gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

堀田まつり(クラファン)

2021-06-08 02:59:00 | 花火

▲左の「まきわら船」は動かないものだと思っていた時もありました…。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 最初、この花火を知ったのは4月上旬。クラウドファンディングで見かけたものであった→https://camp-fire.jp/projects/view/406386?utm_campaign=406386&utm_medium=stepmail&utm_source=report

 当初、熱田神宮の花火かと勘違いしていたが、関東ではあまり見られないまきわら船が見られる花火ということで、それほど逡巡もせず、クラファンの支援をしたのが始まり。
 途中で、人から指摘されて勘違いが発覚したが、それはあまり重要ではない。
 まぁ、煙火店さんが絡んでいるからというのもあったんだけれどね。

 日頃「大玉が標準」と言っている越後産の自分であるが、今年も昨年と同じく花火の中止・延期が続き、深刻な煙分不足に陥っている。この際、見られる可能性があるものは積極的に見に行こうという気持ちになっている。
 そうこうしているうちに名古屋の夏花火の先駆けとなっていた西枇杷島や熱田の花火が中止にされ、結局この堀川の花火だけが残った。
 昨年12月に初めて熱田神宮に参拝したが、今回は駅は同じでも反対方向へと向かう。なんだか複雑な歩道橋をくぐって渡り、開けたところが「宮の渡し公園」で堀川が流れていた。
 すでに台船が堀川に浮かび、まきわら船は古の湊に接岸していた。
 コロナ禍は今年も衰滅せず、屋台曳きや出店などはなかったが、徐々に進むまつりの準備の様子は見ていてもワクワクする。関東圏とはどこか空気が違う中京の祭りはいくつか体験しているが、ここもまた面白い。

 現地に着いてみれば、やはり知人がいたし、後からも別な知人が到着していて、大規模ではないけれど、この手合いはどこかからやってくる。まぁ、自分もだが…。
 ご近所さんはまだ集まらないけれど、散歩がてらに様子を見に来ていたりしていた。

 暗くなってくると、地元の方々もいつの間にか集まってくる。ご時世で、「あまり密にならないでください」「間隔を取って見てください」とスタッフが声をかけるが、前へ前へと行きたくなるのは人情。なんか子供が足元の空間を縫って最前列に出てきたぞ。頼むからぴょんぴょん飛んで三脚にぶつかるのはやめてくれ(>_<;)若いお母さんも見て見ぬふりをしないでくれ~。

 若干押されながら、おばあちゃんのスマホでの撮影を手伝いながら、夜がやってきて、打ち上げ開始でございます!!


▲花火が打ちあがると、まきわら船も動くんですよorz


▲花火は、川に浮かんだ台船から打ち上げられる

 そして、この辺りで気付く。三脚がバカになっている!? 左のパン棒が固定できないという事態…。以後、必死に手で固定しながら撮っておりますw
 先日別な三脚が修理から戻ってきたばかりだというのに、この子もまた修理送りしないと…。


▲川幅は広くないので、全部小型煙火


▲ブシャー!!っと、近くなので迫力あります


▲点滅シリーズももちろん


▲点滅シリーズは、最初の方のは絞り切れなかったという(;^_^A


▲ザラもちょっと違ったものが
 (水面に映る花火に入っている影は、川面近くで人が下りてこないか見回りしているスタッフの頭です)


▲奥~の方に橙色の灯が見えるのは遊覧船。手前右側が「七里の渡」。ここから乗って海に出て(当時はこのすぐ先が海だった模様。現在は周囲が埋め立てられて何キロも先の河口で海に出る)、三重県桑名までがおよそ「七里」の距離。東海道の唯一の海路。近くに熱田神宮があり、この辺りは「宮宿」東海道41番目の宿泊地として栄えていた。遊覧船は河口辺りで引き返し、ここに戻ってくる。


▲地図を見ていて気付いたんだが、この掘川、冬名港の左側で海に出る川だったんだ。遡ると名古屋城につながっているらしい。(そしてスタッフの影)


▲まきわら船には囃子手が乗っていて、常時出たり引いたりしている。これが止まってくれないのも誤算だったorz


▲水面にパッと散る金魚花火


▲フィナーレ


 おそらく反省会で、混雑状況は話題に上がっているんじゃないかなぁ。いや、上げてくれ。すべて人の善意に頼っているだけだったからなぁ。スタッフは水に人が落ちないことに神経を配り、土手下の警備はしていたけれど…。
 ロープで区切って、一定数に達したら次のゾーンとするなど、もうちょっと制限があってもよかったのかもしれない。

 時間にすると短いものだし、街中だから大きな花火も上がらない。 
 でも歴史と伝統に培われたもので、いったん途絶えたらしいが、今後も長く続けて行って欲しい行事だった。