2009.8.19(水)晴
夏休み2日目、草刈りにいそしむ。本来は営業日なのでお客さんが来られることがある。てなわけで作業はちっとも進まない。芝刈りとベランダの扉、畑の整備が後日に残った。どうせ予定どおりには行かないと思っているのでどうってことは無いのだが、かみさんはイライラしている。スロウライフのんびり行こうぜ。
上林風土記をお借りして、中上林の歴史をひもといているところだがこの本は資料集と言うだけあって、結論じみたことは書いて無くて膨大な資料が掲載されている。従って読者が自由に想像することができて、紋切り型の歴史書よりもずっと楽しい。
毎日深夜まで読んでいるが特に小字を毎日見直している。地名は最高の歴史の証言者である。中上林で興味ある地名は念道、引地、日置谷、殿、弓削、遊里、睦志ってところか。睦合とか五泉なんて町名が歴史的には意味がないことは以前に書いたとおりである。
念道については以前から考証し仮説を紹介しているが、「子ント」ではないかと思っている。子は方角の北、ンは助詞「の」が転化したもの例えば「僕ん家、君ん家」なんかのン、トは渡か門ではないだろうか。渡は川の徒渉地点、門は字のとおりの門であったり領地、境界などを示すという。どちらも捨てがたいが、丁度今年1300年祭をとりおこなう河牟奈備神社の氏子境界が念道にあることを考えると、古代における荘園などの境界が念道にあったのでは無かろうか。上林荘の上下村の境が葛礼本、西屋八幡宮両神社の氏子圏の境界ではないかという説をよく目にする。根拠は解らないが古い神社の境界がかつての領地の境界であることはうなずける話ではないか。「子ント」が北の境、北の領地という意味の地名ではなかろうか。今の私の資料ではこれ以上仮説を展開することは出来ない。今後多くの資料を読みすすめ、和束町の「念道」についても是非行ってみたいし、調べてみたい。
さて、次に気になるのは「引地」である。ある資料には「低い地が訛って引地」という説があった。なるほど私の持論である地名地形説にはぴったりの説だが、直感でどうも怪しいと気付いた。確かに上林川の湾曲部下流にあり水害の多く起こった地域ではあるが、低い土地は他にいくらでもあり、特別この地が低いわけでも無さそうだ。それよりも「引地」という地名は全国に数多くあるのだ。それらが全部低い地にあるのなら前説も頷けるのだが、順次調べてみよう。つづく
【作業日誌 8/19】
花壇の階段造り
草刈り、草燃やし
土用干し3日目
らっきょうの紫蘇巻き作り
今日のじょん:いくみちゃんが来てヒコヒコ。じょん菓子も一杯持ってきてくれた。あんまり贅沢なもん食わすなよ。いつもの粗食をくわんようなったらえらいこっちゃ。
34cmの巨大ゴーヤが採れた。じょんは昨年ほど喜んで食わない。くるみちゃんはどーかな?