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日本はどうなったの

2011-03-12 04:48:00 | 新潟県中越大震災
 一体なんなの! 今度は信越国境で震度6強(長野県栄村)! あの辺りは3mを超える積雪があると思われるのだが、大丈夫なのだろうか…。被害が雪で見えない可能性も高い。雪崩情報が出ているらしい。
 4時前の1回目は小千谷の辺りでも5弱。ウチの弟は出勤体制に入ったころと思われるが(母も起床)大丈夫だっただろうか…。


 昨日の東北の余震も相変わらずのようだし…。
 連絡が取れないというローカル線も心配だ。


【追加】
 実家の方は6時過ぎに連絡を取りました。さすが新潟県中越地震経験者、震度5弱程度では落ち着いたものです。1歳児の甥っ子も落ち着いて朝ご飯中でした。

無事に帰宅

2011-03-11 21:28:00 | 新潟県中越大震災

 会社から1時間半ほど歩いて先ほど帰宅しました。明日の帰省のために早く帰りたくて会社を出たのですが、途中、週末の試験の延期の連絡が入り(新潟清酒達人検定の事務局の皆様、ご連絡ご苦労様です。あ、「新潟酒の陣」も中止です)、目的喪失。それでもまぁ、タッタカタッタカ歩いてきましたよ。
 もともとこういうことを想定して、会社から一駅二駅と歩くテストをしていたのですから、実際に役立つ場面に出くわして、正直複雑な気持ちです。



 新潟県中越大震災(の余震)、中越沖地震の震度6弱を実家で体験して以来、地震には非常に敏感になっている。
 今日の地震も最初に感じたのは小さな縦揺れだった。その後、それが小さな横揺れとなり(この時点で、プレート型地震と認識)、徐々に揺れ幅が大きくなっていき(震源は遠い、おそらく東北沖と推定)、やがて椅子に座っているのが危険と判断するようになった。仕事の書類が積み上げられているデスクからはなだれのようにそれが落ち、ビル全体からミシピシといった音とともに激しい揺れとなった。
 その揺れの中で、ネット経由で上記の推測が当たっていたことを知る。
 大きな揺れは収まり、でも揺れ(長周期振動)がまだ続いているうちに辺りを見回すと、天井パネルが落ちかけており、あわててビニールひもで立ち入り禁止状態に。仕事に使う特殊デスクの足が一つ折れている。書棚からは本がこぼれ、重いコピー機も動いた後あり。ビルの管理室からエレベーター停止の放送が入る。それらを片付けているうちに第2の揺れがやってきた。
 この揺れの後、会社のスタッフはみなビル外に非難してしまった。私は、上記のような判断で、自己責任でオフィスに残った。その判断は功を奏し、やってきたクライアントのリスク管理の初動手配を行う。
 聞けば、同じビル内にいるクライアントも部長以上はビル外に避難させたそう。ウチの部長クラスは本日は関東外に出張中で難を免れた。

 外を見ると、ビルのガラスに隣の高層ビルが映っていることに気付く。しかもそれがユラユラと明らかに揺れている。あの時間、西新宿の高層ビル街にいた人はさぞや恐ろしかったであろう。


 後片付けをしているうちに猛烈に時間が過ぎる。眼下には、早くも自宅に向かって歩き始めたと思われる人の列。バス停には長ーい列ができる。
 クライアントさんはお客様の安全確認や明日以降の催行の判断などで忙しく、今日の私の進行は断念せざるを得ない。定時を待って早々に会社を辞することにした。
 JRはすでに動かず、メトロもおそらく8時過ぎまでは動きそうにないだろうという判断で、歩くことにする。まだ私は会社から家まで8キロなので楽勝だが、遠くから通勤している人は、早々に会社に泊まる決意をしていた(そんな中、埼玉の奥にお住まいの人も歩き帰宅を決意)。
 私のような考えの人は多く、幹線道路沿いは結構な人の行列となる。隣の車列は動かず…。

 道中、コンビニや飲食店はどこも大盛況であった。もっとも、郊外に行くにしたがって、早々に閉店というパターンが少なくなかったが…。
 居住区に入り、区役所前を通ったら、災害対策本部のテントがあった。そこでは徒歩帰宅者向けに水を無料提供していた。
 自宅に到着。案の定エレベーターは停止しており、非常階段から家に入る。

 何が大変かって、進行方向から吹いてくる冷たい北西季節風。なんだかんだとウチにたどり着いた時にはほっぺたがプチしもやけ状態であった(もう治ったけれど)。



懲りもせず…

2011-02-24 22:14:00 | 新潟県中越大震災

▲ノースポール@ベランダ
 冬の花壇の定番。今シーズンから一株参入~。

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 届かなかった…。

 今日は、朗報はなかった。折り重なる遺体の収容とか…。日本隊が救助に入る前に「崩壊現場には生存者がいる反応がない」と言われていたそうだから、予想通りの展開なのかもしれない。
 でもやはり無念だ。




 そんなところ、またこんなことが…。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110224-00000003-jct-soci
 まったく何も学習していないマスコミたちよ…。こんな恥ずかしいことまで「輸出」しないでほしい。
 これさ、もっと日本で叩かなければだめだと思う。新潟県中越地震の時も、その後も、災害のたびにこんなトラブルが繰り返されている。
 被災者の心情を害した、遺族の人権を侵害したということで、多額の慰謝料を請求していいと思う。そうやって、痛い目に合わなければ分からないのだから…。

 本当に腹立たしい…。


 今朝、某新聞のトップ記事を見てもちょっとイラッとしたんだよね。
 そんな扇情的な記事が本当にトップに必要なのか。本当にその人を取材しなくてはならなかったのか。もっと伝えるべきなことがあるのではないか…。


 本当に、取材者の質の劣化は甚だしいし、その記事を掲載するって決める上の劣化はもっと悲惨だ。
 他人の不幸は蜜の味、って思っているんだろうな…。



 そんな記事を喜んで読んでいる方も、自分がいざ被災者になった時にいろいろ踏みにじられるんだから、肝に銘じておくといい。


心乱れて

2011-02-23 22:20:00 | 新潟県中越大震災

▲クロッカスサイタ@ベランダ
 今年は小さな花が次々と出てくる

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 やっぱり、こころがざわつく。
 はるか遠い国での地震。直接は関わり無いのだけれど、どうしてもあの地震の光景が思い出される。こうやって、時々揺さぶられながら時間が経過していくのだろうか…。
 一種のトラウマだ。

 今回は、震源の深さが5キロと非常に浅いもの。それだけ、地震のパワーが地表面に減衰されないまま発現したものと思われる。
 加えて、地震多発地帯にありがながらも、実はあんまり地震の経験が無かったあの都市では、古い建物を中心に耐震措置が取られてなかった。地震をほとんど経験していないからこそ、石組み.レンガ造りの建物が残ってきていたといえる。でも、現代建築のビルまで倒壊するなんてひどい話だ。



 日本からも救助隊が出発したらしい。
 ネットではもっと早く行けないのか!、とか結団式とかやっている暇があるのか!とかの意見もある。
 一つの事象だけを取り上げればそうなのかもしれないが、政府専用機は北海道にあって、すぐには飛べないこと、結団式はその時間に行ったことなど事情が分かれば納得いく。
 それに、おそらくまだ現地が混乱しているときに押し掛けるのは必ずしもベストではない。向こうの受け入れ態勢ができていなければ、結局NZで無駄な時間を過ごすことになる。
 もうさ、感情だけで突っ走るのはやめようよ。
 日本は地震大国で、その手の経験はたくさんしているんだから…。まぁ、こういうことをいう人に限って、大震災の経験はなく、そして家の耐震対策を取っていなかったりするからつける薬がないんだけれどさ…。


 とにかく、願わくば、できるだけ早くひとりでも多く救出されますように…。


 そうそう、先日の豪雪の際、「雪下ろしで亡くなる人がたくさんいるのだから、屋根に転落防止の命綱をつける施設の設置を義務付けるべき」だと大新聞に投稿している人がいた。
 そういう人に限って…

 「静岡県人」

 オメー、一度でも雪下ろしをしたことないだろう。それに雪国の屋根事情を見たことないだろうって思った。そんな転落防止の命綱設備をつけるぐらいなら、屋根そのものを変えるわ! 設備だってタダでは付かんのだぞ。
 実際、雪国では建て替える際、雪下ろしをしないで済む構造にする。実家は、屋根の雪が滑り落ちるタイプ。ほかに屋根裏に暖気を流すことで、積雪量を減らすのがあったり、大胆なのでは屋根に消雪パイプを配したりする。
 だから、そういう屋根でないところは、いつか屋根だけでも直そうと思いつつ、金がないからまだだね~と思っているんだと思うんだよね。そんな人に、命綱設置義務なんて現実的ではない
 まぁ、できるところからって発想ならいいのだけれど、どうもあったかいところでミカン食っている奴の「上から目線」で、腹が立った次第である。



▲スノードロップ@ベランダ。
 今頃芽が出てきたのもあるのだが、咲くのだろうか…。



祈りはいつまでも

2011-01-17 20:25:00 | 新潟県中越大震災

▲ごみではありません、アメリカヤマアラシです@東山動植物園(名古屋)。
樹上性のヤマアラシで、アメリカバイソンと一緒のスペースにいた。この日は雪がちらついていたからか、まん丸くなってご尊顔は拝せず…。

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 時が過ぎてしまっても、忘れられないことがある。10月23日がそうであり、1月17日もそうである。



 あの日の朝、大きな地震が関西地方で起きたというニュースを聞きながら、家を出た。丁度そのエリアのガイドブックの仕事をしていた事もあり、会社でも話題となっており、いつもは休憩時間しか見られないテレビが終日点いていた。
 そこに映し出されたのは今まで見たことのない光景。


 そしてその10年後に10月23日が来たわけである。
 その際、神戸の皆さんからは特に勇気付けられた。同じ被災者の経験から実用的なアドバイスをいただいた。悲しい経験に裏付けられた言葉は重く、尊い。震災から苦労して復興してきた力は、強い励ましとなった。
 今日は祈りの日である。


 傷つくのは物事ばかりではない。
 自然のあまりの破壊力に心も傷つく。それは時しか癒せない。傷ついたら、時には小さく小さくなって、ただ時間を過ぎるのを待つというのも一つの方法である。





 近所のスーパーにフォロのドレッシングが復活していた。これがあれば、サラダが何杯でも「ボールで」食べられるというものである。
 しばらくは草食系だな…。



▲寒中、ヒヤシンスの花が咲いている。室内ではなく、屋外である。