2013.5.11(土)雨 漂泊の山民(3)は2013.5.8
木地屋と地名
第三部第一章に木地屋地名に関する章がある。
木地山、木地小屋、雉、雉洞、霧(きじ)などがあるが、こういった集落が古くは轆轤(ろくろ)村、轆轤山などと言われていた例があり、轆轤地名の方が古いものかと思われる。
近隣で木地屋地名、轆轤地名を調べてみると、
綾部市高津町 六路屋
三和町大原 六ロ谷
三和町台頭 六路大サコ、六ロ谷口
高浜町 六路谷
小浜市 六路谷
大原の六ロ谷は蛇ヶ谷と和木峠への谷の分岐から一つ上流の北側の谷である。向かいのイモリ谷も気になる谷である。
などが見つかる。高浜町、小浜町には小字として轆轤があるそうだ。
漂泊の山民が地名も含めて文化を伝搬しただろうというのは常々思うところであるが、そういった飛の生活をしているものが、自らの居住地にそういう地名を着けるものかというのは疑問である。むしろ周囲の定着農民によって、木地屋の居る谷、轆轤ひきの作業場のあるところといった意味で呼ばれ、木地屋が去った後は地名だけが残ったというのが実態ではないだろうか。このことは橋本氏も書いておられる。
また、氏は木地屋地名の着けられた年代について中世から近世だろうとして、「日本の地名」鏡味完二氏の古代地名の位置づけを問題ありとしている。同感である。
本書には全国数十カ所の轆轤関連地名が紹介されているが、その多くが金属関連地名とダブルことがあるようだ。すべての地名について調べていないので断言することはできないのだが、過去に金属関連の記事を書こうとしてして調べたところが出てきて驚いている。木地屋と鉱山師の関係を観念的に説いている論文はいくつかあるが、具体的に解明しようというものは未だ見当たらない。地名を元にそのことが可能かもしれない。おわり
【作業日誌 5/11】
薪割り
【今日のじょん】タニウツギが咲いた。
タニウツギは日本海側の多雪地帯では普通の植物である。一瀬さんからの頂き物なんだけど白花というのが珍しいそうである。そういえば図鑑では淡紅色または紅色と書いてある。じょんがオシッコしないように柵をしているので安心。