hokutoのきまぐれ散歩

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椙森神社〜日本橋七福神を久々に巡る①

2023-10-19 05:00:00 | 日記
『日本橋七福神』を巡る①。このブログで日本橋七福神を歩いたのが2013年8月〜9月、気がついたらもう10年も前の話である。ふと思い立って再び七福神巡りをすることにした。

ではなぜこの季節なのか。10月19日・20日はべったら市、これは江戸中期に恵比寿を祀る神社の門前で10月20日の夷講にお供えをするため、前日に市がたち、魚や野菜、神棚が売られたのが始まり。


長くなったが、七福神のうち、寳田恵比寿神社は普段は無人の神社だが、べったら市とお正月のみ御朱印がもらえるためである。



因みに日本橋七福神は8ヶ所の神社を巡る。7人の神様なのに何故8ヶ所かというと、恵比寿様をお祭りした神社が寳田恵比寿神社と椙森神社(すぎのもり)と2つあるからである。



まず1番目にお邪魔したのは椙森神社である。椙森神社の縁起は藤原秀郷が平将門の乱平定のため戦勝祈願をし、戦いののちに白銀の狐像を奉納したとされる。1466年には太田道灌が雨乞いの霊験があったとして山城国稲荷山五山神社を勧進して祀った。
江戸時代には江戸三森(柳森、烏森、椙森)の一つに数えられ、庶民から諸大名までの崇敬を集めた。寛文年間には吉川惟人が大巳貴大神の託宣を受けて恵比寿大神を祀った。

境内には富塚の石碑がある。江戸時代の富籤は興行主が番号記載の富札を販売し、一定の日に公開抽選をして当選者に賞金を渡す。起源は摂津国箕面山瀧安寺で行われた富法会と言われ、江戸や大阪、京都などで幕府公認の『御免富』が寺社境内で行われ、一部の資金が寺社の維持や修復に使われた。




椙森神社には1836年に境内で行われた『御免富』が伝来していて、その記念として石碑が建てられたもの。因みに当時の1等即ち一の富は千両、1両8000円で計算すると8000万円、ただ、当選金のうち当選者に渡されたのは7割の5600万円と言われている。また、富札は一枚1朱から2分(1分は2000円)だから庶民に取ってはかなり高かった。

べったら市は10月19、20日に開催されるが、これは恵比寿様のお祭りで米麹につけたべったらという大根の漬物を売るもので露店が約500軒も立ち並び、べったら漬け以外にも色々なものが販売される。地元の老舗も露店を出すほか、商店も大安売をして大変な盛り上がりとなる。因みに私は昨年10足で1000円の靴下を購入した。

コロナの影響で昨年まではべったら漬けを売る店では試食出来なかったが、今年は味比べもできるはずである。