針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

今日はちょっとぼやきです。

2025-01-11 22:14:05 | 針の政治談議

一寸「自由」という言葉について。「自由、自由」とやたら降り撒いているけど、自分に甘い人間ほど自由を振りかざしたいね。そういう人の自由は自分の我儘、思惑、自分本位と結びついてしまう事が多い。そして強硬な方向に結び付く事も多々あるね。

中國では漢の終わりの「洛陽の董卓」「ドイツのヒットラー」、「今の共産党と習近平」、「ロシアのプーチン」と皆そうだね。

よく「権利、権利」を唱えるけど、法治国家の中で憲法保障がある訳で基本的人権もしかりだ。屁理屈を言って権利を唱えてもそれは誰からも支持を受けないね。先日「イーロンマスク氏」の話が出てきたが、会議で率先して意見を言う人間はいなくて彼に問われると其処で初めて口を開くんだそうだ。

何時の時代にも強硬路線が優先してしまい、そういう会社、国が駄目な方向に落ち行ってしまいます。嘗ての日本陸軍の時もそうだった。「赤」とか非国民」と言う言葉で人の心を牛じってしまった結果が日本を喧騒に巻き込んでしまいました。

今のロシアのプーチンだってそうだ、最初は尤もらしい事を言って人を信じこませて挙句、多数決と言う方法で人を烏合の衆と化してしまうのは大変危険だと思いますね。

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黄飛鴻(数々の映画が出された)

2024-12-31 21:04:03 | 武道・拳法の話

黄 飛鴻(こう ひこう: 黄飞鸿Huáng Fēihóng(ファンフェイホン)は、清末民初の武術家、元の名は黄錫祥、字は達雲、幼名を黄飛熊と名乗っています。原籍(本貫)は広東県広州府南海県(現・仏山市)西樵嶺西禄舟村。

                                                                 
                                                                                  黄 飛鴻

「広東十傑」の1人に称された武術家・黄麒英(ウォン・ケイイン)の息子で、父より南派少林拳の一派である「洪家拳(こうかけん・はんかけん))」を叩き込まれ、父と共に中国各地で演武および武者修行の流転旅を続ける少年期を送る。その技は13歳の時点で既に道場主に匹敵するほどの完成度であり、「少年英雄」と称された。

鐵線拳の元である鐵線技法は、五枚尼姑・方詠春より学んだ短橋狭馬の技を洪熙官(ハンシークァン)がまとめたとされ、虎鶴双形拳は南少林寺の至善禅師より学んだ長橋大馬の技を洪がまとめたものとされている。

やがて父の死に伴い、父が経営していた漢方薬局兼拳法道場である「寶芝林」の跡目を継ぐ。欧米列強の進出に伴い荒れる時代を予測して農民たちに武道を教え、自警団を率い民間レベルで治安の混乱を防いだ。のちに官軍や警察などにも同様に洪家拳を教授し、動乱時代の国の治安維持に尽くした人物として現在も評価が高い。

仏山市の中心地区にある祖廟の隣接地に「佛山黄飛鴻紀念館」が作られ、家族の紹介や関連映画、粤劇(えつげき)武侠小説に関する展示などが行われているほか、演武や獅子舞が披露されている。中国の武術家の中で、最も多く映像化されている《黄飛鴻》の彼は電影史上のヒーロー、中国近代史上では最大の武術家の一人。

                                                   

                                                     仏山黄飛鴻紀念館の入口

 

道光27年(1847年) 広東南海で生まれる。 咸豊(かんぽう)3年(1853年) 5歳で父の黄麒英から武術を習い始める。 咸豊9年(1859年) 父とともに佛山、広州、順徳など各地で武術を演じる。棍の達人を破り「少年英雄」の名を得る。

咸豊10年(1860年) 13歳頃、佛山豆豉巷で武術を演じているとき「広東十虎」鐵橋三の高弟・林福成の弟子となり、2年間学び鐵綫拳や飛鉈を習得する。同治2年(1863年) 父、死亡。広州に移り住み「寶芝林」館主となって第七甫で労働者たちに武術を教え始める。この頃から見世物の武術を演じなくなった。

同治5年(1866年) 西樵官山で盗賊団に遭遇し、一人で数十人の盗賊団を撃退する。同治6年(1867年) 西洋人が企画した「素手で猛犬を倒せたら賞金」の賭けに挑戦し「無影脚」で瞬殺、その名を轟かせる。

光緒14年(1888年)黒旗軍の劉永福に武術教官に招かれ、劉永福より「醫藝精通」の額を贈られる。民国14年(1925年)広州城西方便医院で逝去。

黄飛鴻の代表的な(伝説的な)技として有名なのが「無影脚」である。これは正式な技の名称ではないが、その素早さは疾風の如く、地面に足の影さえ映る暇もないほどの素早い連続足技だったことから、この名で称された。もともと足技主体の北派少林拳の一種の燕青拳の技だったが、飛鴻は北派の武術家・宋輝堂と自分が伝承してきた洪家拳の技の1つ「鉄線拳」とこの足技を交換教授して会得し、以後は自分の代名詞となるほどに磨き上げていった。無影脚についての公式な試合記録は数点現存しているがいずれもその脅威の速度と破壊力に言及しており、足技においては「彼以前も以降もない」とされている。

彼の伝えた武技は虎拳(伏虎拳、工字伏虎拳)、鉄線拳十毒手梅花拳梅花十字拳夜虎出林二龍争珠三箭拳五郎八卦棍胡蝶子母刀飛鉈など多岐にわたり、高級技法として五形拳(龍形・蛇形・虎形・豹形・鶴形と金行・木行・水行・火行・土行の陰陽五行を相克させた拳法)と十形拳(龍・蛇・虎・豹・鶴・獅・象・馬・猴・彪)を学ぶ。飛鴻は中でも「虎形拳」を大変得意とし武術仲間から「虎痴」とあだ名されるほど多用したと言われる。また父・黄麒英伝の五郎八卦棍少林五虎の1人・鉄橋三(本名:梁坤)の弟子「林福成」から学んだ鉄線拳を練習すると、屋根瓦が震えるほどの剛強な呼吸法だったと言われる。

獅子舞の名手としても知られ、その技術の高さから「獅子王」という称号も持つ。

飛鴻の没直後から、中国各地の新聞や雑誌などで黄飛鴻の伝記小説や武勇伝が盛んに連載されたことを機に一気に飛鴻の伝説は広まる。彼を題材とした映画は、第二次世界大戦後である民国38年(1949年)に制作された(関徳興)(クワン・タッヒン)主演の『黄飛鴻傳上集・鞭風滅燭』が最初である。以降おびただしい数の飛鴻映画が製作され、2007年現在までに香港で製作された飛鴻を描くカンフー映画は84本にのぼり、これは同一題材で製作された映画の数としては現在世界最多でギネスブックに掲載されている。彼を主人公にした作品で日本でも著名なものは、ジャッキー・チェン主演の『ドランクモンキー』や、ジェット・リーやリュウマンチェク主演の『ワンス・アポン・ア・タイム』シリーズなどがある。

飛鴻の弟子の1人であり彼の片腕とされた武術家・林世榮(ラム・サイウィン)の弟子、すなわち飛鴻の孫弟子にあたる劉湛(ラウ・ジャーン)の息子が劉家良(リュウ・カーリョン)である。飛鴻直系と言われる洪家拳を父から学んだ劉家良はその完成度の高さから「洪家宗師」と称されるが、もともと父が武術家としての傍らアクション映画に端役で出演していたことから映画関係にも明るく、やがてショウ・ブラザースを始め数多くの香港映画界でカンフー映画の武術指導を手がけ、自身も多くに出演するなどして香港カンフー映画の隆盛を支えた。なお前述の新聞等で連載された飛鴻の小説の作者・朱愚斎も、本来は林正榮の弟子の武術家である。

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たまには

2024-12-24 14:55:21 | フライの話

針外し「大腸癌」になってがんは綺麗に治ったのですが、抗癌剤の後遺症が残って何やるにしても根気だ無くなってしまいましたが先日、採血取ったらまたヘモグロビンが減ってまた疑わしい。

で胃カメラ呑んできた訳ですが、胃はピカピカに綺麗だった。食道の上の方に出血しているみたいでまたやる気が失せてしまいました。今度、それの結果待ちで外来に行くんですが,嫌ですね。嘗てブログ仲間だったmiddleaxisさん、そのお姉さんの佳純さんが死を待つ気持ちが嫌と言うほど良く分かります。

middleaxisさん、そのお姉さんの佳純さん fusiginamarimoさん ra9gaki_doさんと折角ブログ友達になれたと思ったらブログ閉じてしまって、残念ですね。
折角できた知己を無くすのも辛いですね)
 

とまあ、愚痴っても仕方がないので、暫くフライタイイングをしていないので、巻きたい気持ちが増して来たんですが、再びこんな状態になってしまって、やる気が出ません。結果が出たら覚悟を決めて巻こうと思っています。

 

                            

タイイングしていると色々なマテリアルを出して店を広げますんで、そこまで、「その気」になれないね。それまでは、動画と写真を見てどうやって巻いているかとか、下準備で行程を頭に叩き込んでおこうとします。

                         

とかなんとか言っても見ているとウズウズして、早くこういう風に巻いてみたいと思いますね。写真のフライアントだって、羽の長さにしてもやはり最後には適正さが物言ってきます。

                            

妙に羽が長かったりするとフックに対してもバランスが悪い。ま、フライトいうものは、そうであっても、そんな出来損ないのフライでも食ってくるのもありですが。

                           

兎角フライを巻いていて思うのですが、見ようによっては蜂とも取れるし、要はその人が「こうだ!」と決めて巻けば「蜂」にもなるし「トビケラ」にもなると言う事ですよね。

あー、早くすっきりしてとっかかりたいもんですね。

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香炉峰が出たので。

2024-12-10 21:35:27 | 漢詩・古典・エトセトラ

『枕草子』299段に書かれたエピソード…「かうろほう(香炉峰)の雪いかならん」と主である皇后に問われてお傍の女官のひとり清少納言が「すだれを挙げてみせた」という話で有名です。長恨歌の中の一節の「峨眉山の下、人の行く事稀なり」と「香炉峰」とをごっちゃにしてました。但し書きに書いてあるのがゴッチャになって覚えていたんですわ。

【香炉峰下新卜山居】

日高睡足猶慵起  日高く睡り足れるも猶起くるにものう

小閣重衾不怕寒  小閣しょうこうふすまを重ねて寒きをおそれず

遺愛寺鐘欹枕聴  遺愛寺の鐘は枕にそばだちて聴き

香炉峰雪撥簾看  香炉峰の雪はすだれをあげてながめる

匡廬便是逃名地  匡廬きょうろ便すなわち是れ名を逃るるの地

司馬仍為送老官  司馬はお老いを送るの官と

心泰身寧是帰処  心ゆたかにやすきは是れ帰処

故郷何独在長安  故郷独り長安に在あるのみなるけんや

                               

『香炉峰下新卜山居』訳

陽は高く昇り寝足りていながらなお起きるのはものうい。 小さな二階建ての草堂で布団を重ねて寝ているので少しも寒くはない

近くの遺愛寺の鐘の音は枕に頭をつけたまま耳を傾け。 香炉峰の雪はすだれをあげてながめる

廬山はこれ隠遁の地。 司馬という役職もまた老人用の閑職だ 。 心身ともにやすらかに過ごせるところこそ己が帰るべき場所。 長安の都だけがふるさとではないよ。


六本木に住んでいた頃、龍土町の西麻布の近くに「中華料理・廬山」がありまして、そこのシェフが作る団子(ゴマではなく、色の凄くケバイ色の団子)がとても美味しかったのを覚えています。何かの会でお店を使った時にお土産で出してくれたんですね。

ただ、それを頂いてすぐに、退職されたみたいで、食べられなくなりました。美味しい味が今でも舌に残っています。

なんだよ、最後は「食い物」の話になっちゃうんだ!。

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会稽之恥(かいけいのはじ)と言う故事。

2024-12-06 19:33:00 | 漢詩・古典・エトセトラ

会稽之恥(かいけいのはじ)

会稽山(かいけいざん)は、中華人民共和国浙江省紹興市の南部に位置する山。中国の歴代王朝で祭祀の対象となり、五鎮名山の中の南鎮とされます。

山麓には長江流域最古の新石器文化を示す河姆渡遺跡(かぼといせき)が存在し、古くからの人類の活動が確認できる地域です。越王句践の故事「会稽の恥」でも知られています。この会稽山に有名な「香炉峰」があります。『枕草子』299段に書かれたエピソード…「かうろほう(香炉峰)の雪いかならん」と主である皇后に問われてお傍の女官のひとり清少納言が「すだれを挙げてみせた」という話で有名です。

                                   

旧名を茅山、別名を畝山と言います。夏朝・禹の時代には会稽山の名称が使用されていた。禹が死去した地であると記されており、現在も禹を祭った禹王廟が位置する。地名は禹が死去する際、諸侯が一堂に会しその業績を計ったことから「会稽(会計に通じる)」と称されるようになった。しかし近年の言語学者らの研究により、会稽は越の「矛山」という意味であることが分かった。江南は古代中国では越国の領地であって、言語も当然越語が使われていた。

                                       

 

敗戦の恥辱。他人から受けたひどいはずかしめ。

 中国の春秋時代後期、呉王闔閭(かいりょ)(?~前496年)は呉を一大強国へと成長させたが、隣国の越王勾践(こうせん)(?~前465年)に破れ、息子である夫差(ふさ)(?-前473年)に 復讐を誓わせた。夫差は常に薪の上に寝て復讐の志を奮い立たせた訳です。

 三年の間、夫差は日夜兵を鍛えて復讐に備えているという報せは勾践の耳にも届いた。勾践はこれに先んじて呉を討とうと兵を挙げたが、鍛え上げた呉軍の前に惨敗し、会稽山に逃げ込んだ。こ の会稽山で勾践は降伏して夫差の臣下になり、妻を妾として差し出すという屈辱を受け入れたのでした。

 勾践はひたすら呉に恭順を装い、野良仕事をし、妻には機を織らせていた。そばには、苦い肝を置いて、その肝を嘗めながら言った言葉が「会稽の恥を決して忘れはしない。」 このことから、前 述の夫差と合わせて「臥薪嘗胆」という言葉、つまり目的を遂げるために苦心し、努力を重ねること、が生まれた。

 その後、勾践は努力を重ねて越の力を蓄え、とうとう呉をほろぼし覇者となった。これが「会稽の恥」の故事です。

                       

 

                                                          

 針外しは以前から勘違いしていた事がありまして。長恨歌のなかの一節に 峨嵋山下少人行 峨嵋山麓の成都へと着いたが道を行きかう人は少なく)がありますが「峨眉山」を香炉峰に何故か置き換えてしまって覚えていました。

            

峨眉山は成都の南西方向にあり会稽山から程遠い処ですね。確かに西安から見るとそっちの方向に落ちていったのが頷けます。多分注釈の処に「長恨歌」の作者が白楽天が書いてあり、その時に入り混じってしまったのかも知れません。(中国文学にのめり込んだ頃、白楽天と白居易が別人だと思っていました。

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危険運転致死傷罪。

2024-12-01 16:21:49 | 日記

やっと危険運転致死傷罪にらなったと思ったら量刑が8年だってさ。おかしくないかい?。過失の上限が7年なのにたった1年加算されただけじゃないかい。少し法曹界の奴等頭が変じゃないのか?。

針外しはこう見えて法学部出て、量刑の基準と言うのを多少は理解しています。どんなに少なく見積もっても15年はくだらないと思っていました。

今の法曹界。司法の場では検察止めれば弁護士の資格が残るって知ってましたか?。だから裁判官もどっちの顔を立てるので量刑を「折半」で決めてしまいます。3人殺したら死刑だけど1人なら最大で無期、下手すると10年なんて事がザラですよね?。これじゃ「やくざの手打ち」じゃないかって。

         

娘さんがコメント出していましたけど危険運転致死傷罪になったのは大きな一歩だと言っていましたが量刑に関して「これでいいのか?」と疑問が残りますと言っていましたね。弁護人側の論法って一般常識から随分と離れているように感じます。確かに刑を軽くするのが弁護側なんだろうけどあまりに的外れな論法です。

ちょっと前では工藤会のトップの死刑を言い渡したのに下の根の乾かぬうちに無期懲役に変えてしまった。安倍の事務所に出入りして色々バラされるのが怖いと思ったのか、はたまた報復を恐れたからなのか?。

いいですか、法律というのは厳正でなければなりません。厳しい判決で「示しを付ける」のが根底にないと「法律の役目が果たせない」のですよ

この件に関しても安倍の「森友」「加計」「桜」で裏工作した畝本夫妻がからんでいるのかね?。それともこいつ等を脅かしていう事聞かせている奴がいるのかね?。

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久しぶりに。

2024-11-23 12:08:33 | 燻製の話

 山に長く滞在する事が多くなって、当然お近づきになる事も多くなりましたね。その度にお手製のベーコンの燻製が増えてきました。手前味噌ですが評判がそこそこ良くて、再度「頂きたい」との要望も増えたという訳。

そう度々あげる訳にもいかないので、しょっちゅー上げている人には、レシピを上げる事にしました。なんせ1ブロック1000円を超えるのも普通ですからね。商売を止めた針外しは実入りが少ないのも事実だ。

 

 作るのも簡単なんですから、しょっちゅー上げている人は作って頂きたい訳です。

           

 

                           

最近の流れでは燻製するタイプと、しないタイプの2種類です。どちらも美味しいよね。燻製しないタイプでも香草と塩分で仕上げているので決して物足りない事は無いのですね。

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古文真宝。

2024-11-16 14:40:36 | 漢詩・古典・エトセトラ

一寸前に、ヤフーオークションを見ていたら「古文真宝」が出品されていたので、ふと見て見たくなったのでゲットです。しかも300円。表装の糸が切れてしまってバラバラ寸前でしたがね。

ま、これには、李曰の「春夜桃李園に宴するの序」とか韓 退之(韓愈の事だよ)の「雑 説」なんかが載っています。

表題に「弘化再販」と載っているのを見ると中国 清代末期に出されたものかね?。でも中身を見るとカタカナふってあるし,レ点、一二点もあるから日本での再販印刷は間違いないね。

               

しかし汚ねーの!。コロナが無ければいいのだが、汚くて触るのも気が引けるね。歴史的価値があるならまだしも、少しアルコール除菌してみますかね?。

                    

これを購入した一つの理由に旧字体で書かれているからです。針外し最近、「よせばいいのに習字に手を付けたのです。習字は習っていませんが「毎日書道会員」の先生と知り合い(飲み友達ね)になりまして、一寸褒められたらその気になって始めちゃったという訳。

しかしね、書というのは難しいね。ある処迄行くと其処からの成長が止まって仕舞います。うちの先祖には「道風」って人がいるんですが、遠く及ばないね。

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久しぶりで小諸の「菖蒲庵」で蕎麦を

2024-11-12 19:15:05 | 蕎麦の話。

ちょいと暇ねたです。久々に小諸にある(正確に言うと「小諸大橋西」です。)色々食べ歩きしていますが、針外しは「天ざる」しか頼みません。何故か、天ざるは蕎麦さんの「店の勧盤」「店の総合力」に思えるからです。

         
  ピーマンの天ぷら食べてから、写真を撮るのを思い出しました。

立科というか長野県は「高遠」が蕎麦のルーツで、それが山形の米沢に飛び、その後、福島に飛びました。(順序が逆かも知れません。)でも天ざるを置いてある店が少ないね。*蕎麦一本で勝負しているからか*

そういう店はメニューに「そばがき」「お汁粉」があるのでそれはそれでいいのですね。

で、いつもそういう注文の仕方をしているからか山に行くと無性にてんざるが食べたくなるんですね。

 

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一寸、目の保養

2024-11-06 13:35:57 | サボテン・植木・花

今年も紅葉が見れました。というのは以前は仕事の関係で金曜日の夜、土曜日、日曜日の朝しか滞在出来ませんでしたのでピタリと合う事は少なかったんですね。幸いというか、不幸と言うか仕事を閉める事になってこちらに長く居る事が増えましたので、長く見る事が出来るようになりましたのさ。

針の家には紅葉を何本か植えたので色とりどりの紅葉を楽しめます。こんな狭い土地の中でも陽の当たり、方木の陰、土質なんかが関係して色づき方が違ってきます。


  

今回は奥の羽団扇楓が遅いですね。明日から再び山に行きますんで上手くすれば綺麗な紅葉がまだ見れるかも知れません。

  

ま、長く御託を並べてないで、しばし綺麗な紅葉をお楽しみあれ!。

  

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アンプの2度目の修理

2024-10-25 09:14:25 | ギタ-・ロックの話

  うちの長男が学生の頃、下宿のアパートの傍のゴミの集積場に捨ててあったのを長男が、勿体なくて 拾ってきた[Fender 真空管アンプ(ホット ロッド)が始動時にいおんが出て段々としょうじょうが悪くなってきたので再び、大田区の西糀谷にあるSOUND SOSさんに出す事に決めました。

                
               

持ち込んで最初、症状が確認出来なかったんですが、とりあえず置いて帰ってきたら症状が出たらしく見積もりがメールに届いていました。金額は言えませんが「この金額で直した」と他所で言わないで下さいと念を押されてしまいました。と言う位リーズナブルに直してくれました。

                                                         

やはり鳴らしてみるといい音ですねえ。もう売値とすれば価値がないのかと思いますが、この音を聞くと直したくなります。ちょっと腕が上がったと勘違いしてしまいますね。

                   


上の写真のワッシャーの上にある黒い(名前が分かりません)が駄目だったらしい。親父さんもこんなのが壊れたの見たのが初めてだと言ってました。ヴォリューム関係もサービスで3っ交換してくれました。(古いアンプが沢山取っ手あったので部品取りしたのかも知れませんね。

ま直って何よよりでした。

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水飲み場が壊れてしまいました。

2024-10-12 21:18:15 | 野鳥の話

この水飲み場は買った当初から危惧していたのですが、「何か、支えになっている支柱が何とも心元ない」と思っていましたが、「やはりね」。多分、鳩位の鳥が乗っかったんだと思いますが、溶接が取れて傾いでしまいました。針の家は以前は自動車鈑金塗装をいていたのですが、その時は「炭酸溶接機」があったので溶接をしなおす事も出来たのですが、損傷した箇所を見るとかなり薄い!。

これじゃ直しても再び壊れてしまいかねないね。これだけの物を作れたのだからもっとを接続部分を堅固な物にしてもらいたかった。(取り外しも簡単に出来る物にもね)

             
             よく見ると材質が薄くてペラペラです。

知人の処で溶接するのも何なんで、周りを見渡して代用できるものがないか探したら、凜とレオが使っていた水飲みの台と器がありました。

             

それもステンレスの金台と器ですから雨風にも耐えられます。林野庁の方が切って転がしてあった切り株を頂戴してあったのを台にしてあったのを再利用して平ワッシャーを利用して取り付けて直しました・時間も掛からずそこそこ上部に出来ました。上の器も載せるだけなので水を変えるのもとても楽ですね。

             

この水飲み場は飲料だけでなく水浴びにも使っているので水を頻繁に変えるので、取り外しが楽なのがとても便利です。

             

以前は、ホースを引っ張って水を入れていたのでとても面倒臭かった。これから秋、冬に向かって寒くなるので、餌遣りの時間が短縮されるのはとてもいいのだね。

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またまた咲きました。

2024-10-06 14:12:03 | サボテン・植木・花

サボテンの象牙丸、なんと2個目が咲きました。3っの子供のうち一回り大きい子が咲きました。来年は2つの子供も咲きますね。しかしいい意味での「想定外」でしたね。

一つには、水遣りは自然の雨にまかせているので、過度の水遣りで腐らせてしまわないで済んだという事です。2つ目は強い日差しで肌が日焼けしてしまわないかと心配でしたが、何のその、春先から外の日差しに慣らしていたせいか、夏の猛暑に耐えらました。猛暑は猛暑なんですが、強烈な紫外線はさほどではなく、文字通り、天然の温室効果なのかも知れません。

 

                       

温室で水膨れ状態で育ったサボテンだとあっと言う間に焼けて台無しになってしまったでしょう。人間の手を掛けない。=自然のままに任せる。これに勝るものはないね。




                     

ただ、2個目が咲いたのはいいのですが、曇り空だったので開き方が中途半端ですね。サボテンの花の希少さは2日位は咲きますが、1日目は花弁がピンと伸びてさきっと咲きますが2日目は一旦閉じたせいかデレデレに開いて全く見るに堪えません。


                     

だから珍しい=希少=綺麗と言われるんだね。これで育て方が分かったんで来年も期待出来ると言うもんです。

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サボテンの花が咲きました。

2024-09-20 16:38:21 | サボテン・植木・花

針外しは近所の自動車部品屋さんに勤めていた佐藤さん(一つ上だったかな)の影響を受けて中学の頃からサボテンの栽培に興味をもちました。特に人気のあったのが白い棘で覆われてオレンジ色の花をよく咲いてくれる雪晃(せっこう)でしたね。

とはいっても当時花屋さんには、サボテンは置いてありません。近所で栽培している所謂駄物のエキノプシス属(ウニサボテン)の短毛丸や団扇サボテンの宝剣がせいぜいでしたね。本屋さんで東京の栽培している駒込にある鶴仙園(かくせんえん)さん迄東京タワーの処からママチャリこいで買いに行ったりしました。疲れたよ。成長を我慢出来ないんだよね。

人が立って入れるような立派な温室なんか買えるはずもなく、それでも窓枠に取り付けるようにして、温室作り、水を遣り過ぎて随分枯らしましたね。

それから何十年も経って残ったサボテンがコリファンタ属の象牙丸(ぞうげまる)です。うちのビルも老朽化してリフォームをしたのでベランダの植物を処分することになり、とは言っても捨ててしまうのではなく山に持っていって植えたのですが。

                   

残ったのがこの象牙丸。サボテン一種のみ。サボテンの花は植物界でも奇麗さは一番だと今でも思っています。工事しているときは。また冬は部屋の日当たりのいい処において大事に育てていたわけです。

                   

しかし、結局ベランダに置いて半ば放って置いたのですが、ご存じのように近年夏は猛暑の連続ですね。サボテンは日焼けするって知ってました?。こんな処に置くのは可哀想だと思いましたが、ある時所用で出かけた時にホッタラカシになってしまった事がありましたが、なんと、棘もしっかりしているし肌も濃い緑色して艶やかです。部屋で冬を越して春から外に出しっぱなしでしたがむしろそれの方が良かった。

                   
春先からしっかり日に当てていたので猛暑も屁とも思っていません。そういえばメキシコなんかでは砂漠の中でジリジリと日に当たって生きているんですものね。

                   
この象牙丸、親木が20㎝位の大きさでそれに子が4っつ5つ付いていたのが親木が枯れてしまい2㎝位の子が残ったのがこれです。人間の浅はかな考えなんか何の役に立ちませんね。むしろこの猛暑の方が現地の環境と似ていたんですもんね。

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物置小屋にLED付けました。

2024-09-11 23:14:59 | 立科・信州の話。

念願の「物置小屋」に電灯、LEDを付けました。これによって中に入ってシャッターを閉めても十分に作業出来ます。シャッターを下ろすのには中で「ベルトサンダー」で音が出てもかなり音が軽減されるので気が楽になりました。

電源はデッキの向こう側に有る為。長いコードを這わしてログのあまり干渉しない処で立ち上げて其処からワイヤーを引きそれにコードを這わせて物置小屋の中に引っ張った訳です。ワイヤーには「ターンバックル」を利用してワイヤーの張りを出しました。

                

     
                  

ワイヤーが入る処は「シャッター」の巻き上げて、膨らんでくる処なので巻き込まれないように配線を止めなければなりません。ここが一番苦労しましたね。なんせ狭い処なのでドリルが入り辛いからです。まだまだ抗癌剤の後遺症でフラフラするので余計大変でした。
 

                 

それに簡易ブレーカーも付けました。ここいら辺は、雷がよく落ちます。群馬県程じゃありませんけどね。東京方面から、雲が押し寄せて滞るので落ちるとものすごいですよね。とは言う物のこちらの方でも以前うちのカミさんが庭にいたら、青白い閃光が我が家の土台の空気取り入れ穴に入ってそれが水道管に巻いてあるヒーターに入ってショートしてしまい。ブレーカーが落ちてしまいました。ま、ブレーカーを上げたら湯沸かし機とかちゃんと作動したのでホットしましたが。

それからというもの、冷蔵庫は電源を下ろさないで東京に戻るので「ビリビリ君」という簡易ブレーカーを付けています。


                

先日も近くで「バーン」と雷が落ちてブレーカーが落ちた事がありました。やはり中間にブレーカーを入れないと安心できません。

                

先端は2連のソケットです。これでグラインダーとかドリル、サンダー等色々使えますね。

             

これで物置兼作業場が出来ました。物置には色々な作業に必要な工具、ネジ類が揃っているので、あっちに物を取りに行ったり無駄な動きをしなくて済みます。

                  

山の生活というのは兎角色々な作業を要求されます。結構、手順とかを十分に考えて立ち向かわないと綺麗に完成出来ませんね。

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