針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

たまには日本の漢詩。

2020-01-20 15:06:44 | 漢詩・古典・エトセトラ

  川中島の合戦といえば誰だって知っていますが、頼 山陽の漢詩も有名だね。そこで朗詠なんておこがましいけど詠ってみたら、第3句がどうしても思い出せない。「遺恨十年磨一剣」見てみたらそれでもピント来ないね。こんな句だっけ?。

                              題不識庵撃機山図       頼 山陽

                                   鞭声粛粛夜過河
                                   暁見千兵擁大牙
                                   遺恨十年磨一剣
                                   流星光底逸長蛇  
                      
                     

不識庵(ふしきあん)機山(きざん)を撃(う)つの図(ず)に題(だい)す   頼(らい) 山陽(さんよう)

鞭声(べんせい)粛粛(しゅくしゅく)夜(よる)河(かわ)を過(わた)る
暁(あかつき)に見
(み)る千兵(せんぺい)の大牙(たいが)を擁(よう)するを
遺恨(いこん)なり十年(じゅうねん)一剣(いっけん)を磨(みが)き
流星(りゅうせい)光底(こうてい)に長蛇(ちょうだ)を逸(いっ)す

[通釈]

不識庵って言うのは上杉謙信の事だね(上杉謙信の軍は)
ひっそりと鞭音もたてないようにして、
夜のうちに千曲川を渡って
(川中島の敵陣に)攻め寄せた。
武田方は
明けがた(霧の晴れ間に)謙信の大軍が大将の旗を中心に守りながら、迫ってくるのを見つけた。
(この戦いで謙信は信玄を討ちとることができなかったが、
まことに同情にたえない。
この十年の間一ふりの剣を研ぎ磨いて、
うちおろす刀一閃の下に、
ついに強敵信玄(
長蛇は信玄の事)をとり逃がしたのは無念至極なことであった。

父の頼 春水は若くして詩文や書に秀で、大坂へ遊学し尾藤二州や古賀精里らとともに朱子学の研究を進め、江戸堀北・(現 大阪支西区、江戸堀の  金光教 玉水教会付近)に私塾「青山社」を開いた。青山社の近隣には篠崎三島、篠崎小竹、後藤松陰、並河寒泉ら多くの文人や学者が居住していた。

山陽はこの頃の安永9年(1780年)、同地で誕生。母は飯岡義斎の長女で歌人の
頼梅颸、その妹は尾藤二洲に嫁いでいる。我が国の文学者の漢詩、この頼山陽しか知らないけど、たまには見返すのもいいもんだ。漢詩を読みながら古の情景を思い浮かべるのもいいね。

コメント
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