2009.8.11(火)雨、曇
お盆前の定休日なので川合のお墓掃除に行く。カイチの墓揃えは日曜日なのだが天気が良くなかったので、どこの墓も中途半端な掃除となっている。墓石を洗剤で洗うが強烈な苔がなかなかしぶとい。私の元気な内はこのお墓の守もしてあげようと思うが、その先は一体どうなるやら解らない。川合のお墓は小原株のお墓で10件ほどの家が集まってお墓を構成しているのだが、これはいわゆる単墓というものである。斎場で火葬する現在では単墓も両墓も余り関係ないが、土葬をしている過去においては大きな違いがあった。
我が家の墓地、私の父親は石塔の前に土葬されている。
葬制には関心があったので新書などで研究をしたが、両墓制というのはどういうものか理解できなかった。単墓制の地で育った者に両墓制というのは凄い異文化のように感じるのだ。 【作業日誌 8/11】
上林の多くの地区が両墓制だそうだ。この地に家を建てたとき西側の山の斜面にお墓があるのに気付く、えらいこっちゃ家のすぐ近くに墓地があると思ったものだ。ところが北の斜面にも、府道の脇にもあちこちに墓があるのだ。これが両墓制である。
両墓制とは遺体を土葬する埋め墓と石塔を建ててお参りする詣り墓の二つの墓がある制度である。埋め墓は埋け墓(いけばか)などと呼ばれているようで、お寺の脇にあったりするそうだ。これは村全体など大きな単位であり、この地域の埋め墓がどこにあるのかは確認していない。一般的に葬儀時、初七日、四十九日などに詣るがその後は訪れることもないようで、石塔を置くこともなく単に石などを置いているそうだ。
調べているとムソバと言うところもあるそうだ。これは沖縄、久高島で探したグソーと同義語ではないか。そういえば沖縄の洗骨も両墓といえば両墓だ。両墓制の原点は洗骨などの改葬にあるのではないだろうか。
お盆などで墓掃除をしてお詣りするのは詣り墓で家の近くに家毎の墓がある。これがそこいら中にバラバラとあるわけだ。沖縄の門中墓も似た感じである。
余談であるが、かつて牛馬などの死体を埋めた箇所もある。これはサンマイなどと呼ばれているそうだ。一区のサンマイは向山の東の谷のおくにあるそうだ。ただ一般的にはサンマイは墓地のことで埋め墓をそう呼ぶところもあるそうだ。
お墓の掃除
真砂土運び
今日のじょん:散歩でもご飯でも「待ってなさい」というとこのポーズで待っている。これで上目遣いでもされたら、弱いのよね。