『江戸の坂・東京の坂』その28。今回は麻布台周辺の坂道。地下鉄日比谷線神谷町駅から飯倉交差点に向かう。
まずはとすぐに右に曲がり、しばらく行くが、虎ノ門5丁目周辺は六本木ヒルズ周辺同様に大幅な区画整理が行われており、台地に上がる途中からまるで地形が変わっており、テレビ東京の本社を見て断念。
元の通りに戻り、先を急ぐ。すると右側に西久保八幡神社が見えてくる。正面の石段が男坂、左手を回り登る坂が女坂。周辺が開発されるなか取り残された神社で愛宕神社のように平地から急に高くなり、頂上からの眺めがいい。
11世紀初頭に源頼信により創建されたが、元は寺で明治の廃仏棄釈を経て、神社となったもの。境内には貝塚も残されている。
さらに飯倉交差点に向かうと交差点から手前に少し戻るように行くと巨大な霊友会釈迦殿前に出るが、その先にある階段の坂道が雁木坂。敷石が直角に組まれたからとも言われ、当て字で『岩岐坂』とも書く。
飯倉交差点は三方からみて丁度頂上のようになっており、夫々に名前がある。唯一交差点が下になる東京タワー方面への坂が永井坂、これは明治初期までこの辺りを芝永井町といったことから付けられた。
一方、神谷町駅から真っ直ぐに下っていく坂道が土器坂、これは『かわらけさか』と読む。その起源はこの辺りに土器を作る職人がいたからとも、渡辺綱がこの辺りで買った馬が河原毛(黄褐色、亜麻色・かわらげ)で名馬だったからととも言われる。
神谷町駅から来てロシア大使館方向に右側に曲がる六本木方面にある坂が榎坂。これは江戸時代より前の街道を示す榎が植えられていたからと考えられる。
とにかく、四方が坂道で三方の坂道に名前が付いているのは珍しい。小生はここからロシア大使館方面に向かい、麻布十番駅を目指すが、ここからは次回とする。