外堀通り散歩③、市ヶ谷橋を登って行くと市ヶ谷駅がある。江戸城の市ヶ谷見附の枡形門はこの交差点辺りにあったらしい。
ただ、今はその跡形もなく、傍に市ヶ谷門跡の説明板が置かれているのみである。
それによると市ヶ谷門は1636年に現在の岡山県にあった美作津山藩主森長継によって建築されたものである。
また、この石垣の一部は先ほど通ってきた市ヶ谷フィッシングセンター駐車場横に残されている。(写真右手の石垣)
再び坂を降りて外堀通りを行くがここから先は市ヶ谷濠、地図で見るとよく分かるがこの先は細くなっていて、三角定規の先端のようになっている。
市ヶ谷濠の先端部を写メで撮ろうととしたが、濠の周りの木は葉が繁り、うまく撮ることが出来なかった。
市ヶ谷濠の先は真田濠があったのだが、埋立られ、公園が整備されていて野球場やテニスコート、児童公園などになってしまっている。公園の向こうには線路があり、時折、中央線のオレンジの電車が通るのが見える。
最後は坂道になって登って行くと、広い通りに出て左折。少し登ると右側に四ツ谷駅。その向かい側に小高く積み上げられた石垣がある。説明板はないが、間違いなく四谷見附の門の遺構である。
(最初の写メ)
四ツ谷駅構内に入ると『四谷門と玉川上水』の説明板がある。
江戸時代に敷設された玉川上水は四谷大木戸まで水を運び、ここで地下に埋設された木樋や石樋を通り、江戸城に給水したのである。今でこそ上水道は当たり前にあるが、江戸時代からここまで整っていたとは、さすがに江戸が世界一の大都市であったことがよくわかる。