お役立ち情報ブログ

日々の生活やビジネスにおいて役に立ちそうな情報を収集、公開しています。

中田宏 中国はコチラも改革を!上海株式市場への過度の介入、ウソの上塗り

2015年08月02日 07時48分16秒 | 海外情報
上海の株式相場が大荒れです。
今月7月は、月初めから最終日の今日(31日)まで14%も下がっています。
昨日は2.2%安、そして今日午前中は続落から始まってやや下がり気味の中で取引が行われるという(変な表現ですが)下がった中で安定しているという状態です。(7月31日正午現在)

今月の上海株式市場は上がったり下がったりジェットコースターのような動きを続けてきました。
これに対し、株価が下がってしまうと政権批判が強まりかねないことから、習金平政権は昨日30日に「今後は機敏な対応をしていく」と表明しましたが、2週間ほど前から行ってきた中国当局の株式市場への介入は度が過ぎるものがあります。
いくつかを挙げますと、
・4日に証券会社21社に対して約2兆4千億円のETF(Exchange Traded Funds)購入、債権を買うように指示
・生保に資産の10%を株式に振り向けるように勧告
・証券監督当局が上場企業の取締役や幹部に株の購入を促した
・政府機関が各メディアに株価暴落の報道規制通達を出した
他に有名なものとして、上場企業が株価下落阻止のために取引停止を申し出るとすぐに取引を停止して、ある日の市場では半分以上の取引ができない、ということもありました。
このような度を過ぎた政府や当局の介入が上海の株式市場を歪めていることは間違いありません。

金融不安が起きては困るということが背景にあるのでしょうが、IMFのクリスティーヌ・ラガルド専務理事は昨日30日に中国の株価対策を講じることを支持したそうです。
一方でその前日29日にアメリカのジェイコブ・ルー財務長官は「中国経済及び世界経済のためにも中国がしっかり改革をしなければならない」といった内容の発言、中国当局の異常な介入について否定的な見解を述べました。

今、難しい局面を迎えています。
上海株が大きく下がってしまえば中国の実態経済に相当に響いてくるのは間違いありません。
そもそも実態経済が悪いのに株価だけがどんどん上がり続けたこの一年がむしろおかしかったわけですが、PKO(Price Keeping Operation)によって政府が人為的に作り出してきた相場が問題を悪化させ、ウソの上塗りをしてきたというのが現状です。

株式相場を安定させながらも一方で改革を進めることが肝要ですが、おそらく中国当局はその改革にはなかなか踏み出せないのではないかという不安があります。
これまでも、中国当局は何らかの株式相場を支えるオペレーションを行ってきたわけですが、明日明後日(8月1・2日)の今週末にどのような対応に出るのか、また来週の上海市場が世界の足を引っ張ってしまうのか、気になるところです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【戦後70年】「今の平和は戦った若者らの犠牲の上にある」

2015年08月02日 07時43分08秒 | 歴史問題
 第二次世界大戦中、神風特攻隊を組織する際、隊員を多く輩出した「第10期海軍甲種飛行予科練習生(甲飛10期)」の戦死者を慰霊し続ける男性がいる。兵庫県宝塚市の湯浅正夫さん(89)。甲飛10期の卒業生で、戦地で多くの同期生らの死を見届けた。戦後、甲飛10期の戦死者慰霊碑を市内に設置するのに携わった。今年は戦後70年。「元気に動ける仲間は少なくなったが、今後も慰霊を続けたい」と話している。

 湯浅さんは真珠湾攻撃翌年の昭和17年、16歳のときに母親の反対を振り切って「国のために」と予科練習生に志願。茨城県の土浦海軍航空隊で甲飛10期として訓練を受け、19年2月からフィリピン・レイテ島などを拠点に各地に出撃した。

 同期生も戦場を飛び回った。同10月には甲飛10期を中心に神風特攻隊が編成され、25日にレイテ島沖で米軍の空母を撃沈すると、同期生らは「軍神」とあがめられた。

 湯浅さんは「特攻隊は未成年がほとんどだった。当時は特攻に迷いや疑問はなかったが、今思うとなぜこんなことになったのか」と話す。

 自らも同12月、操縦士ごと目標に突撃する特攻兵器「桜花」を投下する「神雷部隊」に所属。部隊では計56機の桜花が特攻し、部下の死も見届けた。

 甲飛10期は約千人の卒業生のうち777人が戦死した。夜の闇の中で米軍の航空機に機関銃で攻撃された時のことや、倒れた戦友の姿が今も夢に出る。「帰ってこなかった仲間のことが重たくのしかかっている」

 終戦後に仕事のため宝塚市に転居。市内にある寺院「宝塚聖天」に昭和53年、戦没者を悼む大光明殿が建てられると、戦没者の慰霊祭を始めた。平成6年には大光明殿の傍らに、同期生らとともに甲飛10期の慰霊碑を設置。慰霊祭は参列者の高齢化が進んだため19年にやめたが、毎月、慰霊碑に参り続けている。

 「今の平和は日本を守るために戦った若者らの苦しみや犠牲の上にある」。そのことを決して忘れてはならない、と湯浅さんは心に刻む。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする