晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の盃状穴(17) 番外編 5/25

2013-05-27 | 歴史・民俗

2013.5.25(土)快晴 上林の盃状穴(16)は2013.4.7

 京都帝釈天(南丹市八木町船枝)2013.5.24訪問
 歯科治療の帰りにあまりに天気がいいので京都帝釈天に寄る。府道25号線を園部町に入る手前、八木町船枝(ふなえだ)にある。幟や看板が目立つので気になっていたところだ。船井郡、船岡、船枝という地名も気になっていたところだが、船岡にあるロクロヶ谷という小字も確認したいし、帝釈天というのはそうどこにでもあるものでもないし、なにやら金属に関係あるという説もあるので訪ねてみたく思っていたのだ。P1040505

 


府道から少し入ったところの駐車場、門前をなす船枝の集落があり、左手の山を登ってゆく。

府道沿いの駐車場に車を置いて、参道を登ってゆく。800mと書いてあったが、すべて登りなので結構遠い。道中に案内看板や古いお墓、疣神様、観音堂があり、108基の願いの鐘なるものが連なっている。
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道ばたのお墓には新しい石塔もあるが、古い五輪塔などもある。

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疣之神、上部から水道が引かれているのは気になるが、元々は洞窟だったようにも見える。右は薬師堂。


 案内では山号を紫雲山といい、宝亀11年(780年)和気清麿による創建とある。京都帝釈天という名といい和気清麿創建といい俄に信じられない感がするが、古い社寺ではあり信仰の厚さも感じられる。ウィークディの日中だというのに二人の参拝者に出会ったし、寄進も多いのだろう様々な設備も新しいものが多い。実は古いこと、古い信仰を探して訪れているものにとっては、新しい設備、新しい石造物などはあまり意味が無い。
 帝釈天が金属に関連すると言われてもそれらしい痕跡を見つけるのは難しい。炉の跡があったりスラグが見つかるなんてのはまれなことだ。参道も現在のものは車が通れるようにしてあって、過去の参道とは違うようだ。本来ならば古い道を歩くべきなんだが今回は車道を行く。少彦名
 道中石塔の並んだ墓地のようなところが二ヶ所、疣神様、観音堂がある。墓地には時代の新しそうな石塔の他に古い五輪塔などもあり、年代を思わせる。
 疣神様は丹波地方ではよく見かけるものだが、多くは湧き水が出ており、疣に効くというものである。上林にもいくつかあるようだが、これが本当に疣に効く神様だろうかという疑問は持っている。なぜなら、疣そのものは痛いわけでなし命にどうって事は無さそうなので、わざわざ神様にお願いして治してもらうほどの病では無いと思うのである。イボという何か他の意味の神様が祀ってあるのではないかと思っているのだが、それがなにか未だ見当もつかない。兵庫県の揖保郡のイボがなにかありそうだとは思っているのだが。つづく

【晴徨雨読】215日目(2007.4.29)大洲~宇和島
大洲という町はじっくり滞在すればなにかあるなと思わせる町である。大洲城やYHの資料館で半日を過ごす。町外れの臥龍の湯というところで昼食をとるが、後で調べると少彦名温泉と言うそうだ。大洲の近辺には少彦名命を祀る神社が多くある。さてこれが何を意味するものかと考えるだけで、数日の滞在は必要となる。
 当時はそんなこともいざ知らず、宇和島に急ぐこととなる。Img_4868


YHの資料は個人で収集されたものだが、一級の資料が存在する。

【作業日誌 5/25】
ドッグランど、フェンス用木材ペンキ塗り

【今日のじょん】
ドッグランどの柵ができはじめて、じょんとしては自由に出入りできにくくなってきた。従前からあったドアも初めて使ってみる、いずれここから出入りするのだぞ。P1040507



    
 
 

 

コメント
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