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6年目の10月23日(土)

2010-10-24 21:47:00 | 新潟県中越大震災

▲6年目の妙見道路崩落現場
 普通の通勤道路に戻っているが、右手から落ちてきた大岩のシルエットだけが「あの時」を物語る。

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 6年目のその瞬間、あの場所に立っていたのは私一人だった。

 朝から各駅停車に揺られて小千谷へ向かう。
 国境の山々の紅葉はやはり遅い。震災1週間後に湯沢で見た紅葉がやけにきれいだったことを思い出す。目立つのはナラ枯れの茶色い帯。ドングリのなる木である。クマが里に下りてくることは夏のころから分かっていた。

 小千谷の手前の旧川口町では、黄色いハンカチが揺らめいている。震度7の町・旧川口町では黄色いハンカチが復興の象徴となっている。
 いったん小千谷を通り越して長岡へ。

 所要を済ませた夕方、長岡のイベントのある会場に向かう。
 そこでは竹の中にろうそくが仕込まれており、今まさに点火が始まったばかりだった。

 ちょうど良い時間にバスがあって、それに乗り込む。小千谷に入って最初のバス停で降りる。そこは2人の犠牲を出したあの有名な場所である。日中は献花台が置かれ、黒服の係員が待機していた。だけど夕闇迫るこの時間、それは撤去作業中だった。
 闇に溶けていく大岩のシルエットはあの日のままである。この道は地元の人の通勤の道で、この日のこの時間もたくさんの車が行き来する。ここで右手のアンダーパスに潜っていくと、被害が大きかった東山や旧山古志村へと続く道となる。街灯の少ない道をヘッドライトをつけて車が何台も山を上っていく。
 やがてその瞬間が訪れる。
 県道沿いのバス停でただ一人の黙とう。

 その2分後に来たバスに乗って小千谷駅方面へ。
 小千谷でももう公式の慰霊行事は縮小されており、駅前は日常の風景。6年前に大きな被害を受けた家が撤去され、そこがぽつんと抜けている。6年間放っておかれた川向こうのビルもようやく撤去の方針が決まったらしい。
 家に向かう途中、ちょっと寄り道。
 明日のイベントの前夜祭として、キャンドルが点されているという場所に向かう。




 あの夜、実家に最も近いここに近在の人が集まった。だけど度続く余震に、この建物も危ないかもしれないと、寒空の下に出されてしまった母たち。電気もガスも水道も電話も全部途絶したあの晩、正確な情報はほとんどだれも持っていなかった。
 満月が上る綺麗な夜空はあの時を思い出させるとキャンドル傍に立つ人が言う。

「だんだんイベントが小さくなっていくけど、やっぱりこの日だけは特別なんだ」という声も聞こえる。

 震災後に生まれた甥っ子が母と一緒に来ていた。一緒に実家に帰った。



今日が父の命日で、、、

2010-10-22 21:47:00 | 新潟県中越大震災


▲花火ファンタジア「恋する花火の二重奏」@NARITA花火大会in印旛沼
 赤が女性で青が男性を表しているんです。

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 洗濯物が乾きにくくなってきたので浴室乾燥機を使っているが、コストが気になるので、チョビチョビしか使えない自分の小心さ(笑)

 さて明日は10月23日。
 新潟県中越大震災から丸6年である。
 さすがに5年を超えての「その日」であるから、大規模な復興イベントはもうないが、各地で合同慰霊祭などは行われる(ちなみに話題のキャンドル・ジューンは小千谷に店を持っていたりする。慰霊の灯を灯したこともあるし)。
 そうだよね、もうあんまり引きずりたくないよね。むしろ引きずっているのは、あそこで日常生活を送っていない私の方なのかもしれない。
 だって、あの地震と同じ曜日なんだもの。たぶんみんなも普通の土曜日を装いながらついつい思い出してしまうのではないのだろうか。

 ということで、明日は小千谷に帰る。

 5年ぶりの「当日」の帰還である。
 2005年、震災1年目に仕事にかこつけて長岡入りして過ごしたあの年以来である。
 1年目は敢えてハイキーなテンションで花火も上がったし、人々も「強がって」いたように思う。
 時が経ち、季節が巡り、だんだん自然体に戻ってきた。そんな6年目を迎える。



 なんだかんだとついでに顔を出してこようと思うところがあるので、結構忙しくなりそう。

胸が詰まります

2010-07-23 23:13:00 | 新潟県中越大震災


▲三重芯変化菊@たまむら花火大会
 他人様の写真を見たら、ぜんぜん違う色に写っていてビックリした。特に色加工しているつもりはないのだが、カメラの特性だろうか…。

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 朝、汗だくで起きる。前夜風呂に入っているのに台無しである。
 そうやって暑さ疲れをしているのだろうか、久々に乗り過ごした。慌てて戻ってセーフ!




 「待ちに待った」プロ野球のオールスター戦。第2戦は明日、新潟での開催である。
 本来は2008年に初めて新潟県で開催されるものであった。



 しかし、2004年に新潟を襲った2つの大惨事(7.13水害と新潟県中越大震災)のため、辞退を申し出たのが2005年のこと。
 そのころの知事と報道記者のやり取りが残っている。
 http://chiji.pref.niigata.jp/2005/08/post_dddd.html

 確かにそのころはまだ両方とも復旧工事の真っ只中だった。そして、2007年には新潟県中越沖地震で再び災害が県を襲った。
 新潟県中越大震災は2007年春に最後の避難勧告が解除されたが、住民が元の生活に戻ったわけではなかった。新潟県中越沖地震の被災者は、昨年はまだ仮設住宅から柏崎の花火を見ていた。

 ようやく0になった今年、2年延期しただけで再び新潟を開催地に選んでいただいたプロ野球のオールスター戦。隔年で地方巡業に出るため、実質的に1期分の延期であった。

 ここまで漕ぎ着けたことと、それでも新潟を優先に考えてくれた日本プロ野球機構に素直に感謝したい。
 いかん、涙がこぼれそうだ。


 明日18:00、プレーボールである。


理想と現実

2010-05-31 21:24:00 | 新潟県中越大震災

▲昇小花付八重芯紅大ダリア(ホソヤエンタープライズ)@花火観賞士の集い(大曲)

 …ホソヤさんに関しては、新作花火のプログラム写真がチラツイテ…。

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 夕べは週末の画像編集を終えた後、夜週末の原稿に手直しを入れたので、眠い。月曜からこんなに眠くてもいいのだろうか…。しかし、自主的3連休の後だから、会社には行かないといけない。





http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/12015.html
 宮崎の口蹄疫で気になってはいたが、やはり越後の牛の角突きにも影響が…。一応県外からやってくる牛もいるんだよね。さすがに宮崎からやってくる牛はいないけれど…。
 先日の初場所が過去最大急の観客を集めただけに、その勢いを途切れさせるのはちょっと残念である。

 一方、山古志の角突きは開催されたようだ。
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/12144.html
 しかし、一大事だな…。畜産団体が宮崎県に抗議をするのも分からなくもない。


 
 岩手宮城内陸地震から2年。現場はまだむき出しの地すべり跡が残っているってニュースである。
http://www.asahi.com/national/update/0530/TKY201005300230.html

 でもさ、5年たった新潟県中越地震だって、まだむき出しの地すべり跡がけっこう残っているのだよ。

浦柄崩落箇所合成
浦柄崩落箇所合成 posted by (C)樹美
 ここなんて、県の震災メモリアル構想からも外れているみたいだし、元は県道だったところにはみ出しているし、少し整備したっきり放置され続けているんだよね。例のがけ崩れ現場のすぐ近くである。どないするねん?



 そして、こんなニュースも…。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100525-00000088-mai-soci
 私は中越沖地震で震度6弱を体験したけれど、その場にいるだけで精一杯。そこから動いてどうにかしようなんてできない。所詮、あんな指針は机上の空論であることがよく分かる。
 だから、学校の避難訓練も無駄なんだってば…。
 机の下に入れないし、机ごと左右に揺さぶられるんだから。



▲昇小花付八重芯菊先紅光露(菅野煙火店)@花火観賞士の集い(大曲)

わたぬき

2010-04-01 21:23:00 | 新潟県中越大震災


▲新作花火コレクション
競技花火の合間のインターバル花火。昇り銀竜 キキョウ芯ヤシ先方向変化

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 東京は曇り時々晴れだったが、その晴れ間の日差しがまっすぐ強い。
 冬至は太陽の力が一番弱まる日という考えがあるが、立春・春分を過ぎ、太陽は確実に力を回復しつつあるといえるだろう。
 なのに、西の方の高校野球の殿堂では第2試合が雨天順延となった。まっすぐな日差しを見ているととてもそうとは思えないのだがが、雨雲は確実に西から東へ向かっている。


 4月1日。
 さまざまな会社で新入社員の入社式が行なわれている。ウチの会社は新入社員はまったく入らない(中途採用ばかり)ので通常通りの1日だ。
 でも今朝は、通勤電車でも新入社員らしい「スーツに着られている」系の人って見かけなかったのだよね。新卒採用者が減った影響だろうか…。

 そして、新潟県中越地震の震源の町、川口町がなくなった。長岡市と飛び地合併をしたのだ。父の出身地であるだけに、ちょっと寂しい。
 長岡市は地震の翌年に周辺の町村を抱き込んで一気に大きくなった。吸収されていった町村は、そのアイデンティティを失っていっているように思う。町の祭りもなくなり、なんとなく人々の記憶から消えていく…。そこに町は変わらずあるのに、なんだかとっても不思議なものである。