晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大原のこと(8) 5/14

2013-05-15 | 歴史・民俗

2013.5.14(火)快晴

 「木地屋の世界 漂泊の山民」の中に、コマヒキ考という一文がある。木地屋のことをコマヒキということについての考察である。コマというのがグルグル廻るものを指すようで、轆轤のことをコマと称してもおかしくはない。木地屋、轆轤師、コマヒキ、クリ師というのは時代、地域は違っていても同一のものと考えていいようだ。
 蛇ヶ谷には右岸に西谷、小屋ヶ谷、ロクロ谷、仏谷、ハッケ谷、トガ尾、クズレガ谷、
左岸はヒエ谷、イモリガ谷、スナシ、ウルシガ谷、サルビシロ、グミ、シモクリ、カミクリ、シルマガ谷、ガンド谷、大蛇ガ谷、コモサコ、川原田谷という谷が合流している。このシモクリ、カミクリがクリ師に由来する轆轤師地名ではないかと想像したのだが、やはりこのクリ地名は動詞「刳る」に由来する崩壊地形を表す地名であると考えるべきだろう。
 というのは蛇ヶ谷はじめ上記支流の多くが崩壊地名であるからだ。
蛇のつく地名は各地に多くあり、その多くに大蛇伝説を残している。大原についても同様で、大蛇退治伝説が残っており、福知山の蛇ヶ端ともリンクし、大蛇の髭が大原神社に保存されているという。(2011.3.20 大原(3)参照)
 蛇(じゃ)は崖を意味し、蛇抜(じゃぬけ)、蛇口(じゃくち)、蛇喰(じゃばみ)などの地名があるがいずれも崖崩れの地形を表すものである。蛇ヶ谷、大蛇ガ谷も崖を表す地名である。
 ハッケもハケ、バケ、バッケ、ボッケなどから出た用語で崖のことを表す。関東の山に登っているときは○○バッケとか○○ボッケとかいう所によくであった。仏(ほとけ)も同様の意味かもしれないし、ホドつまり洞穴や奥まった地形を表すものかもしれない。トガ尾は面白い谷名だ。尾というのは普通は尾根をさす。戸隠、戸狩などはとがった山や、尖った地をさすのだろうと思うが、そうするとトガ尾は岩のごつごつした尾根の意味となる。両岸のどちらかの尾根がそういう尾根なのではないだろうか。左岸のガンド谷も同様の感じがする。ただ、小字にガンド岩というところがあるので、こういった岩がある谷なのかもしれない。クズレガ谷は名の通りである。つづく

【作業日誌 5/14】
オクラ、鷹の爪各2本植え付け
トマト支柱、胡瓜ネット用意
ゴーヤ畑準備

【晴徨雨読】230日目(2007.5.14)高梁~湯原
高梁市から真庭市に入る手前、実に美しい石垣に出会う。石垣ったってお城や神社などでもなく、普通の田んぼやあぜ道の石垣なのである。最近この石垣のことについて載っている本があったのだけど、メモをしておかないのでどこに書いてあったか解らなくなった。そのうち思い出すだろう。
Img_5572
Img_5573





【今日のじょん】昨日と同じような写真だけど、実は見ているものが違うのだ。
「おや~なんじゃ?」
「念道のネッシーかな?」
「いやー大鯉のたわむれでした。いつもより時間が早いので見られたようだ」
P1040445
P1040444
P1040443

    


 
 
 

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大原のこと(7) 5/13

2013-05-14 | 歴史・民俗

2013.5.13(月)快晴

 足助の東、設楽町から北に地図をたどると、橋本鉄男氏も驚くほど多くの木地地名(木地山、雉子洞、木地谷など)や轆轤地名(六郎谷、六郎小屋、六郎木、六良木など)がある。ただし、引地地名は豊田市方面に多くあり、木地屋地名と共存しているものではない。
 愛知県の豊田市周辺には多くの引地地名があり、豊田市東部、そのまた東には多くの木地屋地名が存在する。しかしその二つを関連づける要素は何も発見できない。むしろ引地地名は金属関連地名と共存しているように思える。
 「漂泊の山民」の中に轆轤地名の紹介の中に、「大分県大野郡朝地町大字梨小小字引地(※現豊後大野市)に旧字六郎木(ろくろうき)の名が残る。」とあることと、大原に引地と六ロ谷の地名が存在することが興味を持った原因である。
 「秋山物語」という秋山郷の伝説や口伝を採録された出版物がある。浅川欽一という方の採録によるものだが、現実に秋山郷の方々から聞き取りされているというだけでなく、それらの話を歴史的、民俗学的に分析されており、貴重な資料でもある。P1040449

 


物語だけでなく、貴重な写真や民具の紹介もある。

その中に木地屋に関することがいくつか記載されている。
 秋山郷に元々の木地屋は無いようだが、他所から入ってきた木地屋が居たようである。木地屋のことをクリ師と呼んでいたそうで、大正時代頃では足踏み式の轆轤を使っていたそうだが、手引きの轆轤もあったそうだ。
 木をくりぬいて椀を作るわけだから、クリ師というのは納得がいく。秋山郷のように隔絶されたところに古い言葉が残るのは通常である。新しい時代に木地屋とか轆轤師といわれる職人が入り込んできて、それをわざわざ別名としてクリ師と呼ぶだろうか。つまりクリ師という言葉が古くからあって、他の地では消えてしまっても、秋山郷に残ったという風に考えられないだろうか。
 そうすれば大栗峠(おぐりとうげ)のところで紹介した崩壊地名としての栗地名の一部が轆轤師地名かもしれないという発想も出てくるわけだ。つづく
P1000396



大栗峠の大栗はやはり崩壊地名だろう。


【晴徨雨読】 自転車日本一周229日目(2007.5.13)
4月26日からこの項の記事を停止している。歯痛が主な原因だが、記事を書くに当たって原稿締め切りのストレスをためないことにしたのでお許しいただきたい。ただ、放っておけば旅行が終わってしまうので再開することにする。この間の記事は終了後順次紹介することにする。
 高梁市に逗留し、吹屋を巡る旅に出る。吹屋は名の通り銅山で、銅が出なくなってからはベンガラの生産で栄えたところである。町並みなどかなり意識して保存されているが、石見銀山のように世界遺産どうのと言うことが無くて大変好ましい保存の仕方である。資料館なども無人で、もちろん無料で勝手に拝見するのだが、実に貴重な資料が残されている。
 宿泊地から遠かったので、じっくり見ることができなかったのだが、再度ゆっくりと見学したいところだ。
Img_5436
Img_5501



笹畝鉱山の坑道は見学できる。弁柄資料館。


【今日のじょん】夏来たりなば
 いつの間にやら上林側に糸が張られた。30m置きぐらいに張られているのだが、実はこれカワウなどの鮎の食害防止のひもなのである。昨日までいた鳥たちが居ないので、効果があるのだろう。やがて稚魚の放流そして解禁が来る。P1040440

  

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大原のこと(6) 5/12

2013-05-13 | 歴史・民俗

2013.5.12(日)快晴

 今年の大原神社春季例大祭には5年に一度の練りこみが行われたと聞く。是非一度見てみたいと思っていたのだが歯痛に苦しんでいる最中だったので、残念ながら行けなかった。
 木地屋についての書物で轆轤地名を調べていると大原のことを思い出した。轆轤地名は結構あるようで意外と少ない。山国の上林にはあるだろうと思ったら見当たらなくて、高津にあった。全国の例を見てみると、いわゆる山奥にある場合と意外と開けた街道沿いにあったりする。
 漂泊を続けていた木地屋が時代が進んで定着したのかもしれない。東山区の轆轤町などはそこに轆轤師がいたとしたら定着していたとしか考えられない。
 さて、大原の六ロ谷であるが、川合川上流蛇ヶ谷と和木峠への谷との二股から蛇ヶ谷右岸一つ上流の谷である。
P1020371P1020373



右は蛇ヶ谷から大成峠へ、左は和木峠へ向かう。六ロ谷は正面の尾根の向こうか。


 轆轤地名は山深い川合でも大原のこの谷と台頭(だいと)の六ロ谷口、六路大サコの三カ所のみである。
六ロ、六路に何か他の意味が無い限り、この地で木地屋が轆轤をひいていたと考えてよいのではないだろうか。
台頭の二カ所についても未だ位置を確認しているところではないが、おそらく山深い位置にあるのではないだろうか。
 「漂泊の山民」橋本鉄男著で紹介されている轆轤地名で愛知県北設楽郡設楽町、稲武町、南設楽郡鳳来町(いずれも当時)などが紹介されている。この地域は引地地名で調べた地域である。もう一度地図で小字地名を調べてみる。それは大原にも轆轤地名と引地地名が併存するからだ。つづく

【作業日誌 5/12】
草刈り(2-3)
キュウリ(シャキット2本、ピクルス1本)植え付け

【今日のじょん】久々にマーブルお兄が来た。じょんもおとーもおかーも憶えてもらってるようで安心。P1040439

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雨読 漂泊の山民(4) 5/11

2013-05-12 | 雨読

2013.5.11(土)雨  漂泊の山民(3)は2013.5.8

 木地屋と地名
 第三部第一章に木地屋地名に関する章がある。
 木地山、木地小屋、雉、雉洞、霧(きじ)などがあるが、こういった集落が古くは轆轤(ろくろ)村、轆轤山などと言われていた例があり、轆轤地名の方が古いものかと思われる。
 近隣で木地屋地名、轆轤地名を調べてみると、
 綾部市高津町 六路屋
 三和町大原   六ロ谷
 三和町台頭   六路大サコ、六ロ谷口
 高浜町      六路谷
 小浜市      六路谷
P1020371
 




大原の六ロ谷は蛇ヶ谷と和木峠への谷の分岐から一つ上流の北側の谷である。向かいのイモリ谷も気になる谷である。

などが見つかる。高浜町、小浜町には小字として轆轤があるそうだ。
 漂泊の山民が地名も含めて文化を伝搬しただろうというのは常々思うところであるが、そういった飛の生活をしているものが、自らの居住地にそういう地名を着けるものかというのは疑問である。むしろ周囲の定着農民によって、木地屋の居る谷、轆轤ひきの作業場のあるところといった意味で呼ばれ、木地屋が去った後は地名だけが残ったというのが実態ではないだろうか。このことは橋本氏も書いておられる。
 また、氏は木地屋地名の着けられた年代について中世から近世だろうとして、「日本の地名」鏡味完二氏の古代地名の位置づけを問題ありとしている。同感である。

 本書には全国数十カ所の轆轤関連地名が紹介されているが、その多くが金属関連地名とダブルことがあるようだ。すべての地名について調べていないので断言することはできないのだが、過去に金属関連の記事を書こうとしてして調べたところが出てきて驚いている。木地屋と鉱山師の関係を観念的に説いている論文はいくつかあるが、具体的に解明しようというものは未だ見当たらない。地名を元にそのことが可能かもしれない。おわり

【作業日誌 5/11】
薪割り

【今日のじょん】タニウツギが咲いた。
タニウツギは日本海側の多雪地帯では普通の植物である。一瀬さんからの頂き物なんだけど白花というのが珍しいそうである。そういえば図鑑では淡紅色または紅色と書いてある。じょんがオシッコしないように柵をしているので安心。P1040434

 
 

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口腔外科に行く 5/10

2013-05-11 | 日記・エッセイ・コラム

2013.5.10(金)雨

 突然の歯痛に苦しむ僕を
 心配そうに見ていた ex-girl friend
  可哀想にと僕の頬を優しく撫でてくれたのに~

 マッキーの曲をリピートして南丹市に向かう
 初めての病院に行くことほど不安なものはない
 まして歯医者なら特別だ
 マッキーが十数回歯痛に苦しんだ頃、南丹に着き
 ex-doctorの紹介状を握りしめて受付に行く
 

 夕べは暑くてしたたかにビールを飲んだ
 それがどうだ、痛みがきつくなって七転八倒
 こんな痛みが三週間も続いている
 まったくどうにもまいっちゃうぜ
 待たされる方がいいのにすぐに順番が来る

 外科のドクターは手術が好き
 簡単に「詰め物外して神経抜きましょうね」
 この三週間の「様子見ましょうね」はいったい何だったんだ
 でもあの痛み苦しみから解放されるなら、、、
 「お願いします」なんてちょっと気持ちと違う返事をしてしまう

 「痛かったら言ってくださいね」「いは~い」なんて繰り返し
 アスファルト掘り返し、古い水道管とりだすような奥歯の工事がすすむ
 「これが神経だよ」新しい看護婦さんの教材になっている
 おしりに汗が溜まる頃、奥歯の工事が終わる
 麻酔のせいでうがいの水が噴水のように出て笑ってしまう

 大きな穴を開けたまま楽しい帰路につく
 まだしびれているけれど、痛みの無いことがこんなにもうれしい

 痛み、不安 悲しみ
 それは巡り来るまで
 どんな気持ちになるかなんて
 分からないけれど~
 

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歯痛のため休みます 5/9

2013-05-09 | 日記・エッセイ・コラム

2013.5.9(木)快晴

 天気晴朗なれど歯痛酷し。もうかれこれ3週間となる。まったくどうにもまいっちゃうぜ。
明日口腔外科に行くことにしやした。

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漂泊の山民(3) 5/8

2013-05-08 | 雨読

2013.5.8(水)快晴

 「井」の字の姓
「第二部第一章 近江商人と木地屋」の中に「井」の字の姓についてのこの一文がある。
 わたしの住む上林にも「井」の字の姓がやたら多い。井上、永井、細井、温井、福井、森井、藤井、桜井、石井、今井、井関、磯井、松井、碓井、酒井、土井、仲井、井ノ本などなど気づくだけでも相当ある。気になっていたことについての文章に巡り会って期待をしたのだが、すっきりとした答えがあったわけではない。
 近江商人には「井」の字のつく者が目立つ。三井、中井、高井、村井、石井、藤井、井狩などの豪商がいるという。三井家など伊勢松坂が出身とされているが、先祖は近江だろうと説いている。氏は豪商小野組の屋号が井筒屋であることに注目している。木地屋根元地の小椋谷では小椋姓が圧倒的だが、古くは筒井を名乗っていたという。ここに小野宮を祭祀する筒井と名乗る木地屋と近江商人とが関連付いてくるというものだが、無理矢理という感もする。Img_0055

 


近江の豪商小野組の資料(高島民俗資料館、2006.8.2)

  筒井とは筒状の井戸のことであるが、蛭谷の木地屋の烏帽子着(えぼしぎ)に「阿野定盛(あののさだもり)」などの名乗りをすることに坂本の穴太頭(あのうとう)との結びつきを考えている。石垣築で有名な穴太衆は築城、造園その他の土木工事に長けており、木地屋も筒井を掘ったのではないかと論じている。
 そして「井」の字姓とは無関係に、君ヶ畑銀山の外財(げざい)と木地屋の関連を書いている。その際は小椋姓のクラが鉱床を意味するという根拠を示している。ここで外財というのは世界記憶遺産になっている山本作兵衛氏の「画文集 炭鉱に生きる」で氏の文の最初に、「その昔、下罪人(げざいにん)といわれたころの坑夫の多くは、、、」と出てくる。随分賤しめられた言葉のようだが、元々は仏教用語の内財、外財から来ている。「人間の身体の外にある財産」「身体の外の働き」などの意味があり、鉱山の山師や鉱夫、鍛冶屋、木こりなどの働きや、人そのものを表すそうだ。
 それはともかく「井」そのものが鉱山を表すのではないかと考えるのである。小野組も三井も鉱山には関連していただろうし、筒井とは縦穴坑と考えてもよいのではないだろうか。つづく

【作業日誌 5/8】
草刈り(2-1)芝生部分

【今日のじょん】寒いのに連日蛇が出ている。先日蛇の交合を発見した。注連縄はこの形から来ていると言われるとおりである。幸か不幸かカメラを持っていなかったので、取りに帰ったらもう居なくなっていた。後日同じ場所で二匹が絡まっていた。左上にもう一匹がじっと見ているのはいったいどういうことだろう。じょんの毛が逆立っている。P1040408

 

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雨読 漂泊の山民(2) 5/7

2013-05-08 | 雨読

2013.5.7(火)曇り

 さて本書だが、序章はいきなりゴキブリの語源から始まる。ゴキブリは木製の椀を囓るので、御器噛(ごきかぶり・御器は椀のほめ言葉)だという。なんともあやしげな説だと思い、語源辞典などで調べるとどうやらそうらしい。実に面白そうな導入であったので期待して読んでゆくが、木地屋に関して実に多岐にわたる考察があって、一度や二度読んだだけでは理解できない。
 著者橋本氏の一つのテーマに対する考察というものではなく、様々な学者の様々な説を総満艦飾的に紹介してあるので、結局木地屋とはいかなるものであったのかというところが杳としてわからない。杳としてわからないものが木地屋なのかもしれない。
 これまでに紹介した多くの本がそうであるように、再読、再々読で初めて著者の意図がわかるという種の本である。従って今回は内容から、印象に残った部分だけをかいつまんで紹介してみよう。
  木地屋の特許状について
 木地屋の祖は惟喬親王であって、その根源は近江の小椋谷(君ヶ畑・蛭谷)であり云々という木地屋の文書が各地に存在する。そのなかで各地の通行権や山林の伐採の権利などがうたわれているが、それら木地屋文書の発生の過程が詳しく書かれている。惟喬親王ももちろん権威付けのためのものであろうし、小椋谷で轆轤が発明されたというのも怪しげな話である。轆轤は渡来人により半島から持ち込まれたものだろう。
Img_5298

 


三加茂町(徳島県)歴史民俗資料館で見つけた木地屋文書(2007.5.9)

氏子狩りといわれる、木地屋の組織作りは君ヶ畑、蛭谷の二派に分かれて行われたことは史実のようである。
 それにしても鋳物師に対する真継家の対応と実によく似ていることに驚く。

 たたら師と木地屋の関係
 多くのたたらや金属に関連する書物の中で、たたら師や鉱山師と木地屋との緊密な関係を説いている。一見無関係に思える両氏だが、鞴(ふいご)と轆轤(ろくろ)は元々同じような装置であるとか、鉱山では淘鉢が必需品で木地屋にしか作れないなどとこじつけがましい理由で語られている。鞴と轆轤は構造的にも機能的にも別個のものだと思うし、鉱石の選別に必要な淘鉢は確かに木地屋にしか作れないが、それだけのために木地屋が鉱山に住み着くというものでも無かろう。
 本書の中で奥会津の木地屋の紹介があるのだが、「カンナやノミの刃も自分の手で作り云々」という文書がある。小椋谷の木地屋も刃物は自分で作るというのを聞いたことがある。つまり木地屋はたたら師でもあるということではないだろうか。
 橋本氏が諸職ということを盛んに言われているが、今日のように分業が発達しそれぞれ専門職となっているのに反し、古代や中世においては一人の人が多くの職をこなしたのではないだろうか。たたら師、木地屋、黒鍬、炭焼き、筏師などなど何でもやらなければならない社会であったのではないだろうか。つづく

 【作業日誌 5/7】
バラのアーチ立て
ミニトマト植え付け、スナック豌豆種まき
イス塗装準備
P1040421



夏野菜の準備OK

【今日のじょん】
阪神藤井が初ホームランを打って巨人に快勝した。じょんは藤井豆腐が大好きである。豆腐の中でもとりわけ藤井豆腐が好きなんだけど、藤井さんが来ると吠えるのが玉に瑕なのだ。P1040422



藤井豆腐を待っているところ。

 

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雨読 漂泊の山民(1) 5/6

2013-05-07 | 雨読

2013.5.6(月・祝)快晴

 歯痛で苦しんでいる間にも一冊の本を読んだ。集中力の無い時に読了できたことは随分面白い内容だったのかもしれない。木地屋(木地師というのが一般に呼ばれているが)のことについて知りたいという欲求もあったのだが、そういった本に巡り会わなかったということもある。
「漂泊の山民 木地屋の世界」橋本鉄男著 白水社 1993年3月発行 古書
P1040424


 漂泊する山民というのは木地屋に限らない、鉱山師、修験道者、マタギ、サンカなどもそうである。山民に限らないで言えば、行商人、芸能者など、また各種の職人も元々は出職であったようである。つまり定住農民以外のものはすべて漂泊とまで言わなくても移り住んで生活をしていたわけである。
 文化と言うことを考えるとき、全国各地に伝搬し共通化していることはこれらの移住性の生活をしている人々のたまものであると考えられる。
 今日のように情報伝達手段がいくらでもある時代と違って、文化の伝搬は人の流れ、人の動き以外には考えられないのである。
 そういう意味で、木地屋の世界を垣間見ることは文化の伝達者として大変興味深いものであると思うのだ。つづく

【作業日誌  5/6】
トマト(桃太郎)植え付け3本
P1040421




【今日のじょん】コロ助が来た。二ヶ月を超えたそうだが、いやはや子犬ってカワイイねえ。じょんもじょんのびに来たときはこんなんやったんかなあと思い出す今日この頃です。P1040417

 

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ままならぬもの 5/5

2013-05-05 | 日記・エッセイ・コラム

2013.5.5(日)快晴

 ままならぬものは加茂の流れと賽の目云々という事であるが、我が身のことも随分ままならぬものである。例えば思い出してほしい。幼い頃、己さえ努力すれば何でもできる、思い通りになると思っていただろう。青年壮年になると自分がいくらがんばってもどうにもならないことがあることが解ってくる。
 そして老年になると、自分が頑張ろうが頑張るまいが何から何まで思うようにはいかないことが身にしみるほど解ってくる。そして最後には明日も明後日も当然あるように思っているのに、突然それらが無くなってしまうことだ。
 こういうままならない人生をそれなりに生きていくためには、人生なんて加茂の水の流れよりもずっとままならないものだと言うことを思い知って流れていくことだろう。
 半月間苦しんだ歯痛もようやく治まってきた。昼間はこれほど楽になったんだから、ぐっすり眠れば明日の朝には歯痛のことなんて忘れてしまっているだろうと気持ちよく床についた。
 若いときならそうなったかもしれない。ところがだ、夜の夜中にズキンズキンと痛む歯に目が覚める。少しは予想していたのだけど、悪い予想が当たって愕然とする。
我慢してりゃそのうち治るかと寝ていると余計痛みが増してきてどうにもならなくなる。起きて鎮痛剤を飲む。なんとも屈辱感というか失望感というか情けない気分になる。
 てなわけで当分中途半端な記事になろうかと思うが、ご容赦あれ。

【作業日誌  5/5】
中尾さんから夏野菜の苗をいただく。いろんなところの苗を見てきたが、中尾種苗の苗は一級品、これ以上の苗はない。軸がしっかりしていて、見るからに丈夫そう。それが証拠に一本たりとも失敗したことがない。今日は長ナス2本、ヒスイナス2本、南瓜、プッコチ、UFOピーマンを植え付ける。
ベンチペンキ塗り、ベランダ塗料塗り半分
とまあ普通に作業をこなすことが歯痛を忘れること。

 

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歯医者復活戦 5/4 

2013-05-04 | 日記・エッセイ・コラム

2013.5.4(土)曇り、雨

 歯痛のため丁度一週間お休みをいただきました。この間いつも記事を読んでおられる方に「歯痛はどうですか?」とご心配いただき、恐縮しております。歯痛が始まって約半月、未だ完治はしていないのですが、今日初めて鎮痛剤を使わないでも済むくらいに回復しましたので、復活することといたします。当分の間無理のない程度に記事を書いていこうと思いますのでよろしくお願いします。

 歯痛の原因
 歯痛なんて子供の時以来無かったので、本当に参ってしまった。歯痛の中では随分弱いものだと思うのだが、とにかく集中力はなくなり、なにもやる気が起きない。冷たいもの熱いものはしみるので、飲食は大変である。右でばかり噛むので顎がだるくなってくる。鎮痛剤を服用すると痛みは無くなるのだが、痛みが消えていく爽快感と逆に痛みが戻ってくる恐怖感がつきまとう。我慢できないほどの痛みでないので鎮痛剤に頼らなくてもいいのだが、歯の痛みが続いているとやがてこめかみ辺りから頭にまで痛みが拡がりイライラしてくる。「胃にこないようならずっと使っていいですよ」という先生の言葉を信じて、使ってきた。薬名はロブ錠60mgというものだが、半分で充分効き目があるので、半分に割って使っていた。
 そして今日初めて薬を使わなくてもいい日がやってきたのである。
痛みがやわらぐと言うことがこんなに幸せなものなのか実感する。
P1040413


お世話になりました、でもまた明日痛くなるかもという不安は残る。

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