hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

昆布漁と黄金道路〜夏旅2023

2023-08-14 05:00:00 | 旅行
夏旅2023④、2日目は帯広を朝0730に出て広尾→襟裳岬→様似→浦河→新冠と225kmの長丁場を走る。

帯広広尾自動車道に乗り、終点の忠類大樹ICで下車、その少し先にある道の駅コスモール大樹で一休み。このあたりの道の駅は人が集まる場所らしい。ここまでが40kmw程度、広尾町を通り、黄金道路に向かう。


黄金道路とは広尾橋から襟裳岬までを結ぶ国道336号線の愛称である。断崖絶壁に作られた道で江戸時代より作り始め、本格的に着工したのが昭和2年、しかし難工事のため、完成したのは7年後である。そのため、黄金が敷き詰められるほど莫大な費用がかかった道路から黄金道路と呼ばれるようになった。



広尾橋からは左に海が広がり、右は断崖絶壁が続く。5分ほど行くと左側に滝が見えてくる。フンベの滝と呼ばれ、フンベとはアイヌ語で鯨が取れる浜という意味である。地下水が地上に表れ、落下する珍しい滝で冬には氷柱となるらしい。、



ここで海を見ると小さな舟が3艘、沖で昆布を取っている。これを舟に載せて、岸まで引き寄せると女性がこれを束ねる。さらに道路近くまで持ってくると軽トラに引き上げる滑車を付け、荷台まで引き上げ、載せる。これを石を敷いた場所まで持って行き、広げて干すのである。昆布干しの様子は見たことがあるが、昆布を取る現場を見たのは初めて。時の流れるのを忘れて暫く見ていた。



トンネルや隧道が続き、時々海が見えるようになってくるが、5キロ近くあるえりも黄金トンネル(2011年完成)をくぐるとようやく開ける。40年ほど前に同じコースを路線バスで通ったが、トンネルが増え、かなりスピードアップしている。



開けたところにある望洋台という小さなパーキングに車を置き、眺めるが雄大な海に沿うように道がつけられているのが分かる。

百人浜という砂浜が出てくる。名前は江戸時代末期にこの浜に南部藩の船がたどり着いたが、何とか生きて上陸下にも関わらず、100人以上が飢えと寒さで亡くなったという悲しい物語に由来する。ここまでは岩礁ばかりなのだが、海水浴もできる砂浜でオートキャンプ場もある。ようやく襟裳岬に到着、駐車場は昔のままであった。



襟裳岬は風が強くて有名だが、これを逆手に取り、風の館という観察施設ができている。

中に入ると岬を観察できるように一面広いガラス窓となっていて風に吹かれずに岬を見ることができる。望遠鏡も備えてあり、早速眺めたが、この日は海霧が出て突端までは見えず、海鵜は確認できたが、アザラシを見ることは出来なかった。(以下、次回)


神田日勝と北海道拓殖鉄道8622号〜夏旅2023③

2023-08-12 05:00:00 | 旅行
夏旅2023③、六花の森を出て自然な庭園で有名な『紫竹ガーデン』にも寄る。ここは紫竹昭葉という個人の方が始めた庭園でNHKで取り上げられてから有名になった。



ただ、紫竹さんは21年にお亡くなりになったが、今もそのご意志を継いで営業している。入場料を支払い、中に入るとその花のボリュームに驚かされる。



今の季節は白、ピンク、赤、紫がかった赤など多種の百合を中心に、紫のクレマチス、白く大きなカシワバアジサイ、赤いバラ。



変わったところではスモークツリーなどがこれでもかというほど咲いていた。



ただ、時間もあまりなく30分ほどで次はもう1人の農民画家『神田日勝』の記念館に向かう。約1時間車を飛ばし、然別湖に近い鹿追町に到着、神田は鹿追町で育った画家で農業の傍、農耕馬や牛など日頃からなれ親しんだ題材をモチーフに絵を描いた。



ただ、彼のタッチは何回も変わる。若い頃は茶色を中心とした重厚な自画像や馬の絵であったが、30歳の頃には海外に目を向けたカラフルな情熱が迸るような絵や前衛的な絵になった。しかし、その後自らの絵に行き詰まりを感じ、新聞紙に囲まれた中に絶望にくれる自画像『室内風景』を描いた。

『馬』という一頭の黒馬をキャンパスにしたベニヤ板に描き始めるが、頭部は描き終わり、胴半分を描いたところで亡くなり、絶筆となった作品が展示されていた。

後ろ足や臀部は鉛筆書きのアウトラインのみ。衝撃的な作品は『半分の馬』と東京で行われた作品展で話題となった。この絵と彼が育った土地を見たくなりお邪魔したのである。



彼の足跡を追ってかつて農場があった場所にも行ってみた。ここには今は何も残されていないが、遥かに広がる農地、そこには数えられないほどのとうもろこしが風に揺れていた。



また、鹿追町には軽便鉄道である北海道拓殖鉄道が走っていた。この鉄道は地元の有志が金を出し合い、国鉄釧路本線の新得まで伸びていた。



鹿追駅は鉄道会社の後進である拓鉄バス車庫のすぐ裏に当時使われていた蒸気機関車2両のうち、8622号(8620形式、昭和3年製)と拓鉄の名前の入った無蓋車が残されていた。



私はお隣の瓜幕町にある瓜幕駅跡まで足を伸ばした。公園となっている駅跡には『足寄までの延伸を企図したが叶わなかった。昭和43年に全線廃止となったが、地元住民が鉄道の地域開発に果たした功績を残すためこの石碑を設けた』趣旨の文字が刻まれていた。


この2つの鉄道遺産をこの目で見ることができたことはよかった。









六花の森と坂本直行〜夏旅2023②

2023-08-08 05:00:00 | 旅行
夏旅2023②、旧広尾線愛国駅を出て広尾方面に車を走らせる。周囲にはとうもろこし畑やじゃがいも畑などの風景、また、ポプラ並木を見て北海道に来たことを実感する。


帯広市のお隣中札内村の道の駅『なかさつない』に到着。アグリパークを標榜しているだけあって物産販売所にはとうもろこし、ズッキーニ、ピーマンなどの野菜をはじめ果物や植物などたくさんの種類を扱っている。



本来はここの開拓記念館内にある蕎麦屋にてランチの予定だったが、既に廃業。やむなく『畑のキッチンあんてぃ』で豚丼を頂く。ただ、さすが帯広、タレが美味い。

次の目的地は地元有名製菓店『六花亭』の工場に隣接する『六花の森』である。六花亭の包み紙を描いたことで有名な農民画家『坂本直行』氏の絵画展示館と野草の庭園で受付で1000円を支払い入場。



十勝六花とは『かたくり、しらねあおい、おおばなのえんれいそう、えぞりゅうきんか、はまなし(はまなす)、えぞりんどう』を言う。

六花亭の包み紙にはこれらを中心にとりどりの花が描かれているが、建物の1つ『花柄包装紙館』の壁紙は全て原画と包装紙が貼ってある。



また、坂本氏は北大山岳部創生メンバーの1人であり、農業を続けながら日高の山を描き続け、亡くなるまで創作活動をしていた。



この絶筆が置かれた『直行絶品館』や彼の作品を飾っている『柏林』、デッサンが飾られた『デッサン館』、山の絵が並ぶ『直行山岳館』など8つの建物が庭園に点在しており、これらを自由に見て回ることができる。



特に『坂本直行記念館』には彼の描いた日高山脈の絵、成り立ちなどが並んでいる。ここでは六花亭のビスケットとコーヒー(サービス)を頂きながらゆっくりくつろぐことができる。



また、庭園の山野草もコウライナンテンショウ、キキョウ、ツリガネニンジン、ノカンゾウ、エゾアジサイ、ギボウシなど数多くの花が咲き乱れ、自然の川がサラサラと流れる何とも心地よい場所である。



もちろん、出口には六花亭の売店とレストランが併設されていてスイーツを食べ、お土産を購入することができる。私も思わず花のポストカードを購入した。(以下、次回)


幸福駅と愛国駅〜夏旅2023①

2023-08-06 05:00:00 | 旅行
夏旅2023① 、コロナもあり、夏休みの旅行も4年ぶり。今回の夏の旅行は昨年断念した襟裳岬をメインとしたコースに再チャレンジをすることにした。



計画は5月中旬より練り始めていたのだが、7月に入り持病の腰からくる左脚痛が激しく、何とか間に合わせた格好。我が家を0600に出て羽田空港まではタクシー、40分で到着してしまう。フライトは羽田0800→帯広0920を予約、定刻通り到着。空から今回の目玉である襟裳岬が見え、感動する。


帯広空港も晴天、かなり温度も高い。10時にはレンタカーに乗り、まずは近くにある国鉄広尾線(廃止)幸福駅跡に向かう。



幸福駅は1973年のNHK新日本紀行で紹介されると人気は全国区になり、2つ隣の愛国駅から幸福駅の切符がブームになるなど多くの観光客が押し寄せた。しかし1987年に広尾線は廃止、今は駅跡が交通公園となって残されている。



幸福駅の由来は『幸震』村と入植した人々の出身地が『福井県』であったため、この文字を1字ずつ取って付いた名前のようである。



当時放送された新日本紀行はyoutubeで見たが、雪深い無人駅に降り立ったNHKスタッフが1週間のロケを行ったもの。その間の出来事は1人の娘が狩勝峠近くに嫁に行くこと1つだけという内容に妙に感動した。



現在はホームと復元した旧駅舎、さらに当時使われていたディーゼルカーキハ22が2両展示してある。今も観光客は結構集まっていて、由来を知らない中国人観光客も多く詰めかける。駅の廃止はされても今も切符は売店で販売され、私のように買う人も多い。



2つ隣の愛国駅跡も交通公園として残されていてこちらのホームには19671(9600型)機関車が静態保存されている。こちらはあまり人もおらず、静か。



新しくなった後の駅舎には広尾線が開通した際、また廃止された頃の写真がたくさん貼ってあり、さらに昔の出札の切符入れや通票に使う閉塞器など懐かしい道具も数多く展示されていた。



奥にひまわり畑があると書いてあったので見に行くが、あまりに沢山のひまわりが咲いていて、人はいないが賑やかな雰囲気になった気がした。








京都にちょっとだけ行ってきました。

2023-07-11 05:00:00 | 旅行
7月に入ると京都は祇園祭一色となる。週末も15日からの3連休を中心に身動きが取れないほど混み合う。観光客にはいいのかも知れないが、私のように墓が京都にある人間に取ってははた迷惑な話である。今年は母親の3回忌ということもあり、3連休前に法事を済ませることにした。

土曜日の朝の新幹線は家族旅行とインバウンドで混んでいる。早めに切符を取り、しっかり駅弁を買って乗り込む。以前はせいぜいチキン弁当くらいしかなかった。



しかし、今は東京駅が全国駅弁大会を毎日開催しているかの如く、有名駅弁を楽しめる。私は山形駅の『牛肉ど真ん中』、少し高いがボリュームと味を兼ね備えている。
名古屋を過ぎたあたりで駅弁を食べ、あっという間に京都駅。何しろ2時間20分しかかからない。



京都駅ではすんなりタクシーに乗り、黒谷へ。なぜかお経も30分程度、早めに法事も終えた。


少しだけ観光にと選んだのは京都市京セラ美術館、以前は京都市立美術館だったもの。開設は1933年、初めは昭和天皇即位の礼を記念して作られたため、『大礼記念京都美術館』と呼ばれていた。日本近代絵画、特に竹内栖鳳のコレクションに優れ、浅井忠、上村松園、村上華岳など多数保有している。

また、建物は1933年に作られた物をベースに2020年にリニューアルオープン、京セラがネーミングライツを購入、この資金を用いて地下1階にガラスリボンと言われている全面ガラスのエントランスを設置、そこから階段を登り、本館に入るように変更した。



一方で古い部分は塗り直し等を施した上で残されていて登録有形文化財の中を歩いていることを実感させてくれるコーナーや中庭などが素晴らしい。



私は開催中のルノワール展ではなく、コレクションルームの『人間国宝 稲垣稔次郎ー遊び心に触れて』を鑑賞した。

というのはこの作家は私の母方の祖父(京都で表具師を営んでいた)が屏風や掛け軸に拵える手伝いをしていた縁があったためである。



稲垣氏の温かみのある京都の市井のデザイン、また、歴史上の出来事、竹や紅葉などのデザインをゆっくり楽しんだ。コレクションルームには上村松園をはじめ、浅井忠の名作、清水六兵衛の清水焼など幅広いジャンルのコレクションが展示されていた。

(虎)

(鵯越)

あまり時間もなかったが、ミュージアムショップなども冷やかし、京都駅にむかった。滞在時間約4時間、雨と蒸し暑さがなければ東福寺にも行きたかったのだが。午後7時、もう東京にいた。


法多山尊永寺にお参りする〜静岡旅行⑩

2023-03-26 05:00:00 | 旅行
静岡旅行⑩。いよいよ最終日、広大な庭を見ながら葛城北の丸で朝食をいただき、ゆっくり出発する。

取り敢えず昨日行かなかった袋井三山のうち『法多山尊永寺(はったさんそんえいじ)』に向かう。市街地を抜け、だんだん山が迫ってくると広大な駐車場に到着。この周辺の平らな場所は全て駐車場にしているのではないかと思うほど沢山ある。価格は200円〜300円、できるだけ寺の参道近くに停めようとはするが、分かりにくく諦めて一生懸命呼んでくれたところに停めた。



駐車場から土産物屋や昔ながらの食堂が並ぶ道を歩くと立派な門、仁王門が現れた。室町時代のこけら葺の楼門だが、このお寺では数少ない国重要文化財である。木像の仁王様が怖い顔で睨んでいた。



門を抜けると立派な杉が並ぶ参道が延々と続く。石畳が敷いてあるので歩きやすいが長い。左手にはお食事処や愛染明王堂の建設現場などが出てくる。



しかし、先は見えない。ようやく左の方に階段が見えて、これを登るが石段も長い。

何とか登り切り、広い参道の周りには白い砂利が敷き詰められ、立派な本堂、右に諸尊堂、左に大師堂が配されている。本堂にお参りし、御朱印を頂く。さらに厄除開運のご利益のあるお寺でもあるため、娘の厄除お守りを頂く。



広々した境内にたくさんの人が参拝に来ている。朝9時半から7回ほど護摩を焚いてもらうために参拝に来る人も多い。供えられている四斗樽の銘柄は開運だった。



鐘楼のすぐ横には二葉神社、元は浜松の遊郭近くに祀られていたが、遊郭解体でここに変座された。働く女性の開運、商売繁盛などのご利益があるとされる。



階段を降りる途中に氷室神社がある。この奥にある洞穴は氷室として使われていたもので、氷室自体が御神体、熱病などに効果があるとされる。



帰りは来た道の一段上の道を歩く。途中に奥から蛸薬師堂、不動明王像、弁財天堂と並ぶ。インドの川の神である弁財天は池の中に堂宇が造られている。



いよいよ団子を売るコーナー、参拝者が多くなることも想定して食券を買うシステムで2串200円となっている。買った後は茶店に入り、お団子とお茶を飲み、ゆっくりする。

白い俵形のお餅が3つ横に並んで串に刺してあり、上から上品なこし餡が掛けてある。2本で200円。これを食べると厄祓いとなる有難いお団子を相方と1串ずつ頂きました。



この辺りで再び元の参道と合流、駐車場に戻ったのは10時過ぎとなった。(以下、次回)


秋葉総本殿可睡斎にて雛人形に驚く〜静岡旅行⑧

2023-03-21 05:00:00 | 旅行
静岡旅行⑧、梅林を見た足で本日の宿がある袋井市に向かうのだが、まだ少し早いので袋井三山と呼ばれる名刹の一つ、『秋葉総本殿可睡斎』というお寺に向かう。

可睡斎とはかなり変わった名前の寺だが、実は1401年に恕仲天闇禅師により開山された。11代住職の仙隣等膳は今川義元の人質となっていた頃の松平竹千代(その後の家康)の教育をしていたことがあった。その後、浜松城主となった家康はその恩を忘れずに等膳を城に招き、旧交を温めたが、その際に長旅の疲れから居眠りをしてしまった。



これを家康が『和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。我その親密の情を喜ぶ、和尚眠るべし』と言ったことから和尚は『可睡和尚』と呼ばれた。この事から寺も可睡斎と呼ばれている。また、明治初年に神仏分離令が出た際に秋葉山の三尺坊大権現が遷座され、火防火除の寺となった。



この面白い名前の寺は長い石段があり、これを越えると仁王門、顔の大きな仁王様が睨んでいる。



正面に本堂、左側には大黒天を祀る大黒殿。大黒様と火焔太鼓、横には大きな下駄が奉納されている。



左側の石段を登ると秋葉山総本殿三尺坊御真殿があり、狛犬の代わりに迦楼羅と天狗が睨んでいる。



これら全てを参拝し、受付のある瑞龍閣に戻る。ここには正月から3月まで32段1200体ものお雛様が飾られているという。拝観料を払い、中に入ると長い廊下に出る。中の配置図を見るとつい先ほどお参りした大黒殿や御真殿まで全て渡り廊下やエスカレーターでつながっている。

初めから瑞龍閣から入れば雨に濡れる事なく参拝ができるようである。

建物の周りにもお雛様が飾られていてその数は数えきれない。幾つもの道具を持っていたり、お屋敷に配置しているものがあったり、見飽きることがない。

さらに2階に上がると大広間があり、その奥には32段1200体のお雛様が聳え立っていて最上部は天井に着いている。その手前の部屋にもハートを模った台の上にお雛様。



また、床の間には桃という大きな字が書かれておりこの周りにもお雛様、一日でこれだけのお雛様を見たのは初めてである。毎年元旦から3月末までの恒例行事のようである。

立派な本堂や秋葉山総本殿もすごかったが、やはりお雛様に圧倒されたというのが、正直な感想である。



最後におまけ。日本一の大東司(トイレ)がここにある。男子トイレだが、真ん中にトイレの神様である『烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)』の銅像が真ん中にあり、巨大な水盤、やけに高い小便器、これらを見ると日本一を標榜するのもよくわかる。もちろん、用を足しました。(以下次回)


豊岡梅園で梅を愛でる〜静岡旅行⑦

2023-03-20 05:00:00 | 旅行
静岡旅行⑦、鰻を頂いた後だが、磐田市にある『豊岡梅園』に向かう。『鰻に梅干し』は食い合わせが悪いとはいうが、梅見であればよいだろう。

鰻屋さんを出たあたりからぽつぽつと雨が降り始め、あまり梅見には適さない天気にはなったが、天竜川沿いの道を北に向かう。新東名高速の浜松浜北ICから少し走ると住宅地が丘陵となり、周りに梅の木が増えてくるが、その突き当たりが梅園の駐車場となっている。ただ、天気が悪いからか車は3台しか停まっていなかった。



既に周辺は梅の木で一杯なのだが、園内はそれどころではなく、約3000本の梅の木が見える範囲全てに植えられている。1人500円払って入園するが、生憎の天候に加え、平日ということなら園内には殆ど人気はない。



入口の小屋を中心にすり鉢状に梅が植えられているが、13haもある丘陵。放射状に伸びる道は坂はあるが、舗装されていて歩きやすい。




坂道を登りながら鑑賞するが、梅干し用の白い花が咲く梅が中心。その中に紅梅がところどころにあり、アクセントになっている。剪定をする人が梯子を掛けて枝を落としているが、この枝にもたくさんの花がついていてもったいない。



坂を登っていくと左右に風景は広がるが、その奥にも梅が植えられていてどこまでも続くその規模はすごい。また、梅の種類はそれほど多くないようだが、若木と老木で枝の伸び方や一本の枝につく花の数などがかなり異なる。



また、紅梅と一口に言っても濃い紅色の花、薄ピンクの花、殆ど白に近いが隣の白梅に比べるとやはりピンク色の花とかなり差があることに気づく。

1時間かけて何とか半分くらいを周り終わり、事務所の前で剪定した枝を数本頂いて帰った。その枝の入ったバケツが花筏のようになっていたのが、妙に印象的であった。(以下、次回)






濱松秋葉神社に参拝〜静岡旅行⑤

2023-03-18 05:00:00 | 旅行
静岡旅行⑤、うなぎパイ製造工場の後は浜松市中心部にある秋葉神社へ。秋葉神社は徳川家康が1570年に浜松城入城の際に秋葉山本宮秋葉神社より勧請した神社。徳川家康の長女亀姫を正室とする家臣奥平信昌の邸に建立された。

実はこの神社の宮司、袴田哲司さんは私の大学時代の友人でお父様より引き継ぎ長年に渡り、神社を守って来られている。卒業後は数回会ったのみでなかなかお邪魔できなかったものである。



市内の丘の上に立つ朱塗りの立派な本殿は色々なお祭り(焼納祭、管粥祭)が行われていて周囲の人々から信仰されている。また、家康公が勧進し、徳川家、武田家、井伊家を結ぶ『信玄衆誓詞』奉納地、『井伊の赤備え』発祥の地でもある、と説明板にあった。今年の大河ドラマ『どうする家康』の舞台でもある浜松には多くの人が訪れることであろう。



私は袴田さんと奥様からこの神社を守る苦労や由来などゆっくりお話を伺ったが、徳川家、武田家、井伊家の御当主の方々がこの神社に集まられた際の話は面白く、また、有名な武将の子孫が今も集われていること自体が不思議な気がした。



とにかく市内にあると言っても閑静な場所であり、心落ち着く神社であった。浜松においでの際はぜひご参拝ください。きっとご利益がありますよ。

うなぎパイファクトリーに行く〜静岡旅行④

2023-03-16 05:00:00 | 旅行
静岡旅行④。舘山寺の次は浜松を代表するお菓子であるうなぎパイの製造工場を見学する。カーナビの言う通り20分ほど走ると工業団地にある『UNAGIPAE(うなぎパイ)FACTORY』に到着。


入口には巨大なうなぎパイのオブジェが乗った赤いトラックが停まっている。入口で名前などを紙に書くとお土産をくれる。ミニサイズのうなぎパイが3枚、1人に1つずつもらえる。

すぐ横はもう製造ライン、伸ばした生地をあの長細い形にしてオーブンに並べて行くとだんだん色がついて焼けてくる。それにシロップ(タレと言っている)を掛けて乾かし、出来上がり。検品をして不揃いな物をハネ、パッケージにしていき、これを箱に詰める。

2階に上がると広い工場の全体が良く見え、出来上がった3種類のパイを紙箱に詰めて行くところがよくわかる。



2階ではビデオも見ることができるが、ウナくんという子供のキャラクターが説明してくれる。まずは小麦粉とバターを捏ねて層を作り、これを寝かせ、さらに伸ばすが、この1番大変な工程は全て職人さんたちの手作業。機械が作るのは『焼き』の工程から後の部分だけなのである。

メーカーの春華堂は1887年創業の老舗で元々は岡部で茶屋を経営、売り出した甘納豆が評判となり、浜松で菓子の製造を始める。うなぎパイは1961年に販売開始、東名高速や新幹線などの影響もあり、浜松名物となる。2005年にうなぎパイファクトリーが完成、浜松観光名所となっている。

平日の午前中というのに親子連れを中心に千客万来、やはり『夜のお菓子 うなぎパイ』のネーミングが素晴らしかったのかも。



ちなみに『昼のお菓子 しらすパイ』もある。ファクトリーの2階にはレストランがあり、うなぎパイの乗ったパフェも食べることができる。(以下、次回)