高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

有機農家視察

2014-03-10 23:24:20 | いろいろシゴト

今夜はGmailもブログもサクサクとはいかないなあ・・・。

さて、デジカメを紛失してしまい、昨日のワークショップの様子はアップできません。残念。 本日は携帯電話の写真ですが、映像が対して選びにくいので帰国後追加します・・・・。

***

昨日は日曜日だったので、大気は比較的クリアーな晴れた一日でしたが、今日は月曜日、ホテルの前の道路は朝から渋滞し、空気はスモッグ模様でした。PM2.5は基準値の10倍以上とかと朝から話題でした。もどんよりと高曇りの遠くのビルは霞んでみえました。 大型バス一台にて宿から1時間半程上海の郊外に出た揚子江(長江)の河口の中洲の大きな島、宗明島(繁体文字では山冠に宗)の有機農業の農家を2件訪ねました。

島と言っても、巨大な中洲ですから山がありません。平らな土地が広大な十勝平野のように広がり地平線が見えてしまいます。北海道は広いとは言え、山が畑の向こう彼方に見えますが、畑の先が地平線という場所はめったにありません。道東へゆくと360度見渡せる展望台がある場所がありますが、酪農地帯なので牧草です。 普段は山が見える農村地域に暮らしている私なので、この広い風景の中にいるとなんとも落ち着きません。

農業は高齢化しており離農が続いています。かつては農業が盛んでしたが、若者は都会に出て過疎化が進んでいます。慣行農業を続けている農家にも大型トラクターはほとんどなく広大な土地も人力に頼って農業をしているので限界なようです。また、農産物は安く農家の暮らしは貧しい・・これが一般的な中国の農家のイメージです。

しかし、この島には立派な大きな家がたくさん建っていました。その違和感がどうも不思議でたまりませんでした。

農業後継者がいないので、国が大規模農業を目指して耕作権利を買い取り、その賠償金で(土地は国有なのですが耕作権はあるらしい)家の新築が続いているそうです。しかし、高齢者がひとりかふたりで住んでいる家がほとんどだということでビックリ。 ここに国の方針とは異なり、6、7年に上海の市街地から移住して独自に有機農業、それも不耕起栽培に挑戦している30代位が経営する農場を2箇所視察しました。 移住者たちは口を揃えて言いました。

「いくら大きな御殿を建てても「若い人たちは戻ってこないだろう」

地元の農家と組んで有機農業を始めた青年の5ha農場。Ecofarmと英語名の旗も拠点としている一軒家に掲げていました。上海市街地の有機野菜レストランに出荷しています。他にも有機農法を始めている農家もあり、その地域には、日本で言う農家レストランも経営されていました。昼食はそこでとりました。上海の中華料理は味があっさりしており日本人の味覚にも合い、冬でも収穫している野菜は新鮮でとても美味しくいただけました。 少人数の来訪がある時は、農場の中にあるEcofarmの事務所にもなっている家の前で食事を提供するそうです。 バラマキした人参畑は絨毯のようでした。

 

4軒の新規参入者で合作会社で経営を始めた若い30代夫婦の農場。 15haには畑と田んぼがあります。

 おふたりを囲んで、都会の生活をやめて就農をしたお話を聞きました。 今はまだまだ大変ですが人も雇用して夢と希望を持って頑張っている様子には感銘を受けました。

肉体労働は貧しい人がする仕事という考え方が(中国には)あるが間違っている。農業は人と土地が繋がる。人の尊重・命の尊重の仕事である。農業を文化的な仕事にしたい。田舎の人は上海に生活を求め、上海の人はアメリカの生活を求める、それは間違っている。人間はひとつの問題を解決するためにより多くの問題を生み出す、もっとシンプルに生きるべきだ。 

中国人の視察者から「子育てもしていますが、子どもの教育についてはどう考えているのか?」との質問がでました。 学歴ではない、家庭教育が大切である。学校は地域の普通の学校に通わせる、やって来る人たちが先生でもあると、子どもの教育についてもしっかりとした考えをもっていました。

インターネットでボランティアも募り、滞在して一緒に仕事をする、体験する若者も現れている、その若者たちへ価値観の転換を求めているおふたりの姿勢がとても立派でした。 農法は日本の自然農法の師である福岡さんの本が中国に訳されて出版されているそうで、それを読みながら独学で自然・不耕起農法に挑戦しているとのことでした。

還暦を迎える我が身を清められるような、溌溂とし毅然とした態度、そして、来訪者を迎える温かさを持ち合わせたお若いお二人に、グローバル経済に、猛烈に経済発展する中国社会に翻弄されずに生きようとする東アジアの若い活力を見ました。

昨日の地球市民村のワークショップでも、20代から30代前半の参加者が圧倒的な多数です。日本にいるとニュースでは、国と国との対立、急激な経済成長、中国社会の負の側面しか報道されませんが、中国の草の根市民活動の台頭は目覚しいものがあります。 環境問題に対して持続可能な社会を創ってゆこうとする人々が物凄い勢いで増えています。 中国は大国ですから、そう簡単には社会変革とはゆかないでしょうが、NGOや新しい生き方をする人たちも、人口が多い分だけ数多く現れています。

今日は、別プログラムで、日本人スタッフによる自然教育の研修会があったのですが、それにも50人の募集に100人以上の応募があったそうです。

 

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3月9日(日)のつぶやき

2014-03-10 09:20:24 | 日記
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カメラを落としたぁ~~~

2014-03-10 01:42:00 | 日記

あ~~~あ、デジカメを落としたか、レストランに忘れた・・・・。

もう、レストランは閉まってしまったので、明日の夕方チェックであります・・・。

相当遠い距離、日本ならタクシーでゆうに3000円位しそうな距離ですが、450円位(タクシーは安い!)なので、あれば取りに行こう・・・・・・・。

コメント (4)
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開会挨拶「東アジア地球市民村・自然共生型社会in上海」

2014-03-10 01:32:18 | いろいろシゴト

今日は朝9時から夜7時までのの長丁場のワールドカフェとテーマ別分科会。討論の連続。環境・自然教育、農業、主婦の団体、まちづくり系NGO, 出版社、旅行会社など100名の参加でした。とても深い話ができ、つながりを作れた一日でした。

以下、昨日のフォーラム開催主催者の挨拶として、一般社団法人アクト・ビヨンド・トラストの理事長、星川淳氏による開会の挨拶文の転載です。

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一般社団法人アクト・ビヨンド・トラスト(以下、abt)理事長の星川です。「東アジア地球市民村2014 in 上海」に中国から約200名以上、台湾から4名、残念ながら韓国の協力者はだれも都合がつかなかったものの、日本からも15名以上と、本当に大勢の方々に集まっていただき、ありがとうございます。 

このプロジェクトは、私が2010年末に市民活動を支援する独立した民間基金としてabtを設立したとき、いまなお冷戦構造が残る東アジアに持続可能な市民同士の交流と協働(コラボレーション)の輪を広げたいと、3本の柱の一つに据えました。他の2本の柱は、強い神経毒性によって昆虫や鳥ばかりでなく人間を含む生物多様性全体に悪影響を及ぼすネオニコチノイド系農薬の問題、そして2011年3月11日の東日本大震災と東京電力福島原発事故を経験した日本人としてめざすべき脱原発・エネルギーシフトという課題です。 

東アジア環境交流プロジェクトではこれまで、雲南州奥地の三江併流世界自然遺産地域と、同じ世界自然遺産登録地である屋久島をつなぐエコツーリズムのガイドラインづくりや、自然共生型の地域づくりを学び合う相互視察を進めてきました。3年目の節目として、日中だけでなく台湾と韓国にも輪を広げながら、助成金に頼らなくても交流と協働が続いていくような種を蒔こうと考えたのが、この東アジア地球市民村です。abtの助成は文字どおりシードマネーの役割を果たかもしれませんが、その何倍も人やお金を集め、このような素晴らしい場を実現できたのは、abtがパートナーとした日中市民社会ネットワークの李妍焱代表、そして総合コーディネーターとして大活躍の朱惠雯事務局長をはじめ、熱い気持ちで関わってくださったみなさんのおかげです。

 今回はまだまだ種蒔きということで「準備ゼロ回」と名づけました。できれば来年は本格的な第1回、さらにその翌年は第2回と、東アジアの各地を回り持ちで恒例化していくことが夢です。それについては、ワークショップの中で、また最終日のまとめの中で意見交換したいと思います。「地球市民村」という名前は、国つまり政府とそこに暮らす人びととはイコールではないこと、そして自然生態系にも環境問題にも国境がないように、私たち市民は同じ地球に生きる生命同士であり、もっと深い眼で見れば人と他の生きものとも基本的に対等であることを意味しています。

 私たち東アジアの民と血のつながる南北アメリカ大陸先住民は、すべての生命が等しく尊いことを、世界のだれよりも価値観の中心に置いてきました。モノやお金が自然も文化も押し潰し始めた20世紀後半、「母なる地球」という見方を現代人に思い出させてくれたのもアメリカ先住民でした。東アジア地域にも、こうした先住民的な知恵はしっかり根づいていて、少し掘り起こせば新しい形で蘇らせることができるはずです。

 最後にもう一度繰り返すと、いまなお冷戦構造を引きずり、政府間がギクシャクしがちな東アジアで、市民同士が自然共生をテーマに交流と協働の輪を広げることは死活的に重要です。東アジア地球市民村が、それぞれの地域に根ざした持続可能な社会づくりの知恵と体験を学び合う場になるよう、そして互いを支え、力づけ合う新たなスタート台になるよう――アメリカ合州国建国のとき北米土着の民主主義を教えたと言われる先住民イロコイ連邦に倣い、七世代後のすべての生命(いのち)のために最善を尽くすことを呼びかけて、開会のごあいさつとします!

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