7月18日(月)海の日
今日も、朝8時、一関のボランテイア支援センター(宿舎)を出発9時10分に、陸前高田の鳴石・共同支援センターに到着、約1時間の山道だが1週間も走ると慣れてきたところ。行きは名手が帰りは床鍋委員長が運転するのが日課になってきた。とは言っても、名手は今日は今回の支援の最後の陸前高田行きでした。
例の通り、着くとすでに、地元のセンタースタッフが集まってきて9時30分から青空市のテント建てや物資の運び出しなど準備。一通り終わると朝の会。今日は、大阪からの長期支援に入っている鈴木さんの進行で行動日程の確認を行いました。今日は、地元の女性議員・大坪議員が参加しました。(右から2番目)
青空市と仮設住宅訪問、仮設での青空市
今日は、センターの青空市と新たな仮設住宅訪問、午後から仮設住宅で青空市の行動です。
仮設住宅訪問と午後の青空市案内
私と床鍋委員長と泉大津の市議2人で、午前中、鳴石のセンター近くの仮設住宅訪問に出発しました。戸数は約30件、2隊に分かれて、訪問。まだ、入居されていないのか留守も多く、おまけに表札もない家が多い。一軒一軒、ノックして、「こんにちは、高田・鳴石の日本共産党・市民の声から、ご要望など伺いにまいりました」と訪問。留守のところには、ニュースを入れる。約15件訪問し、5件と対話。
・借家だったが高田市内の家が流された。妻は、仕事場流され、私はバイクで避難、避難所から住宅に入って10日、日用品はそろっているが、住宅が2年後、いつまで居られるか?公営住宅の建設してほしいが、それが無理なら、この仮設を家賃がいっても、しばらく借り上げ公的住宅にしてほしい。
・夫は消防団で出て、津波にのまれて亡くなった。弟も昨日、遺体が発見された。身内が沢山亡くなって、沈み見込んだように、洗濯物を干していらっしゃいました。いま、混乱して何も考えられません。と。
・入口の網戸やのれんがなく、風通し良くしようと思っても、入口が開けっ放しにできない。せめて、のれんかけられないでしょうか?
などなど、見ず知らずで突然、訪問したボランテイアに堰を切ったように話されます。「鳴石では全国の支援物資を集め常設の青空市をおこなっています。午後1時から、仮設入口で無料青空市を行いますので、おこしください。日本共産党の大坪市議が相談にのります」と丁寧に案内しました。
仮設住宅前の青空市
共同支援センターに戻り、午後から、仮設住宅へ青空市の準備をして、12時40分、出発。仮設前で準備を始めると、大阪パルコープの車も支援物資を運んできました。「いやあ、重なったかなあ」と思いましたが、生協は個別に生活道具セットを配っている様子。こちらは予定通り、涼しい木陰で、無料青空市を開催しました。わずか30戸の住宅ですが、事前の告知が効いて、続々と住民さんが来てくれました。食器や鍋、洗剤は飛ぶように出てゆきます。「お米重たければ運びますよ」「持ち切れなければ、お部屋前まで運びますよ。何番ですか」「和歌山からの梅干し美味しいですよ、元気が出ますよ」と呼びかけ、1時間足らずで次々と、品物が無くなってゆきます。
ここでも青空市が偶然の出会いの場に
仮設住宅に入り、個々の生活になってしまったせいか、青空市では、住宅の住民同士の出会いとコミュニケーションの場になります。「あなた、生きていたのね~」「私も(党の)仲間よ」と出てこられ、「暑いのに御苦労さま」逆に栄養剤の差し入れまで受けました。
午前に、夫、弟を亡くされ沈んでいた奥さんも、これも欲しい、これも必要と支援物資を沢山持って帰られました。私も、段ボール詰めで部屋まで運びました。のれんが欲しいとおっしゃっていた方にも、ちょうど一枚長いのれんを見つけ、「これ役に立ちますか?」と言えば、「これいいです。ありがとう」と喜ばれました。すぐに役立ちうれしい限りです。あっという間の1時間足らずの移動青空市でした。
高田市役所仮庁舎見学
共同支援センターに帰り、かたづけのあと、近くの仮設高田市役所を見学しました。休みで、限られた職員で運営していました。入口の外にお置かれた仮設トイレは、匂わない緑の消臭液が流れるしくみで、役所の中には温水便座式トイレもありました。市議会会報も庁内の機会印刷で刷られたもので、入口窓に掲示されていて、及川議員の死亡の記事もありました。
終りの会、高田の今回の経験を大阪の地元でも生かして
3時から予定通り、全員参加で終りの会が行われ、「仮設住宅へ訪問し、要望をつかんで、青空市をおこなうなどと住民さんの必要な物を持って行けるというここ2日の取り組みのスタイルを方向性として進めよう」と提案されました。さらに「仮設での青空市がいつあるかなど留守の人でもわかるメモがいるのでは」「前日に、お知らせし、次の日に行うくらい、予定が立てるようにしておけばいいのでは」などの新たな提案もされました。
常設の青空市では、男性用のステテコ、ランニングなど下着、肌着の要望にこたえられていないなど声がありました。全国の支援物資にも要望してゆこうということでした。
今日は、西淀川から飛行機とバスで看護婦さんが駆けつけてくれました。血圧を測ってもらいました。(写真はたまたま床鍋委員長。他にも地元の方がたくさん青空健康診断をうけました)
常設の青空市ではいつも津波の話や生活の話で交流がはじまる
「市民の声」代表の菅野隆介さんとともに今後の支援の方針など語り合う床鍋委員長
(「載せといて」と言われたから急きょ追加掲載しました)
最後の店長の藤倉さんの言葉は、「東北の千年前の貞観の地震の後、18年後大阪にも大きな地震があったと聞いています。地震はどこで起きるかわからない。高田の今回の経験を大阪の地元でも生かしていただき、支援の輪も広げていただきたい」としめくくられました。
支援のつもりが逆ボランテイア、教えてもらいました
私・名手の今回の陸前高田支援行動は、今日で終わりました。大阪を出発し、ちょうど1週間の行動でした。はじめての東北でしたが、1週間で地元の被災者の皆さんから、思い出したくない津波の話を含め、沢山のことを教えていただき、学ばせていただきました。支援のつもりで来たのに逆に「逆ボランテイア」されました。共同支援センターの藤倉店長が言われるように、大阪も、私の生まれた和歌山も決して他人事ではありません。箕面は津波被害は直接ないかもしれません。しかし、東南海・南海地震などで大阪市内は浸水します。被災、死亡する可能性、巻き込まれる可能性も多分にあるでしょう。箕面は断層が縦横に通る街です。防災対策を長期的に学んでゆく必要性も感じました。ありがとうございました。
1週間の東北・陸前高田支援行動で健康的に真っ黒になりました。
大阪と箕面からも息の長い支援を
私は、公務の関係もあり、あす午前一足、早く新幹線で箕面に帰りますが、床鍋委員長は、20日までの茨木・豊能地区の担当期間を「全うして」帰られるそうです。大阪のメンバーがいま、岸和田から、摂津からと行き帰り立ち返りこの一関の宿舎と陸前高の共同支援センターにこられています。大阪と箕面のみなさんも全国から息の長い支援物資とともに、ボランテイアの派遣をおねがいします。8時25分 一関のボランテイア支援センターで。
●全国からの支援物資はここへ
岩手県陸前高田市鳴石42-5
陸前高田共同支援センター(日本共産党と「市民の声」共同運営)
携帯080-6051-5365
今日の時点で、男性用ステテコ・ランニングシャツ
扇風機、仮設住宅入り口ののれんとポール、
網戸用網など必要、不足しています。
今日も、朝8時、一関のボランテイア支援センター(宿舎)を出発9時10分に、陸前高田の鳴石・共同支援センターに到着、約1時間の山道だが1週間も走ると慣れてきたところ。行きは名手が帰りは床鍋委員長が運転するのが日課になってきた。とは言っても、名手は今日は今回の支援の最後の陸前高田行きでした。
例の通り、着くとすでに、地元のセンタースタッフが集まってきて9時30分から青空市のテント建てや物資の運び出しなど準備。一通り終わると朝の会。今日は、大阪からの長期支援に入っている鈴木さんの進行で行動日程の確認を行いました。今日は、地元の女性議員・大坪議員が参加しました。(右から2番目)
青空市と仮設住宅訪問、仮設での青空市
今日は、センターの青空市と新たな仮設住宅訪問、午後から仮設住宅で青空市の行動です。
仮設住宅訪問と午後の青空市案内
私と床鍋委員長と泉大津の市議2人で、午前中、鳴石のセンター近くの仮設住宅訪問に出発しました。戸数は約30件、2隊に分かれて、訪問。まだ、入居されていないのか留守も多く、おまけに表札もない家が多い。一軒一軒、ノックして、「こんにちは、高田・鳴石の日本共産党・市民の声から、ご要望など伺いにまいりました」と訪問。留守のところには、ニュースを入れる。約15件訪問し、5件と対話。
・借家だったが高田市内の家が流された。妻は、仕事場流され、私はバイクで避難、避難所から住宅に入って10日、日用品はそろっているが、住宅が2年後、いつまで居られるか?公営住宅の建設してほしいが、それが無理なら、この仮設を家賃がいっても、しばらく借り上げ公的住宅にしてほしい。
・夫は消防団で出て、津波にのまれて亡くなった。弟も昨日、遺体が発見された。身内が沢山亡くなって、沈み見込んだように、洗濯物を干していらっしゃいました。いま、混乱して何も考えられません。と。
・入口の網戸やのれんがなく、風通し良くしようと思っても、入口が開けっ放しにできない。せめて、のれんかけられないでしょうか?
などなど、見ず知らずで突然、訪問したボランテイアに堰を切ったように話されます。「鳴石では全国の支援物資を集め常設の青空市をおこなっています。午後1時から、仮設入口で無料青空市を行いますので、おこしください。日本共産党の大坪市議が相談にのります」と丁寧に案内しました。
仮設住宅前の青空市
共同支援センターに戻り、午後から、仮設住宅へ青空市の準備をして、12時40分、出発。仮設前で準備を始めると、大阪パルコープの車も支援物資を運んできました。「いやあ、重なったかなあ」と思いましたが、生協は個別に生活道具セットを配っている様子。こちらは予定通り、涼しい木陰で、無料青空市を開催しました。わずか30戸の住宅ですが、事前の告知が効いて、続々と住民さんが来てくれました。食器や鍋、洗剤は飛ぶように出てゆきます。「お米重たければ運びますよ」「持ち切れなければ、お部屋前まで運びますよ。何番ですか」「和歌山からの梅干し美味しいですよ、元気が出ますよ」と呼びかけ、1時間足らずで次々と、品物が無くなってゆきます。
ここでも青空市が偶然の出会いの場に
仮設住宅に入り、個々の生活になってしまったせいか、青空市では、住宅の住民同士の出会いとコミュニケーションの場になります。「あなた、生きていたのね~」「私も(党の)仲間よ」と出てこられ、「暑いのに御苦労さま」逆に栄養剤の差し入れまで受けました。
午前に、夫、弟を亡くされ沈んでいた奥さんも、これも欲しい、これも必要と支援物資を沢山持って帰られました。私も、段ボール詰めで部屋まで運びました。のれんが欲しいとおっしゃっていた方にも、ちょうど一枚長いのれんを見つけ、「これ役に立ちますか?」と言えば、「これいいです。ありがとう」と喜ばれました。すぐに役立ちうれしい限りです。あっという間の1時間足らずの移動青空市でした。
高田市役所仮庁舎見学
共同支援センターに帰り、かたづけのあと、近くの仮設高田市役所を見学しました。休みで、限られた職員で運営していました。入口の外にお置かれた仮設トイレは、匂わない緑の消臭液が流れるしくみで、役所の中には温水便座式トイレもありました。市議会会報も庁内の機会印刷で刷られたもので、入口窓に掲示されていて、及川議員の死亡の記事もありました。
終りの会、高田の今回の経験を大阪の地元でも生かして
3時から予定通り、全員参加で終りの会が行われ、「仮設住宅へ訪問し、要望をつかんで、青空市をおこなうなどと住民さんの必要な物を持って行けるというここ2日の取り組みのスタイルを方向性として進めよう」と提案されました。さらに「仮設での青空市がいつあるかなど留守の人でもわかるメモがいるのでは」「前日に、お知らせし、次の日に行うくらい、予定が立てるようにしておけばいいのでは」などの新たな提案もされました。
常設の青空市では、男性用のステテコ、ランニングなど下着、肌着の要望にこたえられていないなど声がありました。全国の支援物資にも要望してゆこうということでした。
今日は、西淀川から飛行機とバスで看護婦さんが駆けつけてくれました。血圧を測ってもらいました。(写真はたまたま床鍋委員長。他にも地元の方がたくさん青空健康診断をうけました)
常設の青空市ではいつも津波の話や生活の話で交流がはじまる
「市民の声」代表の菅野隆介さんとともに今後の支援の方針など語り合う床鍋委員長
(「載せといて」と言われたから急きょ追加掲載しました)
最後の店長の藤倉さんの言葉は、「東北の千年前の貞観の地震の後、18年後大阪にも大きな地震があったと聞いています。地震はどこで起きるかわからない。高田の今回の経験を大阪の地元でも生かしていただき、支援の輪も広げていただきたい」としめくくられました。
支援のつもりが逆ボランテイア、教えてもらいました
私・名手の今回の陸前高田支援行動は、今日で終わりました。大阪を出発し、ちょうど1週間の行動でした。はじめての東北でしたが、1週間で地元の被災者の皆さんから、思い出したくない津波の話を含め、沢山のことを教えていただき、学ばせていただきました。支援のつもりで来たのに逆に「逆ボランテイア」されました。共同支援センターの藤倉店長が言われるように、大阪も、私の生まれた和歌山も決して他人事ではありません。箕面は津波被害は直接ないかもしれません。しかし、東南海・南海地震などで大阪市内は浸水します。被災、死亡する可能性、巻き込まれる可能性も多分にあるでしょう。箕面は断層が縦横に通る街です。防災対策を長期的に学んでゆく必要性も感じました。ありがとうございました。
1週間の東北・陸前高田支援行動で健康的に真っ黒になりました。
大阪と箕面からも息の長い支援を
私は、公務の関係もあり、あす午前一足、早く新幹線で箕面に帰りますが、床鍋委員長は、20日までの茨木・豊能地区の担当期間を「全うして」帰られるそうです。大阪のメンバーがいま、岸和田から、摂津からと行き帰り立ち返りこの一関の宿舎と陸前高の共同支援センターにこられています。大阪と箕面のみなさんも全国から息の長い支援物資とともに、ボランテイアの派遣をおねがいします。8時25分 一関のボランテイア支援センターで。
●全国からの支援物資はここへ
岩手県陸前高田市鳴石42-5
陸前高田共同支援センター(日本共産党と「市民の声」共同運営)
携帯080-6051-5365
今日の時点で、男性用ステテコ・ランニングシャツ
扇風機、仮設住宅入り口ののれんとポール、
網戸用網など必要、不足しています。