佃煮の小松屋さんを出るとお隣に可愛らしい緑色の鋼鉄橋がある。これが柳橋、あちこちに柳が植えられているが、これはのちに植えたものと小松屋のご主人が話してくれた。
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橋の袂には安政年間より続いた『亀清楼』がビルとなり、残されている。橋にはかんざしが埋め込まれ、雰囲気を出している。
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しかし、料亭は1999年に最後に残された『いな垣』の閉店を以てなくなり、伝統のある柳橋芸者は失われてしまった。
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(花火の頃の写真)
柳橋の橋自体は1698年に初めて架橋され、1887年に鋼鉄製となる。しかし、関東大震災で落橋、1929年に今の橋が完成した。橋長38m、幅員11mあり、船舶の航行に支障をきたさないように橋脚が少なく、橋梁本体の下に路面のある下路式鋼製ソリッドリプタイドリーチ構造となっている。
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橋の周囲には震災復興記念ほか色々な記念碑や石碑などがある。
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橋を渡り、左方向に歩くと隅田川テラスに抜ける階段がある。降りるとちょうど神田川が隅田川に注ぐ地点に出る。隅田川は上流には総武線の鉄橋、すぐ横には東京スカイツリーが見える。
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下流にはすぐのところに両国橋がある。一度戻り、国道14号に出る。すると通り沿いに両国広小路の石碑がある。
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両国広小路は明暦の大火(1657年)の後に多くの死傷者を出した教訓から両国橋西詰に火除地として広小路が作られ、常設の建物は作られなかった。
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ただ、その代わり仮設の見せ物小屋や飲食店などが立ち並び大変に繁盛したようである。
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元の道に戻り、柳橋の手前を左に行くとすぐのところに佃煮屋の親戚が経営する船宿『小松屋』、さらに川沿いを歩くと浅草橋手前に『鈴木屋』が出てくる。
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昼のためまだ屋形船はたくさん泊まっていた。船宿の建物はかなり古いが、多分再建築が難しいために昔の有様そのものを残しており、絵になる街並みがまだここにはある。
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