hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

舘山寺にお参りする〜静岡旅行③

2023-03-08 05:00:00 | 旅行
静岡旅行③。THE HAMNAKO(大和ロイヤルホテル系列)で1泊、前日のチェックインでは30分ほど待たされ、驚いた。



しかし、夕食のバイキングもなかなか美味しく、部屋も風呂快適に過ごす。特に夕食時の浜名湖に沈む夕陽は綺麗だった。

前日は観光は水族館1ヶ所の他はどこにも行かなかった。それもあり、今日は朝から行動。温泉の名前では有名な舘山寺にお参りに行く。ホテルから近道ということではまゆう大橋(料金210円)を使って行くがあんなわずかな距離で210円は高いと車内で論議に。



道は空いていて9時には舘山寺駐車場に到着。急な階段を登るが、足元にはスミレの花、思わず見とれる。目の前には本堂、本当に海に面して建っている。御朱印を頂き、うなぎみくじを引く。やはり、うなぎだけに竹(中吉)であった。



火除の神である秋葉山大権現、隣には大きな天狗の面が飾られていた。



お隣には愛宕神社、その横の坂道を登り、さらに階段を登ると大きな聖観音像がそそり立っている。昭和12年に作られたもので高さは16mある。奥には菜の花や河津桜が植えられ庭園のようになっている。



観音様の前を左に行くと小屋があり、無人。中には商品の草鞋が大から小まで並んでいる。さらに先の岩まで歩きにくい道を行くと奥に浜名湖が見える眺望が良いところに出る。



再び観音様のところまで戻り、少し先に行くと十字路となる。まずは右に行くと穴大師と言われる祠がある。ここは弘法大師が舘山寺を作られた際に仮堂として使われた古墳。奥には仏様がいらっしゃり、目を治してくれるという伝承が残る。私も目は気になるため、腰を屈めて中に入りお参りをする。だんだん目が慣れて仏様の姿を見ることができた。



先程の十字路に戻り、そのまままっすぐ進むと目の前に浜名湖が見えてくるが、ここも展望台。遠くまで開けていてよく見える。岬の先端を使い、地形をうまく生かして作られた舘山寺、小さな突端ではあったが広々とした、ゆっくりと海を見せてもらうこととした。



参道には孤独のグルメで井の頭五郎氏が食べた鰻屋さん『松のや』を発見、ただ、あまりに時間が早かったので今回は違う店の鰻にした。(以下、次回)


沼津港深海水族館に行く〜静岡旅行①

2023-03-04 06:00:00 | 旅行
静岡旅行①。2泊以上の旅行をするのが2020年11月の墓参りを兼ねた関西旅行以来だから2年4ヶ月ぶりとなった。行く場所はあれこれは考えたが、巡る場所より、泊まる場所で静岡県に行くこととなった。

祝日朝早く起きて東名高速に乗る予定だったが、環八を走っている時に事故渋滞を知る。元々の道路補修工事の影響で大井松田から先で混むのは覚悟していたが、川崎ICを過ぎるともうノロノロ、横浜町田ICからの進入も多いため、渋滞は無くならず、4時間以上かけて沼津ICで降りる。沼津港まではあまり掛からなかったが、駐車場に停めて第一目的地である沼津港深海水族館に並んだのが1110頃である。



入るのも内部の混雑から制限してはいたが、すぐに入場。子供連れが多かったが、皆熱心に見学している。

入るとすぐにアブラボウズがお出迎え、味のいい深海魚だが、脂肪をたっぷり身体に蓄えるため食べ過ぎ注意の魚である。



サギフエ、ヘコアユ、ミノカサゴ、アヤメカサゴなどの魚が並んでいるが、派手な赤い奴が多い。これは深海は光が届きにくいため、赤い魚でも目立たないことが原因のようである。



魚類以外にもサナダミズヒキガニ(タカアシガニをミニ版にしたカニ)、カワテブクロ(ふかふかにみえるヒトデ)といった面白い生物も多い。

隣の水槽にはもう少し大型の生物が集まっている?タカアシガニは身体の大きさが4mにもなるらしい、戸田港では食べられるが私はとにかく値段が張るので諦めた経験がある。



お隣を覗くと『オオカミウオ』は確か北の魚のはずなのだが、とよく見たらブサギンポ、不細工な顔がよく似ている。



面白い水槽と思ったのはチンアナゴ、砂地の中の様子が見れるようになっていて、水面より上の部分と見えない部分を比較すると砂の中の方がが多いのである。アナジャコの一種は自分の穴に入る砂を必死に外に掻き出していた。

1階で最も人気があるのがメンダコの水槽、しかし、写真が禁止されているだけでなく、ライトも殆ど照らしていないのでボッーとしか見ることはできない。せっかくなのでメンダコが付いたファイルを買ってしまった。滅多に食事をしない800mの深海に住むダイオオグソクムシも思っていたよりはるかに大きかった。



2階はシーラカンスミュージアム、1938年にアフリカのコモロ諸島近くで発見された頃のスケッチやそれから20年以上上がらなかった第二のシーラカンスの写真、剥製や冷凍の姿などを見ることができる。中々実物にお目にかかることがない中、生きている化石に出会うことができたのである。



他の水族館にはペンギンやアシカなど海獣のいるところが多いが、ここは深海魚専門、その分色々な面白い顔の魚たちを見ることができたのである。(以下、次回)




雁坂トンネルを抜けて甲斐国へ〜1泊2日の夏休み旅行⑦

2022-09-01 05:00:00 | 旅行
国道140号(彩甲斐街道)を走ると道が二又に分かれるが、これを右手の方に行く。少し小高くなった場所に『彩甲斐街道 出会いの丘』という休憩所が整備されている。売店などはない。

元はトンネル掘削の土砂捨て場だったが、豆焼川を渡る豆焼橋の袂にあり、24時間利用できるトイレや休憩室に整備された。ハ風山へのハイキングコースの起点でもあるが、眺めは樹木が生い茂り、豆焼橋も途切れ途切れにしか見えない。



広場には埼玉県防災ヘリコプター墜落事故(2010年7月、あらかわ1号)の慰霊碑もある。

再び国道140号に乗り、雁坂トンネル方面に行く。まずは奥秩父トンネル、さらに雁坂トンネルを抜けて山梨県境を越える。雁坂トンネルは全長6625mあり、一般国道のトンネルとしては東京湾アクアトンネルに次ぐ2位の長さを誇る。1988年に着工、1998年4月に供用を開始した。トンネルで繋がる以前の埼玉県〜山梨県は雁坂峠を越える登山道しかなく、大きく迂回するしかなかったが、開通により、利便性が図られた。

トンネルはかなり長く感じる。トンネルを出ると急に左右に曲がり、道の駅みとみが出てくる。山梨県の名産はと思い物産店に入るが、埼玉県と殆ど変わらず、果物は桃と葡萄、野菜はトウモロコシと白瓜、きゅうり、じゃがいもなど。この辺りもまだ標高1000m位あり、気温も20℃くらいと過ごしやすい。



少し走ると広瀬ダムが出てくる。もちろんダムカードをもらうべくダム管理事務所に行く。広瀬ダムは1969年に着工、1975年に供用が開始された富士川水系笛吹川を堰き止めた。長さは255m、中央遮水壁型ロックフィルダムである。



ダム湖は広瀬湖と呼ばれていてこちらも水面は低かった。ダム管理事務所奥は公園になっていてその横に流木が積んであったが、一般人(非営利利用のみ)に無料で配布していた。



せっかく山梨県に入ったならばと勝沼を目指す。かなり激しい下り坂であり、次の道の駅牧丘でも休んだが気温は30℃。いつも通り暑かった。気温も高く、沢山のワイナリーを回る気にもなれず、以前立ち寄ったことのある白百合醸造にお邪魔した。



建物の位置こそ変わらないが、建物の周りに『葡萄』の生垣が作られていてしっかり葡萄が実っている。
中に入ると有料試飲もできるが、車のため、あきらめて、ワイナリーの人お勧めである『ロリアン山梨甲州』『ロリアン甲州Vigne de Nakagawa2020』を購入して帰途に着いた。
行きは東北道、帰りは中央道という珍しい秩父ドライブ旅行は2日で約300kmの走行距離となっていた。(了)

秩父湖(二瀬ダム)探訪〜1泊2日の夏休み⑥

2022-08-30 05:00:00 | 旅行
三峰神社の参拝を終えてからグネグネと曲がる旧三峰山観光道路を降り、二瀬ダムのところまで戻る。



二瀬ダムは1961年に完成した荒川本流を堰き止めたもので昨年60周年になった。高さは95.0m、長さが288.5mもあり、ここから上流にかけて伸びている。秩父湖はそのダム湖であり、秩父湖バス停の前にある管理事務所でダムカードをゲット。

すると昨年配布した四季の二瀬ダムの風景写真がついたダムカードも頂くことができた。


さらに国道140号を上流に向かうと荒川ふれあいログハウスがあり、ここからは秩父湖や先にある吊り橋を眺めることができる。先日からの雨でさぞや水面が高くなっているかと見たが、意外にも水面はかなり低いところにあり、水量は少なかった。

ここから雁坂トンネルに向かうが、行き方は2通りあり、道の駅大滝温泉近くの二股まで戻り、滝沢ダムを通る道とこのまま国道140号を行く道があるが、今回は通行量も少ないため、そのまま国道140号(秩父往還)を選択する。

左側に秩父湖を見ながら走るが道はどんどん狭くなり、1車線に。途中吊り橋の入口もあったが車を止めるところがなく、見学は断念。対向車がくるとややこしそうな道なのだが、幸いにして大きな対向車が来ることもなく、国道140号(彩甲斐街道)と合流、左に曲がる。(以下次回)

三峯神社にお参りする〜1泊2日の夏休み旅行⑤

2022-08-28 05:00:00 | 旅行
秩父で一泊した後、翌日は三峯神社を目指す。以前に訪れた時はロープウェイに乗って行ったのだが、老朽化に伴い2007年に廃止されてしまった。

秩父湖までは国道140号線を利用、二瀬ダムの淵を通り、左に山を登って行く。山登りの道は途中から2車線となるが、三峯山観光道路という有料道路だった。今は無料開放されている。突き当たりには有料駐車場があるが、ここまで登ると標高1050m。この日は気温が高くなかったが、駐車場は20℃とひんやりする。

三峯神社の三峯とは雲取山、白岩山、妙法ヶ岳の3つの峯の山岳信仰から興ったもので狼を守護神としている。(そのため狛犬の代わりに狼の像が鎮座している。)
駐車場の奥に神社に続く参道があり、しばらく行くと3連の鳥居。これをくぐり、両側に高い杉の木、左側には昔からの講の満願の供養碑が並ぶ中を歩く。今から何年前に作られたのかわからないくらい古い交番もある。



すると右の小高い所に日本武尊像がある。
この像の由来はそもそも神社の創建は日本武尊が行ったという伝承による。



今から1900年前に東征の際、甲斐酒折宮から雁坂峠を越えて碓氷峠に向かう途中、東国の平安のため、伊弉冊尊・伊弉諾尊(イザナミ、イザナギ)を祈ったのが由来と言われている。凛々しい像の周りを歩き、階段を降りる。



参道は左に向い、隋神門をくぐる。元は仁王門であったが、神仏分離の影響で仁王が外されたという経緯がある。横には神社の守護神である狼の像もある。この辺りから再び下る道、そして青銅鳥居が出てくると本殿に向かう石段がある。

手前に拝殿、奥に本殿があるが、いずれも化粧直しが行われたばかりでもあり、見事な色彩に彩られている。



また、手前右側にあるのが八棟木灯台、左側にはあるのは手水舎。赤と白の対照的な塗色となっている。

拝殿の前には神木が4本、少し列ができている。コロナ禍もあり、一度に1組ずつしか参拝できないからやむを得ない。

参拝を終えて左側にある社務所に『気』のお守りを頂きに行く。かつては白の『気』のお守りが1日に限り得ることができたのだが、あまりの人気に渋滞を招くなど弊害もあり、今は中止されている。今は四色、赤・青・ピンク・緑から選べる。



次に御神木に手を合わせて今後の無病息災などを願うこともできる。本当は3回お辞儀をし、手を合わせるのだが、『気』というだけでカメハメハと間違えて波動を送ろうとする人が次々と、見ているだけで可笑しい。



その後、横にある祖霊舎などをお参りする。その先には伊勢神宮、稲荷神社、富士神社、浅間神社など末社が並ぶがあまりに多いためお賽銭が尽きてしまうほどである。



なぜか、この辺りには蜘蛛の巣が多く、前日の雨で水玉がキラキラと光り美しいが、その数の多さには驚く。

駐車場に向かう途中にある眺めのよい茶屋で蕎麦を頂き、駐車場に戻った。前日の教訓を受けて食べられるうちに食べないとと頂いたが、山菜そばは手打ちで思いの外美味かった。ご馳走さま。



忍城と行田市郷土博物館〜1泊2日の夏休み旅行④

2022-08-24 05:00:00 | 旅行
さきたま古墳公園を出たのが13時、腹は減ったが食堂やレストラン、特にナショナルチェーンは全くない。レストランを探そうとキョロキョロしていても見つかるのは床屋や葬祭場、たまにラーメン屋があっても閉店していてがっかりさせられる。

行田市駅(秩父鉄道)近くを通過するが事態は改善せず、先に目的地である行田市郷土博物館に向かう。目的は郷土博物館ではなく、再建された忍城の三番櫓である。

三番櫓は郷土博物館と棟続きであり、また、行田市の古代蓮会館、さきたま古墳公園内の博物館、郷土博物館は同時に訪れると割引になる。

郷土博物館に入るとまずは忍城の展示がある。忍城(おしじょう)は沼地に作られた一度も落城しなかった難攻不落の平城である。築城は1478年に地元豪族成田氏が行ない、扇谷上杉氏から責められたが、太田道灌の仲介で和睦した。1574年に上杉謙信に城は包囲され、城下に火を放たれたが持ち堪えた。1590年の豊臣秀吉による関東平定の際も石田三成以下に水攻めを受けるが北条側の小田原城を始め、他の城も悉く落城したことを知り、成田氏長は降伏をようやく受け入れた。江戸時代になると忍城は代々譜代大名が治め、阿部忠秋が白河に移ったのちは松平忠義が桑名より入り、明治まで城は残った。(『のぼうの城』和田竜の小説にも登場する)


今残されているのは高麗門、藩校進修館の門が移築されているくらいであり、御三階櫓は1988年に鉄筋コンクリート構造で外観復興されている。実際の当時の城にあったのは松平忠義が桑名より持ってきた鐘くらいである。

土浦城同様全くの平城でこの城も堀の中にあるためか別名亀城と呼ばれている。(土浦城も亀城と呼ばれる)



4階の展望室まで上がると周囲に高い建物がないため、かなり遠くの富士山まで見えるらしいのだが、当日は雲が多く、残念ながら周囲が見える程度であった。



郷土博物館には行田の伝統産業の足袋作りの様子などを細かく紹介していて足袋を留めるこはぜ専用のミシンがあることを初めてしることができた。



40分ほどで見学を終え、一路関越道東松山ICを目指す。ランチはようやく午後3時に嵐山PAの蕎麦にありつくことができたのである。(以下、次回)


古代蓮の里〜1泊2日の夏休み旅行①

2022-08-12 05:00:00 | 旅行
色々と事情もあり、今年の夏旅行は1泊2日となってしまった。金曜日の朝8時に家を出て高井戸から首都高速に乗る。久しぶりだが、やはりかなりの渋滞。初台まで40分ほどかかる。ただ、中央環状線に分かれると車はスムーズに流れ出す。東北道を目指し、蓮田PAで休憩、しかしこの辺りも再び渋滞、加須ICに9時過ぎに到着。ここからは下道を使い、『古代蓮の里』に9時半に到着。



1973年に公共施設建設の際、蓮の種子が掘削地の池で発見され、この種子が1400〜3000年前のものと分かり、古代蓮の呼ばれるようになる。その蓮が自生する沼を行田市が公園として整備したもの。



車を止めるとすぐ前には横長の蓮の池(世界の蓮園)があり、色々な種類の白やピンクの蓮が花を付けている。



蓮にこれほどの種類があるとは思っていなかった。一般的な蓮の花弁は20枚程度だが、ミセス・スローカムは70〜100枚、千弁蓮は2000枚にもなる。花の咲き方も高さも色々あり、これを見て歩くだけでもかなりの時間がかかる。



さらに奥にある古代蓮池では行田蓮の花があちらこちらで咲いているが、よく見ると花の咲き方が異なる。これは後で古代蓮会館で仕入れた知識の受け売りだが、①初日は小さく花弁を開く、しかし夕方になると花を閉じる。②2日目は大きく花を開き、再び夕方になると花を閉じる。③3日は最大限に花を開き、夕方に閉じる頃には何枚か花弁は散る、④4日目には花弁は散ってしまうというサイクルである。



今は蓮池の花が並んでいるところでコスプレ撮影も盛んに行われていた。また、どうしても花ばかりに目が行きがちだが、葉っぱの上に溢れた水滴が小さな毛のお陰でコロコロと花の上を転がるのを見るのも面白い。


古代蓮会館に入り(有料)、併設されている50mの展望台に上がると園全体がよくわかる。何しろ周りには全く高い建物がないのだから市内の中心街まで見通せる。



公園と隣り合う田んぼでは10年ほど前から田んぼアートがおこなわれていてサッカーアニメの主人公たちもくっきり浮き出ていた。田んぼアートも今が旬である。



古代蓮会館のビデオで蓮池の一年を見たが、秋になると葉や茎は枯れ、種子が蓮池に落ちる。これが再び芽を出して一年で再び花を咲かせている姿は感動もの。

お寺の拝観に行くとよく蓮が植えられているが、こんな風に一年を過ごしていることはまるで知らなかった。



古代蓮会館を出ると行田市名物のゼリーフライの出店。簡単に言えばオカラとじゃがいもを混ぜたコロッケ。これをソースをくぐらせて食す。1つ130円である。これがなぜゼリーフライなのか。それは形が銭に似ているからでゼニフライ→ゼリーフライと変化したものと説明書にあった。

早速食すが、素朴だが揚げたてはホクホクして美味い。まあ、腹も減っていたんだが。(次回に続く)


五劫思惟阿弥陀仏を参拝する

2021-10-10 05:00:00 | 旅行
五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ)を聞かれたことはあるだろうか。阿弥陀仏が法蔵菩薩の頃に修行に長く入られたため、その髪(螺髪)が伸びてアフロヘアのようになった時のお姿の像のことを呼ぶが、その修行の期間がすごい。

五劫とは数の単位で劫の5倍。『劫』とは、『40里立方(160km)の大岩に3年に一度天女が舞い降りて羽衣の羽で撫で、その大岩がなくなるまでの期間』という果てしない単位であり、考えられぬほど長い間諸々の衆生を救わんと思惟され、阿弥陀仏になられたのである。

この阿弥陀仏は奈良・五劫院(国重要文化財)をはじめ、全国に16体しかない。しかし、私は法事もかねて京都東山の金戒光明寺にお参りに来た際にじっくりと手を合わせることができた。黒谷霊廟の入口の極楽橋を渡り、階段を登ると左側にすぐに出てくる。(もちろん、拝観料は無料)

江戸中期に石に彫刻された仏像でそれほど大きくない。確かにアフロとも言えるような大きな髪をしておられる。

この墓地に私の先祖代々の墓があり、すでに50回は来ているにも関わらずじっくりとお参りしたのは初めてであった。今は分かりやすく道案内も出ているので是非京都に来られる機会がある方は真如堂や金戒光明寺のついでに寄られるといい。



階段をそのまま登り、三重塔まで行くと京都の街が一望できる。また、春の桜、秋の紅葉の際はさらに一段上の風景をみることができるのである。




留浦(とずら)の浮橋〜ほぼ東京都内ドライブ⑤

2021-09-10 05:00:00 | 旅行
奥多摩湖を出て湖面に沿って青梅街道をまっすぐ走る。途中には隧道と橋がかわるがわる登場し、左側には湖面が見える。途中の小河内神社側には一つ目のドラム缶橋『麦山の浮橋』がある。峰谷橋のそばだが、ここは2017年7月に行ったことがあるため、今回は奥にある『留浦の浮橋』を目指す。



(2017年7月撮影)

ドラム缶橋の由来は元々住民の往来のためにドラム缶を繋いで簡易的に作ったものだが、現在はドラム缶状の樹脂と金属のフロートをいかだのように組み、湖面の反対側まで行けるようにした施設で奥多摩湖には2つの浮橋がある。麦山の浮橋が220m、留浦の浮橋も同じくらいらしい。

麦山の浮橋を越え、大月方面への道が別れる深山橋をそのまままっすぐ丹波山方向に進むと次の集落が留浦(とずら)である。




バス停を越えたところに20台ほどの駐車場があり、ここに車を停める。



そこから階段を降りると目の前に浮橋が見えてくる。よく見ると浮橋は弓の形となっていて橋に乗ると浮き沈みする。



注意書きには『同じフロートには10人以上乗らないこと』とある。しばらくは段差のあまりない階段を降りるが、ここもフロートのため微妙に揺れる。



少しすると上下の揺れにも慣れ、フロートの継ぎ目にも引っかからずに歩くことができる。中央部に近づくと湖面を渡る風が涼しい。気温が35℃近くまで上がった日であったにも拘らず、水の上は涼しいことを実感。しゃがむと湖面に近くなり、先に見える橋が高く感じる。普段、橋を渡る際に水面ぎりぎりということは滅多にないため、ここからのシーンは新鮮である。



対岸には大した距離もないため、あっさりすぐに到着。しかし、対岸の橋の上に登っても帰る道もないため、すぐに引き返した。

今日の行程は自宅を出発、青梅市から塩船観音寺、奥多摩湖、留浦の浮橋とやってきたあとは、深山橋まで戻って国道139号線を使い、山梨県小菅村にある道の駅を経由して大月ICへ。帰りの中央道はオリンピックなのか入口規制があり、少し渋滞したものの、早めに自宅には到着。僅か1日の夏休みではあったが、いつも同じ通勤路の往復から考えるとそれなりにリフレッシュすることができた。

非常事態宣言下、他府県にあまり足を踏み入れず田園風景を楽しむドライブ、たまにはこんなのも面白い。


奥多摩湖〜ほぼ東京都内ドライブ④

2021-09-08 05:00:00 | 旅行
塩船観音寺の参拝を終わり、次は奥多摩湖に向かう。普段は澤乃井などに寄るのだが少し時間が遅いため、そのまま奥多摩湖へ。とにかく青梅街道(国道411号)をまっすぐ走る。軍畑、古里(こり)、沢井、二俣尾、鳩の巣、白丸とどんどん山が近づいてくる。奥多摩駅を越えると道も登りがきつくなり、最後は左折すると奥多摩湖が目の前に広がる。



今までに何度も来たことがある奥多摩湖だが、最近の雨のせいかダムの貯水量は93%とほぼ満水。駐車場に車を止めて湖面に沿って歩く。



奥多摩湖の正式名称は小河内貯水池、東京の水瓶として昭和初期から計画され、1938年に起工式、第二次大戦を挟み1948年に工事を再開、1957年に竣工したものである。
湖面道路を右に曲がると広いダムの上に出るが、下を見ると148m下まで見ることができる。


展望塔に登るとさらによく見ることができるが、登った物好きは我々のみ。2階には展示スペースがあり、ジオラマや建設時の写真などが飾ってあった。特に建設時に氷川駅(現在、奥多摩駅)〜水根の7kmを蒸気機関車が資材を運んだ東京都専用小河内線の写真はしげしげと見てしまう。



展望塔を降りて駐車場隣にある奥多摩水と緑のふれあい館へ。



入口にはゆるキャラの『わさびー』がお出迎え、沈んだ小河内村の年代物の放水ポンプなども展示されている。もちろんここでダムカードをゲットしたのである。