高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

空と大地の間

2009-07-18 11:19:56 | 日記
空と大地の間にものすごい空間が広がっている。

地上にいる私の上に壮大な宇宙が広がっている。

命は天からやって来たに違いないと感じる。

だって、地上の雄大な景色より、空からのエネルギーの方が大きくて、私の魂は空から力をもらっているなあ・・・と思うもの。

目の前に広がる牧草地は、かつて、たくさんの生き物達がすむ巨大な樹木の森だったこともある。もっと大昔は、巨大なアンモナイトがうようよといた海だったこともあった。

それは、みんな お天とう様と宇宙のおかげだもの。
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大雪山 遭難

2009-07-18 01:09:06 | 日記
痛ましい遭難事件が起きました。まずはお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

私は昨夜、旭岳の登山口で野営していましたが、夜半は強い雨でした。昼間の尾根は強い風雨だったと監視員の話もありました。あの夜の北海道の高い山中所でのビバークは高齢者、トレーニングや経験をつんでいない人には過酷しぎたことでしょう。

私も若い時期や山岳ガイド時代に何度も登ったルートです。特に大量遭難が発生したヒサゴ沼からトムラウシは、ガイド中の風雨で避難小屋で停滞後(行動しないことを言う専門用語)、登頂をあきらめ、ちょっと天候が安定した中、下山したことがあります。また、頂上直下で参加者が捻挫による小さな骨折(下山後わかった)をし、かなり時間をかけて下山したこともあります。

私たちが停滞を決めたその風雨の早朝、小屋の中では二時くらいから出発準備で騒々しくなり、なにやら殺気だった感さえありました。忠告も聞かず頂上を目指す他のパーティーもいました。幸いその時は事故はありませんでしたが、遠くから来た登山者、ましてや中高年齢にとっては次にいつ来れるかわからないから、という覚悟なんでしょうか。

前回のトムラウシの死亡遭難者も同時期に入山し、うちのパーティーを追い越し先を急いだ一行で、我Pはひとつ手前の小屋に避難したと記憶しています。

今回は旅行という形態でのガイドツアーでした。気心やお互いの技術力、体力を知らない人どうしのパーティー構成だったことでしょう。ましてや六十代後半が多い大人数パーティー・・・ですから、なおさら、ガイドの力量が必要です。

しかし、そもそも登山を旅行会社が旅程管理すべきものなのか、私は懐疑的です。ガイドと参加者との信頼関係、コミュニケーションが大切であるのに、そこに会社が信頼の介在をすべきことなのでしょうか?

このパーティーのガイドはどの程度、参加者の経験、体力、精神力、技術力を把握していたのでしょうか?
また、参加者はどれだけガイドの経歴や人柄を知っていたのでしょいか?

しかし、これだけの事故は、参加者個人の自己責任や過失責任では片付けられないでしょう。

ガイドばかりではなく、主催旅行会社の過失致死責任、損害賠償まで問われる事態が予想される大惨事と言えると思います。

ここのところ、重大事故にはなっていなくともガイドツアーでの遭難、低体温症となったお客さんの救助などが続いています。

この参加者層の変化もあれば、ガイドの力量の問題もあることでしょうが、私は山岳ガイド業そのもののあり方が問われる事態だとおもいます。
コメント (4)
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