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『神田をぶらり』その3。今回は中央区との区界にある神田美倉町とその隣の神田西福田町をぶらりと歩く。
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日本橋から昭和通りを北に歩くと地蔵橋児童公園(千代田区側は地蔵橋西児童公園)が隣り合わせにある。この2つの公園のうち、手前が中央区本町で先が千代田区神田美倉町と区境にあり、その中に竜閑川埋立の碑が建てられている。
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実は区界にはかつて竜閑川という掘割(人工の川)が流れていたが、明治時代以降少しずつ埋立られ、1950年には失われた川となってしまった。因みに神田駅に近い今川橋も竜閑川に架かる橋であった。かつては川だった道沿い(ただし、中央区側)に小さな福田稲荷神社がある。
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この辺りが神田美倉町だが、元は佐柄木町・本銀町・紺屋町の『3つの倉地』から三倉地と呼ばれていたものを明治2年に町の名前を付けるにあたり、美倉町と変えたものと言われている。また、神社の由緒を見るとこの辺りは南豊島郡福田村という豊かな農村で、和銅4年(711年)に伏見稲荷から分祀して作られた、小さいながら1300年もの歴史を持つ神社である。
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路地とも言える道沿いには時代から取り残されたようなレトロな寿司屋や喫茶店、周囲には小さな医療問屋や商店が並ぶ。町にある有名な会社はフマキラーくらいである。
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少し大きな通りに出て右に曲がるが、すぐ小道を挟んで西福田町となる。この町は横断する道はなく、周囲に道があるのみ。さらに前回取り上げた神田相生町・神田花岡町といった住人0の町を除くと、神田◯◯町の中ではもっとも少ない、わずか住民13人の町である。
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しかし、現在昭和通り沿いに作っているマンションができればずいぶん変わるとは思うが。なお、福田町の由来は福田稲荷神社の際に述べた福田村である。
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次は神田美倉町から10分ほど歩く。昭和通りを越え、秋葉原駅から神田川沿いを右に曲がると『美倉橋』がある。この2つは全く離れた町と橋だが、両方『美倉』が付いている。この関係だが、実は神田美倉町会が美倉橋の営繕をかつて行なっていたことから付けられたとも言われている。こんな小さな町でも色々と歴史があることを再発見できた。
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(因みに最初の写真の神田福田町は神田西福田町の誤記です。)