2013.5.22(水)快晴
御器(椀のこと)について、最奥の集落が平家の落人、あるいは都の高貴な出自という伝説の一つの根拠になっているのではないかということを書いたが、資料を調べると矛盾があることに気づいた。
「秋山物語」の御器の伝説は、上ノ原の話者が語ったものである。
昔は税金は箕作(みつくり・下水内郡栄村)の三左衞門(名主・島田三左衛門)のところに納めた。二人ずつで行ったが、三左衛門の家でごちそうになり、立派な御器を褒めたところ、女衆に笑われた。御器という言葉は秋山でしか使わなかったようだ。
というような話である。
ところが「秋山記行」、これは鈴木牧之が実際に文政期の秋山を訪ねて書いたものであるが、この中には御器という言葉は出てこないのである。ところが箕作り村嶋田三左衛門(ママ)の所への納税は事細かに書かれているのである。つまりどちらも同じ時代のことを書いているということである。しかも「秋山紀行」の中で様々な方言などについて列挙している中で椀については次のように書かれている。
椀・親椀を、てゝと云(いひ)、次ぎを小しる椀と云(いふ)。
祝儀などに酒を右の椀にて?、盃などは更になし。
ててというのは父親のことだと思うが、次が小しる椀というのだから大小の椀のことだろう。どちらの話を信ずるかと云うことになると、当時の現地を訪れている牧之の方となる。となると御器という言葉はそれ以降に持ち込まれた言葉と考えるのが妥当となる。
木地屋、秋山郷ではクリ師といわれる者によって入ってきたのではないかと思うが、「秋山物語」に登場するクリ師は話者が現実に知っている人なのでおそらく明治の時代のことだろうと思われる。
仮に御器という言葉が、高貴の出ということの一つの根拠になったとしても、実際には何の論拠も持たないこととなる。おわり
【晴徨雨読】212日目(2007.4.26)養老温泉~しまなみ海道~今治
しまなみ海道は自転車で渡れると聞いて、とにかく走ることに専念した。サイクリングロードとして人気があるそうだが、コースがいいわけでなく景色がいいわけでなく別段どうって事の無いコースだ。ところが一つ一つの島はよく調べると大変興味深いところがある。今行くとしたら、因島、大三島にそれぞれ一泊するだろう。
しまなみ海道自転車道は島を走っては橋を渡るという感じだ。瀬戸内の島は花崗岩の岩が多く有り、磐座として興味深い。
【作業日誌 5/22】
ドッグランど柵作り
【今日のじょん】久々にサリーちゃんが遊びに来た。もう少しでドッグランどができるんだけど、とりあえずその辺で遊んでてくれ。