ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県横手市、大森町西百目木「銀杏の大木(西百目木のイチョウ)」(市指定)です!!

2022-11-06 18:31:29 | 巨樹・大木
 大森町西百目木地区は、横手市役所の北西約16km

 横手市役所大森地域局の北約6kmのところになります

 県道36号線を北へ6.4km進むみ、西百目木集落に入って直ぐの十字路を左(西)へ入ると

 間も無く右手道路脇に

 「大森町指定文化財 銀杏の大木」の文化財標柱が建っています

 *大森町は、平成17年(2005年)10月1日 に旧 横手市・増田町・平鹿町・雄物川町・十文字町・山内村・大雄村と合併し、横手市を新設しました。

 目的のイチョウは、住宅の敷地の中です、前の道路脇に車を止めさせて頂きました 

 南東側から、住宅の敷地の中にイチョウの大木です

 垣根超しに見えました

 太い幹です、目通り幹囲6.4mだそうです

 西側へ廻って見ました

 住宅の後ろ側からイチョウの西面が見えました

 *コロナ過のため、住宅内へはお邪魔できませんので、垣根越に撮影させて頂きました_(._.)_
 *ネットの「横手の巨樹・古木」によると、「百目木の鴨脚樹」 旧大森町 イチョウ
 横手市大森町板井田字西百目木。樹高約20m。樹齢約450年。横手市指定天然記念物。岸家の屋敷木である。
 菅江真澄の「雪の出羽路」に「岸氏あり・・・庭に年経る鴨脚の木(イチョウの葉がカモの脚の形をしているところから)あり」と記されている。
 この家が当地に定着したのが天文~弘治(1532~58)の頃、イチョウもその頃に植えられたと考えられ、江戸時代後期には既にかなりの大きさになっていたという。

 では、次へ行きましょう
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秋田県大仙市、杉山田釜の沢「月山神社のトチの木とブナの原生林」(市指定)です!!

2022-11-06 12:30:14 | 巨樹・大木
 杉山田釜の沢地区は、大仙市役所の西北西約22kmのところ

 大仙市役所西仙北庁舎の西南西約8kmのところです

 大仙市役所西仙北支所の西約8kmのところに強首温泉があります

 県道10号本荘西仙北角館線を北西へ、強首入口信号を左(西)へ刈和野橋で雄物川を渡ります

 ここから約8kmを秋田自動車道を潜って道成りに県道10号線を進みます

 出羽グリーンロードの交差点を過ぎると間も無く県道10号線は左(南)へ杉山田集落の中へ

 鍵の手に曲がって進むと、右手に雄物川への新しい水門が見えます

 向かい側に鳥居です、北向き参道で北東向きに月山神社が鎮座します

 鳥居前に車を止めさせて頂きました

 月山神社の社號標です

 説明版です  
  杉山田月山神社由緒    
   (大仙市杉山田字釜の沢) 
  御祭神月夜見大神(月夜見命)
 文治2丙午年【1186年ひのえうま年】四国屋島壇ノ浦より、当村伝助移住の際、同人氏神として遷座したものであって、76年間住宅ににて奉祀する。
 御神体は座禅観音で合金製高さ5寸程。
 その後、村民漸次(次第に)多くなるや、弘長元辛酉年【1261年かのととりどし】杉野沢松ノ沢(現在地:後田119~4番地)に移築する。
 後、社殿浸水により尊厳を害する恐れがあるので村民奉遷(よそへ移す)の儀につき、南方高台が最適地である旨、奉遷宮を決議し、此の処に元文5年庚申年【1740年かのえさる年】頃、奉祀の社殿を奉遷する。
 天文5丙申年【1536年ひのえさる年】月山大権現再築
 慶安3庚虎年【1650年かのえとら年】奉造営月山大権現
 宝永7庚虎年【1710年かのえとら年】再建月山大権現
 文化2乙丑年【1805年きのとうし年】建立月山大権現
 万延元庚申年【1860年かのえさる年】奉崇信神璽正位一位月山月夜見尊
 明治3年庚午年【1870年かのえうま年】大教宣布(明治天皇より出された詔書)
 昭和39年甲辰年【1964年きのえたつ年】現在地に再建現在に至る
  市指定天然記念物 (大仙市杉山田字釜の沢132~1番地)
   【ブナ原生林 元宮の跡、西側に自生】
   【トチの木 元宮跡地に向かう参道傍に自生】
  昭和57年12月13日
  大仙市教育委員会(旧西仙北町教育委員会)
  

 「大仙市指定文化財 月山神社のブナの原生林・トチの木」の標柱です、文面は・・・
 ブナがまとまって自生しているこの林は、現在の月山(がっさん)神社(大仙市杉山田字釜ノ沢)から更に登った月山頂上の西側斜面ににある。また、トチの木は、月山の中腹にある現在の月山神社から旧神社跡へ向かう旧参道のそばに自生していて、西仙北地域では最も太く、珍しい大木である。
 

 では、杉並木の参道を進みましょう
 *参道の脇だけは以前のままのようですが、その外側は遊歩道建設のため木々が伐られてしまっています

 石段を上ります

 手水舎です

 社殿です

 社殿右手脇から杉林の中にトチの木が見えました遊歩道設置のための布の付いた杭が立っています

 中段から見上げました

 下側から見上げました

 東側から、旧参道はトチの木の根元を通っています

 近づいて見上げました、目通り幹囲5.4mの巨木です

 南側から見ました、二股に分れた大枝が印象的です

 旧参道とは別に遊歩道が出来るようです

 伐り払われた上側(南側)から

 南西側の旧参道から見ました


 さらに石段を進みます

 標高88mの頂上には旧月山神社の社殿です

 西側にはブナの原生林です

 多くのブナが見られます



 ブナの大木です

 では、次へ行きましょう
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秋田県大仙市、強首「強首温泉 樅峰苑のモミ群」(市指定)です!!

2022-11-06 06:29:22 | 巨樹・大木
 強首地区は、大仙市役所の北西約22kmのところ

 大仙市役所西仙北支所の西約8kmのところに強首温泉があります

 県道10号線を北西へ、強首入口信号を左(西)へ刈和野橋で雄物川を渡ります

 約1kmで表示版に従って県道113号淀川北野目線で秋田空港・雄和方面へ道成りに進みます

 約6kmで強首橋の手前の表示版に従って強首へ左斜めに下ります

 道成りに進み長養寺先の交差点を左(西)へ進むと右手に「強首温泉 樅峰苑」が在ります

 鬼首輪中堤の説明版です
  水害の解消!永年の悲願が現実に・・・
 鬼首地区一帯は、そのほとんどが無堤地区となっており、雄物川の洪水のたびに氾濫を繰り返してきた水害常襲地でした。
 地域の財産や命をも奪い去る恐ろしい水害に住民は常に不安を抱いて暮らしていたのです。そこで、一日でも早くこの地区を水害から守るために、集落の周囲「輪中提」整備事業が行われました。
 これは、従来の堤防整備の方法をとると延々15kmもの堤防を築かなければその効果を発揮できない地形のためです。
 そして、平成14年10月「輪中提」完成により鬼首地区は水害の不安から解放されました。
 地域住民の永年の悲願が現実のものとなり、ゆとりと安らぎの日々がよいやく訪れたのです。
   国土交通省東北整備局 
   湯沢工事事務所
   秋田県・西仙北町(西仙北町は、平成17年に周辺市町村との合併により大仙市となりました)

 *完成してからまだ20年しか経っていません

 強首温泉 樅峰苑の門です


 文化財標柱が三本立っていて、その内の一本が「モミ群」です、文面には・・・
「このモミの木群は、小山田家が元禄の始め、今の強首に定着した頃に植えられたらしい。特に群生していることはめずらしいのである。
 モミの木は、その昔、神社・仏閣・由緒ある家でなければ植えることができないものであった。
 平成3年9月28日の19号台風で被害を被った。」


 小山田治右衛門家の文化財安内板です


 旅館の建物です

 駐車場入り口からモミノキの梢です
 
 駐車場から見えました

 旅館建物前の先にモミノキです


 南側の道路から見ました、合計4本のモミノキの大木が在るようです

 では、次へ行きましょう

 
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秋田県大仙市、刈和愛宕町「愛宕町のエノキ」(市指定)は消えていました!!

2022-11-05 18:32:55 | 巨樹・大木
 ここからは、2022年9月29日取材分です

 刈和愛宕町は、大仙市役所の北西約15kmのところ

 大仙市役所西仙北支所の直ぐ南側の地区です


 JR奥羽本線かりわの駅まえの観光案内板です

 *このブログの2022年8月6日に紹介させて頂いた「ばっこ杉」が右上に表示されています


 駅の並びの建物は、国指定重要無形文化財「刈和野の大綱引き」で使われる「綱」が展示されています

 北西側から戻る様に左(南)へ、突き当り正面に西仙北支所の建物です


 西仙北支所前から建物の西側の道路を南へ、突き当りの右側に

 「大仙市指定文化財 エノキ」の標柱です


 根株を残して無くなってしまっています

 *Googleストリートビューでは、2012年9月の画像に大きなエノキが映っていましたので残念です


 直ぐ東側には「刈和野御本陣跡絵図」の説明版が有ります、昔からの交通の要所だったようです

 では、次へ行きましょう
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秋田県秋田市、寺内大小路「旭さし木」(市指定)です!!

2022-11-05 12:29:17 | 巨樹・大木
 寺内大小路地区は、秋田市役所の北西約3kmのところ

 山王大通りを西へ、児童館前信号を右(北)へ、面影橋信号を左(北西)へ道成りに進みます

 秋田消防本部土崎消防署寺内出張所を過ぎた神明社前を左(西)に入ります

 50m程の右側路地の奥に目的の「旭さし木」が見えました

 道路脇に車を止めて、路地へ入ります

 南側から、目通り幹囲7.0mの巨木です

 「秋田市指定文化財(天然記念物)旭さしき(けやき)」の標柱です、文面は・・・
 市内にあるけやきの中で最も古いとされ、推定樹齢1200年といわれており、本樹にまつわる伝説も多い。
 根本周囲約7.3m、樹高20mで片側が空洞となっている。
 明治19年(1886)の俵屋大火で類焼を受けたが枯死を免れ、その後徐々に樹勢を回復して枝葉を繁茂させている。
    昭和48年(1973)指定

 西側から

 では、そろそろ日の入りの時間です明日の準備のために、大仙市まで移動します

 国道13号線を南東へ進んで「道の駅かみおか」で車中泊としました

 
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秋田県男鹿市、北浦北浦杉原「瑞光寺の大ケヤキ」です!!

2022-11-05 06:29:31 | 巨樹・大木
 北浦北浦杉原地区は、男鹿市役所の北西約13kmのところ

 男鹿半島の北側に当たります

 県道59号男鹿半島線を東へ、国道101号線との五差路信号を左(北西)へ国道へ入ります

 約3km船川港仁井山信号を左へ「なまはげライン」へ入ります

 道成りに約7.3kmなまはげ直売所の十字路を右(北)へ、坂道を約2km下って北浦の街へ入ります

 突き当り(変形十字路)を左(北西)へ道成りに200mの右カーブを左へ入ります

 道成りに上へ進むと、北側から車で境内に入る事が出来ました

 南東向き参道で妙心寺が有ります

 *訪問した時には境内に重機が入って樹木の伐採などの整備作業が行われていました

 山門です

 臨済宗 妙心寺派 瑞光寺です

 六地蔵様です

 鐘楼です

 本堂です

 参道右手境内に目的のケヤキです

 南側から、目通り幹囲6.9mの巨木です

 東側から

 北東側から

 北側から見ました

 *3年前のネットの画像では、沢山の枝を広げた姿が見られましたましたが、残念な姿になってしまっています

 では、次は秋田市内へ行きましょう

 
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秋田県男鹿市、北浦真山水喰沢「真山神社の榧」(県指定)です!!

2022-11-04 18:30:49 | 巨樹・大木
 北浦真山水喰沢地区は、男鹿市役所の北西約11kmのところ

 県道59号男鹿半島線を東へ、国道101号線との五差路信号を左(北西)へ国道へ入ります

 約3km船川港仁井山信号を左へ「なまはげライン」へ入ります

 道成りに約7.3kmなまはげ直売所の十字路を左(南西)へ坂道を上って行くと 

 大きな鳥居を過ぎ、観光施設の「なまはげ館」の前を過ぎて、真山神社の駐車場に入ります

 真山神社は東北東向きに鎮座します

 境内案内図です、目的の榧は右側に「榧大樹」として描かれています

 参道入口です

 手水舎です

 説明版です
   男鹿真山神社縁起
  御祭神 主祭神 天津彦火瓊瓊杵命(あまつひこほににぎのみこと)
          武甕槌命(たけみかづちのみこと)
      合殿神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
          豊受大神(とようけのおおかみ)
          豊玉毘女神(とよたまひめのかみ)
          少彦名神(すくなひこなのかみ)
          大山咋神(おおやまくいのかみ)
          大名持神(おおなもちのかみ)
          賽神三柱神(さいのかみみはしらのかみ)
 ■由緒沿革
 社伝によれば景行天皇の御代、竹内宿禰が北陸地方諸国視察のため男鹿半島に下向の折、涌出山(わきいでやま、現在の真山、本山)に登って使命達成と国土安泰・武運長久を祈願して、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀ったのが始原とされる。
 平安時代以降仏教の伝播が男鹿へも至り、貞観年中には慈覚大師によって涌出山を二分し、北を真山、南を本山としたと伝えられる。
 以来修験の信仰が昴り、天台僧徒のによって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合された。
 南北朝時代には真山別当光飯寺は真言宗に転じ、支配も東北豪族の安部氏、清原氏、藤原氏と移りながらも、その庇護のもとに修験霊場として一山繁栄を誇った。
 江戸時代には国内十二社に指定され、佐竹候の祈願所として数々の寄進崇敬とともに、幾多の堂塔伽藍が営まれてきた。
 明治維新後は神仏分離令によって元の神域複し、名も赤神神社から真山神社と改められた。明寺14年には県社に列格され、ますます深厳な境内を維持してきた。
 平成3年9月、台風による烈風で多くの老杉が倒れて甚大な被害を受けるも、7年間の復興事業で境内整備が完工した。
 ご本殿は今なお真山山頂に鎮座し、国家安泰、五穀豊穣、海上安全、勝運の守護神として崇敬されている。
 ■柴灯祭(せどまつり)
 本社の特異神事であるこの祭りは、正月三日夕刻境内に柴灯を焚き、この火によってあぶられた大餅を、お山に鎮座する神に献じ、その年の村内安全、五穀豊穣、大漁満足、悪疫除去を祈る祭儀である。
 なまはげはこの神の使者「神鬼」の化身といわれ、長治年中より行なわれてきた。
 また毎年2月の第2金・土・日には「なまはげ柴灯祭り」として当神社を会場に開催される。この時神鬼に献じられる餅は、護摩餅(ごまのもち)と称され、災難除去の護摩符として氏子参詣者に頒賜される。厳寒の宵に斎行される神秘な神事で、冬の東北五大雪祭りの一つとして広く知られている。
 ・・・例祭日等略


 仁王門です

 阿形像です

 吽形像です

 参道石段を上がります

 丸木舟が祀られています

 拝殿です

 本殿です

 本殿北側には注連縄が巻かれ杉の大木です

 榧へ向かいましょう

 細い歓喜天社への参道を進みます

 左奥の祠には弘法大師像があるようです

 手水舎は「真山神社神水」です

 歓喜天社です説明書きには「歓喜天堂、歓喜天は仏教の守護神で形像は象顔人身の単身と双身がある。この御神体は双身で男女和合の姿を表し、縁結び、夫婦和合、子宝、商売繁盛の神として信仰が厚い。」と記されています

 目的の榧の大樹です

 東側の幹を見上げました

 説明版です
  榧の木
   所在地 男鹿市北浦真山
 往昔、名刹であった光飯寺のの庭に、慈覚大師がお手植えされたと伝えられる樹齢千百余年の名木である。
 根元の周囲4m、樹高11m、枝が四方へ伸び広がり東西24m南北18mと鬱蒼と茂っている巨木で、真山の永い歴史を象徴といえよう。
 昭和29年秋田県天然記念物に指定されている。
  「いにしえの 光飯寺の跡とめくれば 樹齢千数百年の 大木の榧」結城哀草果
   結城哀草果は、歌人・随筆家、山形市生まれ、農業に従事しつつ作歌に励み、1914年(大正3)「アララギ』に加入、郷土出身の斎藤茂吉に師事した。
 歌集『山麓(さんろく)』(1929)、「魑魅」(1935)などで東北農民の哀歓を詠じている。『村里生活記』(1935)随筆も書き、地方文化の発展に寄与したそうです)

 南東側から

 南側から

 南西側から

 西側から見ました

 カヤの実が沢山付いていました


 北側道路から見上げました

 説明版です
   光飯寺跡
 遍照院光飯寺は廃滅して、今は礎石のみである。
 建立は、平安時代末期(1100年代)と伝承されており、仏教の伝播に伴って、秋田及び男鹿地方における信仰の聖地となった。その後、天台から真言宗に転じるなど変遷の道をたどり、修験の霊場として名を馳せるが、別当光飯寺は、陸奥の安倍氏、橘氏、安東氏、佐竹氏と歴代にわたる崇敬と被護を得て、繫栄をきわめた。とりわけ安東氏など中世領主は、海上の要地としての男鹿に早くから進出し、航海安全、領国の民生安定などの祈願のため、光飯寺の堂塔造営と修復を行っている。
 明治の廃仏毀釈により廃寺となり幾多の寺宝は散失してしまったという。
    男鹿市教育委員会
 
 「菅江真澄の道」説明版です
   光飯寺宝物(男鹿の春風)
 文化7年(1810)4月10日遍照院光飯寺にいくと、寺宝を出してみせてくれた。明沢(妙沢)作の不動尊等がある。弘法大師自筆の自画像は古びていた。出山の釈迦仏は雪舟が描いている。中国人の描いたという釈迦仏の画あり、また石摺りの不動は慈覚大師の作である。
 弘法大師が口、手、足などで書いたのを、五筆の心経といって一巻にしている。また、光明皇后の筆跡で大般若経や、蜀錦のきれに描いた阿羅々仙人が囲碁をしている図がある。なお、面が二つあり、一つの面は秘蔵のもので雨乞いの時にだけ、神主がこの面をかけて舞う。また、もう一つの面は丹塗りの天狗の面で、雨あげの時これをつけて舞う。
 小さな塔の中に鳳凰石に刻んだ雪山の釈迦像は、修行中、乏しい穀物ばかりをとっていたために痩せたお姿である。爪石、雷杖(石器)などがある中で、蓬華石というのは、ふきのとうでも化石したようだ。礱(すり臼)がある。また、西王母の桃の核だといって出して見せてくれた。
 安部貞任の所持した軍配扇もあるが、ずいぶん古びている。この寺の庭の隅に大鐘がかけてある。刻文に「康安二年(1362)六月朔日」とあって、四百年余の昔が偲ばれた。


 では、次へ行きましょう 
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秋田県男鹿市、福米沢福米「「福米沢熊野神社のイチョウ」(保存樹)です!!

2022-11-04 12:30:04 | 巨樹・大木
 福米沢福米地区は、男鹿市役所の北北東約15km(男鹿市役所若美庁舎の北約4km)のところ
 
  県道59号男鹿半島線を東へ、国道101号線との五差路信号を右(南東)へ国道へ入ります

 海沿いを東へ生鼻崎第二トンネルを貫けると、寒風山県道54号の標識で左(北)へ県道54号男鹿琴丘線を進みます

 JR男鹿線の踏切を越えて約6km北へ道成りに進み右手に男鹿市役所若美庁舎を過ぎ約2kmで

 男鹿市立美里小学校を右に見てから北へ1.8km福米沢集落に入って左(西)へ

 間も無く左手に熊野神社が東向きに鎮座します、参道脇に車を止めさせて頂きました

 参道入口です

 村社 熊野神社です

 狛犬です

 入口左に目的のイチョウです

 東側から

 北側から

 保存樹標柱です

 西側から見ました

 参道石段を上りましょう

 社殿です

 では、次へ行きましょう
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秋田県男鹿市、鵜木「鵜木稲荷神社の親杉」(保存樹)です!!

2022-11-04 06:29:33 | 巨樹・大木
 鵜木地区は、男鹿市役所の北東約12km(男鹿市若美庁舎の直ぐ北側の地区です)ところ

 県道59号男鹿半島線を東へ、国道101号線との五差路信号を右(南東)へ国道へ入ります

 海沿いを東へ生鼻崎第二トンネルを貫けると、寒風山県道54号の標識で左(北)へ県道54号男鹿琴丘線を進みます

 JR男鹿線の踏切を越えて約6km北へ道成りに進み右手に男鹿市役所若美庁舎を過ぎると

 角間境集落に入って直ぐの十字路を左(北西)へ、間も無く左手に鵜木稲荷神社が東向きに鎮座します

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道入口です

 村社 稲荷神社の社號標です

 石敷きの参道を進みます

 参道右手には庚申塔等の石塔や祠が並びます

 社殿が見えて来ます、社殿前に目的の「親杉」のようです

 拝殿です

 本殿です

 説明版です
   鵜木稲荷神社
 創設は、寿永2年(1183)後鳥羽天皇時代とされ、豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)、息長足姫(いながたるひめ)の二柱が祀られている。いずれも農業神で、現在、豊作の神とされる稲荷神社と称されており、「村の鎮守」として豊作祈願や産土様として崇められている。
 約1500坪の境内には樹齢が400年を遥かに超える御神木「親杉」があり、旧若美町から保存樹に指定されている。
 鬱蒼と茂る古木に囲まれた大平山、金毘羅山(象頭山)、赤神山、産土神社の供養塔や記念碑、金精様他、多くの庚申塔がある。連綿と続く神社と地域の人々との深い繋がりが伺われる。
 「寛文10年(1670)建立されたお社が老朽化した」ので、明和2年(1765)建替えの願いを出し、翌年建立寄進したとの記録がある。 
 改修前の社殿は、拝殿・幣殿と太鼓橋を渡って繋がる本殿で構成されており、昭和10年(1935)増改築されている。
 神社は建立されて80年を過ぎ、老朽化が進み、本殿の倒壊も危惧されたので、氏子らが奉賛会を立ち上げ、地域の人々の協力を得て平成29年(2017)春、改修工事に着手し10月竣工寄進した。
   平成29年10月吉日
    鵜木稲荷神社改修奉賛会


 北東側から「親杉」です

 東南東側から、目通り幹囲5.7mの巨木です

 親杉(スギ科)男鹿市指定保存樹の標柱です

 南東側から

 南西側から

 北西側拝殿脇から

 北側から見ました

 大きな象頭山と数々の石碑です

 祠と天狗様でしょうか

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秋田県男鹿市、脇本樽沢立石「中山神社の大イチョウ」(市指定)です!!

2022-11-03 18:30:56 | 巨樹・大木
 旧男鹿市は、昭和29年(1954年)3月31日 南秋田郡船川港町、脇本村、五里合村、男鹿中村、戸賀村が合併して、旧男鹿市が誕生する。翌年 南秋田郡北浦町、船越町が旧・男鹿市に編入され、2005年(平成17年)3月22日 - 旧・男鹿市、若美町が合併して、新制の男鹿市が発足しています。(市役所は半島南側、JR男鹿線終点おが駅の北側に所在します)

 八郎潟の西側の男鹿半島全域が男鹿市です。男鹿半島は三方を海に囲まれており、観光名所が点在している。代表的なものに、寒風山や鵜野崎海岸、男鹿半島・大潟ジオパークなどがある。なまはげ(国の重要無形民俗文化財)は有名ですね。

 脇本樽沢立石地区は、男鹿市役所の北東約9kmのところ

 県道59号男鹿半島線を東へ、国道101号線との五差路信号を右(南東)へ国道へ入ります

 海沿いを東へ生鼻崎第二トンネルを貫けると、寒風山県道54号の標識で左(北)へ県道54号男鹿琴丘線を進みます

 樽沢岡谷地集落手前を左(西)へ、突き当りを右(北)へ、集落内に入って間も無く、

 道路左の奥に神社参道が見えます中山神社が東向きに鎮座します


 中山神社の社號標です

 道路を入って参道脇に車を止めさせて頂きました

 狛犬です


 直ぐ参道右に目的のイチョウです

 南東側から

 説明版です
  中山神社の大イチョウ(天然記念物)
 樹高20~25m、目通り周囲約8m、イチョウは中国産でイチョウ科に属する裸子植物の高木である。
 ここにあるイチョウは、中山神社参道右側にあり樹齢約400年以上経ていると思われ、男鹿市内で一番大きいイチョウの木である。
 このイチョウの木は古木であると共に信仰の対象とされている。
 地元では、女の木と呼ばれ古いイチョウの木に見られる女の乳房のような乳と呼ばれる枝が何十本も垂れ下がっている。
 この木は昔から女の人を守る木と言われ、乳の出ない人がお参りして願かけをすると必ず出るようになったといわれている。


 南側から見ました

 それでは中山神社に参拝しましょう


 参道を進みます

 鳥居です

 庚申塔等の石塔が並びます

 祠の中には象頭山の石塔です

 この祠には「太平山の神」が祀られています

 石段を上がります

 拝殿です

 本殿です

 境内の杉の大木です

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秋田県男鹿市、脇本富永梅ノ沢「八英(やつふさ)の梅」(市指定)です!!

2022-11-03 12:30:14 | 文化財・樹木
 脇本富永梅ノ沢地区は、おがし役所の北東約6kmのところ

 県道59号男鹿半島線を東へ、国道101号線との五差路信号を越えて坂道を上って峠を越えます

 JR男鹿線の線路沿いを進み、右カーブの先で(北)へ、踏切を越えて道成りに進むと

 「八英の梅」の案内板に従って左へ入ります

 墓地のところを左(西)へ入ると

 「菅江真澄の道 八英の梅」の標柱です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 道路わきに小さな梅の木が三本立っています

 真ん中の梅の木は根の周りに板が敷かれています

 梅の木の奥には石碑が建っています

 説明版です
  菅江真澄の道
 文化元年(1804)8月21日
   真澄は岩倉の岡で八英の梅をみて歌を詠む。
 岩倉という岡に、八英の梅という年を経た一本の樹がある。
 毎年3月のころは、野も山も谷もおしなべて、このかぐわしい匂いに包まれ、風にのって広がるという。これと同種の梅が越後の国蒲原郡の児島村にあった(新潟県蒲原郡京が瀬村児島の海護寺、親鸞の旧跡、真澄は天明4年(1784)にこの地を訪れたと思われる)
*現:新潟県阿賀野市小島の梅護寺に「親鸞聖人八房梅」が今もあります。このブログの2016/6/13「梅護寺の八房梅と数珠掛桜」でも紹介させていただきました。

 また仙台の伊達政宗が朝鮮に渡って戦い(豊臣秀吉の朝鮮征伐)、加藤清正、小西行長におとらない多くの戦功をたてた。その帰還にさいして故郷への土産に朝鮮の松と梅をとってこられ、松島寺(瑞巌寺)に植えた。そして「まつしまの松の齢もこの寺の末栄なん年はふるとも」とよまれた。その松のかたわらに八英の梅がいまもなおあった。そのころであったか、後水尾帝がお聞きになって、これに「花香樹」の名を賜ったと伝えられている。
 八英の梅は越後の国と陸奥の国の二本だけが有名で、他のところにあると聞いたことがなかったが、この岩倉の岡のあたりに、このように年を経た大木があるとは思いがけないことであった。
 ここが安東友季の時代、大平城(脇本城)の栄えていたころの従者の人々がいた跡であろうと、人が語った。
 梅のもとにたちってあおぎ見ると、下葉の葉は色づいている。眺めると木が二、三本生いたつ下方に、武御雷命を祀る祠があった。
   たて植えて 八の花英春はさぞ 秋はもみじの 色を見すらん
 「男鹿市天然記念物 八英の梅 平成28年3月15日指定」
 *説明版のスケッチには大きな梅の木が確認できますが、現在の梅は何代目なのでしょうか
(下側の案内板)
    八英の梅 (男鹿市指定天然記念物)
 「八英の梅」は、和名はザロンバイ、「座論梅」「八房の梅」とも言われ、八重咲の淡紅色の花を咲かせます。
 一花に子房が数個あり、果実が複数個つきます。東北でも数が少なくまた植物学的に貴重なものです。
 菅江真澄の紀行文「男鹿の秋風」〔文化元年(1804)〕にも描かれた梅の後継樹として、大切に守られています。
  (平成28年3月15日 指定)男鹿市教育委員会
 
 では、次へ行きましょう
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秋田県男鹿市、脇本脇本 七洋沢「天神様の細葉の椿」(市指定)です!!

2022-11-03 06:30:04 | 文化財・樹木
 脇本脇本 七洋沢地区は、男鹿市役所の東北東約5kmのところ

 県道59号男鹿半島線を東へ、国道101号線との五差路信号を右(南東)へ国道へ入ります

 海沿いを東へ生鼻崎第二トンネルを貫けると直ぐ左に、脇本城跡の駐車場が有ります

 駐車場にある説明版です
   脇本城跡・天神様の細葉の椿
 戦国時代に秋田地域を支配した安東氏の拠点的山城として、国の史跡に指定されています。
 生鼻崎は、海上交通の要所(日本海・八郎潟)陸上交通の要所(天下満)であり、標高も100m前後あることなどから、城づくりには最適の環境でした。
 また、江戸時代には紀行家の菅江真澄も訪れ、図絵を残すとともに、城跡内に鎮座する菅原神社の細葉の椿の古木について記録を残しています。これらは地域の貴重な文化財として、大切に守られています。

 菅原神社一の鳥居です

 「菅江真澄の道 脇本城跡・菅原神社・細葉の椿」の標柱です、文化元年(10804)8月24日、生鼻岬に登り天満宮を拝す、(男鹿の春風)

 説明版です
   脇本城跡
 天正5年(1577)下国安東愛季(しものくにあんどうちかすえ)が大規模に修築し居城とした城として知られる。
 愛季はもと檜山城主であり、元亀元年(1570)秋田湊城を統合して、小鹿島をも直轄地とし、「ひのもと(蝦夷)将軍」として蝦夷管轄をも担い、織田信長との交渉のさなか、脇本城を居城とした。盛時の縄張りは茶臼館や岩倉館迄含む。
 もともと14世紀頃から城館が営まれていたとみられ、愛季の後の城主は脇本五郎脩季(わきもとごろうながすえ)の伝承を伴っている。
 天正17年湊合戦で戦場となり、豊臣大名秋田実季の代には本格的修築は許されなかった。近世には太平城跡、生鼻城跡の通称でも伝えられたが、文化7年(1810)大地震のさい生鼻岬700m余が海中に没し、現在は本丸とみられる地域に郭・土塁・空堀・井戸跡等が残り、黄瀬戸・青磁・珠洲陶等が出土する。
 
 上のニノ鳥居前まで車で入りました

 ニノ鳥居です

 参道石段を上がります

 三ノ鳥居です
 
 拝殿です

 本殿です

 境内の寝牛です

 南側一段上に御堂の隣に目的の「天神様の細葉の椿」です

 説明版です
   天神様の細葉の椿
     男鹿市指定天然記念物 平成9年4月11日
 ヤブツバキの一種で、葉が細いことが特徴です。
 樹齢は400年以上と推定されています。長い年月の風雪に耐え、脇本城の歴史も見守ってきました。
 菅原神社の祭典が行われる4月下旬ころにはきれいなピンク色の花を咲かせます。
 江戸時代の紀行家 菅江真澄は文化元年(1804)にすでに古城となっていた脇本城を訪れ、一節を残しています。
   「その昔、脇本城主が奉納した天満宮(菅原神社)の神垣に、私も祈りを捧た。
    ここは安東実季も友季も朝夕祈り、霊験あらたかだったので、事あるたびに占いなどを行ったという。
    いつのころ植えられたものか、細葉の海榴(ツバキ)という古木があった。
    生い茂る 細葉の椿ふとまにの うらなみかけて 八千代経ぬらし (男鹿の春風)」
 

 幹を見ました

 椿の実を見る事が出来ました

 南側から

 西側から

 では、車道を戻りましょう

 山道の途中から、潟上市の海岸松林に並ぶ風力発電所です

 足元には脇本漁港が見下ろせました

 では、次へ行きましょう
 
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秋田県潟上市、昭和豊川槻木真形尻「黒川油田と真形の黒松(市指定)」です!!

2022-11-02 18:36:00 | 文化財・樹木
 昭和豊川槻木真形尻地区は、潟上市役所の東約7kmのところ

 付近には油田があり文化財指定されている場所もあります

 県道56号線を北西へ、棒沼台信号を右(東)へ国道101号線です

 JR男鹿線を陸橋で越えて道成りに3.8km進み国道101号線の立体交差を下ります

 交差点を左(北東)へ、馬踏川を渡ってT字路を右へ約500m道成りに進んで

 右に見えてくるJR奥羽本線の踏切を渡り県道104号線を左(北東)へ約400mで

 秋田銀行前の信号を右(東)へ県道229号線です、秋田自動車道の高架を潜り「道の駅しょうわ」を過ぎた

 集落の槻木簡易郵便局のすぐ先を右(南)へ「豊川油田」の案内板を入ります

 坂道を上ると間も無く右手に、油田のポンプが見えて来ます

 説明版です
  近代化石油産業遺産群
 採油井「中野Rー5号井」
  開抗:大正6年3月27日
  成功:大正6年4月22日
 中野興業(株)(中蒲原郡金津村・現:新潟県秋葉区金津)による掘削井である。
 中野PP(ポンピングパワー)によって、周辺の約10採油井の増産を継続した。
 鉄製の二本櫓は抗井の改修のために利用された
   豊川油田歴史を伝える会

 *新潟県立植物園の南側が金津地区です、岡の上などに石油関連の施設や博物館があり「中野邸記念館」は観光施設でもあり「泉恵園」は紅葉の名所でもあります。

 細井道を道成りに南へ進み、豊川油田展示館入口を過ぎて下り切り左からの道路に出て右(南)へ


 間も無く道路右手に目的のクロマツです

 コスモスが綺麗です

 横に倒れた様になっています

 「真形の黒松」の文化財標柱です

 東側にはクヌギでしょうか

 南側から、幹の太い部分です

 南西側から

 西側から

 少し西側に行ってみましょう

 瀝青の池が在ります

 説明版です
 天然アスファルトは、縄文時代に土器破片の接着剤や石器の結び目の補強材として使用された例が各地で見られる。
 槻木遺蹟群と呼ばれるこの地区の天然アスファルトは、古くから東北一円そして南北海道まで知れ活用されていた。
   槻木遺蹟群 天然アスファルト(土瀝青採掘現場)
     潟上市昭和豊川槻木字真形尻32番地1の内
 この池は、天然アスファルトの露天堀が行われた跡で、池の岸のヨシに黒く付着しているのが原油である。
 近世、日本でアスファルトの加工知識が無かった時代に、天然アスファルトに着眼したのは黒沢利八(現、岩手県北上市出身)である。
 寛政2年(1790年)初代黒沢利八が土油から灯油と油煙墨を作り、秋田藩に献上した記録がある。その黒沢利八が藩の保護のもと、更に油煙の製造に専念するため、この地に住んだ。そして、国産(秋田特産)を開いた功績で、秋田藩から油煙製造地(70間四方の土地)が与えられている(1825年・文政8年)
 そして明治10年(1877年)四代黒沢利八が「第一回内国勧業博覧会」に土瀝青を出品。それがロンドン市のアスファルト舗装を見て来た由利公正子爵の目に止まり、油煙以外の優れた特性に目が向けられるようになった。そして日本で初めてアスファルトが道路舗装用資材として利用された。
 記録では明治11年、東京神田昌平橋の土瀝青敷工事で、ここから掘り出された天然アスファルトが利用されている。
 天然アスファルトは舗装用資材のほか防水用などの建築資材として注目された。そして多くの工事が行われるようになり、需要に追い付くため多くの人が働き、天然アスファルトの大規模な露天堀が行われた。
 天然アスファルトの採掘と精錬が最も活気を見せたのは明治30年代中頃以降である。しかし天然アスファルトは採掘が進むにつれ労賃や排水設備などに経費がかかり採算があわなくなる。そして明治45年頃をピークに天然アスファルトは石油アスファルトへと移行していく。
 天然アスファルトの利用期間は短かったが、大量の採掘や精錬が行われ広く利用されるなど、日本のアスファルト工業はこの地から始まったと言ってよい。
   潟上市教育委員会


 天然ガス田です


 ポンプの機械です

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秋田県潟上市、飯田川和田妹川「和田妹川神明社のもみの木」(市指定)です!!

2022-11-02 12:29:06 | 巨樹・大木
 飯田川和田妹川和田地区は、潟上市役所の東北東約7km(潟上市飯田川出張所の北東約1km)のところ

 県道56号線を北西へ、棒沼台信号を右(東)へ国道101号線です

 JR男鹿線を陸橋で越えて道成りに3.8km進み国道101号線の立体交差を下ります

 交差点を左(北東)へ、馬踏川を渡ってT字路を右へ約500m道成りに進んで

 右に見えてくるJR奥羽本線の踏切を渡り県道104号線を左(北東)へ約2kmで

 県道303号線の分岐点の和田妹川信号を斜め右へ、約400m左に酒屋さんのところを右(東)へ

 道成りに進み集落の中の細い道です、右手に神明社の参道が東北東向きに開いています

 参道右脇に和田児童館がありますので駐車スペースを利用させて頂きました

 参道鳥居です

 村社 神明社です

 鳥居の直ぐ奥に目的のモミノキです(南東側から)

 「和田妹川神明社のもみの木」の文化財標柱です

 水盤です

 鳥居下から見上げました

 説明版です
   潟上市指定天然記念物
    (平成5年12月20日 指定)
   和田妹川神明社の もみの木
 昔、和田妹川村の産土神である愛宕神社は、鬼王館の盛時に、大宮沢の西の小川にあったが火災で焼失し、後、慶長2年(1597年)に現在地に建立されたと伝えられる。
 現在の鳥居の「もみの木」はその時に植えられたものと思われ、長い歴史を持ち、偉容は実に堂々としており保存に値する。
    潟上教育委員会

 南西側の石段上から、目通り幹囲約4m(目測)の大木です

 西側から見上げました

 参道の杉並木です

 石段を上がると拝殿です

 軒下の額です

 本殿です

 境内社です

 もう一つの境内社は愛宕社です

 軒下の額には愛宕山の文字です

 愛宕大神の石碑です

 境内にもスギの大木です

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秋田県潟上市潟上市、飯田川下虻川屋敷「下虻川神明社のケヤキ」(市指定)です!!

2022-11-02 06:28:51 | 巨樹・大木
 飯田川下虻川屋敷地区は、潟上市役所の東北東約6km(潟上市飯田川出張所の南南西約1km)のところ

 県道56号線を北西へ、棒沼台信号を右(東)へ国道101号線です

 JR男鹿線を陸橋で越えて道成りに3.8km進み国道101号線の立体交差を下ります

 交差点を左(北東)へ、馬踏川を渡ってT字路を右へ約500m道成りに進んで

 右に見えてくるJR奥羽本線の踏切を渡り県道104号線を左(北東)へ

 約800mで横断歩道のある所を左斜めに入ると

 左手に下虻川神明社が東向きに鎮座します

 境内入口です

 村社 神明社の社號標です

 「下虻川神明社境内の槻の木」の文化財標柱です

 一ノ鳥居右(北)側のケヤキです

 境内南側にもケヤキの大木が並びます

 手水舎です

 参道ニノ鳥居先の左右ケヤキの大木には注連縄が巻かれています

 ニノ鳥居左(南)側のケヤキの大木にも注連縄が巻かれています

 参道見右のケヤキが目的の一本です

 南側から、目通り幹囲6.3mの巨木です

 南西側から

 西側から

 北側から

 拝殿です

 本殿です

 境内社は狛狐ですので稲荷社の様です

 もう一つの境内社です

 拝殿脇から見ました

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