hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『夏旅2024』④〜長谷寺へ

2024-08-14 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』④、室生寺を後に国道369号線、さらに元走っていた国道165号線に戻り、長谷寺を目指す。国道はアップダウンは多いが快適に走る。路面は雨が降ったようで濡れているが、今は降っていない。右に『長谷寺』と書いた矢印を信じて曲がるが、急に狭くなり、道の両側にお土産物屋や小さな旅館などが並び始める。

道はどんどん狭くなり、かつてきた時のことを思い出すが、戻るわけにも行かず走るとようやく山門近くの駐車場を見つけ、停める。3時近いこともありガラガラだが、管理をしているおばあちゃんが出てきて停める場所を指示される。逆らうのも面倒なので駐車。

そこから再び狭い道を歩いていくと呼び込む茶屋のおばあさん、懐かしい風景である。仁王門に向かう石段を上がると参拝券を購入、目の前には有名な登楼(のぼりろう)、これを登り始める。



左右には花が植えられていて春はさぞかし綺麗であろう。歓喜院など長谷寺六坊が左右に建つ。一度右に曲がり、さらに左に曲がってようやく鐘楼の下まで到着。390段は登りがいがある。





長谷寺の鐘楼は登楼の上に設えてあり、奥には愛染堂。団体がいたため、これを避けながら本尊にお参りする。本尊は十一面観音像、高さは10m以上もあり、迫力満点。右手には錫杖を持ち、石の上に立っている。本堂は何度も火災に遭っていて今のお像は1538年に造られたものである。

その後、御朱印を頂き、本堂の舞台の方に行く。下には門前町を見ることができ、周囲の低い山を臨む。長谷寺は686年に道明上人が天武天皇のために『銅板法華説相図』を初瀬山西に安置したことから始まる。真言宗豊山3000寺の総本山で東京ならば護国寺などが関係する。相方の義父母が眠るお寺もこれに含まれ、そうした縁もあり参拝した。



帰りに再び登楼を下ると、たくさんの蓮の鉢があり、中には美しく花を咲かせるものもあった。



ここから天理市までは30分程度、午後4時半にはホテルに着いたが、かなりの荒天となった。しかし、天理駅前ということもあり、地下道を通り、スタンプをゲット。

地下道には天理大学ラグビー部や天理高校野球部、出身の柔道家かどのパネルがあり、いかにスポーツが盛んなのかに感心した。(以下、次回)








『夏旅2024』③〜室生寺へ

2024-08-13 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』③、道の駅宇陀路室生を出て国道165号を走り、左手室生寺に向かう道が、分かれている。このやまなみロードと付けられた道は室生トンネルを抜けていく快適な道、以前は狭い道をうねうねしながら対向車に気をつけながら走ったことが嘘のようである。

室生寺には14時に到着、先ほどの雨はトンネルを抜ける頃には止んだが、遠くでゴロゴロと雷の音。あまり気にしても仕方ないのでお寺に入る。駐車場からいく途中は以前と殆ど変わらない風景、土門拳が撮影のため逗留した橋本屋旅館も全く変わっていない。



太鼓橋を渡ると『女人高野 室生寺』と書かれた石柱、その奥の門からは入れないので右の方に歩く。ここに受付があり、中に入る。授与所を通り、仁王門を抜けると鐙坂という階段がある。この横にはたくさんの芍薬が植えられていて春はさぞかし綺麗であろう。



登り切ると左に弥勒堂、こちらには弥勒菩薩像(重文)が安置されている。前回に来た頃には釈迦如来坐像(国宝)も並べられていたが、宝物館に移されていた。

(弥勒堂)

(金堂)



右に金堂。金堂は平安前期の建物で国宝。中には釈迦如来像(国宝)、薬師如来・文殊菩薩像(重文)を始め、多くの仏様が並んでいる。その中で左奥、右奥にはそれぞれ地蔵菩薩像、蔵王権現像が横を向いて並べられている。なぜよく見えないところにあるのかを聞くといずれも安置されていた建物が倒壊し、金堂に客仏として置かれているとのことであった。

(本堂)

階段を登ると本堂(灌頂堂、国宝)。こちらは鎌倉時代後期の建立で中央には如意輪観音像(重文)が安置されている。

さらに階段を登ると可愛らしい五重塔(国宝)がだんだん見えてくる。私が関西にいた頃、1998年9月の台風で隣に立っていた大木が倒れ、茅葺き屋根が損傷したが、修復工事が行われて見事に復活していた。ただ、修理には1億5千万円がかかったとのこと。以前見た塔に比べて壁などが確かに綺麗になっているように思えた。蝉の声はうるさいが、静寂の中に配置されているお堂を一つずつお参りし、仏像にお会いできるのは何とも有難い気がした。





入口まで戻り、宝物館に入る。こちらには釈迦如来坐像(国宝)、十一面観音像(国宝)、地蔵菩薩立像(重文)、十二神将(重文)などが飾られていた。

(十一面観世音)

(釈迦如来坐像)

自然豊かな中にこれだけの仏教文化、修行の地が平安時代から残されているのは大変なこと、しかも雷がゴロゴロ言い始めたので中には殆ど人がおらずゆっくり見ることができた。(以下、次回)

『夏旅2024』②〜さらに奥の滝に行く

2024-08-12 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』②、不動滝の次は乙女滝、由来はわからないが小さな滝。川が岩のおかげで左右に蛇行しながら流れるため、至る所に大小の滝ができている。



大日滝はやや広めの滝、仏像の名前がついた滝が並ぶ。あたりの岩が急に大きくなり、台風のような大水でこのような地形が作られたのだろうが、岩にたくさんの苔が生えていて時間が経過していることがわかる。




川の中に大きな岩、これが八畳岩、たしかにそのくらいありそう。紅葉がたくさん植えられていて、秋の紅葉期がベストシーズンということがよく分かる。

ただ、夏の太陽に照らされている青もみじも美しい、よくみると竹どんぼのような種が育っているのがわかる。



千手滝が右前に見えてくる。観光切手の8円に描かれている滝。広々とした中で幾つにも分かれている姿が千手観音のようだから付いた名前なのだろう。



かつてはここに茶屋があったらしいのだが、今は廃業してあづまやとヨガスタジオになっている。確かにこの滝の前で心を落ち着かせれば効果もありそうである。

我々はあづまやの椅子に座り、滝を見ながらランチにした。品川駅で購入した深川めしを開き、お茶を飲みながらゆっくり食事。太陽光線は遮られ、しかも目の前の滝からマイナスイオンがくるせいか涼やか。汗を掻きながらも美味しくいただきました。



滝はこの先も布曳滝、荷担滝(24円切手に描かれている)、琵琶滝など名瀑が続くのだが、山道を行くのも辛いのでここでUターンした。



駐車場まで戻り、一路奈良県に向かう。奈良県宇陀市に入ると先ほどまであれだけ良い天気だったのに曇り始め、雨粒が落ちて来た。



道の駅『宇陀路室生』で一休み、するとかなりの雨になってしまった。(以下次回)




夏旅2024①〜まずは赤目四十八滝を目指す

2024-08-11 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』①。今年も夏旅に行って参りました。2024年夏旅は三重県→奈良県→京都府→滋賀県という関西旅行である。還暦を過ぎると国内では島を除くと行く場所がなくなってくる。しかし、しばらく墓参りもしていないので今年は京都の墓参りをしつつ、旅行することになった。



まずは三重県名張市にある赤目四十八滝を訪ねる。この名所を知ったのは小学生の頃で昭和25年から観光百選切手に選ばれた各2枚が発行された。毎日新聞社が中心となり、全国の名勝のうち山岳・温泉・高原など10個のジャンルに分けて一般民衆から選んだのである。



瀑布部門でトップだったのが赤目四十八滝なのだが、これを見て一度尋ねたいという願望を叶えるために訪問した。



自宅を0600に出発、品川駅から名古屋駅に新幹線で向かう。普段は東京駅経由で行くことが多いが、休日の朝の時間は中央線快速運転がないことから品川駅利用としたが、重い荷物を抱えて行くのならば東京駅利用の方が断然楽である。何しろいつまで経っても完成しない渋谷駅の階段を舐めてはいけない。





名古屋駅でアーバンライナーとの乗り換えが不調(ひのとりは名張は通過)のため、名張に着いたのは11時前となった。





ただ、近鉄名古屋駅で『ひのとり』『しまかぜ』『アーバンライナー』『伊勢志摩ライナー』『ビスタカー』など色々な車両が見れて楽しい時間を過ごした。



名張駅では江戸川乱歩像がお出迎え、駅近くのレンタカーを借りて赤目四十八滝に向かう。車で約30分程度とガイドブックに出ていたが、道も空いていて少し早めに到着。ここで初めての観光地、いつも悩むのが駐車場である。下の方の駐車場管理のおじさんがここに停めろと指示。無料なのでそれに従うが外は驚くほど暑い。ダラダラ坂を滝に向かい歩くが、その先の駐車場にも空き、後ろから来たドライバーはおじさんの言うことも聞かずどんどん先にいく。ところが我々が10分ほど歩いたところにある駐車場もまだ余裕、疑ってかからないと余計に歩かされる。



途中にはお土産物を商う店や手裏剣体験のできる店などあるが、どこもガラガラ、お土産物屋のおばさんにちゃんとお弁当は持っている?と聞かれたが、こちらは東京駅で調達済。



入場料は入口の赤目滝水族館で支払い、水族館の中に入る。中にはウグイやこの滝の名前の由来の一つと言われているアカメ、カエル、ミズカマキリなどの水槽がある。



一番奥にお目当てのオオサンショウウオの水槽はあるが、オオサンショウウオは棲家の土管に頭を突っ込んだまま。身体は見えるが頭が見えず、がっかりである。



水族館を抜けると木々の中に川沿いの道が続く。ただ、それまでの太陽の下、影もない道と違い涼しく、川の流れも影響しているのだろう。



赤目四十八滝とはたくさんの滝が連なるという意味で四十八あるわけではないが、それぞれに名前が付けられている。渓谷美を堪能しながら川沿いの遊歩道を歩くと小さめの行者の滝、銚子滝、霊蛇の滝と現れる。





まあ、滝と言えば滝だが、小さなものと思っているうちに『不動滝』、不動明王から名前を取ったもので、高さが15mもある。滝の前が大きく開かれ、前に立つだけでマイナスイオンに包まれる。(以下、次回)

6月の旅⑧終〜八ッ場ダムのスケールに驚嘆

2024-07-26 05:00:00 | 旅行
6月の旅⑧。道の駅を出て、次の交差点を右に曲がると立派な4車線の道路に出る。立体交差となっていたり、右手にはダムの底に沈んだ住宅にいた人の補償で作られた家が並んでいたり、さすが大規模国家プロジェクトと感心させられる。

5分ほど走ると右手に八ッ場ダムと案内板が出てくるのでそれに従う。駐車場に停めて管理事務所に向かう手前に展望台が作られていてダムを一望できる。



管理事務所内にはダムカードの発行機(無料)があり、ここではぐんまちゃんのついた特別バージョンのダムカードもゲット。



外に出てダムの建物に向かう。ダムの規模を示す案内板があり、堤高116m、堤頂長290.8m、堤体積991千㎥、有効貯水容量9千万㎥とある。とにかく数が大きすぎてよくわからないが利根川水系では最大のダムのようである。



ちょうど放水が行われていて70mあるダムから放水される水を見るが、勢いが強く、迫力満点。また、堤頂は幅も長さも半端ではない。



中央部には下に降りることができるエレベーター(もちろん無料)があり、後ろに並ぶ。僅か1分ほどで地上に降りる。長い通路はなぜか涼しい。外に出ると放水の音の大きさに驚くが、放水口からものすごい勢いで水が出てくるのを見ているといつまで経っても飽きることがない。





ふと振り返るとダムの大きさにまた驚く。コンクリートの屏風のようにそそり立ち、うち1本の水路からは水が勢いよく流れ落ちている。また、堤頂までは非常階段も用意されているが、その段数も数えきれない。この階段を解放して地上から堤頂まで登るレースのポスターも貼ってあった。

地図で見るとその大きさはわかるが、実物を見ると迫力が違う。ただ、放水がないとつまらないかも知れない。



旅行の方はこの後、1カ所道の駅に立ち寄り、東京には16時に帰り着いた。まずは渋滞もなく、楽しいドライブとなった。
(なかなかアップできず、7月も下旬になってしまいました。)

6月の旅⑦〜道の駅八ッ場ふるさと館へ

2024-07-16 05:00:00 | 旅行
6月の旅⑦、旧太子駅を出て国道292号を走るとJR吾妻線長野原駅横に出てそこから県道376号線を右に曲がり、しばらく行くと道の駅八ッ場ふるさと館に出る。この道の駅は八ッ場ダム(吾妻湖)に掛けられた不動大橋の近くに作られている。

ダムも気になるが、その前に昼食。道の駅に併設されている蕎麦屋『やまと屋』に入る。この店のメニューはカレーと蕎麦が中心。注文は相方がせいろそば、私がかけそば、さらに舞茸の天ぷらを注文する。



お店は地元のシニアの方で営まれている。店は11時半というのにほぼ満席。土曜日は東京などを朝に出発するとこの辺りに今くらいに到着するのだろう。





出てきた蕎麦は北海道産の蕎麦粉とこの辺りの水で作られていて蕎麦の香り高く、こしがあって美味しい。舞茸の方も香り高く、かなり楽しめた。



早速、不動大橋を渡る。不動大橋は八ッ場ダム建設にあたり、林地区と河原湯地区を結ぶ橋として建設、鋼・コンクリート複合トラス・エクストラドースド橋という難しい構造で作られた長さ590mにも渡る長大な橋である。



橋の真ん中あたりからは途中にある橋や遥か遠くに八ッ場ダムが見渡すことができる。ただ、よく見ると岸に近い土肌が結構見えて、水の水位が低いように感じた。また、前に広がる青緑色に光る吾妻湖の湖面が美しい。橋の右手、上流の方には大きく突き出した『丸岩』の岩峰も眺めることができる。



丸岩は標高1124m、三方は100m余りの岩壁で南の方だけが道に接している。戦国時代に地元の豪族である羽根尾城主羽尾幸全が丸岩城を築き、北に向かう北条氏に対抗するため、真田昌幸が兵を駐留させていた。

道の駅に戻り、インフォメーションで写メを見せてダムカードをもらう。(ダムカードを貰うにはダムを写した写メが必要)道の駅の直売所でネギやブルーベリーなど地元の野菜や果物を購入、テイクアウトの食べ物を食べる人も多く、大変な混雑である。いよいよ八ッ場ダムに向かった。(以下、次回)





6月の旅⑥〜旧太子駅跡という産業遺産

2024-07-12 05:00:00 | 旅行
6月の旅⑥、草津温泉を離れ、国道292号線を走る。途中まではホテルの横を通る道であったが、国立療養所を越えたあたりから山道になり、ジグザグ道を下って行く。



道の駅六合(くに)に立ち寄るが、こちらの野菜の販売所では驚くほど大きな野菜(ブロッコリー、白菜、キャベツ、リーフレタス)が売られていて都会人はびっくりする。



この辺りには石で作られた道祖神がいくつも置かれていて、こちらの道祖神はバス停横に鎮座していた。



その少し先に『旧太子(おおし)駅跡』がある。国鉄吾妻線(当時は長野原線)は1945年に渋川〜長野原が開業、さらに日本鋼管群馬鉄山のある太子まで会社の専用線を作り、ここで採掘される鉄鉱石を京浜地方まで運搬する目的で開業した。



1952年に専用線は国鉄に移管、1954年からは旅客輸送も開始した。しかし、群馬鉄山は1963年に閉山、この影響を受けて1970年11月1日に休止、さらに長野原〜大前延伸に伴い、1971年5月に廃止された。



その跡には鉱石積み出しのホッパーなどが遺構として遺されていて、2014年に地元自治体(中之条町)が駅舍やレール、ホームなどを復興する事を決め、駅舍も2018年に再建した。この駅舍は当時の写真などを参考に実物大に再建したものである。

とにかく広い駐車場に車を止め、階段を降りると駅舍の前に着く。中に入り、入場料200円を支払い、中に入る。当時の写真がたくさん貼られ、また、ビデオも上映されている。



外に出ると鉄鉱石を落としたホッパー設備がかなり朽ちながらも凡その姿を残している。


また、ホームには懐かしい駅名表示板、さらにホームには大井川鐵道や茨城交通などの無蓋車が6両、国鉄の車掌車が1両、計7両止められていた。


まさに『夏草や兵どもが夢の後』と言った雰囲気であった。(以下、次回)








6月の旅⑤〜草津温泉の湯畑と裏草津

2024-07-08 05:00:00 | 旅行
6月の旅⑤。ホテルを出て草津温泉の湯畑に向かう。車ではわずかな時間で到着するのだが、道は結構わかりにくい。カーナビは素晴らしいのだが、平面的な場所ならともかく、草津温泉のようにアップダウンが多く、道が曲がっているところではうまく道が表示できない。特に立体交差には騙されてウロウロする。



ようやく駐車場に車を入れ、出るとすぐ横に草津山光泉寺という古刹がある。まずは参拝と中に入って行く。光泉寺は山号が草津山、720年に行基が薬師堂を創建したと言われている。寺は1200年に再建、僧職は鎌倉幕府から地頭に任じられていた。有馬温泉の温泉寺、山代温泉薬王院(または道後温泉石手寺)とともに日本温泉三大薬師と称せられる。

本堂にお参りし、隣にある五重宝塔に向かうが、新しく美しい。令和5年に完成した高さ21.4mの朱塗りのチタン製とのこと。



これとは対照的なのが釈迦堂、江戸時代元禄16年に建立、本尊は奈良東大寺公慶上人作。茅葺の渋い造りで本尊の釈迦如来が平成17年の調査により公慶上人作とわかったことから『遅咲き如来』として今まであまり花が咲かせられなかった人にもうひと花咲かせるためとお守りまで売られていた。
ここから階段を降りると湯畑だが、相方の足を考え坂道をゆっくりと降りることにした。その途中に温泉ホテルが新館を建造している姿を見て2004年当時に同様な施設の倒産・廃業が相次いだことを思い出し、インバウンドなど時の流れを感じた。



湯畑は昔とさほど変わらず大規模なもので湯の花を製造している。



お隣の熱湯では草津名物湯もみショーの呼び込みをやっていたが、以前に見たことがあるので今回はパス。お土産屋さんや饅頭屋さんを冷やかすが、以前来た際には数軒まわれば温泉饅頭の試供品が食べられたのにコロナ後の今は全くなくなっていた。

湯畑を一回りした後、最近新スポットとして雑誌などに取り上げられた『裏草津』の方に行く。お土産屋の隙間の細い路地、さらに階段を登り、貸切温泉の前を左に行くと新たにできた建物が複数ある。カフェ『月の貌』、足湯、展望デッキなどがあり、若い人がのんびりとお茶を飲んだり、寝転がったり。階段を降りると地蔵の湯があり、名前の通りお地蔵様が祀ってある。

初めてだったのが『顔湯』、木製の四角い箱に顔を突っ込むと下に源泉が流れていて湯気にあたる仕組み。大したことないだろうとたかを括っていたが、確かに美肌効果がありそうである。



1時間程度散策して駐車場に戻り、次の目的地『旧太子駅』を目指すことにした。(以下、次回)




6月の旅④〜草津の湯であったまる

2024-07-04 05:00:00 | 旅行
6月の旅④。旧北軽井沢駅の後は本日の宿『季の庭』に向かう。まだ、時間は早かったが、温泉に来たならば早めに宿に入り、風呂に浸かろうと14時半には到着する。



この宿はドーミーインなどを展開する共立メンテナンスの子会社共立リゾートが運営していて森の中にゆったりと立っている。やはりウリはお風呂、男女それぞれ大浴場が2つずつ、それ以外に家族風呂が3つ、今回は部屋にも露天風呂がある。荷物を置いてすぐに大浴場へ。

湯船は室内に4つと冷水風呂、サウナ、岩盤浴もあり、もちろん大きな露天風呂も備えている。室内の風呂に浸買った後に、露天風呂へ。湯は白濁しているが草津温泉の割には肌がピリピリすることもなく、ゆっくり浸かれる。サウナは熱いのですぐに出たが、良かったのは岩盤浴。タイル張りの寝台に寝転ぶだけだが、肩や腰、さらに背中や脹脛など後ろからじわじわと温めてくれる。痛いところがあるだけに嬉しい。翌日の朝までに夜1回、朝1回、計3回も大浴場に通ってしまった。



部屋からは緑たっぷりの森が見えて外を見ているだけでリラックスできる。ベランダの露天風呂に入ると外の蛙や鳥の声が聞こえて心地よい。翌朝にはウグイスの谷渡りやカッコウなどまるでテープを流しているような鳥の声を聞くことができた。


夕食はレストランで摂る。サービス満点だし、懐石料理をゆっくり楽しむだけで満足。メインは鍋か鉄板焼きから選べるが、肉が食べたくて焼き物に。鉄板で牛肉や野菜、名物こんにゃくなどを堪能した。





なぜか食べ終わる頃にシェフからのサービスとして小鉢が6種類から好きなだけ選べる。私はマグロのスペアリブ、鮭のエスカベージュなどを楽しんだ。





朝食もレストランにて。たっぷりの惣菜に地元名物の味噌汁がつく。名前を聞いたが忘れてしまった。具沢山の味噌汁はたまらない。いつも朝はパンだが、たまに食べる旅館の朝ごはんは旅の大きな楽しみである。

館内は畳が敷き詰められ、作務衣・裸足で歩くことができる。初日夜までは缶チューハイやノンアルコールビールなどが無料で飲み放題とサービスもいい。

翌朝も室内の露天風呂に浸かり、9時過ぎに出発、実にいいホテルで満足度大である。(以下、次回)

6月の旅③〜旧北軽井沢駅探訪

2024-06-30 05:00:00 | 旅行
6月の旅③。峰の茶屋から国道146号に入ると道が有料道路より路面が良くなり、快適なドライブとなる。浅間牧場やバルコール村などの横を通り、群馬県に入る。

まもなく北軽井沢という信号を右に曲がり、旧草軽電鉄の北軽井沢駅を目指す。北軽井沢駅は1918年に地蔵川駅として開業、近接の別荘地である法政大学村から駅舎の寄贈を受け、1927年に北軽井沢駅に改称。



この駅舎は善光寺を模した屋根となっていて駅舎正面の欄間は法政大学のHが刻まれている。ただ、1950年の台風で吾妻川の鉄橋が流され、1960年に残された路線も廃止となり北軽井沢駅は廃駅となる。



2005年に駅舎を改修、2006年に国指定の有形文化財に指定。モニュメントとして当時使われていたデキ12型の電気機関車の実物大模型も展示されている。
デキ12型はアメリカジェフリー社製で信越電力が中津川発電所建築にあたり使っていたが、完成後当社に譲渡された。





向かいの施設(北軽井沢ふるさと館)には当時の改札機・出札の切符入や草軽電鉄が中に登場する映画『カルメン故郷に帰る』(日本初のカラー作品)、『山鳩』のポスター、にどあげ(二度上)駅の駅名表示板などマニア垂涎の品々が並んでいる。



特にデキ12型電気機関車が貨車や客車を引いて新軽井沢から二度上峠を登っていた写真を見るとこんな鉄道が今もあれば楽しいだろうなと勝手なことを考えていた。(デキ12型は軽井沢駅前に静態保存されているはずである)施設の前は現在は草軽交通北軽井沢バス停となっていて草津温泉〜軽井沢駅の路線バスが行き来していた。



駅舎の建物の正面には『北軽井沢開発の碑』や開発に尽力した『青山孝吉氏』の胸像と顕彰碑が並んでいた。

今は駅でもない建物が道の真ん中にポツンと建っていて、お寺の格好の屋根も今も綺麗に保たれている。このモニュメントともいうべき建造物は地元民に取り、鉄道がいかに大切だったのかということが垣間見ることがで来たように思えた。それにしても『カブトムシ』と呼ばれた機関車デキ12型が走るところを映画の中だけでなく、この目で見てみたい、また、乗って見たいものである。かなり遅かったらしいが。(以下、次回)