ゆうこりんは親戚なんだってさ。へー!。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/08/03 06:57 UTC 版)小倉 全由(おぐら まさよし、1957年4月10日 - )は千葉県長生郡一宮町出身の学生野球指導者。旧姓・斉藤。日本大学第三高等学校、日本大学卒業。関東第一高等学校を経て現在は母校の日大三高社会科教諭および硬式野球部監督。タレントの小倉優子は親戚。
今回の甲子園を観戦していまして、かつての監督、三高ナインではないと確信しました。まるで違う。不安定なところも多かったんですが、試合を重ねるごとに、吉永君も安定感が増してきました。采配を見ていて、監督は、将軍と言うより、「千里の名馬」を見つける伯楽なのかも知れません。(いろいろ、意見はあるとは思いますが)。韓愈の雑説にある、「千里の名馬は常に在れども、伯楽は常には在らず」の伯楽です。
これは前回の針の至らない所見を撤回しなければならないと思い此処に改めて掲載します。かつて青森山田高校と対戦した際に対戦相手の山田校の監督の「野球の仕方を教えてくれ」の懇願にかなりの時間を割いて話あったと聞きました。
また、母子家庭の子を、自宅に招いて養育したとも聞いていますし、大体畔上君、吉永君を始め、選手達が「監督を胴上げさせてあげたい」の言葉が胸を打ちましたぞ。
これはかつて三高野球部で聞いた事のない事です。野球部員の勧誘も今では、選別しないで育てて上げていると聞いていますしね。こういう話を聞くと、監督の人物像が見えてきます。
これで、三高野球部は、野球部としてかなり纏まってきました。まず優勝すると、「自分も三高でプレーしたい」という子が増えてきます。実際(昨日成田屋さんに会ったんですが、新幹線の中で甲子園に行く子がいて、何処を応援するの?」と言ったら「日大三高です」「将来、三高に入ってプレーしたいです」という子が何人かいたそうです。
投手面、打撃面、守備面と、三拍子揃ったといえます。三高の真骨頂ともいえる、打撃は小倉監督の指導の賜物なんでしょうね。
母校の選手の名前をろくすっぽう、知らない針にでさえ、畔上、吉永、高山、鈴木、横尾、(敬称略)の名前を覚えさせるということは、今回のレベルの高さを物語っています。
三高のOBとして、これは何とも心強い限りです。ぶはは、はははがははは。
(こらこら、ふんぞり返り過ぎて、頭が地面に付いてしまっていますぞ!)