ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県伊達市、川原町「諏訪神社西念塚の大ケヤキ」です!!

2022-11-16 18:30:10 | 巨樹・大木
 川原町は、伊達市役所の西約7kmのところ

 (阿武隈川に掛かる国道399号線の伊達橋は地震の影響で当分の間通行止めになっています)

 国道4号線の諏訪野団地入口信号を北西へ入ります

 すぐ次の信号を左(南西)へ県道353号線です、約400mで右(西)へ入ると右手に大ケヤキが見えました

 「川原町けやきひろば」です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北東側から、紅葉しています

 東側から

 南東側から、目通り幹囲6.2mの巨木です

 保存工事標柱です


 根元の石塔が西念塚です

 西念塚の標柱です、文面には・・・伊達町指定 史跡 西念塚 当時の摺上川は、毎年氾濫し、部落民は困窮を極めた。
 度重なる洪水から里人を救うため、寛文8年(1668年)4月8日、自らが堤防の人柱となって洪水をくいとめようと、捨身入定した西念上人の碑が、この西念塚である。
 また、養子浄心が残した文書及び大ケヤキをも合せて、町文化財として一括指定している。
 大ケヤキは、幹の太さ等から樹齢約300年といわれ、供養のために里人達によって植えられたものと思われる。
 昭和58年3月には、県の緑の文化財として登録された。

 南側から

 南西側から

 西側から見ました

 西側には川原町集会所です

 集会所北側には霊堂です

 軒下の額です


 更に西側には、南向きで諏訪神社参道鳥居です

 諏訪神社社殿です

 では、次へ行きっましょう
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福島県伊達市、梁川町山舟生 七ツ釜 「舟生の千本マツ」(市指定)です!!

2022-11-16 12:29:39 | 巨樹・大木
 伊達市(だてし)は、福島県中通り北部に位置する市で、福島盆地北東部のおよそ半分を占め、江戸時代以降は養蚕業の街として発展した。現在は行政都市の福島市を支える位置づけにあり、衛星都市としての役割を担っている。
 おおむね西端部を阿武隈川に福島盆地の一部。東端部を阿武隈高地の順に、高低差がある盆地特有の地形である。
 市役所は本庁に旧保原町役場、分庁舎に旧梁川町役場を使用する。市役所機能は部署によって本庁か分庁舎に分けている。本庁と分庁舎は道のりにして約6km離れている。また、基本的な住民サービスについては遠くから市役所まで出向く必要のないように、旧保原町役場、旧梁川町役場、旧伊達町役場、旧霊山町役場、旧月舘町役場に総合支所として窓口を設けている。
 (ウィキペディアより一部抜粋)

 梁川町山舟生 七ツ釜地区は、伊達市役所の北東約10km

 伊達市役所梁川総合支所の北東約5kmのところです

 こくどう349号線を北東へ、塩野川を渡って間も無く信号を右(東)へ県道101号丸森柳川線です
  
 阿武隈急行線を陸橋で越え道成りに進むと県道が南東に向きを変えます、緩く左にカーブしていくと

 右手にプレハブの建物があり、山舟生川対岸(南側)に目的の「千本マツ」が見えました

 対岸への道路は

 佐藤砂利砕石(株)の道路(橋)なので進入禁止です

 橋のたもとから見ました

 アップにしてみました

 橋の手前に説明版です
  舟生の千本マツ
   (緑の文化財登録第61号)
  天然記念物指定 昭和50年10月3日 町指定
  所在地 梁川町舟生字山神山
  所有者(管理者) 富野財産区(梁川町長)
  樹齢  約300年
  樹高  19.0m
  胸高周囲 350cm
  科名  マツ
  樹種名 アカマツ
 由来・・・千本マツの名前の由来は、昔、源義経と弁慶が阿武隈川を挟んで戦った時にたくさんの戦死者がでた。
      その人たちを七ツ釜向いに葬って、弁慶が墓標としてマツの木を植えて供養したら、そのマツの木はたくさん枝分かれして現在のような姿になったと伝えられている。
 (源義経・武蔵坊弁慶の頃と言うと、今から800年以上の昔なので、この松はもしかして二代目なのかもしれませんね~


北東側県道から見ました

*Googleストリートビューでは2013年4月の画像を見る事が出来ます、千本マツの周りは木々が伐り払われてスッキリしています
 

 では、次へ行きましょう
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福島県国見町、鳥取深山「深山神社の大榧大藤」(町指定)です!!

2022-11-16 06:32:02 | 巨樹・大木
 鳥取深山地区は、国見町役場の西北西約2kmのところ

 国道4号線を南西へ、藤田病院入口信号を右(北西)へ、県道46号白石国見線です

 JR東北本線をアンダーパスで、東北新幹線の高架を過ぎ、東北自動車道を潜ると約600mで

 県道左側に深山神社が東向きに鎮座します

 県道向かい側に車を止めさせて頂きました

 深山神社の社號標です

 鳥居です

 拝殿です

 まずは社殿右側から、藤棚が作られています

 カヤノキにフジの蔓が巻き付いています

 天然記念物標柱等が並んでいいます

 社殿脇に二本のフジの蔓が這い上がっています

 南東側から見ました

 社殿裏側にも、別のカヤとフジです

 説明版です
  町指定天然記念物
   深山神社の大榧大藤
    指定年月日 昭和49年3月1日
 深山神社の奥にある大きな榧の木に、うねるように巻き付いた藤。
 この大榧は推定樹齢500年以上。大藤とともに町の天然記念物及び福島県緑の文化財に指定されている。
 明治のはじめに書かれた「信達二郡村誌」には「この深山神社には古びた榧の木が七株ほどあり、なかでも拝殿の南側の榧の木は、幹回り3.8m、枝張り出は南へ14mの大きな木である。その下には見事な大藤が、角のない竜とその子竜たちが巻きつくように地を這い、大榧の幹にからまりながら梢に達し、垂れ下がっている。そのほかにも藤の根がはびこり、もつれあいながら七本の榧の木一面を覆っている」とあり、壮観さが描かれている。
 藤の花の見頃は4月下旬から5月上旬頃。花咲く初夏、大榧の新緑と大藤の花の饗宴は、いにしえからこの地を行きかう人達、この地に暮らす人々の目を楽しませてきたに違いない。
 今もたくさんの人に愛される深山神社の大榧と大藤。移り変わる時を静かに見守っている。
   菊地利雄氏「ふるさとの文化財」より、一部抜粋
     令和4年3月 国見町歴史まちづくりフォーラム




 社殿左手(南側)です

 大カヤです、足元には沢山の榧の実が落ちています

 南側から幹を見上げました

 南西側から

 南側境内端からは、カヤの木の表面をフジの蔓が覆ってしまっているのが解かります


 本殿覆い屋です

 境内社です
 
 社殿裏側のカヤの根元には石碑が並びます

 では、次へ行きましょう
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福島県福島市、飯坂町茂庭蝉狩野山「摺上川ダム」です!!

2022-11-15 18:30:09 | ドライブ
 飯坂町茂庭蝉狩野山は、福島市役所の北北西約21kmのところ

 国道13号線を北へ、信夫山トンネルを貫けて進みます

 東北自動車道福島飯坂インターチェンジ入口を過ぎて

 福島交通飯坂線の踏切を越えて、約700mで飯坂町原信号を右(北東)へ、県道5号線です

 県道を進んで突き当りの信号を左(北西)へ国道399号線飯坂バイパスです

 道成りに摺上川に沿って上流へ約12km進むと道路左手にダム本体が見えて来ます

 摺上川ダムインフォメーションセンター(国土交通省 東北地方整備局 摺上川ダム管理所)です

 ダム本体へ行ってみます

 ダム本体は緩いカーブを描いています

 下流側の茂庭集落を見下ろしました

 上流側の「茂庭っ湖」です

 *摺上川ダムは、2005年に竣工した福島市飯坂町茂庭地内に建設された多目的ダムです。集水面積160㎢、総貯水容量1億5,300万㎥を有するダム高105mの中央コア型ロックフィルダムです。洪水調節、流水の正常な機能の維持、かんがい用水補給、水道用水供給、工業用水確保、加えて水力発電と多くの役割を担っています。
  (摺上川ダム管理事務所のホームページから一部抜粋)
 

 平成17年度全建賞受賞事業とダム工学会の技術賞受賞事業のプレートです

 越流提です

 越流通路です

 放水路です


 六郎太少年像です
  ー「さくらんぼ大将」よりー
 福島市出身の作曲家「古関裕而氏」と劇作家「菊田一夫氏」のコンビニよるNHKのラジオドラマ「さくらんぼ大将」が、昭和26年1月から翌年3月まで放送され、主題歌と物語のすばらしさは、大変評判となった。
 ここ茂庭地区を舞台とするこのドラマは、地元の少年六郎太を主人公に、彼を取り巻く人々との交流を通じて大きく成長していく物語であった。
 まだ戦争の傷が癒えていない時代であったが、六郎太少年の明るく強く生きる姿に日本中の誰もが感動し、明日への生きる希望と活力を見出した。
 このたび摺上川ダムの竣工を記念し、摺上川ダム周辺整備におシンボルとするため、多くの皆様方のご協賛を得て、ここに「六郎太少年像」を建立した。
    2005年9月
    摺上川ダム・スカイパーク周辺観光整備協議会
                会長 佐藤勝三

 *駐車場の周りでは猿が日向ぼっこをしていました

 では、次へ行きましょう
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福島県福島市、飯坂町茂庭「白鳥神社の大杉(市指定)と銀杏・樅の切株」です!!

2022-11-15 12:29:32 | 巨樹・大木
 飯坂町茂庭地区は、福島市役所の北北西約20kmのところ

 国道13号線を北へ、信夫山トンネルを貫けて進みます

 東北自動車道福島飯坂インターチェンジ入口を過ぎて

 福島交通飯坂線の踏切を越えて、約700mで飯坂町原信号を右(北東)へ、県道5号線です

 県道を進んで突き当りの信号を左(北西)へ国道399号線飯坂バイパスです

 道成りに摺上川に沿って上流へ約11km進みます、目的地は摺上川ダムのすぐ下側です

 中茂庭の標識に従って斜め左の旧道へ入ります、福島市役所茂庭出張所のところに「白鳥神社と大杉」の案内板が有ります

 右に入って茂庭出張所の東側道路を北へ進むと

 南南西向きに白鳥神社参道入口です

 参道鳥居です

 杉並木に参道ですが・・・


 直ぐ右手に小屋が在ります、中にはモミの切株が有ります

 福島市庭坂上清水の清水観音のモミの説明版にあった、白鳥神社のモミです

 すぐ北隣に目的の大杉です

 西側から

 天然記念物標柱です

 説明版です
  福島市指定 天然記念物
   白鳥神社の大杉
 この杉は、根回り12.35m、目通り囲7.1m、第一枝下が5mで、枝は東西へそれぞれ10m、南北へ5.4m~7.4mひろがり、枝下の陰面積は約211㎡あります。
 樹高は41mですが、幹の先端に落雷のため折損した跡が見られます。樹齢は450~500年と推定され、福島周辺では最大の老木と思われます。
 また、側のモミの老樹(※)は、樹齢350~400年と推定され、福島市内ではまれにみる老木です。
 この両者が、肩を並べてそびえる樹容は、遠く秋庭・屶振部落からも望まれ、白鳥神社の白鳥の伝説とともに、茂庭地区民の心のよりどころとして、昔から親しまれ守り育てられてきた大木です。
 二本の木はわずかに4mしか離れていなかったので、枝張りの少ないのが惜しまれますが、学術研究の資料および福島市の自然を記念するにふさわしいものとして天然記念物に指定しました。
 長い間生育してきたこの大杉を、つぎのことを守りながらいたわって下さい。
     記
 1,樹木の根を踏まないこと。
 1,枝を折ったり幹を傷つけたりしないこと。
 1,生育を妨げるような変更をしないこと。
   昭和43年3月11日
    福島市教育委員会
 (※)このモミは、市指定天然記念物でしたが、昭和62年11月に老朽のため指定解除となりました。

 
 

 離れて西側から、樅の木の切株の小屋と大杉の位置が良く解かります


 北東側から

 東側から

 南東側から

 杉の葉先には、来春の花粉がふくらみ始めています、花粉症のため来春が思いやられます

 参道を進みます

 境内手前の参道左手に天照皇大神の石碑です

 祠の後ろ側に、第二目的のイチョウです

 境内へ上がります

 北側から見ました、目通り幹囲5.5mの巨木です


 境内の槐の大木です

 北側から

 北西側から


 「茂庭の碑」です、碑面が薄くなってしまって一部分しか読めませんでした

 手水舎です

 社殿です

 軒下の額です

 境内社の祠が並びます

 参道を戻って大杉の脇から旧茂庭中学校です(2015年に大鳥中学校に統合されました)

 校庭からイチョウを見ました

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福島県福島市、宮代北口「陣屋跡遺跡公園の宮代の大カヤ」(市指定)です!!

2022-11-15 06:45:54 | 巨樹・大木
 ここからは、2022年11月1日の取材分です

 宮代北口地区は、福島市役所の北北東約5kmのところ

 国道4号線を北東へ、阿武隈急行鉄道の高架を潜って信号4つ目瀬上町裏信号を左(西)へ県道155号線です

 信号を一つ過ぎた先の「けやき薬局駐車場」の看板のある交差点を右(北)へ

 間も無く左手に「史跡 足守藩陣屋入口」の標識が在ります

 左に入った広場に車を止めさせて頂きました

 目的のカヤです

 東側から

 南東側から

 南側から

 説明版です
   福島市指定 天然記念物
     宮代の大カヤ
 カヤは山地に自生する雌雄別株の針葉樹で、その種子は食用や油料にも使われ大変重宝がられてきましたが、材が緻密で堅いために土木用材や器具材として伐採されることが多く、大木として残っているものはきわめて少ないものです。
 本樹は、斎藤家のシンボルとして保護を受けてきたので、叺内の大カヤと共に当地方まれにみる巨樹になったものです。
 根回り8.8m、目通り囲4.63m、樹高21.2m、推定樹齢300~350年、長くこの木の生育を保つために、次のことを守ってください。
     記
 (1)幹を傷つけたり枝を折ったりしないこと。
 (1)生育を妨げるような変更をしないこと。
     昭和47年5月2日
     福島市教育委員会
 

 北側から


 カヤの木の西側には、陣屋跡の碑です

 石碑が建ちます

 説明版です
   備中足守藩分領瀬上陣屋跡
 備中足守藩は、豊臣秀吉の正室杉原寧子(おね・高台院)の実兄、木下家定を藩祖とする25000石の外様大名である。
 備中足守(岡山県岡山市足守町)周辺40カ村を領地として支配していたが、寛政12年(1800)12月、幕府より信夫、伊達両郡内25カ村に20000石余の村替えを命ぜられ、その分領支配の陣屋をここ宮代村に設置した。
 代官は当初、二階堂弥五作らが郡奉行として派遣されたが、天保期からは塩見家が奉行として世襲し11000石余を支配した。このはか手附手代ら役人が勤務したが役人の手足となって働いたのが年番名主で、年貢、収納、村方論争、廻米、助郷、用水等多方面にわたって代官と村方とのパイプ役を果たした。
 陣屋は大カヤを中心に東端は旧瀬上支所あたりまで敷地があり、北側には御馬屋もあった。西は泉性院境で、西北端に奉行塩見家の屋敷があった。その東に桜樹があり、備中足守近くの最上稲荷大社からの稲荷社が勧請され、陣屋の鎮守として祀られた。
 以後70年間、この地を支配し、明治3年(1870)12月、分領は県に渡され解体した。陣屋の建物は県北各地の名家に分譲されたが、鎮守の最上稲荷は、当斎藤家に譲与され、老桜樹のあるもとの位置にその瀟洒な佇まいを残して鞘堂内に安置されている。
   1997年10月
  撰文 福島県史学会常任幹事 半沢光夫
     陣屋碑建立会

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福島県福島市、飯坂町天王寺「天王寺の大イチョウ」(県緑の文化財)です!!

2022-11-14 18:29:33 | 巨樹・大木
 飯坂町天王寺地区は、福島市役所の北北西約10kmのところ

 国道13号線を北へ、信夫山トンネルを貫けて進みます

 東北自動車道福島飯坂インターチェンジ入口を過ぎて

 福島交通飯坂線の踏切を越えて、約700mで飯坂町原信号を右(北東)へ、県道5号線です
 
 県道を進んで突き当りの信号を左(北西)へ国道399号線飯坂バイパスです

 飯坂トンネルを貫けて最初の信号を左(北西)へ、県道319号線です

 約200m程で天王寺の案内板に従って斜め左へ、道成りに進んで案内板に従って鍵の手に進むと

 東向きの天王寺山門前に出ました

 参道右側(北側)の第一駐車場に車を止めさせて頂きました

 境内案内図です

 参道を進みます

 山門です

 手水舎です

 本堂です

 説明版です
  日本四天王寺の一寺
    天王寺の由来
 当山天王寺は大阪(難波)・谷中・富国の天王寺とともに日本四天王寺の一寺といわれ第31代用明天皇の開基と伝えられる。用明2年(587年)・厩戸皇子(聖徳太子)が物部守屋を討たれ佛法眞蜜即ち佛の道を修める道場の一つとして建立された。当初は、天王山天王寺と呼ばれ毘沙門天王(北方多聞天)と千手観音・地蔵菩薩を安置したのに初まるという。
 平安時代文治5年(1190年)源頼朝の平泉攻めで大鳥城落城の時共に兵火により焼失、その後鎌倉時代に法燈国師(佛心国師1206~1298年)が東北行脚にこの寺に入り安らかに禅をきわめる所として開山第一の祖となった。
 室町時代応安7年(1375年)智鑑禅師が七堂伽藍を建立し再興、その後世の盛衰によってこの寺も衰微、天正3年(1576年)時の飯坂領主飯坂右近将監宗康公が住職春翁正堂和尚とはかり中興に力をつくした。元禄年中(1688~1703年)に山火事があり類焼、その後、宝永7年(1710年)住職や檀徒の努力によって現在の本堂が建てられたものであり、1400年の歴史をもつ古刹である。
 宝物には、天王寺「什物」国指定重要文化財「経筒」須恵器系「甕」常滑「三筋壺」大百足の骨、伊達藩より拝領物等が展示されている。
    福島飯坂ライオンズクラブ
      昭和63年6月 

 目的のイチョウは、本堂北側一段上の薬師堂前です

 第二駐車場から見ました


 本堂側からの通路を通って観音堂へ向かいます

 説明版です
   延寿観世音菩薩について
 ここ天王寺は、日本四天王寺の一つである名刹である。この壇上にある観音堂には、奥州三十三観音・信達三十三観音共に11番札所として聖観世音様が安置されて居ります。
 この下手に皆様の御協力により「ぼけ除け延寿観世音菩薩」を建立させていただきました、観音様は「衆生救済」の仏様です。
 我共を「ぼけ」から救い、すこやかなる長寿に導いていただけることをねがっています。いまや日本は世界一の長寿国といわれておりますが、呆けたり寝たきりでは決して幸せとは申されません。人生80年、数多く参詣され、線香をささげ煙りを体にたむけて一生懸命念じ、共に白寿までもの長寿を全うしたいものです。
     村島正博 謹書
 
 鐘楼です

 観音堂です

 説明版です
  天王寺観音堂(三済閣)
 天正年間(1573~)伊達政宗公の父、伊達照宗公の寄進により、建立されたものであると伝えられ、別名を「三済閣」とも呼ばれている。
 「三」とは、老・病・死のことで「済」とはこれらを救うという意味である。
 堂内中央には聖観世音菩薩、左手には毘沙門天王、右手には地蔵願主菩薩が奉安合祀されている。
  聖観世音菩薩
 鎌倉時代の高僧 恵心僧都の作といわれる聖観世音菩薩は、香積観音とも呼ばれ、像高約40cm、檜材の素木座像で、古い時代の千手観音と釈迦如来を兼ねそなえた、有難い観音様(宝冠釈迦如来)である。
  奥州三十三観音第11番 御詠歌
   てらさめと にこれる世にも じげんして 草木もともに ちかいもらさず
  信達三十三観音第11番 御詠歌
   説きおける 法のはじめを 天王寺 知るや悟りの 佛ある世に
  毘沙門天王(北方多聞天)
 聖徳太子の御作といわれる等身大の毘沙門天王は、日本四天王の一つで、北方多聞天とも呼ばれている。
 毘沙門天王例祭(毎年旧正月初寅宵祭)には観音堂の前で、明々と燃え上がる火炎を作り、其れをとりまく多くの信者で賑わい、毘沙門天王御開帳には、参拝客が一斉に賽銭を投げ入れる奇祭の一つである。
 昔は、当地で盛んな養蚕信仰の神であったが、現在では、商売繁盛の神様として、飯坂花街の芸姑衆に人気がある。


 目的の大イチョウです


 説明版です
  緑の文化財 天王寺大銀杏(なき銀杏)由来
    福島縣「緑の文化財」登録
     天王寺大銀杏(なき銀杏)
 樹齢約500年「天王寺大イチョウ」として、昭和58年2月、福島縣緑の文化財に登録される。
 此の大木には、数百回も雷が落ちた跡があり、裏側が其れを物語っている。
 また、無風状態で「ギギ―、ギギー」と、ないている様な音が聞こえるので「なきイチョウ」ともよばれ、運に恵まれた方は、その音を聞くことが出来るかも知れません。
 大イチョウの中段には、大きな窪みがあり、そこには大蛇(数mもある青大将)が住みついているとの伝説が残っており、御参拝の方々を御守り下さる天王寺の御神木である。

 根元の祠には

 恵比寿様や大黒様・布袋様等です

 北東側から


 北側の根元から見上げました

 北側から

 北西側から、目通り幹囲5.4mの巨木です

 観音堂脇の西側から

 乳柱も見ることが出来ました

 イチョウの西側の祠です

 板碑です

 そろそろ陽が沈む時間になります、福島市内へ移動しましょう

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福島市飯坂町平野寺前「医王寺のシラカシ」(市指定)です!!

2022-11-14 12:30:12 | 巨樹・大木
 飯坂町平野寺前地区は、福島市役所の北北西約8kmのところ

 国道13号線を北へ、信夫山トンネルを貫けて進みます

 東北自動車道福島飯坂インターチェンジ入口を過ぎて

 福島交通飯坂線の踏切を越えて、約700mで飯坂町原信号を右(北東)へ、県道5号線です

 約650mで道路左に医王寺第2駐車場の案内板を左(西北西)へ入ります

 先の十字路に医王寺の案内板に従て右(北東)へ、医王寺の駐車場へ入ります

 医王寺入口です

 醫王蜜寺です

 

 山門の内側、土塀越に目的のシラカシを見ました

 もう一枚です、目通り幹囲5.5mの巨木です

 天然記念物標柱は、顔貫の陰になってしまっています

 説明版です
    記
 当寺は瑠璃光山医王寺といい平安時代淳和天皇の御代、天長3年(826)の開基で弘法大師御作の薬師如来をおまつりしております。
 当地方を信夫といい、信夫の荘司であった佐藤基治は、治承の昔(1177)大鳥城を居城とし奥州南部の広域を治め非常な権勢を持っていました。信仰心の篤い基治は、御堂を改修し堂塔伽藍を建立し源氏の再興を祈願し一族の菩提寺として寺門を興隆させました。
 やがて平泉の鎮守府将軍、藤原秀衡のもとにあった源義経は平家討伐に向かう時、基治はその子継信、忠信の二人を遣わしました。兄弟は義経の忠義な家来としてめざましい活躍をしたが、惜しくも兄継信は屋島の合戦で能登守教経の矢を受け義経を守る盾となり、また後に頼朝との和を失った義経一行が京都で追手に遭い苦戦に陥った時、弟忠信は義経を名乗って敵を引きつけ主君を逃がし自分は身代わりとなった。その後弁慶等と共に無事に奥州に下った義経一行は、平泉へ向かう途中大鳥城の基治に会い、継信・忠信の武勲を伝えるとともに、当寺に参籠して二人の追悼の法要を営みました。
 時は移っても、後の世まで伝わる継信、忠信兄弟とその妻たちの忠孝に心を打たれた松尾芭蕉や松平定信をはじめとする文人墨客が、香華を手向けております。   合掌
   真言宗 豊山派 瑠璃光山 医王寺

*ネットのシラカシの説明です
  福島市指定天然記念物
    医王寺のシラカシ
 シラカシは、温暖の地方を好む日本固有の常緑広葉樹で、本県では浜通り地方でも所々にその自生がみられます。
 本種は、樹幹が強靭で葉姿が清浄であるために、社寺の境内や屋敷の周りにも好んで植えられ、関東地方以南には巨樹や老木もありますが、東北地方では気候の関係上あまり大木を見ることができません。
 本樹は、寛永年間(1624~1643)の本寺院再建時に植えられたと伝えられる直幹の堂々たる大木で、若々しい様相を呈しています。
 太さは、根回り9.45m、目通り囲5.03m、樹高25m、推定樹齢300年で、樹下の陰面積は96㎡あります。
 東北地方では稀に見る巨樹なので、学術研究の資料及び福島市の自然を記念するにふさわしいものとして天然記念物に指定しました。
 長くこの木の生育を保つために、次のことを守ってください。
      記
 1、樹木の根をふまないこと。
 2、枝を折ったり幹を傷つけたりしないこと。
 3、生育をさまたげるような変更をしないこと。
   昭和41年2月7日指定
    福島市教育委員会
 *広い境内を見るには拝観有料です、日の暮れまであまり時間がないので、今日は拝観せずに次へ行くことにしました

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福島県福島市、飯坂町平野古舘「古舘の大ケヤキ」(市指定)です!!

2022-11-14 06:29:14 | 巨樹・大木
 飯坂町平野古舘地区は、福島市役所の北西約8kmのところ

 市役所前の福島市役所入口信号から国道4号線を南西へ、国道114号の交差点仲間町信号を右(西)へ進みっます

 国道13号線の交差点陣馬町信号の直ぐ先(西側)の信号を斜め右(北西)へ入ります、二つ目の信号から県道3号線です

 また二つ目の信号も県道3号線斜め左へ、JR東北本線の高架を潜ります、真っ直ぐに進んで国道13号福島西道路を潜り

 松川を上松川橋で渡り、東北自動車道の高架を潜り、約1.4kmで横断歩道の有る餃子店の先を右(東)へ細い道を入ります

 リンゴ畑を右に見て間も無く道路左に、「天然記念物 古館の大ケヤキ」の標柱です

 ここを北へ入ると

 正面に「古館集会所」です

 すぐ西側に目的の大ケヤキです

 ケヤキの前の広場に車を止めることが出来ました

 南側から

 説明版です
   福島市指定天然記念物
     古舘の大ケヤキ
 本樹は、稲荷神社の神木として、この地区の人々が保護のために協議決定証書を作成し、明治・大正の頃から現在まで保護してきたため、樹勢旺盛で、枝張り根張りともに充分であり、特に各枝が車輪状に広がっている様子は見事です。
 本樹は、古舘の土塁上に生育しており、ここは空堀などもよく残っていて舘跡としても大変貴重なところです。
  根回り13.7m 目通り囲6.7m
  樹高30.5m 陰面積760㎡
  推定樹齢300年
 このように福島市の自然を記念するにふさわしいものとして天然記念物に指定しました。
 長くこの木の生育を保つために、次のことを守ってください。
    記
 1,幹を傷つけたり枝を折ったりしないこと。
 2,育成をさまたげるような変更をしないこと。
   昭和47年5月2日
    福島市教育委員会

 赤い鳥居の稲荷神社です


 鳥居下から太い幹を見上げました

 ケヤキの根元に稲荷神社の祠です

 南西側から

 西側から

 稲荷神社の鳥居から上がって東側から

 北東側から

 北側は堀になっていて見えないので、北側へ車で移動しました

 リンゴ畑の細い砂利道から大ケヤキの北側を見ました

 幹は見えませんでしたが巨大な樹冠はわかりました

 では、次へ行きましょう
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福島県福島市、笹谷下横堀「愛宕神社のヒイラギ」(市指定)です!!

2022-11-13 18:31:43 | 文化財・樹木
 笹谷下横堀地区は、福島市役所の北西約7kmのところ

 市役所前の福島市役所入口信号から国道4号線を南西へ、国道114号の交差点仲間町信号を右(西)へ進みっます

 国道13号線の交差点陣馬町信号の直ぐ先(西側)の信号を斜め右(北西)へ入ります、二つ目の信号から県道3号線です

 また二つ目の信号も県道3号線斜め左へ、JR東北本線の高架を潜ります、真っ直ぐに進んで国道13号福島西道路を潜り

 松川を上松川橋で渡ると、大東銀行笹谷支店先に信号を左(西)へ道成りに進んで

 東北自動車道と東北中央自動車道のの高架を潜ると、

 間も無く緩いカーブの内側にヒイラギです

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 天然記念物標柱です

 説明版です
  福島市指定天然記念物
    愛宕神社のヒイラギ
 ヒイラギは、暖地性の常緑広葉樹で極めて成長の遅い樹木であるため、巨樹になるためには幾久しい年数が必要になります。また、その葉は厚くて硬く、若木では大きな歯牙があるので、昔から厄除けの木として門や屋根さされたり、門の両側に植えられたりしました。
 本樹は、建物建立当時、神社の鬼門(東北)に魔除けとして植えられたものだと言われています。また、古くから愛宕神社の神木として親しまれ保護されてきたために、本幹も枝張りもよく整い全国的にもまれにみる巨樹となりました。
 太さは、根回り周囲4.7m、目通り囲2.55m、樹高約12m、樹齢500年で、枝下の陰面積は113㎡あり、樹姿、樹冠もまた特殊の美観を有しています。
 長い間成長してきたこのヒイラギも次のことを守りながらいたわってください。
      記
 1,樹木の幹にふれないこと
 1,枝や葉を切り取らないこと
 1,生育をさまたげるような変更をしないこと
   昭和38年12月13日指定
     福島市教育委員会

 南側から

 境内南端から見ました

 西側(社殿脇)から

 北西側から

 愛宕神社社殿は、東向きに鎮座します

 では、次へ行きましょう
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福島県福島市、町庭坂上清水「清水観音の大モミ(市指定)と霊木千手のもみ」です!!

2022-11-13 12:31:17 | 巨樹・大木
 町庭坂上清水地区は、福島市役所の西約10kmのところ、福島盆地の西端から少し登ったところです

 市役所前の福島市役所入口信号から国道4号線を南西へ、国道114号の交差点仲間町信号を右(西)へ進みっます

 国道13号線の交差点陣馬町信号からは県道310号線となって更に西へ、

 陸橋でJR東北本線を越え東北新幹線の高架を潜ると突き当り信号を右(北)へ、また直ぐの信号を左(西)へ、
 
 道成りに進み国道13号福島西道路の高架を潜り、まだまだ県道310号線を進みます、東北自動車道の下を潜り、山形新幹線の踏切を渡ります

 県道3号フルーツラインの信号を超えると市道に変り道幅が狭くなります

 道成りに北西へ、大善集落で「福島植物園」の案内板のところを左(西)へ鍵の手に曲がって進むと福島西部広域農道の交差点を越えます

 道成りに進むと「清水観音堂300m」の案内板があります

 南東向きの参道入口です

 参道西側の墓地の駐車場を利用させて頂きました

 参道には、石塔が並びます

 参道の両側に、モミノキが在ります

 左側のモミの大木です

 右側のモミノキが目的の巨木です


 天然記念物標柱です

 説明版です
  福島市指定 天然記念物
    清水観音の大モミ
 モミは、日本特産の常緑針葉樹で、深根性であるから、土質が深く適当な湿気を含む傾斜地を好む傾向があります。
 材質は軽軟で辺材と心材の区別がなく淡黄白色又は淡黄褐色なので、天井板、戸板器具類、碁盤、将棋、太鼓の胴などに用いられます。一般に短命性なので古木や老木は少ないものでありますから、本樹のような巨樹古木は貴重なものです。
 この大モミは、根回り8m、目通り5m、第一枝下は5mで、樹高は約38mあり枝張りは東西へ9.6m~10m、南北へ11.5m~8.4m広がり、枝下の面積は約30.0㎡あります。
 福島市現存のものでは、茂庭の白鳥神社の大モミと共に一番太いモミで樹齢は、約350年~400年と推定されます。
 (白鳥神社のモミは、切り株になっています)
 枝張りも充分であり、見事な樹容を呈しているので、学術研究の資料及び福島市の自然を記念するにふさわしいものとして、天然記念物に指定されました。
 長い間生育してきたこの大モミを、つぎのことを守りながらいたわってください。
   記
 1,枝を折ったり幹を傷つけたりしないこと。
 2,生育をさまたげるような変更をしないこと。
    昭和45年11月13日指定
      福島市教育委員会
 
 南西側から

 西側から

 では、参道石段を進みましょう

 中段から振り向いてモミノキを見ました

 山門は鐘楼門(仁王門)です

 山門を潜った境内石垣の端に杉の大木です(南西側から)

 北側から

 観音堂前からから

 信達三十三観音第八札所 観音堂です

 観音堂本堂です


 説明版です
  恭惟 信達札所第8番 清水観世音之御本体は、千手千眼観世音菩薩なり。 
  今を去る凡そ1176年の昔、行基菩薩の御作、徳一大師御開眼、京清水観世音と同木同作にして、征夷大将坂上田村麻呂将軍の守り本尊なりと、蒦記に見ゆ。
 人皇50代桓武天皇、大同年間、田村麻呂をして東国の賊を討たしめ賜う。将軍命を奉じ、討伐の軍を進め、日夜信仰深くし、御守の観世音菩薩を陣中至心に念ぜしに、霊験即ち現し観世音菩薩空中に出現し在し、千の御手より、千の箭を放ち給いけるに、さしも強大なりし凶賊も直ちに鎮定することを得たりき。
 将軍、軍を纒めて凱旋上洛の途次、この地に至りしに不思議なるや、大悲の尊像微動だにせられ給はざること恰も大磐石の如し。その夜、観世音菩薩夢に告げて曰く、我この地に因縁有り、永く留まりて普く衆生を利済せんと。
 茲に於て、将軍一宇を建立し、以て尊像を安置し奉れり、現観世音即ちこれなり。
 爾来歳有り幾百春秋、普く諸人信仰の霊地なり、噫時なるや、適、天文の頃(約450年前)山火事あり、此の惜しむべき将軍建設の堂宇は一朝にして焼失せり、然りと難も、大悲の尊像のみは獨り猛火を篭い出て給いその災いを受け給わりき、そして霊験今に盡るなり。
 当山6世梅国魁樹?和尚山火を慮り。寛政年間(約200年前)現奥の院及び石造の御堂を建立す。
 同11世瑞巖桂芳和尚当寺壇越 十万有縁信心の施主を勸發し各位寄進の浄財に基き、陰3月18日例祭の因み大般若一会を厳付し以て、今上天皇陛下、聖壽萬歳を祝祷し奉り、次に各々施主の家門繁栄、子孫長久、萬難消滅、諸願成就、諸縁如意吉祥の祈祷を修行し是を永代とし永代大般若講と稱す、時に天保3年にして現昭和7年に至る、正に100年を閲す、仍ち正和年例祭当日講中各位と相謀り100年記念とし、更に講員の勸發と共に各位信心施主の御助勢を忝し倍旧の盛と永久の続行とを祈願するの信念より、茲に伏して篤志の浄財を仰ぎ発願の圓成を・すものなり。
  昭和60年陰3月18日
   清水17在現住 素嶽 誠・
*旧仮名遣いを変更・一部読めない文字が在ります

 境内北東側には、大黒様です

 恵比寿様

 布袋尊

 滝の流れのそばには、お不動様です

 観音堂の西側に「霊木 千手のもみ」です


 標柱です

 根元から見上げました

 では、次へ行きましょう

 
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福島県福島市、杉妻町「板倉神社のケヤキ」です!!

2022-11-13 06:28:37 | 巨樹・大木
 福島市杉妻町は、福島県庁のすぐ東側です
 
 県庁の駐車場を利用させて頂きました

 阿武隈川の川沿い北東向きに板倉神社が鎮座します

 縣社 板倉神社社號標です

 境内に上がって阿武隈川の大仏橋を見ました

 新しくなった拝殿は、逆光になってしまいました

 本殿です

 説明版です
  ふるさとの歴史を残そう、福島藩板倉氏
   ■福島城と板倉氏
 蒲生氏や上杉氏の支城であった福島城は、延宝7年(1679)より独立した福島藩が成立し、本多氏(1679~1682)堀田氏(1686~1700)の支配を経て板倉氏が3万の領地を支配した。
 福島城板倉氏初代藩主は板倉重寛で、元禄15年(1702)12月に信濃国坂城の領主から移封され、それ以降167年間、明治2年(1869)まで12代にわたり板倉氏の藩主が続いた。
 領地は信夫郡の内23ケ村、伊達郡の内8ケ村を統治し、その他上総(千葉県)と三河(愛知県)に分領があった。
 板倉氏の長きにわたる支配を通じ、現在の福島の町の基礎となった福島城と、その城下町の町割形成などが完成した。
   ■板倉神社
 板倉神社には藩祖である板倉重昌(1588~1638)と板倉重矩(1617~1673)父子が祀られている。
 島原の乱において総大将であった重昌公は、寛永15年(1638)総攻撃により討死したが、遺志を引き継いだ重矩公の働きは幕府軍の勝利に大いに貢献した。
 ここ板倉神社は、勝負運の神様で受験生の信仰を集めている。また、福島藩板倉家は幕末までの長きに渡り当地を治め、繁栄させたことから領民との絆も深く、縁結びや商売繁盛にもご利益があるという。
   ■板倉氏支配時代の福島城内堀と外堀
 現在の県庁舎(西庁舎・本庁舎・東庁舎)と第一小学校、福島議員会館を取り囲むように土塁がめぐらされ、その上に鉄砲狭間158の窓をもつ塀が建てられ、その外側に深い水濠が掘られていた。郭内総坪数は75790坪もあった。
 外濠は今の天神橋あたりから、荒町の裏通り(東裡)を北上し、平和通り、水道局を経て、三井ビル北側あたりから北町中側南~長楽寺北を通り阿武隈川につながっていた。
   福島中央ライオンズクラブ


 社務所再建の説明版です
  歴史を継承し、新たな文化の創造へ
   板倉神社社務所再建について
 東日本大震災(2011年)により甚大な損傷を被り、明治10年に創建された歴史と由緒ある社殿(本殿・拝殿)の解体を余儀なくされましたが、関係各位の格別なるご厚意より兵士絵25年(2013)4月に見事に再建されました。同じく壊滅的な損傷により解体に至った社務所棟の再建については、なかなか目途が立たない状況でありましたが、震災から5年を経過して、ようやく整備計画が整い再建の運びとなりました。
 板倉神社境内の整備により、かつて賑わいがあった隅畔の復活を目指し、御倉邸等などの市内名所と連携した新たな散策拠点として整備し、福島市の礎を築いた板倉家の歴史や功績を伝えることができる社務所として再建することが板倉神社総代会ならびに板倉温故会の総意となっています。
 現在、福島市ふれあい歴史館の閉館に伴い、板倉神社所蔵の歴史資料(福島市に寄託収が仮保管されておりますが、広く一般市民に公開されていない状況にあります。寄託資料は、約160年におよぶ板倉家の福島藩主時代をはじめ、太祖板倉勝重、藩祖板倉重昌に関する貴重な資料等、近世から近代に至る福島市の歴史を明らかにするうえで極めて重要な資料であり、市民共有の財産として積極的に市民へ公開し、歴史教育等に大いに活用することが求められており、このたびの社務所再建から、将来的な歴史博物館の整備気運が高まることを期待するものです。
   ~板倉神社総代会・板倉温故会~
 *境内西側に新しく作られるようです

 本殿南側に印塚です


 
 目的のケヤキは、道路北側の杉妻稲荷神社の前に在ります

 南東側から、紅葉が綺麗になっています

 南側から、横倒しの様になっていますが目通り幹囲5.0mの巨木です
 
 南西側

 西南西側から

 西側から

 北西側から

 北側から見ました

 福島城と城下町の案内板です
   二の丸御外庭
 紅葉山公園一帯は、福島城の二の丸御外庭で、福島藩主板倉重寛が池、茶屋、築山などを設けました。
 池は、三河国八ッ橋(愛知県知立市八幡町)のかきつばたの名所をまねてつくった言われています。

 杉妻稲荷神社鳥居です


 社殿です

 説明版です 
  ふるさとの良さを見つけよう
   〈寺社仏閣〉杉妻稲荷神社
 この神社は、いま福島市役所分庁舎となっている元郵便局の北通りに、杉妻城(福島城)の艮(東北)の守りとして西向きに建っていたといわれる。つまり、行止まりだったのが、郵便局の建設と道路の開さくのため、明治の初めに現在地に移されたものである。
 単に杉妻社、杉妻明神ともいわれ、杉妻の里の産土神として崇敬されてきた。建物は天保11年(1840)の再建であるがこれよおり先の享保21年(1736・元文元年)3月には、神祇管領から、正一位を贈られたほどである。
 小堂ながら、中に画家一明斎の絵馬や、文人金沢椿山の書などが奉納されていて、信仰の厚さと広がりを示している。
    ディスカバー・マイカントリー
    福島信夫ライオンズクラブ
 

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福島県福島市、松川町浅川神前「富士神社のイタヤカエデ」(保存樹)です!!

2022-11-12 18:28:43 | 巨樹・大木
 松川町浅川神前地区は、福島市役所松川支所の北約3kmの(福島市役所の南約9km)ところ

 松川支所の北側県道52号線を西へ、松川駅入口信号を右(北)へ県道114号線です

 JR東北本線下りの線路を越えて、東北本線上りの高架橋を潜ると、信号を一つ越えた金谷川郵便局前の信号を右(北東)へ

 間も無く左に、富士神社が北東向きに鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 境内入口です

 拝殿前に目的のイタヤカエデです


 福島市指定保存樹標柱です、文面には・・・樹高25.0m、幹周4.00mと有りますが、樹高は半分以下に伐られてしまっています

 東側から

 南東側から

 本殿です

 本殿の並びには、木花咲耶比女命奥津社の標柱と祠です

 境内南端には祠が並びます

 北端には雷神や須佐之男大神・蠶養神等の大きな石塔が並びます

 拝殿前から

 北側から見ました

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福島県福島市、松川町浅川平石「聖観音堂のヒイラギ」(市指定)です!!

2022-11-12 12:28:34 | 文化財・樹木
 松川町浅川平石地区は、福島市役所松川支所の北北東約2kmの(福島市役所の南約10km)ところ

 松川支所の北側県道52号線を西へ、松川駅入口信号を右(北)へ県道114号線です

 JR東北本線下りの線路を越えて、東北本線上りの高架橋を潜ると次の信号を右(北東)へまた直ぐの交差点を右(南東)へ

 道成に進んで約600mを右へ入り(浅川聖観音堂の標柱があり)ます

 東北本線上り線の下を潜ると左手に聖観音堂が見えます

 参道入口に車を止めさせて頂きました

 南西向きに参道入口です

 参道右手に目的のヒイラギです


 福島市指定保存樹標柱です、文面には・・・ 樹高10.0m、幹周2.30mの表記が有ります

 南東側から

 南側から

 北西側から

 北側から見上げました
 
 参道脇には如意輪観音や

 石塔や

 石仏

 庚申塔等が並びます

 聖観音堂です

 聖観音堂前からヒイラギを見ました

 聖観音堂の裏側には、三十三観音が並んでいます

 聖観音堂の東側のJR東北本線上り線を電車が通過しました

 では、次へ行きましょう
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福島県二本松市、舘野「舘野のイチョウ」(市指定)です!!

2022-11-12 06:28:48 | 巨樹・大木
 舘野地区は、二本松市役所の南西約4kmのところ

 国道4号二本松バイパスを郡山方面(南)へ、杉田信号を右(西)へ県道368号線です

 約500mで交差点を右へ、北から西に向いて右へ谷の奥へ進みます


 奥の丘の上にイチョウの樹冠が見えて来ます

 山裾を西へ進むと近付けません

 イチョウは、赤い屋根の住宅の北東側の倉庫の裏側に立っているようです 

 東側山裾に車を止めさせて頂きました

 道路からここを登ります

 目的のイチョウが見えました

 倉庫の裏側に太い幹が見えました

 目通り幹囲6.9mの立派な巨木です、樹冠がようやく黄葉し始めたところでした

 *無理やり変な所から登ったようなので、これ以上お邪魔しないように帰りましょう

 では、次へ行きましょう

 
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