hokutoのきまぐれ散歩

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東海七福神と旧東海道を巡る④

2025-02-13 05:00:00 | 宿場町
『東海七福神と旧東海道を巡る』④、小学校を過ぎると右手に諏訪神社が現れた。由緒によると天妙国寺の開基・天目が信州諏訪神社に勧進し、13世紀に創建されたと言われている。旧東海道からは細い参道を歩くと現れた。



この辺りが青物横丁、元は南品川宿から池上道に続く横町で妙国寺の門前町であった。

江戸時代から大きな八百屋が軒を連ね、俗称『青物横町』、その後1878年に品川青物市場として認可された。駅の名前と町の名前が違うが、開業時(1904年)は青物横町駅であった。



ちなみに今の駅名となった時期はわからないが、横丁とつく駅名は日本唯一である。街には昔のイラストなども飾られていて、駅が愛されているのがよく分かる。



品川寺(ほんせんじ)は東海七福神の毘沙門天、さらに門前にある大きな地蔵菩薩は江戸六地蔵の第一番にあたる。立派な山門手前に大きな地蔵菩薩銅像が鎮座していてこれは1708年に作られたものである。



大きなイチョウの木、さらに境内の左側には七福神が飾られていて住職に『こちらは布袋様ですか』と聞いたら、『いや毘沙門天でこちらにあります』と言われた。ただ、普段は本堂に安置されているが、1月はこちらに移されるとのこと。



梵鐘は四代将軍家綱の寄進とされているが、幕末に海外流出し、バリ万博やウィーン万博に展示されていた。しかし不明になり、1919年にスイスジュネーブ市のアリアナ美術館に所属されていることがわかり、交渉の結果、1930年に返還された。その後も品川区とジュネーブ市の交流は続き、友好都市となっている。

門前、出たところに釜屋跡がある。品川宿は旅立つ人を送りに来る人が宴席をしたり、参勤交代の大名が旅装束から江戸屋敷に入る支度をするなどを行う茶屋が賑わった。品川寺の前の釜屋は幕府御用宿として多くの幕臣が利用した記録も残されている。(以下、次回)





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