春先だったか、去年だったか忘れたが湯別の湯駐車場でぶつけられた愛車の修理見積もりへ札幌のディーラーへ。なんと30万かかってしまうとか。保険を使っても等級がガンと下がる、つまり保険料が大幅にアップするので、自前で修理するかぁ・・・。とほほのほ。
夜は、昔のイエティくらぶの今は成人を越えた子等(さすねJr.もえ、けい)と会食。三次会まで。これまた多大出費なるも、「お金は天下の回りもの、年長が年下の面倒を見て、大人になったらその繰り返し」ですからね。
いきつけのBarcomの入っているビル(STV北二条ビルかな)の1階フロントホールに飾ってある絵がきになった。 物憂げな少女たちの群像。なんなんだろうなこの絵は、わざわざと正面に飾っている・・、その意図は。
黒松内の観光協会が任意団体から社団法人化する方向性を打ち出した。そもそもこの町には地域が一丸となった観光の概念がまだ未成熟なので、観光協会は商工会の中のひとつの任意団体に過ぎず、地域の商店のみなさんが会員であり、観光=地域づくり・交流・教育というような視点は入っていない。 行政でも交流施設の所轄が一元化されていなくて、産業、企画、教育と行事も分断されている。 せっかく観光協会が独自化するのであれば、新しい動きも生み出したいものだ。
民間、行政、公社と有志という関係性でまずは集まり、お互いの思いを話し合うというところからスタートだ。 ぶなの森自然学校も課題を抱えているが、それはいち主体だけでは解決できない。地域全体でルーラルツーリズムの方向性を共有できるところから一歩ずつスタートだ。
このようなメンバーで集まることは、実はこれまでなかった。 はじめの一歩というところですな。
夜も更けるまで懇親も深めました。
見事な婚姻色の紅鮭だなあ。(千歳川のさけます情報館にて。11月13日) ここまででかい紅鮭の生モノをまじかに見れるのは、めったにないなあ。
千歳市街・JR千歳駅から支笏湖線に入り、しばらくゆくと右側にあります。 孵化場跡地だけになかなかの本物が見られる穴場であります。
ベニザケは、淡水で海にくだらず成熟するのはヒメマスです。そう、支笏湖の名物ですね。 美々川に川が真っ赤になるくらいに遡上してきたのを見たことがあるという人から話を聞いたことがありましたが、現在では群れをなして回帰してくることはなくなりました。
道東では放流が試みられている川があるらしい。苫小牧・勇払原野の安平川でも遡上があるらしいのですが私は見たことはありません。
このところ山岳小説を読んでいます。新田次郎とかではなくて、最近の作家の本です。
笹本稜平さんの「還るべき場所」はひさしぶりに夢中になって一気に読み上げました。 主人公はカラコルムのK2の東壁ルートの初登攀を目指し、恋人でもあるザイルパートナーが遭難死してしまいます。そのまま山から遠ざかるのですが、昔の山仲間が公募登山の山岳旅行社を立ち上げ、それに協力し再びカラコルムのブロードピークに挑むことになります。その登山は悪天候で死者も出すような場面もありましたが、なんとか登頂を果たします。その登山隊の中には実業家も混じっているのですが、彼が助演的な異彩を放つ存在で描かれています。
一代で医療器具の会社を大きくし、自らも自社の心臓ペースメーカーを埋め込んで山に登る、それもエベレストの公募登山で登頂を果たす・・・、しかし、当初はビジネス的な広報も兼ねていた登山が、登山家としての域に達してしまい、幾多の困難があるブロードピーク隊で、「なぜ、山に登るのか」を主人公とともに問い続けるのです。 私は多少なりとも難しい危険がある登山を若い時代にしていますので、悪天候や登攀の場面場面での描写も目に浮かびけっこうスリリングな展開です。
この小説の中で、助演的立ち位置の実業家のセリフに身をつまされております。
「そもそも人生とはつまらんものだ。若いうちなら勢いで突っ走れる。なんにでも夢中になれる時期がある。それがそのうち惰性になり、世間のしがらみに絡めとられて、何が面白いのかわからなくなる。しかしな、本当の勝負はそこから始まるんだ。もともとつまらん人生に花を咲かせるのが本当の才覚で、モチベーションが希薄になったなんて愚痴をいってるうちはまだ半端者だ。砂漠のような人生に大輪の花さかせることのできる人間こそが一流だ。」
なあるほど・・・。
9月10日 登別フォレスト鉱山のプログラム体験。 小雪が舞い散る中を林間MBT。大沼で風邪をひいたアタシはさすがに休養。 午後は鉱石拾いとそれをつかってのアクセサリーづくり。相変わらず苦手なアタシでした(途中で雲隠れ)
そして、この日は、その後、大雪山自然学校のある東川まで移動するというハードスケジュールでした。 キトウシ公園のキャビンに宿泊し、夜は現地スタッフと鍋パーティ。毎夜の宴会ではありますが、質疑応答がいろいろとあり、話題は連夜深まっておりました。
9月11日 お天気は期待していなかったのですが、上々となりました。旭岳ロープウエィが改装中で動いておらず、上にはあがれませんでしたが、山麓の樹林の中でスノーシュートレッキングを楽しみました。
午後は、ドドマツの葉っぱからアロマウォーターを作る実験的プログラム体験。
夜は、地元の居酒屋で食事。 まあまあ毎夜の宴会であります。中国では毎夜のアルコールはありえないね。 と、2泊を東川で過ごしました。
9月12日 札幌へ移動。夕方に市内でお買い物時間をつくったあとは、滝野の自然の家宿泊。 400人収容可能な施設に泊まりは私たちだけ。自然学校を立ち上げ中の人もいたので、ぶなの森自然学校のような学校利用、公立の中大な施設利用といろいろと体験視察ができました。
9月13日 千歳空港送迎。
滝野にできたという、安藤忠雄さん設計の大仏殿を拝観。こんなのがあるのを知らなかった。中国の老李さんの紹介でした。 すごいね、情報ゲットが。
日中市民ネットワーク(通称 CSネット)が主催する自然学校視察ツアーは、年に1回、中国大陸で自然教育、自然学校に関心がある、実際におこなっている方々の旧ねおすサイトの視察ツアーで今回で3回目の現地コーディネイト・ランドオペレーションをしています。
これとは別に前週に森のようちえん視察ツアーが組まれており、11月5-7日に大沼で開催された森のようちえん全国大会に参加したグループから3名が引き続き参加し、新たに3名が加わり、ぶなの森自然学校からは、私、りーはん、くまちゃんが参加、合計9名でワゴン車による旅をしました。
11月6日 大沼からぶなの森自然学校に移動。
11月7日 後発組が夜に合流。先発組は寿都方面のフィールドワーク
11月8日 ぶな林のガイド、町内の食事処「我妻」にてランチ後に苫小牧へ移動。 ビジネスホテル泊まりで、近くの居酒屋で夜は懇親会。
11月9日 苫小牧イコロの森にて、NPOいぶり自然学校が地域の子育てグループと実施している森活動に参加。
その後、登別フォレスト鉱山へ移動。 餃子づくりのワークショップで夕食。
森のようちえん全国大会では、分科会やワークショップに参加することなく、スタッフ側として参加者が連れてきた子どもたちの託児スタッフをしておりました。森のようちえんですから、特別に組まれた構成的なプログラムがあるわけではなくて、落ち葉のたくさんあるお寺に行ったり、馬やヤギがいるフィールドに連れて行ったりの場を与え、遊ぶきっかけづくりをしていました。20名以上いる園児さん年齢なので、なかなか目が離せません。
時間も長く寒さもあったので、アタシは風邪を引いてしまいましたがな。 しかし、幼児が関心をもつことによりそったり、なにげないことをして、遊びを発展展開させてゆくことは実に楽しいことでもありますが・・・、 つかれたなあ。
10月28日。
日高で開催された北海道アウドドアフォーラムの帰りに、北海道アウトドアアドベンチャーズ(通称HOA)の拠点となっている旧小学校を訪れました。 事前のアポもなしで突然に訪れたのですが、とてもきれいに整備がされていました。事務所も綺麗だったなあ。 ラフティングなどのプログラムの待合室・レクチャールームになっている元教室は、ちょっとアジアンティストが効いたインテリアでとても落ち着く癒し空間でした。
外国人スタッフが多いのですが、毎朝3~40分の清掃時間がルーチンになっているとのことでした。「ここまでするのに3、4年かかった」との言葉もありましたが、そもそも、あたしたちにはそんな空間デザインのセンスがないので羨ましい限りです。
同行した当スタッフはがぜん、整理整頓のモチベーションが高まりましたが、その態度が行動に移せるか・・・、それが問題だな。
為せば成る、為さねば成らぬ何事も・・・・。