『改めて日本語について考える』その45。9月に入ると日の出ている時間が徐々に短くなり、特に夕方はまだ5時半なのにもう真っ暗になってしまう。それもそのはず、9月1日の日の入りは1809(東京)だが、秋分の日9月23日は1738(同)と29分も短くなっているのである。
ところで日が暮れる表現でよく使うが本当の意味を知らず、思わず色々と調べてみた。まずは『くれなずむ』、海援隊のヒットソング『贈る言葉』の冒頭の歌詞にあるのだが、正確な意味はなんだろうか。『くれなずむ』は春の季語?先程私が述べた秋の情景ではなく、春のだんだん日の入りが遅くなる頃に『完全に日が暮れそうでなかなか日が暮れない状態』のことを言う。これを漢字にすると『なずむ』は『泥む、滞む』と書く。
(夕焼け)
次はだれでも知っている歌に出てくる言葉なのだが、『夕焼け小焼け』とは何を指すのだろうか?夕焼けが日の入りの際に西の空が夕日に照らされて赤くなることと知らない人はまずいない。しかし、それでは続く『小焼け』は何を指すのだろう。
(小焼け)
気になって小焼けを調べてみると『沈んだ太陽に照らされた空がもう一度赤くなること』を言うらしい。とは言うものの『夕焼け小焼け』でセットなのだろう。
(たそがれ)
最後は夕方暗くなった頃を表す『たそがれ(黄昏)』と『かはたれ』の違いである。たそがれを調べると『1日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残の赤さが残る時間』と書いてある。由来は『たそかれ、つまり誰ですかあなたは、と言う意味で漢字にすると「誰そ彼」と尋ねる時間』と言うことになる。
(かはたれ)
一方の『かはたれ』の方は『彼は誰時』、つまりたそがれと同じことになる。しかし、『かはたれ時』は1日のうち明け方でまだ薄暗く、誰かわからないことを言う。
もう一つ面白い表現『逢魔時(おうまがどき)』や『大禍時(おうまがどき)』がある。これはほぼたそがれ時と同じで、意味は前者は『何やら妖怪、幽霊など怪しいものに出会いそうな時間』、後者は『不吉な時間』と言う意味である。
夕方というだけでこれだけの表現がある日本語は奥が深い。