高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

ルカイ族集落

2019-09-03 20:09:21 | 国際交流

8月27日

フォーラムを終えて、台湾先住民(台湾では漢字で原住民と称している)は、中国大陸から漢民族の移住者が増える17世紀以前から台湾に住んでいた民族で、台湾が定める中華民国憲法にも「原住民族・Indigenous Taiwanese」とその存在と民族の人権が認められている16民族がおり、彼らのコミュニティーも維持されて言語は公教育として彼らの学校でも学ぶという政策があり、日本より他民族共生がはかれているし、先住民の文化・生活が大切にされていると強く感じました。

今日は、そのひとつルカイ族(これは学者が分類のためにつけた名前で、彼らは自分達をDarumaと読んでいた)の集落を見学に行った。また、台湾ではすでに消滅してしまっている民族を先住民と呼び、現存する少数民族を原住民と表記呼称している。

見学した集落周辺は「イオル」という名称で呼ばれる「衣食住の生活素材が得られる」という伝統的生活空間を今も維持している集落だ。 これはアイヌ集落にも通じる、昔の日本の中山間地の生活概念でも同じだろうが、日本には今はない・・・。 お土産物屋が立ち並ぶような観光地化は感じられないが、民宿や食堂もあり、それなりの観光経済もあるようだった。

なお、アイヌは言語も生活様式も全部が否定され100年以上も日本への同化政策が行われてきたので、失われてしまったことが多すぎる。「世界で一番迫害を受けた先住民族だ」とも言われていることをアイヌ協会の方の話で知った。

20数年ほど前に、アイヌのバッタの踊りを習うワークショップに参加したことがあった。「チェロキー、チェロキー・・・」と歌詞もある踊りだった。 その時、当然のように参加者の和人から質問がでた。「歌詞の意味はなんですか?」と。 指導していたフチ(50代くらいな方でした)の回答は今も忘れられない・・・。

「私たちは、みなさんの祖先に言葉や生活文化を取り上げられ禁止された時間が100年近くもあります。あまりにも長かった。だから、私には、その意味を日本語でお伝えはできません・・・。

でもね・・・、

今、私の娘がアイヌ語の研究をはじめました。 だからね・・、私の孫が、みなさんのお孫さんに、この意味をお伝えできるようになるかもしれません・・・」

涙がでました・・。長い時間の中で生きているひとびと・・・の優しさでした・・・。

 台湾語表記で Ainuは「愛務」であった。

 

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台湾へ

2019-09-03 18:51:38 | 国際交流

8月26日から9月1日まで台湾へ出張してきました。

8月26日

10時半の飛行機なので、8時半に三木さんと新千歳空港集合のために早朝6時前に黒松内を出発。台北行の楽桃航空。初めての航空会社でしたが、ピーチエアでありました。 台北でリーはんと出迎えを受けて、国内線を乗り継いで、台東へ。

今回の出張旅はりーはんが国立台湾史前文化博物館主催のフォーラムをコーディネイトしている台湾の会社との接点から招聘されたものでした。 主題的には「北海道の環境教育の今」というような表記で、地域と博物館、地域と行政、地域と民間という切り口で環境教育的な活動を報告するという趣旨で、参加者は主に博物館関係者が70名ほど集まりましたが、

日本から同行したのが、平取のアイヌ施策の役場のご担当者、アイヌ協会の副理事長、そして平取でアイヌ文化と自然との関わりのフィールド調査をしている三木師匠ですし、台湾先住民の資料収集をしている博物館が主催なので、話の趣は先住民族と自然みたいな流れになり、私がなんとなく毛色が違うなあ感もありました。

三木師匠の立ち位置も鮮明になりました。 アイヌはアイヌ語すらを話すことを禁止する日本の同化政策という迫害を受けました。 だから、たとえば料理の食材としての植物名の発音は残っていたも、それが現代日本語で分類されたどの植物かを同定ことが難しくなったりします。 そこで、植物の分類が何千種もできる三木さんであれば、聞き取りをしながら・・「これではないか?」と推定同定してゆくことができるのです。 自然科学と民族社会学が融合する分野の第一人者であることが明確に。 台湾の博物館関係者も興味津々でした。

 

               

ですが・・、ねおすの活動から展開、そして拠点化解散とネットワーク化、「自然と人、人と人、社会と自然」のつながりづくりをミッションとしている黒松内ぶなの森自然学校の活動は、うちで2年間も働き良くわかっている台湾人のりーはんの軽妙な通訳で、みなさん、関心を持ってくださったようで、mission completeでありました。

 

 

   

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