hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

信濃町駅付近の坂③

2023-10-04 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その190。信濃町駅付近の坂巡り③、朝日橋を越えると道が左に曲がる。『離宮ハイツ』といった風情のある古く小さなマンションが並ぶ。

下り坂となり、さらに左に曲がると角に『鉄砲坂』の標識が出てくる。(地図の緑の地点)



しかし、鉄砲坂はこの次の角を左に曲がったところ(黄土色に塗った部分)のはず。確かに坂を降りたところ(紫の地点)にも標識が立っていた。



たぶん道路工事などで一時的に動かしたのだろうが、ちゃんと元の場所に戻してもらいたいものである。
鉄砲坂の由来は標識によると『江戸時代この辺りには鉄砲組屋敷があり、鉄砲訓練所や鉄砲鍛冶場があったため、こう呼ばれるようになった』とのことであった。



坂を降り、右に曲がると目印になるお肉屋さん、次を左に曲がると『戒行寺坂』となる。この坂道の左右には寺院が並ぶが、坂の一番上に戒行寺。名前の由来である。



細くて長い道だが、車は結構通る。乗用車が左折しようとしても切り返さないと曲がれないほどである。



少し歩くと左側に標識、路地のようなさらに細い道が坂になる。これが『闇坂(くらやみざか)』、松源寺と永心寺間の坂道だが両側の樹木が繁り、薄暗かったため、この名前がついた。今も薄暗く、細く急な坂道で降りたところはあまり日当たりの良くない若葉公園、その先で道は左に曲がる。
因みに若葉公園は昔の小学校の跡地にある。

この辺りは道がうねうねとしていて地図通り歩くのが難しい。道なりに歩き、突き当たりを左へ、次の坂を左、道なりに右に曲がると突き当たりの線路沿い道が『出羽坂』となる。



名前の由来は坂上に明治維新後、旧松江藩主松平伯爵が引越しできたことから、旧藩主の役職である出羽守よりこの名前となった。



坂を上り、信濃町駅方向に歩く。すると創価文化センターの立派なビルの手前に左に降りる坂道が現れる。これが『新助坂』。標識には『昔、この辺りに新助という人が住んでいたことから付いた名前で、別名はスベリ坂』とある。



夏がまだまだ続く中、蝉の声に追い立てられながらも何とか当初予定は完踏。単純に地図を信じないでGPSも使いながらでないと坂道巡りも難しい。