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『江戸の坂、東京の坂』その106。今回は東京メトロ丸ノ内線中野坂上駅で降りて坂を巡りながら中野駅まで歩く。『坂』のつく駅、つまり坂道が駅の名前になっているのは乃木坂、志村坂上、赤坂、神楽坂など他にもあるが、東京で最も古いのは中野坂上駅である。
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それではまずは駅名にもなった『中野坂』から歩く。中野坂上交差点は山手通りと青梅街道の交差点だが、そこから新宿方向に向かう下り坂が中野坂である。
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坂を下りたのところに標識もあるが、それには『中野の由来は武蔵野国のほぼ中央部にあることからついたとされる。この辺りは堀之内のお祖師様と呼ばれた妙法寺への参詣者で賑わっていた。』とある。
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標識から少し戻り、ライフストアの向かいの道を歩いて道なりに行くと『相生1番坂』となる。この辺りは道が細く、なかなか先が見通せないが、下っていく。この辺りは道に名前が付いていて『相生1番坂通り』とあるが、地名がかつて相生町であったことに由来する。
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また、坂道を上り、左に曲がると山手通りに突き当たる。これを左に曲がり、先にさらに左に分かれていく道がある。これが『相生二番坂』、やはり通りの看板がある。一番坂・二番坂というのも珍しい。
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山手通りに戻ると目の前が首都高速道路中野長者橋IC、少し戻り反対側に渡る。そのまま真っ直ぐに歩くと左側に朝日ケ丘公園という児童館併設の小さな公園。
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そこに『象小屋の跡』という標識がぽつんと立っている。ここに江戸初期に象が飼われていた跡とのこと。面影は全くないが、1728年に中国人の商人がベトナムから象を連れてきて、京都では天皇、江戸では将軍吉宗に謁見した。しばらくは浜御殿で飼われていたようで、この象を下げ渡された中野村の源助が成願寺近くに小屋を建てて飼っていた。象が死んだ後に象の牙が宝仙寺に保管されていたが、残念ながら戦災で焼失してしまった。
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次は北に向かって宝仙寺を目指す。宝仙寺は11世紀に源義家により開かれたとされる古刹で明治時代には中野町(現在の中野区)の役場が置かれていたこともある。青梅街道の宝仙寺前の信号を渡り、寺の前を右に曲がり、寺を回るように歩くと『犬坂』になる。
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名前の由来は将軍が狩を行う際に猟犬が野犬に襲われることがあったため、この坂の下に飼い主のいない犬をつないでおいたことからついたとされる。坂道は宝仙寺と宝仙学園の間をとおり、少し行くと桃園川緑道に出る。(以下、次回)