晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

鬼の交流博物館 8/25

2009-08-25 | 日記・エッセイ・コラム

2009.8.25(火)快晴

 8月というのに秋晴れである。夏休み中に行きたかった大江山の「日本の鬼の交流博物館」に行く。ここで8月一杯「かつて繁栄した河守鉱山」の特別展をやっているのだ。実はこの博物館のある仏性寺の地で20年前ヒルクライムの記録会をやったことがある。下見やら本番やらで何度も訪れているのだが、この地が河守鉱山の跡地だとはつゆ知らなかった。Img_2905
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おおきな鬼瓦のモニュメントと日本の鬼の交流博物館


河守鉱山は昭和48年まで存在しており、子供の頃は話には聞いていたが、その実態については今日まで知らなかった。本格的な操業は昭和に入ってからで、新しい鉱山であるが、古代においては鉄などの採掘が行われていたようである。今日の目的は河守鉱山の実態を知ることと、巷間語られる鬼と製鉄集団の関係を確認すること、麻呂子親王伝説について調べることなどである。
 河守鉱山については写真や図面、当時の用具などの展示があり、予想以上の規模に驚かされる。博物館の場所は松原社宅といい、少し上には鉱山事務所、売店、映画館などもあり、今少し登って行くと右手に通洞坑跡や選鉱場跡がある。

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左、中:かつての通洞坑と現在  右:選鉱場跡

鬼、麻呂子親王伝説は展示物の他に博物館所蔵の資料を見せていただき、いくつかの冊子を購入し今後の研究の材料と致したい。特に福知山高校におられた芦田完先生の論文など数点閲覧させていただき、ご健在であらば是非お会いしたいと思うのである。
 上林の奥、三国岳に発し養老山、弥仙山、烏ヶ岳、鬼ヶ城、姫髪山から烏帽子山に至る姫髪山脈こそ金属鉱山の山脈であり、上林の古代の歴史を紐解くには、鉱山とその従事者の調査をすることがキーポイントだと確信する。
 河守鉱山の跡地はすっかり緑に覆われて往時の面影もないが、上記写真のように草に埋もれたコンクリート建造物やズリという鉱物のくず石の斜面が残っている。小さなズリと少し成分が残ってそうな石を記念に拾ってきた。
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ズリの斜面


【作業日誌 8/25】
畑草引き
今日のじょん:今日は一日外出していたので、じょんの様子も分からないのだが、帰ってきたときの喜びようが印象的である。どこのワンちゃんもそーなんだろうがちぎれんばかりに尻尾振って出迎えてくれるのにはまいってしまう。

  

コメント
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