ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県大玉村、玉井天王下「天王下八坂神社のアカマツ」(緑の文化財)です!!

2022-11-11 18:35:58 | 文化財・樹木
 玉井天王下地区は、大玉村役場の北西約2kmのところ

 村役場の東側の道路を南南西へ、JA(農協)の有る変形十字路を右(西北西)へ

 県道146号線を西北西へ道成りに進みます、ガソリンスタンドのところを右斜めへ

 その先でまた右斜め(目印無し)へ

間も無く道路左に

 南東向きに八坂神社が鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 八坂神社の社號標です

 説明版です
  天王下八坂神社
   三十六歌仙絵馬
  村指定有形文化財 平成26年12月22日指定
   アカマツ
  緑の文化財 昭和58年2月17日登録
  ふるさと百景選定地 平成8年度選定
  所在地 大玉村玉井字天王下
 天王下の八坂神社は、地域では「天王様」の名で長年親しまれてきたことからも、祇園牛頭天王に対する信仰、すなわち、「天王信仰」に基づいて建立された神社と考えられる。また当社は京都の八坂神社を勧請したもので、農作物の病害虫除けの神として信仰された。
 祭礼は、旧暦の2月15日と8月15日であったが、近年は旧暦の2月15日と8月15日直近の日曜日に執り行われる。
 社殿内には、三十六歌仙絵馬が奉納されている。三十六歌仙絵馬とは、三十六歌仙の肖像と、その上部に歌仙それぞれの人が詠んだ和歌を書いたものである。
 当社の絵馬は、幕末期の二本松藩士で絵師として知られた大原文林の門下である文岳の歌仙像に、本宮出身で幕末の学者としても名高い糠澤直之允の書で構成されている。奉納年の銘はないが、明治中期とみられる。絵馬は彩色がよく残り、保存状態もよく、村の信仰と文化を知るうえで貴重な史料である。
 八坂神社のアカマツ(県緑の文化財登録第112号)は推定樹齢150~250年である。この松並木は平成8年(1996)度に、ふくしま拠点まちづくり協議会(県北8市町村で構成)より、ふるさと百景に選定されている。
    大玉村
    大玉村教育委員会

 鳥居脇西側のアカマツです

 南側から、境内で一番太いアカマツで目通り幹囲3.8mの大木です

 南西側から

 北西側から

 北側から

 参道右側(鳥居北側)の大木です

 北西側から

 ニノ鳥居です

 参道を進みます

 参道左の大木です
 
 手水舎です

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 境内北端の石塔とスギの大木です

 出羽三山石塔です

 飯豊山石塔です

 天照皇大神・八幡大神・春日大神の石塔です

 大きな石塔が並びます

 戻りましょう

 南側の道路から境内を見ました

 太神宮・山津見大神・湯殿山や山神の大きな石塔です

 参道南側にも庚申塔などの石塔が並びます

 では、次へ行きましょう

 
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福島県猪苗代町八幡元屋敷「白津からかさ松」(町指定)です!!

2022-11-11 12:34:02 | 巨樹・大木
 八幡元屋敷地区は、猪苗代町役場の東南東約4kmのところ

 役場前から県道204号線を東へ、国道115号線を過ぎると県道322号線に変わります

 間も無く猪苗代町運動公園入口案内板に従って左(東)へ

 道成に進んで長瀬川を猪苗代大橋で越えると、県道323号線の十字路を右(南)へ、次の集落が元屋敷です

 集落に入って最初の左(東)への道路を入ります、道成りに進むと

 用水路の橋の手前から目的の「白津からかさ松」です

 北西側から

 北側から

 説明版です
  町指定天然記念物
   白津からかさ松
  (昭和48年12月20日指定)
 完全なからかさ形をしたすばらしい松で、八手山城主三浦経連の重臣の邸内にあった木といわれている。
 根元には三宝荒神をまつった石の祠はある。
 樹高23m、胸高幹囲3.8m、枝下高6m、枝張経26m、樹齢推定450年という巨木である。
 この周辺一帯は縄文土器の散布地で、猪苗代地方でも一・ニに属する縄文時代中期から後期にかけての大きな遺跡(白津遺跡)である。
    猪苗代町教育委員会
    (平成4年11月1日設置)

 東側から、根元には三宝荒神の祠です

 南東側から

 南側から

 南西側から

 
 西側から見ました

 からかさ松の周りは広く草苅などの整備がされていました

 では、次へ行きましょう

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福島県猪苗代町、三郷志津南「文殊堂のイチョウ」です!!

2022-11-11 06:33:20 | 巨樹・大木
 三郷志津南地区は、猪苗代町役場の東北東約4kmのところ

 町役場南側の県道204号線を東へ、警察署東信号を左(北)へ国道115号線です

 国道115号線を北東(沼尻・福島市土湯方面)へ

 長瀬川を渡って北へ向くと間も無く、道路左手に大きな墓地が有ります

 向かい側の道路を東へ入ります、周りは一面の田圃です

 県道323号線の交差点からっ真直ぐに進んで正面(東)にイチョウの樹冠が見えました

 鍵の手に曲がって西南西側から近付ます

 前の広場に車を止めさせて頂きました


 文殊堂の脇に目的のイチョウです


 北西側から、路面は銀杏で埋め尽くされています(あの匂いも)

 文殊堂です

 軒下の額です

 東側から、目通り幹囲4.5mの大木です

 南側から

 では、次へ行きましょう


 集落南西側の県道323号線交差点脇から見ました
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福島県磐梯町、磐梯本寺上「恵日寺のケヤキ」です!!

2022-11-10 18:31:02 | 巨樹・大木
 磐梯本寺上地区は、磐梯町役場の北約600mのところ

 役場前から北へ、JR磐越西線のガードをくぐって、県道64号線の信号を過ぎて大谷川の橋を渡って坂道を上ると

 道路左に恵日寺入口です

 少し下ると山門前の広場です

 車を止めさせて頂きました

 参道脇に説明版です
  恵日寺
   磐梯町指定文化財第7号
   昭和53年9月25日指定
 恵日寺は磐梯山と号し、真言宗豊山派に属します。
 古く古絵図にあり、明治初年の廃仏毀釈によって一時廃寺となりました。
 塔頭であった観音院のもとに法燈をうけつぎ明治37年5月寺号の官許を得、更に大正2年「磐梯山恵日寺」として堂燈の修復をし再興の緒として今日に至っています。
 たび重なる火災や廃寺のために丈六の薬師如来像、四天皇より下賜された銅印・瑠璃尺など多くの貴重な宝物類を散逸しました。
 しかし、現在残された文化財の中で「白銅三鈷杵」が国重要文化財として指定され、「鉄鉢」が国重要美術品として認定されています。
 「白銅三鈷杵」は忿怒形三鈷ともいわれ正倉院に二口、日光二荒山発掘物の一口に見られるのみで、最古の形式をあらわし徳一の請来した所持品と考えられる貴重な文化財です。
 「鉄鉢」は永享7年の銘があり高台に皿型をもつのは例がありません。
 「絹本着色恵日寺絵図」は国重要美術品認定・県重要文化財として指定され、往時における伽藍の盛況をしのぶことができます。
 このほか「紙本墨書田植歌」や「日光・月光菩薩面」「薬師如来光化仏一具・七躯」が県の重要文化財として指定されています。
 恵日寺の本堂は元禄15年(1703)に建立されたもので、300年の星霜を経た建造物です。
 廃寺された後に旧塔頭を元に「恵日寺」を復興しましたが、これと区別して、国指定の史跡を「慧日寺」と書くことにしています。
   平成6年10月
     文化庁
     磐梯町教育委員会

 もう一枚
  史蹟慧日寺跡
    国史跡指定年月日 昭和45年12月4日
    追加指定年月日  昭和61年8月6日
 慧日寺は徳一大師によって平安時代初めに開かれた寺で、磐梯山を中心に栄えたのは会津の山々を背景とする山岳信仰と祖霊崇拝の土壌があったからだと思われます。
 平安時代の中頃には最も興隆をきわめ、その勢力は寺僧300・僧兵数1000・子院3800坊にものぼり、支配権は会津はもとより新潟県の一部まで及んだと言われます。
 しかし、源平合戦への参戦と敗北、伊達政宗の侵攻などたび重なる戦禍に見舞われ、わずかの建物を残してすべて焼失しました。
 江戸時代には歴代の会津藩主によって保護されたものの明治初年の廃仏毀釈によって廃寺となりました。
 慧日寺跡は遺構がよく保存されているため昭和45年に国史跡に指定され、更に61年に追加指定を受け現在その調査・研究が続けられています。広さ約15万㎡の史跡内には多くの建物礎石が露出し、往年の慧日寺の一端をかいま見ることが出来ます。
  平成6年10月
   文化庁
   磐梯町教育委員会

 山門です

 本堂の東側境内端に目的のケヤキです

 南側から、境内東端の沢に面しています

 西側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 一度境内を出て、北側の慧日寺跡前(北側)から見ました

 近づいて見上げました

 慧日寺跡です、中門と金堂が再建されています

 慧日寺跡の案内図です

 説明版です
  日本遺産 会津三十三観音めぐり
    ~巡礼を通して観た往時の会津文化~
     慧日寺跡
 慧日寺は、今からおよそ1200年前の平安時代初期、南都(奈良)で法相教学を学びながら、理想の修行の地を求め、若くしてこのみちのくの地磐梯へと移った徳一という僧によって開かれた。
 徳一は後に菩薩・大師とも称され会津仏教文化の礎を築き、最澄と繰り広げた「三一権実論争」は有名である。
 また、慧日寺は平安時代を通じて勢力を拡大し、最盛期には会津一円のみならず、越後の一部まで領したと伝えられている。
 明治2年(1869)に廃寺となった寺跡は、昭和45年(1970)に国史跡に指定された。磐梯町の史跡整備事業により、平成21年度までに金堂・中門など中心伽藍が復元整備され、古代儀礼空間が悠久の時を越えて蘇った。
   極上の会津プロジェクト協議会”会津の三十三観音めぐり”ストーリー

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福島県会津若松市、湊町共和西田面「白幡八幡神社のケヤキとスギ」です!!

2022-11-10 12:33:32 | 巨樹・大木
 湊町共和西田面地区は、会津若松市役所の東南東約8kmの猪苗代湖西岸に当たります

 標高220m程の会津若松市役所から、500m程の猪苗代湖湖面まで国道49号線を周って約18kmです

 強清水の石山信号を右(南)へ、国道294号線を湖南方面へ約6.5km進むと

 国道右に会津若松市湊市民センタが在りますので、手前(北側)を右(西)へ入ります

 突き当りを右(北)へ直ぐに白旗八幡神社が東向きに鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました


 境内入口です

 村社 白旗八幡神社の古い社號標です

 境内は自然景観指定緑地です

 一ノ鳥居です


 飯豊山と湯殿山の石塔が並びます

 ニノ鳥居です

 参道左手にはモミノキです

 水盤です

 三ノ鳥居です

 鳥居の右手に目通り幹囲約4mのケヤキの大木です

 ほかにも3m前後が数本境内に見受けられました

 拝殿です

 軒下の額です

 本殿は覆い屋の中です

 拝殿南側に目的のスギです、しめ縄が巻かれています

 境内社は熊野神社の様です、周りの祠にはそれぞれに祀られているお名前が書かれた札が供えられています

 石灯籠には古峯神社となっています

 南側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

 西側から

 北側から見上げました

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福島県会津若松市、一箕町八幡大和山乙「大天白神社のスギと桜」です!!

2022-11-10 06:30:05 | 巨樹・大木
 一箕町八幡大和山乙地区は、会津若松市役所の東約2kmのところ

 地区の北側の飯盛山には、白虎隊縁の地、サザエ堂や白虎隊隊士の墓、自刃の地などが在ります
 
 直ぐ南側に当たりますが、北側からは近付けません、南側が天白神社参道になっています

 市役所の西側の市役所通りを北へ約500mで銀行の間の信号を右(東)へ県道325号線です

 道成りに信号で右へ、また直ぐの信号を左と県道325号湯川大町線を進みます

 県道が南東に向きを変えて、奴郎ヶ前信号を左手前(北)へ

 道成りに進んで、葬儀場たちばな会館のすぐ先を右(東)へ住宅地の中へ入ります

 道成に左に曲がって直ぐを右へ、八幡14号緑地の南東側交差点を左へ道成りに進んで左に曲がると

 正面に森が迫って来ます、砂利道に入る手前に車を止めさせて頂きました

 猪苗代湖から水を引く戸ノ口用水の水路が流れています

 大天白神社・山の神神社の参道?です

 鳥居です

 境内へ入ります、目的のスギと桜です

 西側から

 北側から

 東側から

 南東側から、桜の大きさは目通り幹囲3.6mだそうです

 南側からスギだけを見ました。目通り幹囲5.3mの巨木です

 境内西側に、山の神神社と大天白神社の祠が東向きに鎮座します

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福島県会津若松市、北会津町田村山堂ノ下「住吉神社のスギ」です!!

2022-11-09 18:31:39 | 巨樹・大木
 北会津町田村山堂ノ下地区は、会津若松市役所の西北西約7kmのところ

 国道121号線を南へ、若松城を左に見て進みます、国道401号線との交差点信号を右(西)へ

 JR只見線を陸橋で越えて、阿賀川を高田橋で左岸側へ渡ると北会津町になります

 会津若松消防署小松出張所の先の信号を右(北)へ県道72号会津坂下本郷線です

 ここから約5kmで鍵の手に曲がった最初の十字路を右(東)へ入ると

 田村山集落の西側に住吉神社の社叢が見えます、左(北)へ曲がって

 東側に開いた参道入口に車を止めさせて頂きました

 参道を進みます、境内左側に目的のスギが見えています

 住吉神社の社號標です、赤トンボが止まっています

 北側には、第十二番観世音の標柱です

 会津三十三観音第十二番の田村山観音です

 もう一つの社號標です

 市指定の自然景観指定緑地です

 鳥居です

 境内南端には稲荷神社です


 拝殿です

 本殿です

 鳥居下に戻って、北東側からスギを見ました

 北側から

 西側から

 南側から目通り幹囲5.0mの巨木です

 東側から見上げました

 本殿の裏側(西)のスギには、細い方に注連縄が巻かれています

 更に西側には、太いフジの蔓が巻き付いたサイカチです

 清水が湧いています

 説明版です
   景勝清水の由来
 慶長4年の頃、時の若松城主、上杉景勝公がこの地に於いて鷹狩を催せし折り、この清水を味わい、美味なりと大いにこれを賞せられた。
 その後この清水を里人は景勝清水と呼ぶようになった。
  田村山史跡保存会

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福島県会津若松市、北会津町下荒井宮ノ西「熊野神社三幹のスギ」(市指定)です!!

2022-11-09 12:29:49 | 巨樹・大木
 北会津町下荒井宮ノ西地区は、会津若松市役所の西約5kmのところ

 国道121号線を南へ、若松城を左に見て進みます、国道401号線との交差点信号を右(西)へ

 JR只見線を陸橋で越えて、阿賀川を高田橋で左岸側へ渡ると北会津町になります

 会津若松消防署小松出張所の先の信号を右(北)へ県道72号会津坂下本郷線です

 ここから約3.2kmで、右側に会津若松市立北会津中学校が在ります

 すぐ先県道左に「ほたるの森公園」が有りますので駐車場に入りました


 南側の「ほたるの森公園」駐車場から熊野神社の社叢を見ました


 境内入口への参道は、県道72号線(東)に開いてます
 
 熊野神社の社號標です

 参道を進みます、右手の境内には杉の大木が見えています

 南向きに境内入口です、参道右に目的の「三幹の杉」です

 自然景観指定緑地です

 説明版です
  天然記念物
   熊野神社三幹の杉
 葦名の臣富田家三代祐義は、元徳元年(1329)下新井に城を築き、その一郭に熊野神社を造営した。
 その後、この地に再建されたのは応安元年(1368)とも正平17年(1362)ともいわれる。
 また、和歌山県熊野神社(三社)の分霊であるところから、通称三所の宮と呼ばれている。
 神社建立当時にこの杉が植えられたものと推定すると、樹齢は600年を超える。
 同一の根元(幹周6.2m)から三つに分れて、それぞれが幹をなし、太いものは幹周3.6m(地上から4.5m)あり、他はそれに準じている。
 氏子は三幹の杉と称し、御神木として尊崇している。
   平成2年12月9日
    会津若松市教育委員会

 南東側から、御神木ですので注連縄が巻かれています

 南西側から

 北側から

 北東側から見ました


 西側のスギにも注連縄が巻かれています


 鳥居です

 こちらにも「村社 熊野神社」の社號標です

 手水舎です

 参道には多くの石灯篭が並んでいます

 狛犬です、迫力の造形ですね

 もう一対は古い物のようです、一部欠けてしまっています

 拝殿です

 軒下の額には「熊野三社」となっています

 本殿です

 熊野神社と下荒井城の説明版です

 茅野輪くぐりの説明版です
 

 拝殿前から、参道を見ました


 ホタルの里健康の径の案内板です、5.8km歩くと色々見れそうです

 境内西側にホタルの生息地です

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福島県会津若松市、北会津町東麻生「横山家のケヤキと東麻生の種蒔桜」(市指定)です!!

2022-11-09 06:32:10 | 巨樹・大木
北会津町は、阿賀川の西側にあたります、2004年11月1日旧北会津村は会津若松市と合併しました

 北会津町東麻生地区は、会津若松市役所の西約5kmのところ

 国道121号線を南へ、若松城を左に見て進みます、国道401号線との交差点信号を右(西)へ

 JR只見線を陸橋で越えて、阿賀川を高田橋で左岸側へ渡ると北会津町になります

 会津若松消防署小松出張所の先の信号を右(北)へ県道72号会津坂下本郷線です

 ここから約1.9kmで、東麻生集落の南側を(左)西へ入ります

 北側の住宅の屋根の上にケヤキの樹冠が見えます

 集落に西端を(右)北へ進むと右手に見えました

 前の道路に車を止めさせて頂きました

 西側から

 自然景観指定緑地です

 

 北西側から離れて見ました

 ケヤキの北西側の墓地に東麻生の種蒔桜です

 南側から

 西側から

 こちらも自然景観指定緑地です

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福島県西会津町、野沢宮ノ下「赤城神社の社木三本(モミ・アスナロ・高野槇)」(町指定)です!!

2022-11-08 18:30:11 | 巨樹・大木
 ここからは2022年10月30日取材分です

 野沢宮ノ下地区は、西会津町役場の西南西約4kmのところ

 役場の南西側すぐの国道49号線沿い「道の駅にしあいづ」の西北西側の信号を左(南西)へ

 いちど中野川まで下って、上り返して安座川にそう様に進んで、磐越自動車道の高架を潜り安座川の橋を渡ると

 左手に赤城神社の社叢が見えて来ます

 参道入口に車を止めさせて頂きました

 安座自然環境保全地域の説明版です
 福島県自然環境保全条例により、当該自然環境保全地域には、野生動植物保護地区が指定されております。
 野生動植物保護地区においては、保護対象動植物の捕獲、採取等が禁止されており、違反した場合は、福島県自然環境保全条例第42条第1号により、罰せられます。
 自然を大切にしましょう。
   福島県


 参道入口です、正面に樅の巨木です

 参道は安座川を橋で渡ります

 赤城神社社號標です


 高野槇です


 説明版です
  西会津町天然記念物
   赤城神社社木三本
    (高野槇・樅・翌桧)
  昭和55年4月9日指定
  所在地 西会津町野沢字宮ノ下丙172 
 赤城神社の鎮座の年代は詳かでないが、この社木の樹齢はすべて600年を超えるものと推定され、極めて貴重である。
  西会津町教育委員会


 西側からモミノキを見上げかした

 手水舎です

 鳥居です

 鳥居を潜って南側からモミノキを見上げました、目通り幹囲6.2mの巨木です

 東側から

 北側から


 社殿です

 参道右手の木々です、アスナロの幹にはキツツキの穴が開いています

 社殿前左側にアスナロ(翌桧)の大木です

 珍しい捻じれた幹のアスナロです

 社殿前からモミノキです


 北東側からアスナロとモミノキを見ました



 境内には、祠や石塔が並んでいます

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秋田県湯沢市、皆瀬上生内「上生内のカツラ」です!!

2022-11-08 12:29:05 | 巨樹・大木
 皆瀬上生内地区は、湯沢市役所の南東約21km、皆瀬総合支所の東約7kmのところ

 皆瀬総合支所から国道398号線を北へ少し進んで皆瀬川の新菅生橋を渡ってすぐを戻る様に右手前の道路へ

 皆瀬川に沿う様に道成りに進みます、皆瀬ダムを過ぎて銀河大橋をわたると間も無く県道323号小安温泉椿川線です

 ここから約2.3kmで目的のカツラが左手に見えて来ます

 すぐ先の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北東側から

 東側から、目通り幹囲約6mの巨木です

 南東側から

 橋を渡って、北東側から見上げました

 北側から

 *Googleマップのストリートビューでは2012年9月の画像を見ることが出来ました、軽バンの止まる橋の欄干は青色に塗られ、小屋が二つ建っていましたが、現在は橋の欄干も曲がってしまって塗料も剥げています、小屋は冬場の積雪につぶされてしまったようです、対岸にあった住宅も姿を消しています、やはり秋田県山間部では激しい過疎化の波に流されてしまったようです


 では、今回の秋田取材旅行は終了にしましょう、関東まで山形・福島を通って、高速道路(有料区間)を使わずに帰ることにしました

 皆瀬ダムを昼過ぎ(12時半ころ)に出発して、約490km埼玉県新座市に帰ってきたのが午後11時過ぎになりました、まだまだ秋田県も廻れていない巨樹・大木が沢山ありますので、来年また初夏に行こうと思います
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秋田県湯沢市、皆瀬長石田「長石田大山神社のホオノキ」です!!

2022-11-08 06:44:40 | 巨樹・大木
 皆瀬長石田地区は、湯沢市役所皆瀬総合支所のと東南東約3.5kmのところ

 皆瀬総合支所から国道398号線を北へ少し進んで皆瀬川の新菅生橋を渡ってすぐを戻る様に右手前の道路へ

 皆瀬川に沿う様に道成りに進みます

 皆瀬ダムの手前、道路左手住宅の先に鳥居が建っています

 奥の山の中に大山神社が南向きに鎮座します

 鳥居前に車を止めさせて頂きました

 参道を進みます

 石段を上って、小さな用水路を過ぎて境内へ入ります

 正面に社殿です

 軒下の山神宮の文字の額です、山神社や・大山祇神などの札があげられています

 境内左手に目的のホオノキです
 

 南側から、目通り幹囲6.1mの巨木です

 南西側から

 西側から

 東側から、肝心の一番太い幹は枯れてしまっています

 北東側社殿脇から見ました

 北側から

 境内社です

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秋田県湯沢市、川連町川連「龍泉寺跡のカヤの木」(市指定)です!!

2022-11-07 18:31:13 | 巨樹・大木
 川連町川連地区は、湯沢市役所の東約8km、稲川総合支所の東北東約500mのところです
 
 総合支所の北側の道路を東へ、約400mで左北へ、約210mで右(東)へ、約24mの集落の北側リンゴ畑に

 「龍泉寺跡のカヤの木」の文化財標柱です(龍泉寺は、総合支所の北側川連町野村に移転しています)

 リンゴ畑の中の道を北へ

 六地蔵様です、龍泉寺の名残の様です

 リンゴ畑の北の端に目的のカヤの木が見えて来ます

 西側から

 南西側から

 南側から根元の祠です、寺があった形跡ですね

 南東側から

 東側から見上げました

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秋田県東成瀬村、椿川「白滝のマダの木(シナノキ)」(町指定)です!!

2022-11-07 12:31:57 | 巨樹・大木
 東成瀬村は、秋田県の東南端に位置する人口約2,600人の村です。
東は奥羽山脈を境に岩手県に、南は宮城県に接しています。
東西17km、南北30kmと細長い地形で、総面積は203.69km2。そのうち山林原野が93%を占める緑豊かな村です。

 東成瀬村役場の南東約11kmのところに国道342号線から「白滝のマダの木」へ至る分岐があります

 *現在地区の南側で成瀬ダムの建設工事が行われている関係で、国道342号線は多くのジャリを積んだダンプカーや、生セメントトラック、工事関係者の車が走っています(時速40km走行で指示されています)

 *成瀬ダムは雄物川水系成瀬川に建設される多目的ダムです。
 雄物川の「治水計画」は成瀬ダムを始めとする皆瀬ダム、鎧畑ダム、玉川ダム等のダム群を建設して洪水を調節するとともに中下流部では川沿いに堤防を築くなどして洪水被害を軽減する内容になっています。
 昭和62年、平成6年等の度重なる洪水被害、また、農業用水の慢性的な水不足、生活用水の枯渇等が頻繁に発生しており、成瀬ダムの早期完成が望まれています。
 台形CSGダムで、堤頂755m、提高114.5mで、台形CSGダムでは日本一の高さになります。
 2018年9月からダム本体工事が始まったようです、国道342号線の付け替え工事や、堤体の打設工事第1期が2023年3月まで予定で進行しています。
 また、工事区域での岩盤が弱い所が見つかったため、工期が2年延びたことにより、完成は2026年度になる予定です。

 村役場から国道342号線を約6kmで国道397号線を左に分けて右(南)へ合居川を渡って成瀬川右岸を進みます


 国道の分岐から約3kmで道路左の退避帯のような所に 仙北道(手倉越)案内図です、

 そこから4,5kmで国道の分岐から右の道路へ入ります、大柳沼自然公園キャンプ場と白滝いわなの里の看板が目印です(ダム工事現場は国道を更に約9km上流(南)です)

 「白滝いわなの里」を右に見て更に登ります


 右カーブの外側に大きな木が見えて来ました

 北側が広場になっていますので車を止めさせて頂きました

 西側から

 北側から

 北東側から

 説明版です
   「白滝のマダの木」
 この地域では「マダの木」といっているが、学名「シナノ木」である。
 昔は、旅人の往来の目安になったといい、樹皮の靭皮繊維は強くて水質にたえるので、布やロープなどを作る。
 また、昔この地域では、「マダ皮」といい「けら」「みの」「はばき」「馬具」等の農作業用に用いられた。
 シナの木は、アイヌ語のシナはじばる意に由来するといわれている。
 シナノキ科の落葉高木で材質は木目が緻密、工作し易く建築・器具・合板などに用いる。
  推定樹齢 約200年
  樹高   24.6m
  周囲    7.6m
   平成5年11月
   東成瀬村教育委員会


 南西側から見上げました

 南側から見上げました


 南西側から

 南側から見ました


 東側には、成瀬川沿いの天江集落を見下ろすことが出来ました

 では、次へ行きましょう
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秋田県横手市、大森町上溝岩瀬「白山神社の四本杉(大杉)」(市指定)です!!

2022-11-07 06:30:02 | 巨樹・大木
 大森町上溝岩瀬地区は、横手市役所の西約14km

 横手市大森地域局の西約2kmのところです

 地域局前を北西へ、西に向いて突き当りを右(北)へ、すぐの信号を左(西)へ道成りに進むと

 横手市消防団大森支団 第3分団昼川班器具置場が左にあり、約40m先を左(南西)へはいると

 右手の耕作地(田圃)の中に島の様に白山神社が南東向きに鎮座します

 参道入口に車を止めさせて頂きました

 南東側から参道を進みます

 境内に大きな杉が在ります


 白山神社の社號標です

 境内入口の鳥居です

 「大森町指定文化財 白山神社境内四本杉」の標柱です、文面には・・・
 保路羽山波宇志別神社の御神体を供奉してこの地に来り、この四本杉の下に昼寝したと伝えられている。

 説明版です
  横手市指定天然記念物
    白山神社の大杉
      昭和59年11月15日指定
 現在の白山神社に境内に、四本の杉が一株になって叢生している。
 白山神社のもともとは、大森町上溝字昼川の北西の山中に白山姫神社としてあったが、康和年間(1099~1104)に老朽化した堂を、羽貫氏(讃岐五平衛氏の先祖)が現在地に再建したといわれている。
 白山神社の祭神は、神社本殿が山上にあった当時、二度の全焼火災にあったにも拘わらず、木造のご神体は焼けずに灰の中から出てきたことから「火伏せり神」として信仰されている。
   令和3年3月
   横手市教育委員会


 目的のスギを南側から見ました

 東側から

 社殿です

 軒下の懸け額です

 境内西側に境内社です

 北側(社殿脇)から

 西側から見上げました

 では、次へ行きましょう
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