会社から1時間半ほど歩いて先ほど帰宅しました。明日の帰省のために早く帰りたくて会社を出たのですが、途中、週末の試験の延期の連絡が入り(新潟清酒達人検定の事務局の皆様、ご連絡ご苦労様です。あ、「新潟酒の陣」も中止です)、目的喪失。それでもまぁ、タッタカタッタカ歩いてきましたよ。
もともとこういうことを想定して、会社から一駅二駅と歩くテストをしていたのですから、実際に役立つ場面に出くわして、正直複雑な気持ちです。
新潟県中越大震災(の余震)、中越沖地震の震度6弱を実家で体験して以来、地震には非常に敏感になっている。
今日の地震も最初に感じたのは小さな縦揺れだった。その後、それが小さな横揺れとなり(この時点で、プレート型地震と認識)、徐々に揺れ幅が大きくなっていき(震源は遠い、おそらく東北沖と推定)、やがて椅子に座っているのが危険と判断するようになった。仕事の書類が積み上げられているデスクからはなだれのようにそれが落ち、ビル全体からミシピシといった音とともに激しい揺れとなった。
その揺れの中で、ネット経由で上記の推測が当たっていたことを知る。
大きな揺れは収まり、でも揺れ(長周期振動)がまだ続いているうちに辺りを見回すと、天井パネルが落ちかけており、あわててビニールひもで立ち入り禁止状態に。仕事に使う特殊デスクの足が一つ折れている。書棚からは本がこぼれ、重いコピー機も動いた後あり。ビルの管理室からエレベーター停止の放送が入る。それらを片付けているうちに第2の揺れがやってきた。
この揺れの後、会社のスタッフはみなビル外に非難してしまった。私は、上記のような判断で、自己責任でオフィスに残った。その判断は功を奏し、やってきたクライアントのリスク管理の初動手配を行う。
聞けば、同じビル内にいるクライアントも部長以上はビル外に避難させたそう。ウチの部長クラスは本日は関東外に出張中で難を免れた。
外を見ると、ビルのガラスに隣の高層ビルが映っていることに気付く。しかもそれがユラユラと明らかに揺れている。あの時間、西新宿の高層ビル街にいた人はさぞや恐ろしかったであろう。
後片付けをしているうちに猛烈に時間が過ぎる。眼下には、早くも自宅に向かって歩き始めたと思われる人の列。バス停には長ーい列ができる。
クライアントさんはお客様の安全確認や明日以降の催行の判断などで忙しく、今日の私の進行は断念せざるを得ない。定時を待って早々に会社を辞することにした。
JRはすでに動かず、メトロもおそらく8時過ぎまでは動きそうにないだろうという判断で、歩くことにする。まだ私は会社から家まで8キロなので楽勝だが、遠くから通勤している人は、早々に会社に泊まる決意をしていた(そんな中、埼玉の奥にお住まいの人も歩き帰宅を決意)。
私のような考えの人は多く、幹線道路沿いは結構な人の行列となる。隣の車列は動かず…。
道中、コンビニや飲食店はどこも大盛況であった。もっとも、郊外に行くにしたがって、早々に閉店というパターンが少なくなかったが…。
居住区に入り、区役所前を通ったら、災害対策本部のテントがあった。そこでは徒歩帰宅者向けに水を無料提供していた。
自宅に到着。案の定エレベーターは停止しており、非常階段から家に入る。
何が大変かって、進行方向から吹いてくる冷たい北西季節風。なんだかんだとウチにたどり着いた時にはほっぺたがプチしもやけ状態であった(もう治ったけれど)。