掘し盡され、このような雄大な自然の状態を示すものは稀である。
 したがってこのペグマタイトは、学術的研究資料として貴重なものである。
    福島県文化財専門委員
   福島大学教授 理学博士 三本杉巳代治




 神楽殿です


 社殿の西側尾根筋には境内社が並びます、まず養蚕神社と八坂神社です


 神明宮です、ご祭神は天照皇大神です


 立派な鳥居のある多賀神社です、ご祭神は伊邪那岐・伊邪那美の両大神です


 他にも祠が並びます


 社殿北側のペグマタイト岩脈の露岩には、羽黒神社の祠です

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福島県本宮市、白岩宮ノ下「浮島神社の大ケヤキ」(市指定)です!!

2022-11-18 12:29:58 | 巨樹・大木
 白岩宮ノ下地区は、本宮市役所の東南東約6kmのところ

 国道4号線を北へ、安達太良川を渡って直ぐの戸崎ロータリー信号を左に入って信号を右(東)へ

 国道4号線の下を潜って県道28号線です、JR東北本線の高架を潜って、阿武隈川をわたり道成りに

 東北新幹線の高架を潜り、郡山北警察署白沢駐在所の先を右(南東)へ道成りに進みます

 本宮市立白沢中学校の先で安達太良ドリームラインを右へ直ぐの交差点を左(東)へ

 間も無く道路左手に浮嶋神社参道が南向きに開きます、参道脇の駐車場に車を止めさせて頂きました

 参道入口です

 丘の上の境内端に目的の大ケヤキが見えます
 

 社號標が松の陰になっています

 鳥居です

 平たい水盤です

 急な石段を登ります

 石段登り口の祠の中には石の「御神体」です


 ニノ鳥居です

 狛犬です

 拝殿です


 本殿です

 目的の大ケヤキです

 説明版です
   浮島神社の大欅
    昭和60年市指定有形文化財
 浮島神社は、昔、金連大明神と呼ばれ白岩郷の惣鎮守であり、当時村内にあった、田中舘、大葉舘の舘主が代々尊敬していた社でもあった。
 しかし、勧請年月日は、白岩村の開創と同時代と言い伝えられているが明らかでない。
 明治2(1869)年9月27日名称を金連大明神から浮島神社と改めた。
 大欅についての由来は明らかでないが「岩代国安達郡神社明細帳」によれば、槻目通尺回り以上6本、と記されてあり、この中の一本と思われる。
 目通り幹の回り7.2m、樹高27m、樹齢推定600年
    本宮市教育委員会


 北側から

 東側から

 境内西側に神楽殿です

 養蚕神社、稲荷神社、疱瘡神社の三社宮と石の祠です

 こちらにも祠が並びます

 境内社の金刀比羅神社ですです


 長い石段の上には天満天神宮です

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福島県福島市、飯野町明治藤蔵内「明治のカシの木と磨崖佛」です!!

2022-11-18 06:42:18 | 巨樹・大木
 飯野町は「UFOの里」としてイベントが開催されています、30年記念で11月12日には仮装イベントが行われたとか

 飯野町明治藤蔵内地区は、福島市役所の南南東約20km

 福島市役所飯野支所の西約1kmのところです

 飯野支所前から県道39号線を西へ県道40号線との交差点信号を左(南西)へ

 また直ぐの交差点を右(北西)へ坂道を登ってY字路を左(西)へ、左(南)に飯野小学校を見て

 交差点を左(南へ)へ緩く左にカーブすると住宅の先

 左奥(北側)にカシの木です

 南側から近付ます、目的のカシノキ(シラカシ)です

 幹を見上げました、目通り幹囲5.0mの巨木です

 西側から

 南西側から、後ろの建物は小学校の体育館です

 東側から
 

 説明版です
   樫の木の磨崖佛
 崖状の自然石等に仏像を刻んだものを磨崖佛と呼びますが、飯野町内では3ヶ所確認されています。
 銚子の口にある銚子不動尊(飯野地区)、明治地区の源三郎内の六地蔵尊、そしてこの樫の木の観音菩薩尊が代表的な磨崖佛です。
 白沢村の岩角山の摩崖佛(三十三観音)は大規模な線彫りで有名ですが、昔は当町からの信者も多く、講中で参拝したと言われます。当時の信者達がはるばる岩角山に行かずとも地元で参拝できるように、岩角山から樫の木の地に分霊したと伝えられています。
 ここの巨石群をよく探索してみると、石佛や摩崖佛が多く目に付きます。中でも珍しいのは、樫の木の根元にあるもので、胎内くぐりができ、その中には剣に蛇が巻付いている倶利伽羅不動尊の碑が安置されています。
 他の巨石表面には、観音菩薩が彫られていますが、線彫りのため風化していて確認するのに苦労します。東側の巨石壁面には灯籠が二基線彫りされていますが、何を意味しているか不明です。


 大岩の表面を確認しましたが、分かりませんね~

 カシノキの根元の胎内くぐりと井戸跡の様です

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福島県川俣町、寺久保「東円寺のイチョウ」です!!

2022-11-17 18:31:37 | 巨樹・大木
 寺久保地区は、川俣町役場の南東約1kmのところ

 役場の南側道路を南東へ、広瀬川を渡ったT字路信号を右(南)へ、緩くひだりに曲がりながら進むと

 左手(南西向き)に東円寺の参道入口です、石仏が参道入口両側に在ります

 境内入口です

 浄土宗 東円寺です

 山門西側の駐車場へ入りました

 山門です

 山門の扉には三つ葉葵の紋が付いています

 山門を潜った左に目的のイチョウです

 東側から、枝が伐られてしまっているので細く見えます
 
 南東側から離れて見ました、目通り幹囲5.0mの巨木です

 参道左側の建物の後ろ(イチョウの北側)に鐘楼です

 南側(イチョウの脇)から鐘楼です

 六地蔵様です


 参道右側に御堂が二つ続きます

 本堂です

 本堂前から山門方向を見ました


 
 駐車場に戻って南西側から

 西側から見ました

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福島県伊達市、保原町大柳大日向「大柳熊野神社の大欅」(緑の文化財)です!!

2022-11-17 12:31:39 | 巨樹・大木
 保原町大柳大日向地区は、伊達市役所の南西約3kmのところ

 市役所西側の道路を南へ、阿武隈急行線の下を潜って国道349号線の交差点を過ぎて

 次の十字路を右(西)へ東根川を渡って、工業団地の南側を進み、二つ目の信号を左(南)へ
 
 次の信号を斜め右(南西)へ、約500m消防の屯所の先に

 「熊野神社の大欅・北へ50m先」の天然記念物標柱がありますので右(北)へ坂道を上ります

 左に熊野神社が東向きに鎮座します

 境内南側の入り口道路に車を止めさせて頂きました


 水盤です

 拝殿です


 本殿です

 拝殿左(南)に目的のケヤキです

 説明版です
   福島県緑の文化財
  名称  熊野神社の大欅
  樹種  ケヤキ
  所在地 保原町大柳字舘ノ内108番地
  樹齢  350年
  樹高  25m、根回り5.8m
  樹形  自然形
   由来記
 熊野神社は、イザナギノミコト・イザナミノミコト二柱を主祭神として、古くよりこの地の氏神様として崇敬され鎮座されております。
 勧請年月は不明でありますが、天保9年(162年前)の村の古書には熊野宮の境内地は長さ16間、横10間とあります。
 往時この地域は、豊かな山林に囲まれ、西風から守られている好地なので、早くから我々の先祖様達は開墾開田し住みつき、ここはこの地域のほぼ中央にあるところから、舘を構え地域住民の信仰の依りどころとして神社を祀ったと思われます。
 そしてこの大欅群は、樹齢等から考えてどちらが古いかわかりませんが、ご神木として保護され、神社の象徴として地域を見守って戴いております。
   平成12年3月30日
     熊野神社宮司 石井俊夫
          氏子総代一同
          佐藤 完 書

 東側から、目通り幹囲は5.1mの巨木です

 南東側から

 西側から

 
 本殿南側から、本殿の裏側(西側)のケヤキ林を見ました

 もう一本は、本殿裏側(北西側)のケヤキの大木です

 北東側から

 北側から、目通り幹囲約4m(目測)の大木です

 境内社の祠や石碑が並びます

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福島県伊達市、梁川町白根宮本「瀧野神社のケヤキ」です!!

2022-11-17 06:29:31 | 巨樹・大木
 梁川町白根宮本地区は、伊達市役所の東北東約10km

 伊達市役所梁川総合支所の東約5kmのところです

 国道349号線を北へ、標識に従って「やながわ希望の森公園前駅」方面(東)へ県道102号平松梁川線です

 阿武隈急行線を陸橋で越えて、塩野川の谷へ道成りに約5km進みます、

 観音溜池を過ぎると塩野川の呼び名が馬場沢に変わります、伊達市立白根小学校を過ぎると間も無く

 道路右(南)側に瀧野神社の駐車場が有ります

 地区の集会所脇に参道が在り、馬場沢の南側に目的のケヤキが見えました

 県道から下ると鳥居です

 水盤です

 大神宮の石碑と境内社です

 瀧野神社拝殿です

 本殿覆い屋です

 拝殿前から馬場沢対岸のケヤキを見ました
 

 北側から、二本のケヤキの合体木の様です

 北東側から


. 鳥居下まで戻って、馬場沢の橋の上から見ました、しめ縄が巻かれています

 東側から、隣の住宅は空き家になっているようです

 南東側から、目通り幹囲6.1mの巨木です

 南西側から見上げましった

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