8月27日
フォーラムを終えて、台湾先住民(台湾では漢字で原住民と称している)は、中国大陸から漢民族の移住者が増える17世紀以前から台湾に住んでいた民族で、台湾が定める中華民国憲法にも「原住民族・Indigenous Taiwanese」とその存在と民族の人権が認められている16民族がおり、彼らのコミュニティーも維持されて言語は公教育として彼らの学校でも学ぶという政策があり、日本より他民族共生がはかれているし、先住民の文化・生活が大切にされていると強く感じました。
今日は、そのひとつルカイ族(これは学者が分類のためにつけた名前で、彼らは自分達をDarumaと読んでいた)の集落を見学に行った。また、台湾ではすでに消滅してしまっている民族を先住民と呼び、現存する少数民族を原住民と表記呼称している。
見学した集落周辺は「イオル」という名称で呼ばれる「衣食住の生活素材が得られる」という伝統的生活空間を今も維持している集落だ。 これはアイヌ集落にも通じる、昔の日本の中山間地の生活概念でも同じだろうが、日本には今はない・・・。 お土産物屋が立ち並ぶような観光地化は感じられないが、民宿や食堂もあり、それなりの観光経済もあるようだった。
なお、アイヌは言語も生活様式も全部が否定され100年以上も日本への同化政策が行われてきたので、失われてしまったことが多すぎる。「世界で一番迫害を受けた先住民族だ」とも言われていることをアイヌ協会の方の話で知った。
20数年ほど前に、アイヌのバッタの踊りを習うワークショップに参加したことがあった。「チェロキー、チェロキー・・・」と歌詞もある踊りだった。 その時、当然のように参加者の和人から質問がでた。「歌詞の意味はなんですか?」と。 指導していたフチ(50代くらいな方でした)の回答は今も忘れられない・・・。
「私たちは、みなさんの祖先に言葉や生活文化を取り上げられ禁止された時間が100年近くもあります。あまりにも長かった。だから、私には、その意味を日本語でお伝えはできません・・・。
でもね・・・、
今、私の娘がアイヌ語の研究をはじめました。 だからね・・、私の孫が、みなさんのお孫さんに、この意味をお伝えできるようになるかもしれません・・・」
涙がでました・・。長い時間の中で生きているひとびと・・・の優しさでした・・・。
台湾語表記で Ainuは「愛務」であった。