晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

地底のエイリアン 4/22

2008-05-07 | 日記・エッセイ・コラム

2008.4.21(月) 快晴 ゴルフクラブをもらう

 昨年車上荒らしにあいゴルフ用品をすっかり盗まれたのだが多くの方々に中古クラブを頂き、今では40本ぐらいになっている。それでも合うものもあり、足りないものもあったりで不自由な感も持っていたのだが、増田さんが「沢山あるから取りにおいで」と言ってくれた。三和町の別荘に行くとあるはあるは、20本前後のウッドクラブとパターが並んでいる。アイアンは山ちゃんにワンセットもらったので充分なんだが、ウッドが欲しいなと思っていたところである。「全部持って帰って使えるのだけよって後はトマトの添え木にでも、、、」ということなのでみんな持って帰る。その後福知山の家電店、厨房用品店、家具屋、スーパー、綾部の家具屋、ホームセンターなどに行って超多忙の一日が終わる。
 ゴルフクラブは必要な物を使って、残りのものは差し上げることにしよう。開店したら展示しておき、自由に持って帰られるようにしたい。それが親切にしていただいた皆さんへの恩返しにもなりそうだ。

2008.4.22(火) 快晴 地底のエイリアン

 庭やのり面の雑草が目立ってきた。雑草たってヤワなもんじゃない。昨夏のじょんのび村の用地を見てもらおう。Img_5913

  このジャングルのような土地に家を建てたのだから推して知るべしである。悪質なのはイタドリ、竹、スギナ、ススキ、ヨモギである。特に竹は掘り起こし始めたら何時間もきりがない。適当なところで鋸で切るのだが、積み上げた竹の根を見ると満足感より気味悪く感じる。しかしひょっとしたら竹藪は地震に強いというが、上林断層のとおるこの地で地震対策の効果があるのではないだろうか。Img_0572

積まれた竹の根、手前の石も掘り起こした。

 救いがたいのはイタドリである。私はこのじょんのび村に居る限りこいつと勝負する覚悟である。これだけはなんの役にも立たないと思っていたら、島田さんが「大きいやつは良い杖になるんやで」と教えてくれた。確かに軽いことは軽い、しかし弱くはないか。いやいやあの巨大な奴ならいけるかもなどと想像をめぐらす。秋になったら試してみよう。お米を持ってきてくれた奥上林の人は「いやー美味しそうないたどり」と我が家のイタドリを眺めていた。調理法も教えてくれたが、子供時分のイタドリやスイスイを食べていた貧しいおやつを思い出しあまり食べたくはないのだが。
 イタドリの根は簡単にちぎれ、太くても剪定ばさみですぱっと切れる。そのためか重機で起こした地面には無数の切れ端が残っている。実はこれがくせ者なのである。当初は地中に根が巡っており、そこからイタドリが出てきているのかと思っていた。もちろん間違いではないのだけど、多くのイタドリはちぎれた根、棄てられた根から出ているのである。これだけ花や野菜を植えてもうまく育たない粘土質の土に、細切れの根から芽を出し成長するイタドリは将に地底のエイリアンである。切った根は残してはならない、燃やしてしまうこと。じょんのび村の憲法に入れよう。
 今日は西村さんの訪問があったほか、簡保の先輩植山さんが通り掛かる。上林の出身とはうすうす聞いていたが、実家の田植え準備の帰りとかで寄ってくれた。久々の再会で懐かしくもあったが、夕方になっていたのでお話も出来ず残念であった。また店が開店したら来て欲しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土筆庵を訪ねる 4/18

2008-05-07 | 日記・エッセイ・コラム

2008.4.18(金) 雨 土筆庵を訪ねる

 夕べは低気圧の通過でえらい雷が鳴った。寝ていると下の方から雷鳴が聞こえるのだ。どうも道路や向かいの建物の影響で反響するのかも知れない。天気はよくないが、綾部温泉に連れて行き、於身の土筆庵を訪れる。たしかピザを焼いていると聞いていたのだが、留守であった。(後で解ったことだが、ピザは趣味で焼いておられるということで、商売ではないとのこと)ここの庭は素晴らしい、井上さん夫婦の自慢の庭だが、よくぞここまで造られたかという別世界のような庭だ。Img_0501 Img_0502 Img_0503

一粒さんで食事して綾部駅にお嬢を送って行く。じょんのびのゲストルームも気に入ってもらえたようだ。

2008.4.19(土)雨曇り カフェの準備

 3日目の雨、本当によく降り続く。日本中なのか上林だけなのか疑心暗鬼になる。今日はカフェの準備として各取引先の方々が順次来じょんされる。パンにしても乳製品にしても上林に配達してくれるところは少ない。特に綾部市内の店は上林を敬遠している気配がある。昔ながらの遠いところ、不便なところ、雪の多いところというイメージがこびりついているようだ。車で20分のところなのだが、、、、。かえって福知山の業者の方が「はい行きますよ」と簡単に引き受けてくれる。既成概念がないせいだろうか。パン屋さん、牛乳屋さんと商談が続き、コーヒーの牧野さんが京都から来じょんする。仕入れや接客などの打ち合わせを行い、すっかり疲れる。
 畑のオクラとパセリを植え付けが終わると、森井さんが筍を持ってきてくれた。今年は筍の当たり年ということで、そろそろ飽きてきた。

2008.4.20(日)曇り晴れ げんき会

 中京郵便局のOBでつくるげんき会が発足するというので京都に向かう。随分前に案内を頂いており、出席の返事を出していたのだが案内のはがきがどこかに行ってしまった。日時と場所は憶えていたのでその通り行く。「がんこ二条駅前店」と憶えていたので、二条駅前の生協に車を置いて探す。「がんこ」なら大きな看板があろうかと探すが一向に見あたらない。
ガード下の交番に行くとそんな店は無いということだ。「がんこ二条苑なら木屋町にありますよ」と親切に教えてくれる。電話するとそちらだった。うろ覚えは事故の元。地下鉄で急行するが、少し遅刻。なつかしい顔が迎えてくれる。20年ぶり、30年ぶりの人ばかりだ。概ね元気な人ばかりだが、心配なのも数名有り、名のとおり「げんきかい」と言って毎年集まるそうだ。この会は店を閉めてでも行かねばならない。じょんのび村のことを話すと、是非寄ってみたいと言う人も多く、気楽に寄ってもらえば楽しみである。来られなかった人の消息も聞き、多くの人が別荘を持っているのに驚く。郵便局のOBがそれほどお金持ちだとは思わないが、自然派で堅実な方が多いためだろう。20数年前に田舎生活を始めた白石君には驚いた。文章がうまく、頭の切れる青年であったが、職場が違っていて、私が知らない間に居なくなっていたのだ。聞くと無農薬栽培など今では当たり前のことが当時は認められず、大変苦労したそうである。村というのも今のようにUターン、Iターンの歓迎ムードはあるはずもなく、随分閉鎖的であっただろう。庭師の仕事をしていたそうで、是非開店までに訪ねてみたい。
 「がんこ二条苑」は高瀬川の源流に位置し、角倉了以の別邸であったところだ。各界の著名人の別邸となり、京都の人々には大岩邸として知られている。立派な庭と落ち着いたたたずまいで楽しく過ごさせていただいた。Img_0504

  終了後二次会もあったのだろうが、向かいにある島津記念館が無料開放をしていたのでこちらに寄ってみる。京都を離れた今、京都の施設に機会あるたびに行ってみたいと思うようになるものである。この地は島津製作所発祥の地であり、建物もそのままに記念館として残されていて素晴らしい。
 当初の業務の主流であった理科模型の機器や会社の書類など興味深い物が数多く展示されている。初めて知ったことだが、島津製作所の創始者島津源蔵は薩摩藩島津公の血縁と思っていたのだが実はそうでは無かったことである。薩摩藩に仕え、功績があって名字と家紋を拝領したそうである。島津製作所からはGSバッテリーやニチユなど優秀な企業が分離しており、京都にはこれらの企業で働く多くの知己もある。私はなにより島津製作所の経営理念が好きで、六本木ヒルズ族に見られるような、近代的だが軽薄に思われる最近の企業に比し光彩を放っているように思うのだが、、、、。Img_0505 Img_0506 Img_0508

左:島津記念館 中:木製旋盤 右:日本最古の顕微鏡

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする