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初めてづくしの入院生活(出所編)

2020-04-02 23:24:00 | 雑事つれづれ

▲最後の朝餐。朝ごぱんの多めな病院でした。根っからのお米党としてはかなりガッカリだったのだが、「ジャム職人」としてはだいぶ成長したと思うw

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 「血のバレンタイン事件」から6日目。夕方、装具が納品された。予定より1日早かった。
 
 ……スキー靴!?

 靴タイプとは聞いていたが、メッチャやっすいスキー靴っぽいものが来た。かつてバリバリスキーヤーとしては、こう何というか「上がらない」感が…。おれの金で買ったのだから言ってもいいだろう(この時点では金は1文も払っていない)。

だっさ! 


▲どう見てもやっすいスキー靴にしか見えない装具。でもお高いんでしょう(ハイ( ノД`)シクシク…

 とはいえ、これでリハビリをしていけば退院への道が開ける。すでに当初の入院期間をオーバーしている身としては、もう早く退院したくて(有給残とお仕事方面からのプレッシャーがかなりきつくなってきていた)、久々の前向きなアイテムの登場というわけである。
 さぁ、これでリハビリも…。

 看護師から「先生が見に来るって言ってたよー」と聞かされて、ずーっとベッドの上で待っていた。が、夕飯を食べ終わっても先生が来る様子がない。こりゃ今日は来ないか!? と思った頃に主治医が白衣をなびかせて走ってきたーー。

 装具来たでしょ! ちょっと履いてみて!!

 っていきなり。えぇ!? いきなり!? 
 どうやって履くのかわからない初心者の自分と、実は装具は初めて治療に投入するらしい先生(こっちも初心者かよ!?)。いやぁ、僕もよく分からないんだよね~、これ初めて使うからさぁ~。ここはこうやって通すのかなぁ…と何とも心もとない装着。そしていきなり、片足で立ってみろという。

 えぇ!? 今まで絶対荷重不可の右足でですか!?

 そうそう、ホラホラ早く!とせかす主治医

 こちとら入院以来右足は常に地面から離していて、先生の言う通りに荷重してなかったんで、全然この右足で立つ自信がないんですが…。という私の逡巡なんて聞く耳も持たず、ホラホラとせかす主治医。
 こわーーい!! と叫びながら、右足に荷重して、左足を床からそーーーーっと離す。


 はっ! 立てる!! 痛くない!!!!

 ほんの1秒か2秒、そんなわずかの時間ではあったが、右足を地につけて立った。

 それを見た主治医は満足そうに帰っていった。明日から荷重リハビリだよ~言い残して…。


 そして翌日、朝いつものリハビリの人が来て、装具納品されたんですねって話しかけてきた。そして、だけど荷重許可が出てないんですよね…。

 えっ!?Σ(゚Д゚)

 先生、昨日指示出すって言ってたじゃないですか!? なのに忘れた!? 指示していない!?(この病院、口頭指示ではなくPCで患者情報共有しているので、そこに荷重許可の情報が入っていないと、理学療法士もそのリハビリに移れない)
 ということで、結局装具は病室に置いたままいつものリハビリを行うことになる。

 結局、その翌日にようやく荷重許可の登録がされ、1日遅れて装具付きのリハビリかと思ったら担当リハビリの人が休みでまた1日お預け…。
 結局2日遅れての装具訓練となった。(ちなみに、この日から病院はコロナ禍による面会禁止になった。隣のおばあは面会に来る旦那との会話が声が大きかったので正直助かった)

 装具付きのリハビリを始めて思ったのが、右足の筋肉の喪失。約1カ月右足に荷重をかけていないから、筋肉がなくなっていた。左右の足を比べると右足がかつてないほどのスリムさ。あまりのほっそりさに両足の写真を撮って妹のスマホに送り付ける。
 「姉ちゃん史上最大のほっそりさ!!!!!」とリプが帰って来たw

 以後、地道にリハビリ生活を過ごす。松葉杖の歩き方も姿勢が大事。ちゃんと傾かないようバランスよく歩くことを要求される。装具をはいてる分右足が長くなるので、結構気を遣う。まずは姿勢正しくまっすぐ歩くことをマスター。しかし、ほっそり右足が何とも心もとなく長距離歩くのはなかなか難しい。すぐ疲れる。まぁ病院の中をうろうろするしかなく、コロナ騒動もにぎやかになって病院内も剣呑な雰囲気を感じることもあり。なかなか息苦しい時期になってきた。
 しかし片松葉になったり、階段上り下りなども取り入れられ、退院後の生活も見えてきた。

 幸い、我が家はかなりバリアフリーで、自宅に入るまで玄関の上がり框の段差のみがバリアという物件であった。風呂も手すりが設置され、脱衣場との間もフラット。エレベーターもあるので退院後の自分の生活が見えてきた。
 そうなると早期退院を(すでに予定期間を大きくオーバーしている)と思いを巡らすのだが、なかなか退院許可が出ない。
 どうしてかなぁ…。そろそろ退院しないと会社クビになっちゃうよ~。と泣きそうになったころ、どうやら状況が聞こえてきた。合議制で、えらい先生が渋っているらしいと…。
 入院していた病院、整形外科の評判が良いのは知っていたのだが、その偉い先生が、まだ退院には早いんじゃないかと思っていたらしい。それで、なかなかコトが進まなかったと後になって知る。主治医の思惑ひとつで決まるものではないのね…。財前教授か!? お前が止めていたのか…(違!)

 そうこうしているうちに、栄養士が退院後の栄養指導の予約を入れてきたり、一時外出のリハビリが組まれたりと、これは周りの人(そして私より先に退院した人たち)が辿った道じゃね!? という状況になってきた!よし、今週か、来週には退院したいじょー!って思っていた時、ようやく退院通知が来た! 

 主治医が相変らず走ってやってきて、今週末退院できるよ!って告知\(^o^)/

 って気持ちになったのだが、その日私は臥せっていた。前日の一時外出で1カ月以上ぶりに病院外に出た反動なのか、なぜか発熱して、リハビリも何もできなくベッドに沈んでいたのだ。先生がうれしそうに話すのに、こっちはかぶった布団も動かせず、わずかに顔を出して涙目でうなづくしかできなかった。
 
 先生ごめんよ。一緒に喜べなくてスマン…。

 マジでその日だけ苦しかったんだよ。ごはんは全部食べたけれど(これ家訓だから)。朝の微熱が夜まで徐々に上がり、夕方にはぐったりだったんだよ…。
 熱は一晩寝たらすっかり下がった。

 そして、その週末、ようやく退院となる。


 その前に41日分の請求書を突き付けられて、泣きました。保険が出るまで猶予してくださいって、月2万づつ払う誓約書を書きました。会計のおばちゃん怖かったよ~。

 入院したときと同じく、一人で荷造りして、一人で病院を出て、さすがにタクシーに乗ってようやく帰宅。部屋には奈良から帰って来た荷物がそのままに残り、そしてベランダの花たちが咲いていた。
 時は止まり、流れていた。



▲帰宅した家で約1カ月だれにも世話されなかった花が生きていたことがうれしかった。