2009.3.28(土)曇
自転車旅行中興味を持ったことに石垣がある。各地の城を巡っていてその石垣に惚れ込んだというのもあるが、個人の家の石垣も興味深いものもあった。旧家や名跡の石垣だけでなく、一般の家や畑でも味わい深いものもあった。祖谷で出合った石垣は感激ものであった。大歩危小歩危の特徴とも言える緑の石(緑色片岩というらしい)で、まるでマチュピチュの様な急斜面に積まれた石垣は、階段や武者返しのような上部のそりまであって芸術的である。村に石垣を積む職人がいたのだろうか、それとも各々の家でこつこつと作り上げたものだろうか、私は後者であって欲しいと思う。
建物における石の文化が希薄な日本では石垣にその美しさが集中している。特に権力者でも大金持ちでも無い庶民が作り上げた、いわゆる生活のための石垣に限りない美しさと魅力を感じるのである。
毎日散歩の時に積まれる経過を見ていて、これは本職の手になるものと思っていた。家の近くで工事をされていたのでそこから石が出てくるらしい。我が家もそうだが掘れば石がごろごろ出てくるのだ。
左:階段 中:武者返し風になっている 右:いわゆる野面積みである。
これが河原から山頂まで何百メートルも続くのだ。
近所のFさん宅の畑に石垣ができた。今年2月のことである。
左が工事中、右が完成後
完成後工事の方にこの石垣について尋ねてみた。
「いやあ見事な石垣ができましたが、本職の方がされたんですか?」
「いいえ、この家のおじいさんが積まれたのですよ」
「それにしても上手な出来映えなんですが」
「私たちも思ったより早く作られたので驚いているんですよ」
「昔はこうして家の人が積んでいたのですかねえ」
こんな感じでしゃべっていたのだが、その行程、出来映え共に感激ものである。このあたりの家はほとんど石垣の上に建っている。その石垣をよく観察すると、Fさん宅の石垣は群を抜いている。積み方がきれいと言うだけでなく、武者返しのようにきれいにカーブしており、角は算木組となっているのだ。職人の手によって御影石で組まれたものは兎も角、野面積みでこのような石垣は見あたらない。
じょんのび村のベランダ下の10mあまりもいずれは石垣を組まなければならない。なんとかこのおじいさんに習って自分の手でやってみたいと思うのである。
【作業日誌 3/28】
なーんにも無し
今日のじょん:先日霊感の強い人の話を聞いた。霊の姿や言葉が見えたり聞こえたり大変らしい。犬は人間に見えない何かに反応することがよくある。何も無いのに急に脅えたり、ある一点をいつまでも見つめたりすることがある。最近散歩道の途中で妙に脅えて、尻尾を下げて大騒ぎする場所がある。私が見ても何もないのだが、そこがお墓なだけに、ひょっとして何か見えてるのかなあと思ってしまう。
大槻教授、どうすかねえ。